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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』

ブラジル ボリビア ペルー チリ パラグアイ





『共同体センターが落成』

〜ブラジル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 浅沼みどり
…9月19日に、宣教者を支援する会のご支援で建てた共同体センター(ビラムナ)の落成式をすることができました。
 私は5月から他の地に転任になっているのですが、当日は招かれ、楽しく祝いに参加することが出来ました。保護の聖人については、住民が、聖エフィジュニアを選びました。伝記については私は知らないのですが、黒人で、手に家を持っている聖女です。掘立小屋のファベラを、普通の家らしい家にするため努力している地区ですから、本当にふさわしい保護者を選んだものと感心しています。
 当日は近くの共同体(から)もお祝いに駆けつけ、2人の子どもの初聖体があり、とても感動的なお祝いでした。







『はじめてブラジル人シスターが誕生』

長崎純心聖母会 田中 綾子
…こちらに来て14年目を歩みはじめました。
 昨年11月、はじめてブラジル人のシスターが誕生、少しずつ根をのばしはじめました。今年は2人のポストラント。8名の学生志願者彼らの召命のためにもお祈り下さい。
 孤児達、老人たちに、毎朝コーヒーを運んでいます。これも養成の一つとして続けて行きたいと思います。






『”子供の村”に50人の子供たちが…』

淳心会 マルゴット神父
…恐らく日本のテレビニュースにも、リオのストリート・チルドレンの抹殺などの事件が出たでしょう。これでブラジルのイメージは大分悪くなっているでしょうが…一般のブラジル人は、とてもいい、優しい人です。全国で…ストリート・チルドレンのために…身を捨てて戦っている人は、とても多いのです。
 子供の村明けの星”も、昨年二四二%まで上がったインフレ、物価上昇と戦いながら頑張って…前より盛んになりました。
 子供の村が始まった時、パンパス草の中に家が2軒、子供が35人でしたが…今は畑と花と果樹園と菜園が出来、50人の子供が…苦しい過去を忘れて、新しいチャンスが与えられています。
…この仕事を始めた時、多くの人は理解していませんでしたが…幸いにして、最近は、多くの人が解って釆ました。…とくに日本人からの援助がとても多く…とてもお世話になっています。その他、個人的な援助に厚くお礼申し上げます。最近、国境を越え、ベルギー、オランダ、日本から若いボランティアが手伝いに来て、子供達のために働いて下さいました。
(93年々末・アモレイラ)






『ベタニアだより』

ベタニア修道女会 真野 玲子
  • 貧しい子どもたちを通して、イエズス様からのメッセージ、どんなに貧しくても、あたたかい眼差しと信頼する明るさ!。私の両親を通して、イエズス様からのプレゼント。信仰のすばらしい宝!
    (11月1日母が天国に召されて強く感じています)
  • さんびとかんしゃ
    松浦 和子
  • 花と緑の美しい真夏の国、幼きイエズス様をお迎えして、子供達と共に、賛美と感謝の祈りをお捧げしております。
    丸山 いしい
  • 大波の如く寄せくる善意受けてひた泳ぐなりこの年の瀬を
    原 ワカ
  • たくさんの…ご援助ありがとうございました。子供達とともに喜びと感謝の祈を捧げながら…
    木村 依子






『断水…湧水汲みに20分』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐藤 和
…今年、ブラジルは、インフレと共に気温も上昇、毎日、36℃〜40℃近く暑い日が続き…市の一角は大分前から断水、私共の所も…水が無く、20分先の湧水まで取りに行きます。…暮になり…層々の犯罪が、ますます増え、市民の生活を脅しています。12月のサラリオを、まだ貰えない人もあり…来年も、まだまだ、厳しい年になりそうです。
 今年、私共、カトリック「暁の星」会も、創立35周年を迎え(ました)。…出稼ぎから病気で帰った人、強盗に襲われ命を奪われた人、日系二老人の自殺(ショックでしたが、今後、増えると思います)、事故死、未成年者の犯罪、麻薬常用、スラムが増えたこと等、切ない思いをしたこともありました。
(一九九三年十二月)






『二年半で、五万四千キロ』

〜ボリビア〜
扶助者聖母会 山口 多香子
…私共の住んで居りますモンテロから、毎木曜日は第一沖縄コロニア、毎土曜日、月曜日サンタ・クルス市、月2〜3回はサンファン日本人移住地へ日本の移民の方々を訪問します。トヨタ4WDトラックで、この二年半に五万四千キロ走りました。…こちらでの仕事は、カトリック国教のボリビアで、入植当時カトリックの受洗をしたままの…方々に対して、最近、新興宗教等が活発な布教をしております。…連れ去られて行くカトリック信者を食い止め、淋しい思いの方々をお慰めしたいと思い、宗教を問わず老人を訪問し、指圧やお灸をして差し上げ、世間話をしたり、カトリック信者には、御聖体をお届けしたり、やさしい教理をお話しています。






『治安は改善…なお国民の2/3が極限状態』

〜ペルー〜
フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…フジモリ大統領の、この3年半の努力によって、七千人以上のテロリストのボス、犯罪者を逮捕…治安が非常によくなり、インフレを二百%から、11月の事点で一・六%にまで下げることによって、経済を安定させ、また、国際通貨基金にカムバックすることによって、海外の経済協力援助を可能にするなど、ペルーを、よりよい方向に進ませています。依然としてデフレが残っており、今、非常に不景気で、毎日のように会社や商売が倒産し、40%の失業率です。
そして、国民の2/3が極限状態に置かれています。このような社会情勢の中で、私達リマの日系人が援助しているエンマヌエルホームのような社会事業は、正直に云って、非常に困難です。それを正常に営むには、今のところ、海外の援助に頼らねばなりません。






『新しい共同体づくり』

〜チリ〜
ウィチタ聖ヨゼフ修道女会 真木 栄子
…今年はチリ生活2年目です。…私達の小教区は今、人口一二万五千人になり、九つのポブラシオン(低所得者居住地区)を含み、相変らず、増えつづけています。…今年は二つのポブラシオンに新しい共同体を形成しはじめました。…ある地区全体を対象に共同体を作るということは、…日本ではとうてい考えられないことなのですが、この共同体づくりを通して、私はポブラシオンの人々の信仰に板づいた日常生活と奉仕の心に触れることが出来ました。
 新しい共同体を作るために…子どもたちの初聖体の準備クラスを始めることから取組みました。…70人程の初聖体希望の子供たちと親を五つのグループに分け、8人のカテキスタと8人の青年達、共同体作りを助ける一人の男性と私とで、6月初旬、共同体の第一歩を踏み出しました。…高校生達は、水曜日夜八時に学校が終ると、すぐに駆け込み、時には十一時過ぎまでかかってしまうのですから…大変なことでした。…また、カテキスタ達は、要理の本(約2ドル)が買えない家族のために、古着を道路で売って資金を集め、食事が食べられない家族が居ると、豆や米などを少しずつ持ち寄って援助し、市内の孤児院、老人ホームの訪問、先々週、私達の小教区で一番貧しいポブラシオンで火事があり、七軒の家が…丸焼けになると、その人々のために、大雨の中を食糧、衣料を集め回る等々、どこからそのエネルギーが出てくるのかと感嘆しつつ…彼女たちの奉仕と助け合いの心に感動します。
…チリでは、約80%がカトリック信者だとは云え、日本の仏教徒と同じように”名”ばかりという人も多く、無関心は珍しくありません。障害を持つ子供達の信仰教育も…今年も携わっています。今年はクリスマスのミサの前に、彼らが御降誕劇をするので…練習に励んでおりますが、日頃のクラスでは、ジッと坐ったり、聴いたりすることが不得手な子供たちも、ジッと手を合わせて、天使や羊飼いの役を演じ、その静かな行動に驚嘆しつつ、彼らの中に居られる神の存在を感じています。…この小教区の青少年は問題が多く…このロンコミヤ地区では、24歳以下の人は53%で、17歳以下の子供の、22%が働いています。この53%の青少年のために何かしなければと思いますが、私達の小教区も新しく、まだ、8年ほどしか経っておらず、私たち3人のシスターと一人の司祭では、なかなか、手が回らないのが現状です。






『出稼ぎ青年達へ、司祭、修道女の支えの手』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
…私たちの住んでいるコロニアラパス…移住地の人々は大半は農業に従事しており…出稼ぎブームで、三、四年前に、青年達が内地に行ってしまいましたので、コロニアは、お年寄と小学生、中学生以下の子供達が残って居りました。最近、内地が不景気で、仕事も少なくなり…中年ぐらいの日系人は、次々と、こちらに戻って参りました。しかし、若者達は、レジャーの多い日本が楽しいらしく、仕事をやめさせられても…別の所に転職して残っております。…パラグアイの若い人は、職を求めて、多勢、ブエノスアイレスに働きに、バスを利用して、多勢、パラグアイに帰って参ります。殆どの人々が、カトリックと云っても、出稼ぎに行った場合に、教会ばなれしてしまうこともあるので、神父様やシスター達が、ブエノスアイレスに出かけて行って、こららの人々の精神生活を支えて居ります。






『北米』







『いくつもの”さよなら”を』

〜アメリカ〜
メリノール女子修道会 小合 悦子
…私は6月はじめ、ニューヨークのメリーノール・シスターズのセンターへ移り…9月から、こちらの老人ホームで、お年寄りのシスター方のお世話をしています。…一九九三年は、沢山の「さよなら」があった年でした。四月中旬に、Srアグネスと共に、九年間過した鹿港の町を去りました。私たちのミッションは、三人の韓国人のシスター方に譲り、このシスター方は、九月のはじめ、3〜4歳の智能障害児のために新しい教室を開きました。もう一つの「さよなら」は、20組近い夫婦懇談会(マリッジ・エンカウンター)のグループのリーダー夫婦たちでした。20年も一緒にこの運動のために働いたので、私にとっては、良いお婿さん、お嫁さんのように思える夫婦達でした。そして、一番難しい「さよなら」は九月一日に来ました。それは、過去二十年間のミッション・パートナーのSrアグネスがカリフォルニアのモンロビアという所に移った時でした。
シスターは、そこの半隠退したシスター方のためにある美しい修院に行きました。…メリノールの秋は美しく、今年は…リンゴが稔って大収穫でした。このセンターでは、殆ど毎日のように、シスターたちがあちこちのミッションから帰って来て…そして、休暇の済んだシスターたちが、ミッションへ帰って行きます。
 このように「さよなら」は私の生活につきものとなりました。
(93年クリスマス)






『アジア』







『洪水で、幾つかの村が消えた』

〜フィリピン〜
聖母訪問会 芝崎 富美子
…今年はラ・ニーニョ現象により、雨量が多いと云われ心配していましたが、ピナツボ噴火によるラ・ハールが洪水と共に村を埋めつくし、悲惨なことに幾つかの村が消えてしまいました。また、ルソン島北部は、台風が頻繁に押し寄せ、6月には、イサベラ州が、今までにない最大級の台風によって、大被害を蒙りました。






『ラッキー”7”』

礼拝会 上野 紘子
 「ジョナ、さあ始めよう!」 ピナツボ山被害地に行き、アエタの小学生と算数の勉強を始めました。カバルアンの12人の小学生は、毎日、昼の給食をしてもらうので、サン・フェリペ修道院の広間に来る。その時間は、山での生活、学校の様子を親しく話せる時である。算数を始めると、子供達は、両手を広げ、指をくわえたり、折り曲げたりして数える。…厳しい山の生活から町の学校まで来るのに、子供の足で40分、雨にも負けず、日の出前から登校する。
 山に行って、お母さん方に会うと、「娘が学校に行っているの。5時頓に帰って来る」と幸せそうに語る。ある日、「どの数字が好き?」と聞くと、「ラッキー”7”」と、ジュンの大声な返事が返って来た。






『体重が戻って来た子供たち』

礼拝会 加藤 みつ
 灰に覆われたサンバレスの山肌にも、緑が増して来ました。ラハ−ルで橋が落ちた時もありましたが、毎月一週間は巡回訪問します。
バリンカギン、カバルアン、サパット3村二五〇名の子供たちへ給食費を届け、継続的に健康状態のチェックを行っています。
 ナースのジェデットは、定期的に体重測定、回虫、しらみの駆除、爪の検査をします。「アッ!今日は魚のおかず!」子供達の顔が輝きます。給食費の支援グループが出来て以来、献立に蛋白質が加えられるようになり、確かに体重は増加し、栄養状態も良くなりつつあります。しかし、まだ、栄養失調の子供達が目につきます。
 私達は、ロサーバンという一一二軒の村の医療サービスも10月から始めました。ヘルス・ワーカーと一緒に戸別訪問し、病人を見舞うことを始めました。結核、皮膚病、風邪、胃病、さまざまな病人に出会っています。






『順調に進む「聖母の村」の建設』

〜韓国〜
汚れなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会 庄子 裕子
…韓国「聖母の村」は、平成6年12月の建築完成を目指して、現在、内部施設の確認に余念がない状態です。医者でもある会長のシスター中山は、現場の所長に重症心身障害児施設の特殊性を説明しながら、工事の細部に亘る特別の配慮を一つ一つお願いしていました。
去る9月22日の起工式は、大田教区長・景甲竜司教様の司式のもと、約四百名の参加者の祈りの中で挙行されました。12月12日には、この日は、さむーい日でしたが、日本の長崎から、聖母の騎士修女会の中山会長らシスター達が、工事現場視察のために、「聖母の村」を訪れました。(この間)10月2日に、「聖母の村」の理事である超神父様が帰天されました。その葬儀ミサには、日本からも、会長様、副会長様も参列されました、趙神父様は(修道会の)恩人でもあり、教会の隣のアパート(修道院)も趙神父様の紹介で、市内にも歩いて行ける便利な所です。神父様の、生前の数々の心くぼりに感謝!、趙神父様は天国での最初の 「聖母の村」後援会員です。






『広いセンターに子供たち大喜び!!』

〜タイ〜
ヌヴェール愛徳修道会 重松 千恵子
…(センターの)場所も広くなり、子供たちは大喜びです。
…タイの学校は、先生が教えた事は絶対で、自分から意見を云うことは…してはいけない事として、今まで教育されて来たのです。例えば、算数の応用問題でも、先生の教える方法だけが唯一で、他の方法で答えを出したとしても、それは×になるのです。そんな教育に慣れた子供たちに…自分たちで考え、創り、発表する場を与えることを目的にした…のが、活動日です。こんなやり方を3年続け…やっと、彼らのうちに根付いて来たようです。…グループ全員が出席出来る寸劇を…まだ無理かなアという懸念が無かったわけではありませんが、彼らは実に堂々とステージに立ち、演じてくれました。
学校でも…昼食時には校庭の隅に隠れていた…人前では、顔すら上げることが出来なかった子供たち…それが今は…協力することを学び、自分を…表現できるようになったのです。ただ、普通の生徒として学ぶ機会を与えられたということだけで、子供たちの内に眠っていたものが開花して釆たのです。…今年は6年生が20名屈ます。
そのうち17名が中学進学希望です。県立中学校は試験があり…生徒達は毎日、センターの図書室で猛勉強しています。…このためにも、センターが広くなったことは、この上なく嬉しいことです。








『アフリカ』

マダガスカル シエラレオネ ガーナ ジンバブエ ルワンダ モロッコ





『マダガスカル・れぽーと』

〜マダガスカル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
…私もここに来て二年が過ぎました。今…マダガスカル語の勉強中です。20名で、司祭修道者が主です。9カ国籍、10修道会と、国際色ならぬ修道会色まで豊かです。政情は安定していますが、貧しさは一向に向上せず、衛生状態も悪く、未だにペスト、腸チフス、寄生虫症と、日本の戦中、戦争直後を思わせますが、自然と共に生きている人々と居ますと、美しい自然では、人の心も豊かになるのを感じています。

マリアの宣教者フランシスコ修道会 遠藤 能子
…日本の教会も国際的に開かれて、すばらしいことと思っています。
…いつも「絆」を送って頂き、海外で活動する兄弟姉妹の様子を知り、心強く、勇気づけられています。
 いま、私の置かれた所で、まずは、共同体の姉妹達と共に働く職場の従業員たち…私共の働きに信頼してやって来る沢山の人々、とくに貧しい人々に、心と愛を注いで、人間らしく生きていけるように、何らかの形で援助していきたいと思っています。






『戦争は10年以上つづく』

〜シエラレオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 鶴田 順子
…一九九三年は災害と戦争の年、一九九四年、主のあわれみを、全ての人々の上に願い求めます。
 シエラレオネも例外でなく、難民の人々の苦しみを…心に刻みつけさせられた年でした。まだまだ続くでしょう。
 パトロールのため、病院に2人の兵士が居ますが、その兵士が云うには「シスター、この戦争は10年以上は続くよ」ということでした。リベリアとの国境での戦争、ダイヤモンドの地への侵略、シエラレオン、リベリアと共に貧しい国々の戦争、後楯をしている大国の武器商人などが居ることは事実のようです。






『コップ一杯のミルクに一キロの列』

御聖体の宣教クララ修道会 白幡 和子
 …こちらは、雨期も終りに近ずき、雨も雷を伴い、毎日ではなく、数日ごとになりました。今年は雨が多く、少しでも、乾期に井戸が枯れるのが遅くなるので、人々は喜んでいます。
 雨期には、草木の伸びは凄じく…小学校の校庭は広いですから、一面刈り終えたと思ったら、又、生え始めているという具合です。
今年は、校庭の1/5ほどの場所を開墾して、さつま芋を植え、給食の足しにしました。数週間前、小学校で働いていたドイツ人のボランティアの女性が、脳性マラリアで発病して数時間後に亡くなりました。狂犬病のような症状で、始めて見た私には大きなショックでした。十月のロザリオの祈りに、毎日千人近い子供達が教会に釆て、太鼓に合わせてマリア様を賛美しました。時々あげた切符を、先日、鉛筆か粉ミルクコップ一杯と交換しました。1キロメートル以上の長い列が出来ました。20キロ入りの10袋用意しましたが、とても足りません。ミルクは貴重品で、殆ど子供たちの口には入りません。以前は、一さじ幾らで町で売っていましたが、それも高くなったのです。今年も、皆様のおかげで、子供達が心身共に多くの恵みを受けることが出来ました。






『大きな、農村と都会の生活レベル格差』

〜ガーナ〜
神言会 菊地 功
 サハラ砂漠から吹き寄せる乾いた風と、ギニア湾から吹き上げるモンスーンが激しくぶつかり合って大荒れの天候となる11月の大雨が、ガーナでの季節の変わり目を教えてくれます。12月の第1週、ある朝、突然に、世界は砂ぽこりの霞に包まれて、今年のハルマターンは、激しく、そして突然に始まりました。真昼間に太陽を肉眼で眺められる程の霞がかった天気にならないと、ここではクリスマスになりません。この時期、…農民にとっては、年中で一番のんびりした時期でしょう。…神父や商売人は一番忙しい時期ですが……。
 首都のアクラへ出掛ければスーパーマーケットに溢れる輸入品の山、超高級車の列…ブティックに並ぶ輝くようなドレス…同じ国にいるのか…と日を疑ってしまいます。…農村の人々の生活レベルと都市の一部分の階層の生活レベルは、今や回復不可能なまでに、かけ離れてしまいました。
…10月のはじめに東京で「アフリカ開発会議」が開かれ…ガーナのローリングス大統領も出席しました。この会議の宣言は再び「自助努力によって、政治、経済改革を遂行するよう」第3世界諸国に求めました。「自助努力」は「持たないものは、もっと貧しく」、持っている人が犠牲を払わない限り「持続可能な開発」は夢であり、「構造調整」は首切りにほかなりません。国家経済が、経済界の繁栄とともに成長をつづけても、その恩恵は国民に直接もたらされるわけではありません。そのミニ版を第3世界に押しっけようとしています。…第3世界諸国が、豊かな国々からの援助だけに頼る、単なる物乞いになってしまっては、世界に未来はありません。
…このクリスマスは私にとって、ガーナでの最後のクリスマスとなりました。94年からは、日本管区で働くことが、先日決まりました。
 これまで、ほぼ8年、私のガーナでの、そして、とくに、オソンソン教会での宣教に深いご理解とご支援を下さった皆様、本当にありがとうございました。






『なぜ、生活が苦しい?』

〜ジンバブエ〜
ナミュール・ノートルダム修道女会 深堀 清子
…ジンバブエに来て3年…この3年の間に、この国の変化と云えば、不況による就職難で、職につけない若者が街に増え、とくに主都のハラレでは治安が悪くなって来ていること、ひどい物価上昇…などです。…一般の人の生活は、ますます苦しくなり、豊かな人との格差がますます広がるように思います。
…他の多くのアフリカ諸国と比べて内戦がないため、外からは比較的安定しているように…見えますが…人々の活気が損われ…卒業しても職がないため若者は…意欲が…なく…多くの人は、どうして、…自分たちの生活が苦しくなるのか、全く理解できないのです。
…教会は…エイズの勉強会、タムの講習会、農業指導、カテキスタの養成、カトリック教師、看護婦の養成コース等を開催し、参加者は目を輝かせて学んでいきます。それらが、明るい未来を築くことにつながりますよう、願う日々です。






『毎日、病人が長蛇の列…』

〜ルワンダ〜
援助修道会 柏瀬 百合子
…「きずな」によって、一人々々の宣教者が、一つに結ばれているようです。…ルワンダのブソロ診療所では、毎日、長蛇の病人の列、50の入院ベッドはいつも満杯でした。結核の患者も多いですが、HIVは、それを上回るようです。…北部では内戦が続いておりましたが、ブソロは比較的静かな村でした。それでも、兵士による、民間人の射殺事件も起こりました。…避難民の南下と戦場と化した北部では、もう農耕作も出来ず、食糧不足になっています。つい、この間、落着きを取り戻しているとのニュースがあったのも束の間、今度は隣国のプルンデで政変が起こり、そこからの難民が国境の至る所に押し寄せているとのこと、すでに25万の難民が、ルワンダ国内に入ったとの情報が入り食糧も薬品も不足しています。






『旱魃が去り、ホッと一息』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 朝倉 信江
…昨年は、11月中旬から12月中旬にかけて…3人の高齢のシスターを看とりました。寝たきりになっていらっしゃり、肉体的にはお苦しみになられましたが、平和のうちに旅立たれました。
…モロッコは、今年3年日に入っていた7年周期の早魅の年でしたが、1月になって、度々、雨が降り、皆、ほっとしています。それに加えて、私には喜ばしい知らせがありました。タザに居たシスター黒川が、一月中旬から、私と同じ敷地内の隣りの修院に赴任して来ますので、大いに喜んでいます。…数日前に、イエズスの小さき姉妹たちのノビスと修練長様が、アルジェリアから引き揚げて、こちらに参りました。南部の砂漠の近くにいらっしゃった由ですが、若い人たちだけが、国外退去していらっしゃったわけです。