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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『北米』







『アメリカの小さなミッションから』

〜アメリカ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 前田 澄子
…私たちは二十数名の小さなグループですが、毎月一回HollistoneのFatima Shrineで、日本語のミサを行なっています。
 ミサの後、いつも、神父様が用意して下さるカレーライスと、持ち寄りの食物でおいしいランチを頂きながら、皆がおしゃべりをたのしみます。
 ここボストン地区の日本人ミッション担当のピオ神父様(聖ザベリオ宣教会)は、私たち小さなグループも、アメリカで神の御国の拡大のために、何らかの貢献をしようと、日々、努力されておられます。今年度は二月に、Japanese Misson Eveningをして、集まった人々に、日本の教会の歴史や日本人の自然観などの講話を行ないました。六月には、Xaverian Centerで、ミッションのためのフェスティバルを開き、数千人の人々が参りました。私たち日本人グループも、日本の店を出してバザーに協力、宣教活動援助の資金面でも貢献しました。九月には、ボストン・カテドラルの世界宣教にミサに与り、日本人を代表して、着物姿の鈴木律子さんが、日本語で共同祈願を唱えました。
 今、多くの問題を抱えているアメリカ社会、また、教会の中で、私たちは各自の召命において…の奉仕に努力しつつ、また、異国の地で生活する日本人同士の助け合いも行なっています。
 去る十月にWorcesterで帰天されたシスター・テレジア永田(ナミュール・ノートルダム修道女会)は、隠れた修道生活をしながら、その謙遜と溢れるような愛で、周囲の人々に神の御国を告げ知らせながら、糾歳の生涯を閉じられ、今、アメリカの地に眠っておられます。私も、何処に居ても、いつも宣教者であることを忘れず、彼女に倣いたいものと希っています。
(九三・十一・二十日)

前列左端川村信三神父、前列左から二人目Sr前田澄子、前列右端ピオ神父(日本人ミッション担当)
前列左端川村信三神父、前列左から二人目Sr前田澄子、前列右端ピオ神父(日本人ミッション担当)






『中・南米』

ボリビア ブラジル パラグアイ アルゼンチン ペルー





『宣教の車に、大喜びの子供たち』

〜ボリビア〜
宮崎カリタス修道女会 山田 初美
…昨年は、お願いいたしました援助金を…受諾して戴きまして心から感謝し、日々、宣教に励んでいます。
…皆様もご存知のとおり、貧しさと戦う家庭にあって、子供に勉強はさせられず、少しでも大きくなると、仕事につれていかれます。
 そうした子供たち、奥地にある各部落の人々、労働者に宗教々育をと、訪問し…また、散在する学校での宗教の援助、歌の練習、講話など…月に一度だけでも各学校へ行けるよう計画し、出かけています。子供たちは、私たちの車が見えると、みんな大喜びで出迎えてくれます。この子供たちが神様に喜ばれる子供として成長しっづけるよう願っています−−。








『子供に勉強させたい親が増える』

礼拝会 斉藤 ク二
…こちらは、今から新学期です。1月末から2月にかけて入学手続…学校が始まるのは、カルナパルが終ってから…。この地方でも、子供たちに勉強をさせたい親が増えました。大人、とくに女性は、自分の名をサイン出来ない人々が多いです。私たちの村に高校が出来てから「何か技術を身につけたい。さもないと、日雇労働者から脱けきれず、雨が降れば、仕事が無い」という(意識)に目覚めて来ました。今までに4人が師範学校で頑張っております。1人は、大学に送りました。日本から頂く奨学金のお蔭です。今年は2人がコンピュータを習いたいとのことで、試してみます。ボリビアでは、高等教育を受ける人が増え、国全体が発展していくのは、私たち働いている者にとっても、大変嬉しいことです。
一方、食べるものにも事欠く多くの家族が居ます。一度病気になったら、手遅れになることが多く、(それが)死因になります。
 物を与えるだけでなく、どうやったら神様の前に、良く生きられるかを分かってもらえるかと、日々心を悩ませております。






『プリスヴュラが満開』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会 Sr・グレゴリア
…クレッシュのために、いろいろご配慮下さいまして本当にありがとうございます。…5月はじめにバザーの予定をしております。
 皆様のご援助の中で、子供たちが伸びていきますので、感謝でいっぱいです。今、修院の庭にはプリスヴェラが、いっぱい咲き乱れています。






『歩きながら、主への讃美を』

ベタニア修道女会 松永 泰子
 …毎日、クレッシュへ通う道、目の前に広がる、まっ青な空、そこに浮ぶ白い雲、広がる大地、地平が一望に見渡せる…歩きながら、思わず心から主への讃美が湧き起ります。相変わらず、周囲には、経済問題、衛生、事件などありながらも、クレッシュの子供たちは、輝いた目で”イルマン!!”と飛んで来ます。






『バザーの準備すすむ』

ベタニア修道女会 松本 圭世
…支援する会からの小包を確かに受取りました。今、5月のバザーに向けて準備しております。こうして送って頂き大助かりで、本当に感謝申し上げております。






『主の恵みは流れのように』

ベタニア修道女会 松浦和子
…水道の蛇口のように、絶えず主の御意みが流れていくのを、修院の台所の片隅から、ジーツと見つめ、共同体の姿を通し働かれる主の働き、その流れに潤おされている、物心とともに貧しく人々に喜びが伝わるのに感動しています。善意の小さい一人一人の心の中に、炎が燃え続き、生れた弱い幼児が、人々のために生きる道へと成長している、姿を耳にし、また、喜びが伝わってくるのです。この日が来るのを誰が信じたでしょう。ファベェーラの年輪が、今、見ることが出来たのも、皆様たちの手と心を通って、ブラジルに流れた一滴の水だったのかもしれません。感慨無量です。








『ショック!!日系老人の自殺』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤 和
…先日は…御援助金…たしかに頂きました。マリリア日系カトリック暁の星会々員一同心から御礼申上げます。…取り敢えず、管理人の家の方だけでも建築にとりかかり、小聖堂は次、二階は先に(?)と話したことでした。
…いま、こちらは例年になく、毎日、暑い日々が続いております。
 先日、カーニバルには、暁の星青年部40名の四日問の年の黙想が神学校を借りて行われました。来月第一日曜には、婦人会Setファミリアルの一日黙想が、私どもFMMの修院であるので、今、準備に追われています。四旬節兄弟愛運動”あなたの家庭は…?”も、各教区、グループ、家庭等で始まっています。
 汚職、殺人、インフレ、貧しさからの犯罪…と、今年も、きびしい年ですが、皆が一致して頑張らなければ…と話しています。
 私どもに来る貧しい人も、ますます増え、家賃の値上りから、スラムに移る人、コルチッサ(共住・一つの家に何家族も住む)が増えて居ります。食べ物も無く、希望もない、空ろな目をした人々を見た時、何もしてあげられない、もどかしさ、無力さを感じます。
 昨年は二人の日系老人が自殺…ショックでした。
 ある程度のお金は持っているのですが、無信仰、孤独、家族離散などが原因のようです。
(2月20日)






『カルニパルで、一年間の稼ぎは水の泡』

宮崎カリタス修道女会 川端 千鶴子
…私どもカリタス会一同元気で、各々の場で努力の日々を過しております。…2月中葉…今年も当ブラジルではカルナパルで、昨日からサンバのショーが始まり、24時間、サンバのリズムが鳴り響いています。暑さ、雨期のために、大雨が降ったりですが、そんなものは何のその、一年かけて、そのために働いて来た人々にとっては、真剣です。以前はもっと健全で、お互いの精神衛生になる程度でしたが、近年は目も当てられないような真裸、しかも、この数日間のカルナパルは何をしてもよい…飲んで、踊って、疲れたらどこにでも寝るというわけですから……。教会では15日の火曜日は…罪の償いのための…礼拝が半日間行われます。…灰の水曜日も、それが過ぎても踊りつづける…5日間にわたるフェスタで、一年間の働きは水の泡になってしまうというのが、彼らの生活というのですから…われわれには理解し難いということです。
(2月13日)






『泥棒、麻薬密輸など増加』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
…御礼が大変遅くなり…申訳ございませんが、昨年3月のご寄付…漸く手許につきました。
 南米は郵便局でも銀行でも、泥棒が多いので、最初にお送り下さった小切手は盗まれ、現金化されておりましたが、手続きの結果、取り戻すことが出来ました。…お蔭様で、新しい”いすず”の軽トラックを購入…毎日、布教のために使用させて頂いております。
 この国も、インフレと、仕事がないので、一番易しい方法として、泥棒して生活する人が増えて居ります。麻薬の密輸など、いくら取締っても跡を絶ちません。
…この度、神言会のパラグアイ管区長のLUGO神父様が司教になられ…その後任として品田豊神父様が管区長になられました。
 品田神父様は、昨年2月から約十カ月、インディアン部落で働いて居られましたが、今度は、首都アッスンシオンの神言会本部に、住まわれることになり、日本内地との連絡もとりやすくなりました。






『マリア様が…ある宣教者の母の死』

聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
 この度、母の死を通して、一人のキリスト者、一人の母、一人の宣教者の母の生きて釆た足跡を辿り、そこに新たに、主の深い御慈みと愛を見出しました。母は昨年四月、多治見県立病院で…肺癌と診断されました。本人には、医師と家族から「感染の心配ない肺病」と伝えました。それで母は、今までどおり変わりなく、昨年の終りまで、家事、洗濯アイロン掛けなどを、家族のために引受けておりました。六五年ほど前になりますが、母は結婚して間もなく、一人で日本に移住した父を頼って、韓国から日本に移住して参りました。親戚も知人も居ないところで、ただ、教会だけが頼りだった母でした。…終戦直後、夫に先立たれ、病身の身に六人の子供達を抱え、…苦労は筆舌に尽せないものだったに違いありません。母は、その苦労を人にもらすことなく、忍耐と祈りのうちに捧げていました。…家族、孫たちであっても、決して妨げることの出来ない、母のひと時がありました。それは母の祈りの時でした。…とくに夕食後、黙って姿を消し、床に就くまでの集中した祈りの時でした。
 死の準備のために、神様が修道者として捧げた子供を病床に送って下さったことを感謝しておりました。
 最後まで意識ははっきりとしていて、激しい苦痛の中でも、永遠の命のためと云って、痛み止めの薬を断わり続けました。お見舞の方、看護婦さんにも、苦しいことを気付かれないようにしていました。「マリア様がお迎えに来て下さるから、それまでは行かれないよ」と云っていた母が、亡くなる一時間程前に、ジッと一点をみつめ、韓国語で「聖母様がおいでになった」と云って、両手を差し伸べました。三月一日、いつも六時に鳴るドヴォルザークの第九家路が聞えたあと、六時二分に静かに息を引きとりました。美しい、安らかな顔でした。…母危篤の知らせで、一月十八日、名古屋小牧空港に降り…四十日間、母と心ゆくまで信仰の恵みを分ち合い、永遠の旅立ちの準備をすることが出来たのは幸いでした。‥・母が一粒の麦として…聖化され、私以上に宣教者として生きていたことを知りました。
 母が亡くなる前、家族一人々々の支えになる言葉を残してくれました。私に残してくれたことばは「すべての苦しいこと(犠牲)を祈りと沈黙の中に捧げること」。この短かい言葉は、母の生きて来た人生のすべてでした。






『キス攻めの神父』

〜アルゼンチン〜
神言会 北島 泰治
…私は現在、ファティマ小教区で助任司祭として働いています。
…週に2回、3時間ずつスペイン語のクラスを受けています。
…神言会は主に教会で働いていますが、二、三の中高校を持ち、本屋も経営しています。このファティマには黙想の家があり…同じ土地に私たちの小教区の家と教会があります。…前庭にはマリア様の洞(ほこら)があり、朝早くから夜遅くまで折る人が来ています。
…また、隣には聖霊奉侍布教修道女会の本部修道院があります。神言会あるところ、必ず聖霊奉侍布教修道女会ありです。私にとっては、私の行く所、必ず聖霊(会)ありです。…ファティマの小教区…には、20以上の共同体と20以上の巡回教会があります。それを主任司祭と二人で手分けして回っています。ミサでは、説教をスペイン語で、ゆるしの秘跡もしています。それぞれの教会は…7年くらい前までは、あまり人は来ていなかったそうですが、今の主任になって「家庭での要理教育」という方法をとってから、皆が教会へ来るようになったそうで、今では一杯の人々です。…主任司祭は、いつも、サンダルとスラックスに開襟シャツ、首には十字架を下げています。(こちらではローマン・カラーは使いません)。私はスニーカーにジーンズとTシャツ、そして首から十字架を下げています。
…こちらでは…私の頼は手のひらと変らないぐらいの感覚になったようです。というのは、一回のミサで、何十回ものキスを頬に受けるからです。とくに子供たちは、神父とキスをしたがります。
 ここの気温は真夏ということもあって、39度ぐらいまで上がります。そのため昼寝は日課の一つです。通常ミサは夜8時なので、朝はその準備や信者さんとの会話、とくにマテ茶を回し飲みしながら会話を楽しみます。
(3月5日)






『家計を助ける子供は百万人も…』

〜ペルー〜
フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…順調な旅のあと、無事リマに到着致しました。飛行場では大統領のお母さんと、お友達の建設次官、日本人の世話とホームの責任者をしている4人のシスターズの出迎えを受け、外交官並の扱いで無事、税関を通過…修道院に着きました。
…時差ボケに悩まされ、まだ治りません。…新聞やテレビのニュースによりますと、(当地の状況は)余り楽観的な状態ではありません。テロ活動は、ある程度収まったものの、経済事情ほ相変らず患いので、コソ泥が多く、ひったくり事件は日常茶飯事です。大人たちは薄給なので、子供たちまで仕事をして、家計を補なっている状態です。新聞によりますと、その数は…20万人を越すと云われており、家の中で小さな兄弟の世話や家の手伝いをしている子供たちを含めると、優に、百万人になるだろうと書かれていました。
 このような社会事情の中で、エンマヌエルホームの子供たちは、皆様の暖かい協力、援助で平和に生活しています。そして、目下、夏休みを海岸の近くにあるホームの責任者のシスターズの家で、楽しく過しています。只今51人になりました。医療センターは、所長の報出口によると、11月・12月は患者が随分減った(とのこと)、でも2月に入ってから順調にいっています。今、レントゲンと胃腸科の部屋の準備中です……。
(2月15日)






『アフリカ』

チャド シエラレオネ ガーナ モーリシャス





『身障の神父様、自ら援助の手を』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬 小夜子
 チャド・ジャメナ教区の中でもマンモスのカバライ教会に、チャド人の神父様の受持ちの仕事があります。
 この神父様は教区の神父様で、名前はアベ・プノワ神父様ですが、ご自身、身体にひどくハンディのある身障者の神父様です。
 神父様は、とくに苦しむ人、病者に対してのその心は、私達が見ていて…痛みはご自分のもののように、不自由な両足で、貧乏で治療が受けられず、また、食べること、衣類(などにも事欠く人々)、末期患者として見捨てられているような人、エイズ患者、ハンセン病患者、スト続きの病院で、門の外等に、そして小さな部屋に重病患者と同居する幼児等々への援助を続けておられます。
 「支援する会」の皆々様の祈りと犠牲に支えられての、私たちの仕事を、より豊かなものに出来るようにと私達も頑張っています。






『貧しさのホスピタリティ』

〜シェラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 白幡 和子
 …3月16日にコンテナが出ると聞いて、人々は、首を長くして到着を待っています。コンテナのDUTY FREEも手続きをすれば、5年間有効になりました。
 東部のあちこちの町や村で、反乱軍の戦いがあり、人々は何十マイルも歩いて逃げて来ています。家族が一度に十人も増えるのは、貧しい人にとっては大変なことですが、貧しい人こそ貧しい人の心がよくわかり、決して拒むことなく、暖かく迎えるホスピタリティの精神には、いつも教えられます。
 ボーという所で、オランダ人の医師ご夫妻と子供、それに、ホーリーゴースト会の神父様が、銃で撃たれて亡くなったのもつい最近です。…軍隊の兵器のため莫大な金が必要なので、経済は一向に向上しないと聞いています。
 3月11日、小学校と幼稚園の児童全員が、私の修道誓願25周年のお祝いをしてくれました。シエラレオネに43年のピーター神父様司式のミサのあと、各学年が心を込めて準備した踊りや劇、歌などが披露されました。一カ月も前から、私には内緒で準備していましたが、歌も踊りも太鼓をフルに使うので、秘密は守れませんでした。皆の愛と一致を深く感じました。……
 一雨ごとに、枯れていた革も緑を増し…気温も45皮以上ですから、とても暑く、うだるようです。
 シエラレオネだけでなく、世界の国々の動乱や飢饉、災害に苦しむ人々のことを思うと、与えられた命を徹底的に生き抜くことの重みを改めて考えさせられます。
(4月5日)






『病院が狙われている』

御聖体の宣教クララ修道会 鶴田 順子
…時々、日本の大変な政治状態を、ラジオのニュースで聞いています。シエラレオネは、もっと深刻な状態で、治安のために軍隊が、国全体を駆け回っています。病院は、反乱グループの的になっているという噂です。この国唯一の、治療、手術を受けることの出来る病院なので、どうここを守るかが、いまの関心事です。
 マベネッセのこの病院には、スペイン、日本、スイス、ノルウェー、ナイジェリア、アメリカ合衆国と国際色豊かで、メキシコ、イタリアのシスター、神父様たちも居ます。いま、とても緊張状態にあります。
(4月10日)






『”ホロホロ鳥”から内戦に発展』

〜ガーナ〜
神言会 菊地 功神父
…1月31日、それは、いつものマーケットでの値決め交渉に伴う喧嘩でまりました。ガーナ北部の町ビンビラのマーケットでの「ホロホロ鳥値決め交渉」 に端を発すると云われるコンコンパ族とナヌンバ族の対立は、ガーナ北東部一帯の諸部族を巻き込んだ武力闘争へと発展し、北部州は、さながら内戦状態となりました。政府が、2月10日に「非常事態宣言」を発して軍による解決を図らざるを得ない程の混乱状態が、3月半ばの現在も続いています。
…神学校やシスターの修道院を含めて、北部の教会施設は殆どすべて、コンコンパ族を捜すイスラム軍団の捜査を受け…インディでは教会が襲撃され、幸い人的被害はなかったものの、聖堂や司祭の家が略奪され、3台の自動車も焼き打ちに遭いました。
…神学校が襲撃を受けるという情報で、神学生たちもバスで南への避難行へと出ました。何個所目かの検問所で、全員バスを下りて並ぶよう命令されました。南へと逃げるコンコンパ族を捕えるために国道に10個所以上設けられたダゴンバ族の検問です。
…銃を構えたダゴンバ族戦士が、一人の神学生を指差して「この男だけは、こっちにもらおう、君たちは行ってよろしい」。さらに説明しようとする神学生たちに、戦士が「我々はこの男の首をはねたいだけだから、君たちは行きなさい」。たまたま騒ぎを聞きつけて駆けつけた教会員の村人が、必死に頼み込んだ結果、この神学生は無事釈放されました。
 ほぼ8年に亘った私のガーナでの任命も終り、4月19日にアクラを発って日本への帰途につくことになりました。これまでの多くの皆様のご支援に心から感謝いたします。私が常々、ご寄付をお願いして来たことについて、「現地の人達の自立を妨げるのではないか」というご批判を頂いたことがありました。そうなのかも知れません。
 しかし、誤解を恐れずに敢えて言わせて頂けば、電気、水道も24時間あって、電話やテレビがあり、病院もすぐ傍で…という今の日本の社会の中からは、この地での現実は決して見えません。この地で働く宣教者の言葉を信じて下さり、励まして下さった多くの方々、本当にありがとうございました。
 今日も、アフリカの地には、驚くような過酷な条件の下で働く、多くの日本人宣教者が居ます。とくに、シスター方の献身は、日本の方々にもっと知って頂きたいと思います。
 これからも、海外で働く日本人宣教者を心にとめ、ご支援下さるようお願いいたします。






『部族闘争、銃声で夜も眠れず・‥』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木 志津
…私の所、只今ガーナ北部一帯、部族間の闘争で毎日不安の中に居ります。…一月三十一日頃、あちらこちらで火を噴きはじめ、戦争を体験したことがないため、夜中に銃声を聞くと、暫く眠れない夜を過しました。今は”その時が来たらそれまでと少し開き直って落着いて(?)います。私どものいる所は、教会に好意的なグループなので、その点、安全(?)ですが、別の共同体は教会を敵視するイスラム教のグループが後押ししている部族のただ中に居るため、毎日不安のようです。教会活動も学校もすべてストップさせられているため、毎日身動きが出来ず…一時は隣りのトーゴに避難して難民扱いをされましたが、今ほまた、ここに戻って、成行きを見守っているところです…私(にも)転勤の命が釆ました。次に行く所は、イスラム人の多い共同体で、修練院のメンバーとして生きることになりました。共同体はガーナ人、ライベリア人の修練者とアメリカ人、ガーナ人修練者、日本人の私です。司牧の仕事から養成と、少し違いますが、新たな気持で生きたいと思っています。






『台風で、一週間、電気なし生活』

〜モーリシャス〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 桶野 香
 復活のアレルヤを声高らかに歌っているうちに、早くも復活節の半分以上が過ぎてしまいました。そして長かった夏も、そろそろ終りを告げようとしているこの頃です。
…今年の夏は、シクロン(台風)のあたり年で、次々と発生しましたが、それも、どうやら終りらしいのでホッとしています。
 2月中旬には、かなり大型のシクロンの通過で、島全体が随分、被害を蒙りました。三千本の電柱が倒れ、電気関係の被害も大きく、一週間、電気なしの生活で、電気の有難さをつくづくと感じさせららました。






『アジア』







『不作…農業国タイは何処へ…?』

〜タイ〜
ヌヴェール愛徳修道会 重松 千恵子、ソンポン、村上モ二カ、カンヤラ、ユーピン
…タイはお正月が3回あります。私達が祝う新年(1月1日)、中国系の正月(今年は2月9日)、タイ人とカンボジア系のタイ人の正月(4月13日)です。…4月13日のソンクラーンは、正にタイの正月と云えるでしょう。一年中の一番暑いとき、互いの幸福を願って水をかけ合う行事です。始めてのとき、何も知らずに道を歩いていて、全身に水をかけられ、吃驚したことがありました。この日は車であれ、人であれ、無礼講で水をかけていい日です。そのままでも30分もすれば、すっかり乾くのですが、慣れないと吃驚します。
…コーペット村では、異常気象のためか、去年は例年になく寒い日が続きました。…コーペット村の人たちも、夏服の上にボロボロのバスタオルで体を包み「寒い、寒い」と震えていました。ある家では、家の中で、焚き火をしている所があり…「…火事になったらどうするの?」と聞くと、「…寒くて、寝られないのだ」というのです。…例年にない全くの水不足で、お米は不作そのものでした。
…働いても、働いても、実りを得られない農民たち…今年は、とくに、村人も自分たちが食べるお米を買わなければなりません。…他県に出稼ぎに行く人が増え、コーペット村だけでも、一日50〜60人とグループで出ていくのです。中には、家族全員で…就学期の子供を連れて…明日がどうなるか分からない人たち…出稼ぎに行って、維も帰って乗ず…老人たちが、何日もかかって田植えや稲刈りをしています。過疎化が確実に始まっています。農業国タイは、どうなっていくのでしょう。






『”こんにちは!!”を読んで』

 (一読者)  ”こんにちは!!”〜海外日本人宣教者のたよりV〜拝読しました。
菊地功師の「ガーナ便り」、豊穣の日本では想像もつかぬアフリカの大地での難難辛苦が、各頁に窺え、その間を彩る現地の風物、社会の現実の姿に、今、アフリカの直面する眞の姿を知らされました。
また「シエラレオネの政情不安の中での医療奉仕」(Sr鶴田順子)、「一世の人々と共に」(ペルー・Sr久場千代)、「多様性豊かなインドに暮して」(インド・Sr中出敬子)、「人を愛し、助け合う精神を」(信徒宣教会・漆原比呂志)など、海外に派遣されている宣教者の皆様の、献身と奉仕の姿に、こんにちは!!”という言葉の意味を深く知らされた思いでした。ありがとうございました。

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