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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』






『インフレ・暴力の不安の中で……』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会 ロンドリーナ修道院 松本圭世・松浦和子
 …ブラジルは、相変らず暗いニュースが多く、インフレ、犯罪、暴力等、不安の高まる中で生活しております。世界で最低と言われるサラリオ・ミニモ(最低賃金)は一カ月百ドルになりません。でも、仕事があれば幸いなことで…4カ月毎の給料調整で、2倍半以上の昇給額になり、そのために会社等は人を雇うことが出来ず、解雇される人が増える一方です。私たちのスラムの中の託児所もバザー等いろいろな機会をとおして運営のために働いております。皆々様からのご協力の品々のおかげでバザーを行うことが出来、心から感謝申し上げております。一つ一つの行事の中で、日本の皆様方の暖かいお心を思い出し、いつも大きな励ましと力を感じております。

間野玲子
 いつも荷物をほどきます時、荷物を作っているご様子を思い出しておりますよ…感謝。(92・5・28)

託児所で朝食を待つ子供達
託児所で朝食を待つ子供達








『救いの知らせ″を新設備で』

〜ブラジル〜
フランシスコ教会主任司祭 I・J・カレイラ神父
 …私どもの教会(アシジの聖フランシスコ教会)の…音響装置の援助が頂け……心からお礼申し上げます。
 音響関係の仕事をしている技師が、最高の機種を選んで…設備を無料で奉仕してくれました。…このようなわけで…信者のために、より良い奉仕が出来るようになりました。装置設備はまだ完全に終了しておりませんが、要理教室はすでに使用しています。
 …これからは、この新しい機械で「救いのよい知らせ」を、すべての人々に聞いて頂けます。(写真‥上)……シスターたちは、保育園建設のため、四、九六六uの土地に、建築をはじめました。このような貧困にある子供たちの必要な叫びに無関心では居られません。






『絵本は、子供に夢と希望を』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 伊藤伎余子
 …この度は…船便にてアニメの絵本をお送り下さいまして、大変嬉しい悲鳴を上げております。心ある方のご寄附により、文庫を作りましたので、その文庫に、いつになれば本をいっぱい入れることが出来るか、少々、心細く思っておりました。ところが思いがけないプレゼントに子供たちと共に、嬉しい悲鳴をあげました。名作物語ばかりで、幼稚園児にとっては読みやすく、とても緯度ですし、大切に大切に使わせていただきます。日本のように、簡単に絵本が買えませんし、この度のアニメの絵本は、子供たちに大きな夢と喜び、希望を与えたようで、大人の私も美しい絵本に触れて、その喜びに浸っております。本当に…感謝の気持で一杯です。
 …幼稚園児は今、82名、うち日本人は67名、他15名はパラグアイと混血児もいます。
 なお、お蔭様で購入出来ましたコピー機の写真、お送りします。






『絵本に、大人も感動』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 上杉もと
 …この度は、すばらしい絵本を…沢山お送りいただき、御礼の言葉もございません。…幼い時に読んだ名作物語のあれこれを思い出しながら…私どもの方が感動しております。私はこれから、毎日一冊を読ませて頂きましょうなどと楽しんでおります。
 …ここピラポは日本人移住地で、私共の聖霊奉侍布教修道女会経営の聖霊幼稚園があり、3歳児から6歳児までの子供たちが通園しております。
 園長のシスター伊藤が、他の3人の若い先生と一緒に、毎日、赤土にまみれて働いております。ビラポの移住の方々の教育への熱心さは大きく、このようなご本を沢山ご寄附いただき、どんなに大喜びでございますか、御想像(になる)以上でございます。ここでは、本は宝ものでございます。
(92・5・5)

コピー横、がんばる!!
コピー横、がんばる!!






『貴重な絵本、ありがとう』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子
 …昨日、去年11月20日にお送り下さいました子供向けの本を、一箱頂きました。開けてみますと、新しい、絵の一杯ある御本で、子供が喜んで飛びつきそうです。…ご存知のように円がとても強く一冊の雑誌でも皆、千グァラニーとなります。そのようなわけで、内地(日本)に注文して読むと、大変高いものになります。
 貧しいコロニアの子供達は、なかなか本も買って貰えませんので、大変助かります。
 最近は、日本からの奨学金制度もございますので、子供たちは、能力試験を受けて日本語も熱心に勉強する時代になりました。
 私の幼稚園の卒業生たちも、高校、または大学を出てから、次々と内地(日本)に勉強に、また、出稼ぎに行くようになりました。
(92・5・3)






『医者の代りに診療を』

〜パラグアイ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 捨雄智子
 私はパラグアイの首都、アスンシオンより約一八〇キロ離れたカワズ市に住み…管理、運営すべて私たちの修道会にまかせられている教会の診療所で、貧しい病人の診療に携わっています。ここには常時医師はいません。週3日、しかも午後に1時間半、診療に来て下さるだけですから、他の時は、私が医師代行をしています。
 一日に40人〜60人…が訪れ、看護婦の私は…その方々を見ますと黙っていられず…祈りのうちに恵みを頂きながら彼らの診療に当り、薬まで処方し与えています。中にはスペイン語(公用語)が判らないので、原地語(グァラニー)だけという方も多く、診療所で働いて下さっている現地のお嬢さんによる通訳を介して診療しています。
 病人たちは貧しく、医療費を支払えない状態です(クリニックに行きますと、診療費だけで七〇〇〇グァラニー(日本円で七〇〇円)、私が診療する時は、無料から三〇〇グァラニー、患者に応じて診療所維持のために頂いています)。主な病気としては風邪、扁桃腺炎、気管支炎、肺炎、胃炎、下痢、腎炎、高血圧症、妊産婦等で、その多くは栄養不良、貧血で、寄生虫を宿しています。
ことに、妊産婦の栄養不良は赤ちゃんに影響し、栄養状態の悪い乳幼児がかなり居ます……。






『泥沼、吊橋渡って奥地へ』

〜ボリビア〜
礼拝会 斉藤ク二
 …いつもきずな″をお送り下さって有難うございます。
 …今年の聖週間は、それぞれ分担して、4つの奥地にミッションに参りました。勿論、電気はなく、水は茶褐色だし、川に橋がない。
 道は雨のために泥沼になっています。でも、久しぶりに神様のみ言葉を聞く真剣な顔を見ますと、苦労も飛んで行ってしまいます。
 子供たちはあまり教育されていないので、十字架のしるしも出来ません。ここから(サンファン)サンタ・クルス市に出る唯一の路が雨でこわされ、不通になっているため、ガソリン、ガス、粉等の品々に不足を来たし、混乱が起りそうです。人は川の所まで車で行き、仮の吊橋を渡り…向う側にある車で市内まで入れますが、車は通れないので立往生しています。
 雨があがり、水が少なめになったのを見計って川を横切るのです。
 もちろん、車の中に水が入ります。日本での生活を見なれている者にとって、総てが驚異です。おかげさまで、サンファン移住地内はおだやかで、第1学期を終り、子供たちは第2学期に向って勉強にはげんでいます。(92・4・28)

橋も落ち、川の水が引くのを待つ車
橋も落ち、川の水が引くのを待つ車








『家なき少女″に暖かい食事』

〜ボリビア〜
礼拝会 シスター星野
 …宿なしの街の少女たちのために、食事のご援助を賜り大変感謝申し上げております。子供たちは暖かい食事が頂け、再生の道を歩んでおります。…子供たちはなれないうちは飛び出したり、また、元の道に帰ったりしますが、だんだんに様子が分ると、また、門を叩き、正しい道を歩みたいと希望いたします。(写真‥右下)…ご承知のように、ラテンアメリカ諸国は、今日もインフレで、貧乏人はますます貧乏に陥る仕組みになっているようです。
 自然に、衝には泥棒や詐欺が横行し、手錠を鋭い刃物で切られたり、ひったくりに会いますので、市場(など)では、カバンはしっかりと胸に抱えることが常識になっています。可哀そうに子供達は底辺から脱けきれず、人らしい生活も知りません。
 私どもの取り扱っているストリート・チルドレン(の救済)は、司教様の御意向によって始めたばかりで、(サンタ・クルスの施設の)定員は25名です(が)、家も小さくなって来ました…。






『アフリカ』






『三番目のコミノテ誕生』

〜カメルーン〜
援助マリア修道会 佐藤浩子
 …一八九〇年、カメルーンに蒔かれた福音の種は、百年の間に大きく成長し、全人口一一〇〇万人(一九八七年)のうち、三百万のカトリック人口を有しています。カメルーンの教会は、一九九〇年十二月八日から一九九一年十二月八日まで「カメルーン布教百年祭」を祝いました。私たち援助マリア修道会 は、この記念すべき年に、カメルーン・パフッサンに、三番目のコミノテを創立(一九九一年十月末)現在に至っています。
 昨年四月からの政治、経済危機により、人々の生活は苦しくなる伽一方です。給料未払い、失業…etc…のしわ寄せは小さな子供達にも及び、授業料の払えなくなった子供たちは、当然、学校を続けられず、市場でタバコ、野菜売り、洗車…などで家計を助けています。3月1日、国会議員選挙が行なわれ、一党政治から、複数政党誕生へと変り、人々の生活向上を願っています。
 …現在、私たちは4人のコ……、ノテですが、一人の姉妹は教会で働いています。ザベリオ宣教会の3人の司牧者のもとにありますが、小教区だけで7つの巡回地を持ち、日曜日のミサに私たちの姉妹も、巡回地を訪れますが、僻地のため交通機関がなく、活動範囲が限られてしまい、人々の要求に十分応えることが出来ないのが現状です。
 他の姉妹は、カトリック学校に勤務していますが、私達のコミノテから遠く、通勤には不便を来しています。






『3年間の信徒使徒職養成コースを』

〜ガーナ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木志津
 いつもきずな″をお送り下さいましてありがとうございます。
 各国のニュース、そして沢山の方々のお祈りと支えを感謝しております。私は、マリアの宣教者フランシスコ修道会のメンバーとして、一九八四年以来、ガーナの北部で働いております。ここ三年は司祭の居ない教区で働いています。こゝタタールは、大司教区のある、クマールから一七〇キロも離れたトーゴーとの国境の町で、一九九〇年二月までは、神言会の神父様が屠られました。
いま、私が直面している問題は、教区の財政的欠乏ですが、若い信徒たちでは、財政的に教区を支えることはできません。
 また、現地宗教の強い所で、遠く離れた村などでのキリスト者共同体を指導するための信徒使徒転への訓練をしなければならない必要性に迫られています。
 福音宣教のためには、信徒の養成が一番良い方法と考え、3年間の信徒使徒職養成コースを実施することになりました。
 リーダーたちは指導者コースに参加するため、毎月タタールにやって来ます。また、一年に一回、タタールから85キロ離れたサン・サンの要理指導センターで一週間のコースを開きます。
 大司教様も、タタールを3回訪問され、また、2回、村の新しい教会の聖別に来られました。また、新しい信徒使徒職の集いの開始に当っても出席されました。皆様方の厚いご支援、心から感謝します。






『援助で宗教々育充実進む』

〜タンザニア〜
カノッサ修道女会 角たか子
 …私が昨年10月から今年1月の3カ月間の休暇の際、タンザニアの宗教々育への援助を頂き有難うございました。帰ってムワンザを通過する際に、日本から援助いただいた報告ならびに、これからの計画に…援助金が有効に使用されるよう申して、私は隣のプツコバ教区の病院経営の仕事に戻りました。
 …ムワンザは、タンザニア、ケニア、ウガンダに跨がるヴィクトリア湖の南に位置し、空、海、陸の交通の要としてのコスモポリタンの町、タンザニア第2の都市です…ここ(で)のカテケーシスグループは一九八八年、ムワンザ教区の宗教々育促進のために、アントニオ・マヤーニ司教の要望に応えようと、イエズス会司祭のイニシャティブから生まれ、組織されたものです。対象はセコンダリースクール、教師養成カレッジ、看護学校13校です。(対象は)人数にして小学生も含めて生徒は五四〇〇名です。カテケーシスグループの構成はイエズス会、アフリカ宣教の男子修道会など2、カノッサ会、テレジア会、ほか女子修道会など3と、30名の男女カトリック信者です。今年度の目標は、教授項目の完成、生徒数の多いクラス授業の工夫、教師養成、信仰教育の教案(づくり)などチャレンジすることは多い(のですが)、現地の問題として、聖書の解釈、現地宗教から感化されやすい生徒の指導などに、ひとつひとつ対処していかなければなりません。…援助金のお蔭で、聖書二百冊を購入内川Y任し、…各教師がそれをクラスに持ち帰って、授業がしやすくなりました。生徒にはノート一冊が配られ、授業も効果的に進んでいます。
 …私が居りました一九九〇年には、テストの際は問題を黒板に書き、生徒は自分の持っているノートの残りの部分を切りとって解答用紙としていました。(従って)ノートを持たぬ生徒はテストを受けられません。それを考えると、テスト用紙が購入出来て、全ての人は同じようにテストを受ける幾会が与えられ、自由に書く、表現が出来ることは大きなお恵みです。…今、少しずつ軌道に乗って行くカテケーシスグループで…多くのカテキスタが生まれ、一九九〇年には5名の信徒教師が、一九九二年には十七名に増えたことは大きな進歩です…。援助のお蔭で、教師たちへの報酬、学校授業への交通機関(の利用)、教材準備など安心して出来ることは、低賃金の中で生活をする人々への救いとなっています。






『チャドの宣教事情』

〜チャド〜
ドバ教区 ミケレ・ルッン司教
 チャドはアフリカ中央部にある砂漠や半砂漠の国で、人口約六百万人。住民は遊牧や漁業、農業に従事する。ここで7人の日本人修道女が働いている。ヌジャメナ大司教区で子供たちへの要理教育などにたずさわる援助修道会の天野洋子修道女。そして、ドバ教区ライで幼稚園を開いたシさファィユのショファイユの幼きイエズス修道会の三宅陽子、松山浩子の2修道女、ギダリには女性たちへの識字教育や保健衛生を進めている同修道会の有薗順子、内田マリ子、大湾トミ子の3修道女が、また、首都ヌジャメナで宿泊センターの運営に永瀬小夜子修道女がたずさわっている。
 ルッン司教は「一番必要なのは、各分野での指導者の養成です。
 カテキスタや保健衛生、農業開発の技術者などの養成のプログラムが進んでいます。」それは将来の民主的社会の草の根リーダーの養成のためでもあるという。「また、今、村々にキリスト教基礎小共同体が作られつつあります。これは実生活で主のみことばを生きる″ためのものです。生活のさまざまな問題を一緒に考え、解決の道を捜し、祈っています」と語った。
 最初の宣教はフランス植民地時代の一九二九年だが、本格的には四九年以降といわれる。五七年に叙階したウンガイビ神父以来、チャド人の司教(2人)や司祭、修道者、それに修道会も誕生している。そして秘蹟や典礼も、地方の言葉や楽器を使うようになってきている。アフリカナイゼーションは、ここでも進んでいるようだ。

 内戦中、残った宣教師

 家族とともに帰国せざるを得なかったプロテスタント諸派と異なり、内戦の間も、カトリックの司祭・修道者は現地に留まった。
彼らは活動を続け、人々の信頼は大いに増した。教会は教育や医薬品の供給態勢など、社会事業にも力を入れ、信者数が少ないにも拘らず評価されている。しかし、人口の半分がイスラム教徒。一方、カトリックは40万人(プロテスタント40万人)と少数派。宗教の自由が認められているとは云え、周辺国からのイスラムの影響もあって危機感もあるようだ。

※カトリック新聞一九九二年七月五日号から転載させて頂きました、ミケレ・ルッン司教は、日本のショファィユのショファイユの幼きイエズス修道会の招きで、六月一日に来日、十六日まで滞在した。






『バリバ族の人々と共に生きて』

〜チャド〜
マリアの御心会 中井美智子
 四年ぶりに帰国し、なつかしい方々との再会、初対面の方々との出会いに、何とも言えぬ喜びを感じました。帰国三ケ月の間に、様様な方々の前で西アフリカ、ベニン共和国での体験を分かち合うことができまして、生かされる思いを味わいました。同時に、ベニン国の人々をより大切にしたい心が深まりました。
「ベニン国はどこですか 〜アフリカのどの辺ですか?」
「暑いんですか 〜何を食べていますか?お箸はあるのですか?」
「電気は?……水は?……ことばは?……」などなどよく、出会う人々に次々に聞かれます。
私の住む小さい町ベンベレケの人々は「手で」食事をします。
 ちょうど日本食をお箸を使い食べるように、本当においしそうに食べています。そう、全くおいしいのです。
 ここでは機械文明とはあまり関係のない生活、先祖伝来の生き方が続けられています。彼らは家を自分たちで建て、屋根も自分たちで作ります。村の協力一致の作業、行事なのです。女、子供たちは水や薪を探しに何キロも歩いていきます。カリテ油という生活に不可欠な油は、木の実を拾い集めるところから始めます。カリテ油作りは確かに重労働であるし、文明の進んでいる人々から見ると、無駄な事かも知れません。しかし、人々の顔の輝きには、神から創られた者としての姿があふれ出ています。
 この二百年間、ベニンは外国の植民地となり、圧迫され、奴隷売買の地となり、苦しい体験ばかりでした。もともと彼らが持っていた器の中に、全く関係ない生活習慣を無理に詰め込まれました。この状況の中で、独立を得ましたが、共産社会主義が入り、この器は破壊寸前になりました。一九八九年二月から民主主義の国として再出発しました。そんな傷を持っている人々の中に、忍耐の実りというのか、いつでも、どこでも人々を受け入れる開いた心があります。
 たとえば、食事時などに突然、客が来ても、すぐに受け入れ、歓迎の水を捧げ、自分たちの少ない食事を分かち合ってくれます。なぜこんなに豊かな心があるのでしょうか。それは、自分の手を自然と一体になって使っているからです。赤粘土をこね家を建てる時、丸とか四角の形は、自分たちの心と体が基準なのです。東京都庁のような高層ビルはコンピューターの計算によって完璧に建てられていますが、そのようなことは全く無く、出来上がった家々には、人間の息、手を強く感じさせてくれます。
 この小国の公用語はフランス語です。他に四十以上の国語があります。方言ではなく国語なのです。私の住んでいる地方には主にバリバ族がいて.ハリバ語を話します。バリバ族はバトヌーといわれ「人間」という意味です。私はこの人たちに出会って、見る目が少しずつ聖められていっています。自分の偏見、傲慢心、支配力等々に気付かされ、それから解放されていっています。
 今、日本のような先進文化大国はコンピューター計算に確実性を求め、人の本来の姿を破壊しているのに、本当のように思い込んでいます。私もその中に浸たっている一人です。恥かしながら、その恐ろしい流れは、悪循環となり、そのはけ口を他者に向け、権力の力で口をふさがせ、本当のことを隠し、虫のように食い潰していきます。スピードを増しながら′私たちベニンのカトリック教会の司祭、修道者、宣教者、信者はこのような圧力にめげず、日々の出来事や、人々との出会いの中で本当のことを宣べていきたいと一致して探し続けています。
 絆の皆様はじめ、日本の教会の皆様、どうぞこの恐ろしい虫を食い止めてください。神の子である人間、息と手の味わいのあるバリバ族のような人々が全世界に生きていることを知ってください。そして彼らが生き続けられるように、心と日を開き、愛の手を差し伸べてください。

 ベニン共和国=面積・一一二.六(日本の1/3)・総人口・約四五〇万、2/3が南方に住む。75%が田舎に住む。5才までの死亡率・50%。宗教=vudouとアニミスト65%、カトリック17%、プロテスタント4%、回教11・5%、公用語=フランス語、現地語(国語)40国語以上。識字率24%。

ベンベルケ町、コスーのバリパ族の人々と共に、結婚祝でダンスを踊るSr中井
ベンベルケ町、コスーのバリパ族の人々と共に、結婚祝でダンスを踊るSr中井