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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』

シエラレオネ マダガスカル モーリシャス モロッコ





『非常事態!!シスターに向けられた銃口』

〜シェラ・レオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
…私達は今、非常事態に突入しております。内乱が激しくなり、反乱兵士がそこら中に攻撃をはじめ、毎日、大きな町がやられ、刑務所が開かれ、家が焼かれ、沢山の死者を出しています。私達の修道院の一つも…攻撃を受けました。午前8時、診療所を取りまく周りの家は、兵士によって爆弾と銃弾、そして煙と火に包まれ、9人のシスターは、反乱軍が入って来る前に、小さな袋に下着と重要書類を入れていました。(兵士達は)大きな銃をかざし、門をよじ登り、修道院の前で銃を空に向けて撃ち「早く出て来い。さもないと、みな殺しだ」と叫び、シスターは、もうこれでお終いと思ったそうです。コカイン中毒らしい兵士が血走った眼で、銃を一人のシスターの頭に向け「診療所のドアを開けろ!早く、ドラッグをよこせ!!」とせきたてます。シスターは鍵をもって、戸を開き、すべてのドラッグを渡しました。足許にまた銃をうつ恐怖の時−シスターは一列に並ばされ、カナダ人のボランティア夫婦も同じく手を挙げて検査され、その間、兵士は、修道院や診療所に侵入し、めぼしいものを掠奪(その後)自分達の背丈より高いエレファントグラスのブッシュを、かなり長く、何処へ行くかも分からず歩かされ、休憩所みたいな所に連れて行かれました。反乱兵はそこに約百人居たそうです。
皆、銃を持って、その銃口はシスターに向けられているので、生きた心地ではなかったそうです。…一人のシスターが…勇気をもって「祈らせてくれ」と頼みました。…祈りは長く、ある兵士の忍耐が切れて来たような…時、急に状態が変り、あれ程沢山居た兵士が蜘蛛の子を散らすように消えてしまったそうです。残ったシスターは、その後、ブッシュを7時間歩き、沼を渡り…方向も分からず進み、やっと街道らしきものに出会い……政府軍の兵士の保護で自動車でボー市まで逃れ、助け出されました。
 追信私達9人は、全員、今、ローマの修院に避難しています。
 現地には地区長、院長、2人の看護婦のシスター(Srエスペランサ、Srコンスエロ)それにボランティアのマルベールの5人が、神父様、ブラザーと共に残り、命がけで救援に当たっています。






『生命の危険を感じつつ暮らす日々』

御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
…シェラ・レオーネは、雨期から乾期への移行期に入っていますが同時に、反逆兵士たちの町や村への攻撃、掠奪、破壊が一層活発になっており、生命の危機を感じつつ暮らしています。…今朝軍隊のトラックに30名程の兵士連を乗せて、2名の大佐達が私達に「逃げないように、平静に…」と話しに来ました。…機関銃を持った一人の兵士が話しかけて来ました。彼が云うには「シスタ一、なにかの時、救助に来るから逃げないで下さい」と繰り返し頼みました。私達が避難をはじめたら、確かに、人々はパニックに陥ることは確実なので、私達も頑張らなければなりません。…アフリカ、とくに、ブラックアフリカの国々は、戦国時代のようです。兵士達も分裂していて、町を襲う強盗の一団のように反逆兵士達は動いています。
…3日前も、14歳の兵士を含む、12名が、反逆、反乱罪で、首都で処刑されました。軍事裁判です。
 家を追われた人々は、今、一杯居ます。






『活気はあるが、物価上昇に吃驚』

〜マダガスカル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間理子
…12月13日で、3年目が過ぎました。(マダガスカルは)以前より活気は出てきていますが、貧菖の差が、ますます激しくなるのを感じます。物価の上昇は、物により毎週だったり、毎月だったりで、とくに食べ物類の上昇はびっくりしています。税金は100%なので支払いは倍。国内での生産品が、あまりにも少なく、特に医療材料は、注射針にいたるまで輸入です。…日本のように、物が溢れ、競争社会になると、また、別の面で善が出そうです。とちらがいいのか分かりません。
(12月24日)






『保育室の建築はじまる』

〜モーリシャス〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 桶野香
…私の居ります小教区では、クリスマス前夜ミサはとてもよく準備され、みことばの部分は、旧約から救い主の誕生までを、青年達による音楽に合わせての身体表現(ダンスと無言劇形式)で、私達すべての参加者に救い主到来の喜びへ導いてくれました。イエズス誕生の場面には、生後2週間の赤ちゃんまで登場しました。
…お蔭様で、12月半ば過ぎから保育室の建築が始まりました。材料の入手に時間がかかったことと、新のお休みにもぶつかるし、その上、相次ぐ2つの台風で10日以上も工事は中断するしで、とうとう学年末の休みも終り、新学期が始まりましたが、工事はまだ続いています。でも、一たん始まったからには、少しずつ完成に近づいていくのは事実なので、とても楽しみです。






『殺された四人の宣教師』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 朝倉信江
…モロッコは、今のところ平穏ですが、隣りのアルジェリアでは、12月27日、四人の白衣の宣教者が、司祭館で殺されました。ハイジャック犯の四人のイスラミストが射殺された報復のためです。
 「すべてのクリスチャンを追い出す」と宣言していますので、アルジュリアの教会は試練の中にあります。殺された宣教師も、十月に殺されたシスター二人も、貧しい人々のために奉仕していた方々です。
マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒川栄子
…お隣りの国で、あんな悲劇があったことも知らず平和な夜を過し、翌朝、ラジオのニュースで吃驚しました。元旦には、こちらの首府ラバットのカテドラルで、四人の司祭のためのごミサが行われました。奥様がベルギー人のモロッコ人の男性が「自分の結婚式は、亡くなられたベルギー人の神父様の司式だった」と共同祈願に立たれ、涙を流されたと聞きました。幸いに、こちらの人々は私達の立場に好意を持っています。王様も、寛大に教会を公認するばかりでなく、好意を示して下さるので、今のところ、私達は平和を味わっております。私は昨年10月からラバット司教区経営の学生図書館で、パート・タイムで働いております。






『南米』

ブラジル ペルー エクアドル





『心痛んだ一九九四年』

〜ブラジル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤和
…一九九四年は、いろいろとご協力頂きありがとうございました。
 カトリック会館の方は、なかなか思うように捗りませんが、青年達が協力して、古い家を崩し、レンガ等出来る限り利用、”やきそば“”古着市”等をして頑張って居ります。
 暑い一日…星の美しい夜空、果しもなく広がる夜空、夢を誘う白い雲、鈴なりのマンゴ、ジャッカ、パイナップル、アボガド等々…このように恵まれた土地、国ですが…刑務所内の囚人の暴動、大都市での麻薬組織による殺し合い、知らぬ間に消されて行く子供達…帰伯して二カ月になりますが、知人が二人、一人は21歳のブラジル青年、一人は出稼ぎから帰り、店を開いたばかりの日系人が、強盗の手にかかって亡くなりました。死に向って急いでいるような車の事故も多く、心の痛むことの多い年でした。
(一月)






『貧困児童へ農業訓練はじめる』

横浜教区 佐々木治夫神父
…今日(11月3日)は久し振りに日蝕を見ました。ここでは93%ぐらいの日蝕でしたが、職員、子供達は大喜び。…この次は二〇四〇年だそうです。ということは、私にとって最後の日蝕だったのですね。午前10時半でしたが、気温が下がり、夕方5時頃の暗さになり、田舎の人で、恐れを抱いた人が、大分居たようです。
 街の貧しい子供達への農業訓練を始めました。ストリート・チルドレン予備軍ですね。だらしがなく、すぐに疲れ、時間ばかり気にしますので調べてみたら、どの子の家にも朝食がありませんでした。
早速、こちらで朝食と、午後のオヤツをあげるようにしましたら、3ヵ月で平均10短も太り、みな、良く働き、良い子になりました。9人の子供のうち6人が小学校を追放されていることも分かり、学校と交渉して、夜学の特別学級を作らせました。ボランティアの先生も生徒も張り切っていますので、良い成績をあげることでしょう。
やりたいこと、やらなくてはならないことが一杯ありますが、体が言うことをきかなくなり、歯痒い思いをしています。






『任地に着き、早速、病、老人訪問へ』

聖マリアの汚れなき御心のフランシスコ姉妹会 久場千代
…私たちは、お蔭様で予定どおり、10月23日にカンポ・グランデに到着しました。…ここ、カンポ・グランデも、日系人の多い所で、80%は沖縄県人だそうです。熱心な日系信者の方々に、いろいろ教えてもらって、病人、老人訪問などしています。ここは今、夏に向っています。真夏は40度まで気温が上るのだそうです。はじめて、そのことを聞いて、大変だと思いましたが、暑くなったと思ったら、スコールがやって来ますし、夜は涼しく、過ごしやすい暑さだと思います。私達の家の向いに、プロテスタントの教会があり、夜は、きれいな声で、コーラスが聞えて来ます。私達も魅力ある宣教を考えなくては…と話しています。
聖マリアの汚れなき御心のフランシスコ姉妹会 稲嶺桂子
…目下、午前中はポルトガル語の勉強です。日系の方々の訪問とは云え、やはり、言葉の必要を感じます。…ここでは、時がゆったりと流れており、人々も、とても親切です。日本で失われたものがあり、人々と出会う度に、沢山、教えられています。






『情勢は好転(?)しているが……』

〜ペルー〜
フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…(ペルーでは)テロリストが殆ど締まり、治安も良くなり、インフレも緩和し、国際通貨基金との仲直りで国外からの援助も来ています。でも、大衆の中で仕事をしていると、その成果が末端まで届いていないというのが、偽らざる実感です。今、不足しているのが職と、国民が当然の生活を送れるための正当な給料だと思います。
…国民の苦しみは、まだ、続くことでしょう。
 エンマヌエル・ホームの子供らは、幸いに、元気に学校に通い…ホームの運営に携わっている援護会員は、一九九四年から、この事業がスムーズに運ぶための、自活の道を捜し求めています。四年前に医療センターを開始し、一九九三年は靴の修理、そして今はカフェテリアを開始し、数週間で、日本からそのために頂きました一部の援助金で、若者達の「黙想の家」の建設に当る予定をしています。






『子は靴磨き、その稼ぎで母親は市場へ−』

〜エクアドル〜
聖母被昇天修道会 横山まさ子
…一九九四年一月から新しい任地に参りました。ラ・マナという小さな町で、カナダ人、日本人、ポストラントのエクアドル人3人の共同体生活。それぞれ教会の手伝いといっても、エクアドル人の司祭一人で何万人の信者を抱えていますので、殆ど、司祭同様に信者の養成、若者の信仰教育、家庭での信仰教育等、仕事は山ほどあるので、手が回らない状況です。…靴磨きの少年達の集まりを、週一度開いて、彼らの生活指導を試みていますが、ここに、はっきりと貧困の状況を見ることが出来ます。毎日、20人〜30人の子供達が、中央の公園に来て靴みがきをしています。家計を助けるため…学費のために働くということですが、まずは一日のパンのため…。夕方になると、我が子の収入を待つ母親の姿が、ポッポッと公園に現われます。子供達が即座に金を渡すと、母親は幼子の手を引きながら近くの市場へ−その日その日暮しですから。(去る)七月に遠足をしました。40人くらいの子供たちと…静かな川まで。大好きなサッカーを楽しみ、川で泳ぎ回った子供たちは、この日ばかりは天国だったでしょう。…遠足に参加したくても参加出来なかった子供達も居ました。






『アジア』







『コミュニティだより』

〜フィリピン〜
聖母訪問会 フィリピン・コミュニティ 芝崎富美子
…一九九四年春には、私共がフィリピンへ来た当初より、親切に関わって下さったイサベラ教区のコルブス神父様が、突然、他界なさり、本当に悲しい思いをいたしました。…しかし9月には、フィリピン人として、初めての本会入会者であるSrエペリンが日本から戻り、Sr原田も来られ、修練院が開始され活気づいています。…シスターの他に、地域医療奉仕をする看護婦のジュディトさん。貧しい地区に入り、共同体オーガナイザーの研修をしている川口真紀子さんが私達の共同体のメンバーとしています。
ジュデイト・アマキウ
…フィリピンには、CBHPと呼ばれる民間の地域医療活動があります。それは、政府のサービスが行き渡らない貧困地区のためのものです。私は、訪問会のシスターと共に、一九九四年五月から、マルタンという貧しい地区で、この活動を始めました。…殆どの人が貧困線以下にあり、子供達は栄養失調です。…現在、12人の活動的なリーダー連が毎週一回、6ヵ月の養成を受けています。…養成終了後、ヘルスワーカーとして受け入れられたら、保健サービスは確かなものとなります。
ジルダ・フェレル
 私は19歳。イサベラ州の小さなギバン村で生れました。弟が一人、父は居らず、母はメイドとして働いています。私は、皆様の援助のお蔭でイサベラ高校を卒業出来ました。一年働いた後、また新たに奨学生として、カテキスタ養成専門学校で勉強、卒業後はイサベラに帰り、教会のカテキスタとして…なんらかのお役に立ちたいと患います。
カテキスタ 美智子・トレンティノ
…私は一九九三年から、ソーイング・グループのお手伝いをさせて頂いております。15年前にシスター方が、田舎のお母さん達に現金収入が入るよう、雑巾縫いから始められたというこのプロジェクト。
 途中で中止するようなことがあれば、14人のお母さんとその家族が、とたんに生活に窮することになってしまいます。…今年は二人のお母さんに赤ちゃんが生まれ、明るいニュースがありました。
 お母さん達は、お給料が入ったから、米や醤油を買うという、つつま⊥い生活です。給料日には、実に嬉しそうに、手に手に食料品を抱えて帰るのです。






『銃≠ヘ消えたが、人々の生活はなお苦しく』

善きサマリア人修道会 影山ひろ 迎衛子
…ラモス政権に変って2年が過ぎました。この間に、私達の周辺から、銃を持った人の姿は減ったように見えますが、この表面的なものが、即、この国の平和につながるとは言え切れません。人々の生活、とくに、底辺の人々の生活は楽になったとは云えず、相変わらず厳しいものです。この一年間にも、物価の上昇は、じわじわと人々の生活を苦しめました。皆様の援助で始められた砂糖キビ労働者の子供たちのための給食サービスも続けています。子供達は給食サービスの日には、ふだんよりも十分な食事が出来るので、家族と私達も、皆、とても感謝しています。コンセプション教会の奨学生も、心から学校に行けることを喜んでいます。また、一年前にこの教会の父親たちが始めた農作プロジェクトや、協同組合も順調に行なわれており、彼らの貧しい生活からの自立のために、大変助かっています。また、私たちの新しい活動として、近くの小学校で教理を教えています。(94・10・23)






『托鉢の仏僧にロザリオをプレゼント』

〜タイ〜
聖パウロ女子修道会 阿部羊子
…タイは今が一番凌ぎやすい気候ですが日本の真夏の暑さです。
 日焼けして元気にバンコクの市民の中で生活しています。
…いま、タイ国は、凄まじい勢いで発展し、学生は勉強に、大人は仕事に、富む者も貧しき者も、誰もが意欲的に、精一杯生きているのが感じられます。高度成長の谷間には、山ほどの問題がスモーク・マウンテンのように積み上げられていますが、事態を意識する多くの人々が、宗派を越えて具体的に解決に取り組み初めています。…道々、毎朝、柔和な笑顔の托鉢の仏僧に会い、始めは目を伏せていたのですが、最近は合掌して挨拶、先日、手にしていたロザリオを差し出しましたら、大変喜んで鉢を差し出して(女性からは直接物を受け取らないので)受け取ってくれ、夕方、電話を頂き、生涯大事にしますとのこと。いつも、ロザリオをタイ語で祈りながら、教会に通う、その道でのエピソードです。






『聖母の村完工へ拍車』

〜韓国〜
汚れなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会 庄司裕子
…韓国「聖母の村」のための祈りや後援金、ボランティア活動を通して送って下さった皆様方の善意に胸が熱くなって来るのを覚えます。…とくに、11月13日の…新築現場でのミニバザー会の盛大さ、このミニバザー会では、みさかえの園「のぞみの家」の園生の手芸作品が販売され、同じみさかえの園のむつみの家に住んでいる永元正夫さんの絵の展示と、彼の障害者施設での制作状況のビデオコーナーも設けられ、彼の絵の色彩のあざやかさに感嘆した人達も多かったようです。さらに小長井町のシスター遠からは、手作りの和紙の日本人形のクリスマスカード二五〇部も送られて乗て、まさに国際協力にふさわしいバザー会でした。このバザー会で、最も活躍したのは、障害者のお母さん連です。お母さんたちの迫力には、ただただ感心してしまいました。…建物は、三月の完成を目指して、現在、内部工事に拍車がかかっています。赤いレンガの椅麓な建物です。
汚れなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会 飯田栄子
 私は…若い院長Sr庄司を助けて、この施設と、韓国での最初の修道院、コミノテの基礎作りのため、(去る)10月から、ソウルで、ハングル語の勉強を始めました。62歳の年寄学生で…四苦八苦…会話となると…シドロモドロです。韓国人シスターは全部で15名、ノビス6名です。(施設は)重症心身障害児施設として、児・者ともに受けることになっており…重症児は生涯受け入れることで、オモニー達が喜び、入所させたい希望者が殺到しています。しかし、このような子供達に対する考え方は、昔の日本と同じように、家の中に隠され…外に出たことがない人々です。この施設のため、また、社会福祉法人の設立などで「もう駄目だ」と思うことが度々でしたが、思わぬ時に好転。人のやっている仕事ではない。「聖母の事業」
であること、神のお力を知る毎日です。