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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』

シエラレオネ ジンバブエ チャド モロッコ ガーナ




『片手で抱えられる小さな遺体』

〜シエラレオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 白幡和子 根岸美智子
…ここシエラレオネは、例年ですと…ハマターン到来で寒いくらいですが、一九九三年はハマターンが遅れ、汗だくだくの…元旦を迎えました。しかし、心は何とも云えない寒さを皆が感じました。
 それは、(一九九二年)12月28日に、26名の人がクーデター未遂で処刑されたからです。…多数の処刑に人々の心は暗く、なんとも云えない悲しみのうちに年が明けました。
 東南部の戦乱は日ごときびしく、ルンサの学校にも、避難民がかなり入って来ています。政府は1月11日から…祈りと断食を捧げるように頼(み)、回教徒もキリスト教徒も心を一つに、シエラレオネの平和のため、特別平和の祈りと犠牲を捧げています。
…修道院に物資を貯えておくことは危険と、私共の修院の地区長も、日本からの皆様の愛の贈物も、毎日のように箱を開き、人々に分け与えられています。先週の日曜日も、シスター全員、ルソサの町…近隣の村に、くつ、衣類、タオル、石けん、毛布、カンパンなどを袋に詰め、貧しい人全員に配って歩きました。私も現地の人と一軒、一軒訪問し、50家族に援助物資を届けました。人々の家は貧しく、ほとんど家具一つない、穴倉のような所に住んでおります。
 皆様からの贈物を渡すと、両手を合わせ、拝むように感謝します。
…去年の10月に、ある村に、ある人をお見舞に行った時、その隣りの家に、枯木のようにやせ細った2人の姉妹が、裸で、力なく坐っていました。学校に来れば、せめて一日一回は、ごはんをお皿一杯食べさせてあげられるとの、それだけの理由で、2人の入学を許可しました。子供の足では1時間以上かかりますが、はじめは、歩く力もなく、6歳の妹は、お父さんが腕に抱いて登校していました。私は、この2人が着くと、校長室に呼んで、毎朝1さじの粉ミルクをあげていました。(その時、他の多勢の子供たちが、ドアや窓から、指をくわえて、うらやましそうに見ていましたがミ、ルクは1缶しかないので、2人にしか、あげられませんでした。)そして、時々、ピタミン剤をのませました。1カ月もすると、大分、力がついて来て、自分の足で歩いて通えるし、また、体操も、友達の半分ぐらいは参加できるようになり、私たちも喜んでいました。
 けれども、12月から、学期末の休みに入ったら、給食もミルクも得られなくなり、病気になって、12月25日に天に召されていきました。片手でも簡単に抱えられる小さな身体が、白い布に包まれ、枯木と共に、村のはずれのマンゴの木の下に埋められたのを見た時は、胸がしめつけられるようでした。 (93・1・20)






『清貧の使徒ステファニ師を悼む』

御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
…こちらシエラレオネは、今年は砂の降るハマーターンもはとんどなく、猛暑を越えて酷暑という感じです。汗が流れ通しで乾くひまもなく、1日に5回も下着をとりかえること、しばしばです。夜などは、身体中の汗疹で、ちくちく痛がゆく、まるで、フライパンにのったエビの気持です。
…4月は、ここルンサの私達にとって、大きな悲しみの月となりました。内乱もかなり静かになり、ほっとしていました時、神様はルンサ中の人が父の如く尊敬し、愛しておりました主任司祭ステファニ神父様を天に召されました。51年の司祭生活、43年のシエラレオネでの宣教生活…(人々は)父親を失った孤児のように悲しんでおります。…師は…東洋への宣教師に憧れ、ザベリオ会に入会されましたが、戦後、中国の門が閉されたため、…シエラレオネに来られました。…当時は、道もなく薮ばかり、ミサを一人であげているとプッシュファウルがやって来る。神様ちょっと待っててと鉄砲をズドンと射って、その日の食事にすることもしばしば。脳性マラリアになり、一週間気を失ったまま部屋のソファに倒れ、誰にも気づかれず、奇蹟的に意識を取り戻した時、…部屋は雨で、びっしょり濡れていたそうです。…10年後に私どもの修道院がこちらに到着、それから神父様は…大きな教会、修道院、ルンサのOLG小・中学校病院などを作られ、教会の数は30を越えています。
…黙々と働く神父様の姿は、人々に無言の宣教をしておりました。
 灼熱の太陽の下、村人のために橋を造る神父様、古いシャツに半ズボン、神父様が亡くなった時、お部屋にあった洋服は、貧しい数枚のスータンの他には、よれよれの半ズボンとシャツがはんの少し全く貧しく生きられた師でした。
…聖母に対する…信心は非常に深く…亡くなる日、最後の秘跡を司教様から受けた神父は、「どうか、私が死にましたら、聖母に奉献して下さい」と頼まれました。…その夜大きな心臓ショックがあり、そのまま亡くなられました。…教会の鐘が淋しく鳴りました時、ルンサの人達、回教徒もプロテスタントも教会に駆けつけ、五百人も入る教会はびっしり。皆泣きながら祈っていました。
…私がびっくりしたのはお通夜です…聖堂の神父様の棺を囲み、人々は歌い祈り踊るのです。…死者と最後の語らいというか、あまりの賑やかさに圧倒されました。最後は司教様まで踊り出してしまいました。






『朝・昼はTEAだけ』

〜ジンバブエ〜
ナミュール・ノートルダム修道女会 深堀 清子
…こちらジンバブエは、今、今世紀最大という干魅で、家畜を何万頭も失ない、メイズ(とうもろこしの一種・主食)は凶作で、これまでは輸出していたのですが、今では輸入しなくてはならず、当然値上り、その上、インフレで、日常品が毎月のように値上り、ある品物は5倍にもなりました。一振りの人たちを除いて、人々の生活は厳しい現実です。おなかを空かしている幼い子ども、食物が充分でないため、学校に行くエネルギーのない小学生、朝食と昼食は、TEAだけという、平均的タウンシップの家庭。ハイスクールを卒業しても、仕事に就けずにいる多くの若者…。いま、時間をもて余している若者を集め、手作業で、教会典礼に使うシュイカー(楽器)を作り、木の実の種を拾って工作し、ロザリオを作り、工夫した、切り絵のカードを作り、販売などしています。…街では、多くの若者がウロウロし、残念ながら、盗みやひったくりが激増している、最近です。






『家・畠を捨て…そして飢えが』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬 小夜子
…このたびは、美しい光景のカレンダー、何回繰返しめくっても、まだ、満足できず、木の葉の一枚々々にこもる、しみじみとした風情に親しみ、水と緑に恵まれている日本の味に、しばし酔い…四季、調和ある豊かさ、今さらのように…感動です。
…こちらは、国民あげて、1月15日から国民議会≠ェ開かれています。小数民族の集まりのこの国にとって、独立から卸年、内戟が続いて、今もって、南部と北部の火種が消えやらずの中での、この議会、紛争の根本的な解決までに、時間と忍の字が必要なことは周知ですが、「戦争では、決して解決にならない」と人々は真剣です。
…この国では、今もって、大人の男性と共に女は食卓につかないのです。…私たちが家族訪問をすると、男性と食卓を共に出来るのです。…「私も女である」と云えば、「白人は別だ」と云って、笑って終りです。女性の地位の向上は、家庭教育への問題、対応への流れを変えると思います。…せめて、家族そろって、食卓につけるようにしてあげたいと話しています。…アフリカの痛みのように思える紛争の背景にある貧しさからの解決が…「難民」の時を、少しでも早く通り抜ける方法、その披害の程度を最少限に食い止める方法はないのかと、悩む日々です。私は首都に住んでいますが、LaiとGuidariの支部のあるDOBA教区では、反乱軍の動きが活発で、人々は、家を、畠を捨てて、教会に女、子供たちが集まって来ているとのことです。…乾季に入る頃から、飢えは確実ですし、シスターたちも、どうしているか心配しています。このように、人々の移動が部族対立になり、難民とは、国を追われた人のみでなく、町を、部落を追われた人々で、日常的に発生しているこの国です。






『子供は希望の星″』

援助修道会 天野 洋子
…私は、アフリカのチャドに参りまして、早や2年と6カ月が過ぎようとしています。2カ年間は、首都ジャメナのカバライ教会の子供達への奉仕の一端を手伝わせて頂きました。昨年9月から、ジャメナから東五〇〇Km奥地、国の中央部にある山岳地帯、ゲラ地方モンゴの町に移りました。援助修道会の中でも、国際的色彩のある修道院(ですが)日本人は私のみですので、日本語で話す機会はなく、きずな≠通しての記事を拝読し、とても力づけられ、感謝申し上げます。
 私は、モンゴ女子小学校の課外活動としての図工教室で教えています。岩山と砂、荒野、ラクダや羊、ロバ、牛馬と同居して、政治、経済の不安定な中で生きていて、いつもお腹を空かしている子供達ですが、ハサミや定規、針を持つ手と瞳は喜びに溢れています。
 子供たちは、苦境にあえぐチャドの 「希望の星」(です)。






『子を失った父の、内省の旅』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 朝倉 信江
…昨年、ホテルのプールで事故死したフランス人の子どもの家族のことを書きましたが、一周忌が終って暫らくした頃、父親が私共の所にいらっしゃいました。
「子供の死以来、自分は何をしたらよいのか、さぐりつづけている。今のところ、会社の人間が、自己を開花でき、幸せに働けるように取り組み出した。自分の友人を、社員の人間開発専門の係につけたが、この他に、自分は何をしたらよいのだろうか?」と、真剣に尋ねられました。聖書のみことばを光として仰いでの、内省の旅でした。小さな歩みであっても、社会を、人類を幸せにしたいーとのこの熱意は、苦しみを知った人間だからこそ切実であり、その実現に絶ゆまぬ努力を傾けることができるのだと感じました。






『司祭の家が完成』

〜ガーナ〜
神言会 菊地 功
…今年に入って…値上げ攻勢は凄まじく、4月1日に、郵便料金が五〇〇%も値上げになりました。今度は何が値上げになるのか〜収入がそんなに急に増えるわけのない零細農家は、固唾をのんで見守っています。この農民たちの献金に頼っている我が教会も、だんだん台所事情が苦しくなりつつあります。私も、日本へ出す手紙を減らさなくてはならないかもしれませんね。
 さて、一昨年、「支援する会」より建設資金の一部にご援助を頂いた、我がオソンソンの「司祭の家」(ミツション・ハウス)が、やっと完成しました。新しく出来た家は、去る3月23日に、アクラ大司教区長のドミニック・アンドゥ大司教が祝別してくださいました。今年は、以前に研修でコロボ地区に2年間居たインド人とドイツ人の神学生が司祭に叙階され、8月にガーナへ赴任して来る予定です(共に神言会員)。この2人と、近頃コロボ語研修を終えた、フィリピン人会員の3人が、新たに、コロボ地区宣教に加わってくれます。オソンソンの新しい司祭の家は、これからのコロボ地区における、初期宣教の拠点となることが期待されています。
 今年は、洗礼志願者がちょっと少なく、寂しい御復活でした。
 それでも、徹夜祭で赤ちゃんを8人、日曜には大人を8人、そしてその日の午後には、他の村で大人5人の洗礼式を行ないました。
 まだ他の村で、90人以上の志願者が待っています…。








『南米』

ブラジル ペルー ボリビア パラグアイ エクアドル





『コピー機が、フル回転』

〜ブラジル〜
マリア会 長谷川 一郎
 昨年12月18日に、11年間共に暮していた私の相棒を失い〜マノロ修道士は、リオの監獄に居るスペイン人青年を訪問し、そこで行方不明になってしまいました〜大きなショックでした。現在、スペイン大使館と教会の正義と平和委員会が究明しております。
 ところで、会からの援助金に、司教、管区長、協力者などから戴いたお金を加えて、2月にコピー機を購入いたしました。
…今は、カテケージの教材づくりにフル回転しております。
…「主日の福音を家庭で、社会で生きよう」という奥地サン・パウロの目伯司教の運動も、4年目を迎えました。…この運動は確実に浸透しております。…み言葉を通して、キリスト教家庭(共同体)つくりの上に、今回の援助を感謝し、今後のご支援をお願いします。








『アニメ絵本はひっばりだこ″』

宮崎カリタス修道女会 赤塚 祥美
…きずな≠ゥら力とご支援を頂き、感謝致しております。
 このたびは、アニメの絵本を送ってくださり、ありがとうどざいました。日本語の勉強に、ひっばりだこです。字の読めない子供たちにも大人気で…朗読会や紙芝居にも利用いたしました。
 (以下は) アニメの絵本を楽しみに、毎朝登園している坊やのお手紙です。

 『はじめまして、とうたけけいちです。いま、六さいです。
 ただいま、サンパウロにすんでいます。きょねん、ビラソニア・カリタスようちえんを、そつぎょうしました。ことしは、にちごせいです。かたかな、ひらがなは、ぜんぶ、よめたり、かけたりできます。これから、にほんごのべんきょうをつづけて、にほんにすんでいる、おじいちゃん、おばあちゃんと、はなせるようになりたいです。せんせいから、このえほんをいただきました。もう、ぜんぶよみました。
 はるのあめと、おひさまが、ちいさなたねをふくらませ、めがでて、つぼみがでて、はながさき、おいしいくだものになることが、わかりました。ことりとありさん、へびさん、かえるさん、ちょうちょさん、はちみつさんのはなしも、よみました。
 さいどに、ぜんぶ、かみさまがつくられて、いつも、まもってくださることがかいていましたので、おかあさんに「それ、ほんとうなの」ってききました。おかあさんは、「そうよっ」と、へんじをしてくれました。
 つづけて、「かみさまは、みんなをまもって、どこでもいらっしゃるのよっ」と、いってくれました。
 ぼくは、おかあさんに、「どうやって、おなじじかんに、たくさんのところに、おられることができるの」って、ききました。
 「だから、かみさまなのよ」って、おかあさんがいいました。
 これから、いろんなはんをよみ、たくさんのいいことを、べんきょうをしていくつもりです。
 このえほんをおくってくださって、ありがとうどざいます。
 じゃ、みなさまおげんきでね。さようなら。
一九九三ねん四がつ二日 とうたけけいちより(原文のまま)

 日伯信徒会も、今年はすみか≠持たない人々と共に迎えるパスカということで、兄弟愛運動も、殊更、意義深いようです。






『共同体センターの建設進む』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 浅沼 みどり
…1年5カ月の日本滞在を終えて、3月20日、また、ブラジルに戻って来ました。皆様からの援助で、予定されていた共同体センターが、私の日本への出発の時は、建築が始まっていなかったのに、…工事が進んで…屋根にセメントを流す日は、全員の共同作業で、他の日は、請負の人たちが働いています。






『水″の使い方は生活の知恵』

〜ペルー〜
宮崎カリタス修道女会 恵 英代
…はじめてお便り申し上げます。
 さて、私は…15年前、ボリビアへ派遣され、9年前にペルーのリマで、主にプエブロホーベンという貧民街で働いています。
…本会がペルーに来て11年目を迎え、この間、本会の本部、支部、多くの人々の善意と協力に支えられて、今日まで宣教をつづけて参りました。現在一〇〇余名の孤児の世話と、貧しい地区での幼稚園、家庭の司牧、医療の仕事、教会活動に従事させて頂いております。生活にもっとも必要な水の不足で、私たちも、周りの人と同じように、時々、水を買って、大切に大切に使っております。水の豊かな日本では想像し難いことですが、水を、いかに効果的に、経済的に使うかは、此処に生きる人々の大切な生活の知恵の一つです。
 幼稚園や教会での、貧しい人々を対象とした無料、または最低額での食堂、青少年の道徳教育、日本からの援助はもとより、不足することばかりですが、物の飢えと共に、神様への飢えを満たされるよう働きかけております。(3月31日)








『テロの中、ホームと医療センターは順調』

フランシスコ会 マヌエル加藤神父
…ペルーについて3日目に、修道院から三〇〇メートル離れている日本大使館の側で、自動車爆弾が爆発し、50メートル平方は大変でした。幸いに修道院は、硝子が…破れただけですみました。
 このように、自動車爆弾とテロリストによって殺害されている方々のニュースを、新聞やテレビで見たり、聞いたりする度に、ペルーへ戻ったという強い実感がします。
…この度の私の日本旅行は、3年前に集めた医療器具をペルーへ送ること、また、エンマヌエルホームの一年間の維持のために必要な援助を求めるてと、そして、ペルー日系人の出稼ぎの実態調査の為に行きました。皆様の…御支援とど協力によって2つの目的は、無事達成することが出来ました。…出稼ぎ問題は広範囲、複雑な問題がからんでおり…思うように事が運ばず、ちょっと残念でした。
 市町村選挙が無事に終って、ホッとしているところです。でも、テロリスト達が…毎日のようにあちら、こちらで破壊行為を行なっています。…このような状況の中で、エンマヌエルホームと、その医療センターは、順調に運営されています。3カ月ぶりで見る子供たちは、寮母さんとシスターたちの母性的な指導で、良く変っています。…近いうちに、テロリストの拠点だったアヤクチオから20人の孤児が来るようになっています。その両親たちは、テロリストの犠牲者です。医療センターも、医師と看護婦の献身的な努力によって、順調に運営され、非常に好評です。オープンして僅か2年ちょっとですが、すでに一〇〇人以上の患者が通っています。この度、届いた医療器具で、新しい、幾つかの科、とくに、レントゲン科が設けられることによって、基本的な専門科が設置されます。これで、この貧しい地区の人達は、一日かかってリマの中心まで行く必要がなくなりました。皆様の援助と協力によって、このリマの貧しい地
区の10万人以上の人達が助けられています…。






『浮浪する子供達への救い』

〜ボリビア〜
礼拝会 星野 道子
 …ストリート・チルドレンのための収容施設にご援助いただき、心から感謝しております。これらの貧しい、また、家庭から見放されて、町の中の道を浮浪している子供たちの必要条件を満たすことが出来ると確信しています。今でも、彼らの多くは、専門のリハビリを受けるために、別のセンターに送られています。また、一部のグループは小学校のコースで学び、何人かは識字教育を受けています。その他に…多数の青年期にあるケースも受け入れています。
 その中には、妊娠にまで及ぶので、その人達の産前のコントロール、生まれる子供の保証、必要な場合には、里子などのお世話までしています。






『奨学金で上級学校へ』

礼拝会 斉藤 ク二
…2月8日から、ボリビアでは、一斉に新学期が始まりました。
 ボリビアの寒村サンファンも、高校が出来て5年ぐらいですが、働く所もなく、…上級学校に行きたいが、家庭は1日食べるだけがいっぱいという労働者の家が多いので、奨学金で大変助かっております。昨年、師範学校に入った子弟は、休みの間、教会の夏期学校を、よく手伝って、2月には元気よく、新学期に向って行きました。
…今、雨期…毎日の雨で車が全然通らず、サンフアンは、離れ島のようになります。橋が壊れて、バスは川の中を通っています。
 1台がエンコすると、他の革も通れなく、時には、何日も立往生のトラックが、列をなしています。






『民族一致をはかる主任神父様』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
…昨日、私の住んでいる移住地の近藤安意(やすい)さんとおっしゃる77歳のおばあ様がガンで亡くなられました。偶然と申しますか、シスター金永と二人で、昨日、エンカルナシオンの病院をお見舞いし、枕許でロザリオを唱えてからお別れしました。お嫁さんの話ですと、その後、容態が急に変り、2時間後に永眠されました。安らかな死でした。今日は枝の主日でしたが、フラム教会の主任神父様が、午後3時に、教会で死者ミサをたてて下さり、墓地にもー緒に行って下さいました。神父様はポーランドの方ですが、埋葬の後に、各種族の人達に「一言づつ、お別れの言葉を云つて下さい」とお頼みになりました。皮膚の色は違っても、一つの信仰に結ばれているということを、実感いたしました。フラム教会とラパス教会は、お隣りで20Kmぐらい離れております。ラパスの方はドイツ系、ブラジル系、日本人、パラグアイ人と住んで居ります。今日の福音は、主任神父様の希望で、5つの国語で朗読されました。スペイン語、グアラニー語、ドイツ語、ポルトガル語、日本語です。神父様方は、それぞ
れの習性を尊重し、皆が一致協力するように、骨を折っておられます。日本人は兎角、排他的なところがありますが、これは、徐々に心を広くして、改めていかなければ、皆から嫌われるようになってしまうと思います。日系人の子供達は、一世の人に比べて、もっと自由にふるまっていると思いますが、大人達は、まだまだ厚い壁があります。日本語のどミサにだけあづかって、スペイン語のミサには、言葉がわからないという理由で、参加しようとしません。
 日本語のごミサのない時には.、教会にもやって来ません。これは、やはり、信仰の不足からかもしれません。内地も、多勢の出稼ぎの外国人が居りますから、これと同じような現象が起きていると思いますが…。(4月4日・ラパス移住地にて)






『難しい、基礎共同体づくり』

〜エクアドル〜
ニコレット聖母被昇天修道会 横山 正子
…始めて、エクアドルよりお便りさせて頂きます。
…現在、エクアドルにて2年半を過しております駈け出し宣教者″です。…さて、日本人として始めて私が本修道会から派遣されましたエクアドルでは、20年前から現地の要請に応えて、現在、カナダ人の姉妹たちが、教会の宣教を手伝っております。いま、カナダ人4人、エクアドル人3人(志願者含む)と私、計8人が、3カ所の土地で働いています。私は、人口約15万人はどの、ケベド市のサン・カミロ地区に住んでおります。共同体は、カナダ人、日本人、エクアドル人各1人、3人の小さな共同体で、すべてスペイン語。言語の壁は厚いのですが、私は、タドタドしい言葉で、どうにか子ども達に折紙を教えたりしながらの宣教です。
…エクアドルは、いたって平和の国ですが、経済的な貧しさは、南米の他の国同様です。一九九二年夏に大統領が代り、政策が一変し、物価の値上りはものすどく、日々の食事に事欠く人々が増え…中南米特有の貧富の差も激しく…様々の問題が起きております。
 私共がケベト市に参りまして4年目ですが、CEBS(教会基礎共同体)作りも、とても難しく…毎日々々家庭訪問しながら接触を続け、少しでも自分たちの置かれている貧しさに目覚め、自覚してはしいのですが、天から何かが降って来るのを待っている″という状態です。…99%はカトリック信者ですが…司祭不足で信仰教育が行きわたらず、各々「カトリック信者だ」と言いながらも、日常生活において、信仰は?…考えさせられます。
…言葉不足の私は、言葉を覚えながら子供たちのグループを作り、歌を共に歌い、聖書を分ち合っておりますが、貧しい子供たちは労働が多く、集まりに来られないこともあります。男の子は父と共に、女の子は家で子守、洗濯等…1月〜4月は雨期で、殆どの学校は休暇に入り…子供たちは親が働いている田舎へ移り住み、仕事をしております。…教育の重要さを、ひしひしと痛感させられます。
 例えば…スラム街に住むある家族は、父親が失踪し、残された5人の子供たちとその母親は生活に困り…すでに他の女性と生活を共にしている父親は戻って来る可能性はない。でも、母親は「子供たちが助けてくれるから…」と前向きに、明るく生きております。
 このような家庭が、どんなに多いか…。人権問題も多く、本当に貧しい人々が、いつも犠牲になります。(3・12)






『観想修道会の芽生えが』

〜ハイチ〜
レデンプトリスチン修道会 佐藤 佐知子
…3月始めに、中南米のハイチから一時帰国して参りました。
 私どもの修道院は現在8名で、国籍は4カ国、国民性豊かに助け合いながら、観想の毎日を、この地で捧げております。
 ハイチの修道女も2人になり、将来のレデンプトリスチン観想修道会の小さな芽が、ハイチの国に芽生えはじめて参りました。
…一九九一年に起ったクーデター後の国情は、よいとは云えませんが、南国の照りつける太陽は、衣類に乏しい人々を包んでいます。
…石油ランプの下で歌う聖歌も、20世紀末にある世界では、味わえないものです。