『支援と言うこと』日本カトリック移住協議会専務理事 梶川 宏
経済的に発展した日本に世界各国から援助が期待されている。
ODAや民間の援助団体が活動している。世界の人々が相互に協力できることはよいことであり、また義務ともなるであろう。共に、同じ地球に住み、共に生きているものとして、当然であると思う。 政治、経済、文化も、この同じ地球の上で発達してきた。地球の各地には、相互に目に見えないつながりがある。この現実をもう少し、明確にし、自覚しなければならないであろう。 このつながりと関係が理解され、新しい関係が形成されるのが、人類の地理的空間的移動である。そこでは、@自己中心の世界から解放されて、自分たちが絶対的だと思っていた世界が相対化される。Aそして、新たなかかわり合いが始まり、自分にとっての新たな人々を発見して行く。B共に生きると言うことを新たに自覚させられる。 しかし、人間の悪は、むしろ逆に、自己を絶対化して、差別意識と人を利用して生きるエゴイズムの世界に閉じこもる。共に生きることよりも、憎しみと軽蔑、攻撃と逃避の世界が起こってくる。 キリストが神から派遣された時、『神であることを固執しないで』(フィリッビ書)人と共に究極までつき合われた。それによって、神が私たちと共に生きると言うことを現されたのである。キリストは、十字架の死によって、人間のエゴイズムを背負った。 私たちの宣教者たちは、父なる神のキリストの派遣を人間の世界に実現して行く。宣教者たちは、日常的な世界から出て、新たな人々を受け入れ、自分自身を委ねて、そして新しいかかわり合いを持ち、共に生きる。その時に、人々と喜びも悲しみも共に生きる。自分と人々のエゴイズムを共に背負わなければならない。 この宣教者たちを通して、私たちは、新しい世界とかかわり合いを持つことができた。このかかわり合いから、世界の人々と共に生きる。私たちは、自分たちの幸せを世界の人々と分かち合うことを望む。また、世界の人々の幸せを分かち合う喜びを見つける。私たちは、人々と喜びも悲しみも共にし、共に生きる。ここから、『援助』ということが始まる。 宣教者を『支援』すると言うことは、宣教者自身を支援すると言うことではなく、宣教者が住む世界の人々と幸せを分かち合うと言うことである。 私たちも自分の日常的な世界から出て、私たちの宣教者たちが派遣されている世界の人々に目を向けて、具体的現実的に共に生きる喜びを確認して行こう。私たちの支援が私たちの心を与えることであり、相互に心を分かち合う喜びを発見して行こう。時には、心の痛みを感じながら。 『第46回役員会報告』「会」の第46回役員会が93年9月22日(水)午後6時から、東京・江東区潮見のカトリック会館第3会議室で開かれ、次の案件を審議、決定した。議事に先だって、「会」事務局長に復帰された、カトリック移住協議会専務理事、梶川宏師から挨拶があり、同師の司会で議事に入った。1.”きずな44号”について 44号は写真も多く、内容が豊かだったと思うが、エコーが少なかったので、次回は多く集めたいとの編集者の発言があった。 また、海外からの手紙で、現地の国情に触れるもので、載せたいものがあるが、現地での諸般の実情を考え、その一部のみを取り上げたり、考慮させて頂いているとの報告があった。 2.”きずな”45号について 巻頭言は梶川宏師に依頼。原稿〆切は11月10日(水)。エコーに載せる国内会員の意見や感想などを依頼し、集めることを確認。発行は12月1日(水)予定。発送作業は12月1日(水)に行なう。 3.援助審議(別項) 4.その他 いろいろの物質的援助も有難いが、世界の各地の人々と、手紙やカードなどを通じて、心の交流が出来たら大変心強く、嬉しいものなので、そのような輪を少しずつ拡げるよう、努力して欲しいとの、司会者からの発言があった。次回役員会は、12月14日(火)午後6時から、四谷のグローリアホールで。その後、懇談会を開く。 『援助決定』('93.9.22決定分)
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