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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』







『援助が必要な娘たちのこと』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 ミリアム・コンテについてのお願いは数人の方々にお願いしてみました。そのうち3人の方からお便り頂きました。そして1カ月前玉川大学の佐藤先生が(この方は既に一人娘の里親となられ援助をして下さっていたのですが)ミリアムのために、もう一つの講義で入るお金をそのまま、ないものと思って差し上げましょうと二人引受けて頂きましたので、ミリアムに早速伝え、大喜びの手紙を差上げたはかりでした。しかしミリアムと同じケースはこちらには沢山ありますので、もし、このご援助をミリアムの為でなく、他の娘の為に使用させて頂ければ、とても嬉しく思います。(中略)一人の娘は、父が母を捨て去り、貧しい母は混血のためアフリカの社会からも見捨てられ、娘は売春をして父親なしの子を生み、結核になり入院しこのようなみじめな家庭の娘も、私の援助を求めるリストの中に入っています。ある娘は両親が結核と盲目(こちらには沢山のリバー・ブランド川虫によって視神経を食べられ盲目になる人)が屈ます。シエラ・レオネは雨も降ります。緑の草木も生いしげっています。乾期にはおいしい果物も実ります。しかし、産業が一つもないこの国の人はとても貧しく、その日その日を暮しておりますので、やはり援助は必要です。雨期に入りまして毎夜、すはらしい雨の祝福、おかげさまで、ありとあらゆるバケツをベランダにならべ、水を貯えています。当分水不足とさよならできます。






『南米』







『世の終り?飢え、洪水、テロで』

〜ペルー・リマ〜
三位一体聖体宣教修道会 斉藤万里子
 舞い戻って来ましたペルーは異常気象とやらで、今まで降雨のなかった地方に大雨が続き、北部・海岸地方は地すべりや洪水で多くの人々が死亡し、収穫物は全滅、国道も寸断されるという大被害を受けております。災害がなくても、ただでさえ破産寸前と云われていたペルー経済を益々不安定なものとしております。ただうなぎのぼりに上昇する物価に呆然として居ります。一月より倍近くに値上りしているバス代に驚いて「なるべく歩いている」と話しましたらある日糸商社の奥様に「でも日本の23円ぐらいですよ」と云われました。
 飢えが極限に来ますと、人間性を失い社会状態も不安定になり、泥棒やテロ団の横行に悩まされております。(中略)集会をすることも禁じられていますし、危険なので、せっかく皆が楽しみにしていました、コミティのお年寄りの、年に一度のささやかな楽しみの遠足も中止になってしまいました。
 すべてが狂ってしまっているようで、もう、とっくに冬に入って、ふるえているはずのリマ市は、まだ真夏で汗を流しております。
 一方、南部のクスコ、ブノ地方は降雨がなく地割れして農作物も実らず、牧畜の草も枯れてしまったそうで、飢えた農民が、やせ細ってリマ市に職をみつけて押しかけて来ているそうです。
 私たちも日系人に呼びかけて、緊急に食料品をつめた慰問袋を作って罹災地に送る運動を始めました。
 このような状況の中で、人々は世の終りが近づいたのではないかと話合っています。でもラテンアメリカ特有の楽天的な性格は、どんなに苦しくても、悲憤感がなく、黙々と生きている姿は痛ましく、また生命力の強さを感じます。






『ペルーは全国的な天災』

〜ペルー〜
聖心会 平尾道子
 今日はペルーの抱えている数々の困難の中の大きなものを一つご紹介しましょう。(中略)深刻なのは、全国的な天災がペルー全国の経済状態をさらに悪化させ、インフレは日に日に物価上昇を早めています。(中略)ペルーは北部が熱帯で、米、麦、じやがいも、砂糖きび、野菜、果物の産地になっており、南部は乾燥した高原帯で、別の農業地になっています。ところが、今年は北も南も、今までに例のない異変が起って、多数の餓死者を出しているということです。
 ペルーの聖心会では、この際、手持ちのドルを、この北部の援助に提供することを決めたようです。その上、最近はニクアラグワの要請にも応えようとしています。厳しい生活を目指しているペルー管区の決断は、大変なものと思います。教会の一部の積極的な動きも焼け石に水かもしれませんが、大使館などを通してでも、何とか、現地の人に届く援助が寄せられる通が開かれないものかと思います。
 5月の新聞の一部をご紹介します。
「プノ(南部の県)とピウラ(北部の県)では週平均3人の大人と何十人もの子供達が死んでいるが、このパーセンテージは増大しつつある。それは、干ばつと洪水が、この2県を襲ったためである…この地方の町では一Kの米が五千ンレスにも達している。農民の主食には、翌年の収穫のためにとっておいた種子が使われており、今ではその貯えも底をついたので、飢餓の被害は、七月、八月には最大の危機に達する……」






『アンデス山麓での原始生活』

〜ペル〜
聖心侍女修道会 松井真千子
 「きずな」をお送り頂きありがとうございました。日本で沢山の方々が海外で働く宣教者のために祈っていて下さることを知り、大変心強く、有難く思っております。
 私は聖心侍女修道会のシスターでございます。ペルーに参りましてから9月5日で満2年になります。アンデス山脈にさしかかった山間の小さな町バリアコトで、文明からは遠く隔った原始的な生活の中で、現地の人々との素朴で牧歌的な交わりは実に楽しいものでございました。2月からリマに住んでおります。






『先輩との心結ばれた出会い』

〜ブラジル、サン・パウロ〜
援助修道会 滝沢きよ子
 み国の来ますようにー
 28時間の空の旅のあと、サンパウロ・コンゴンアス空港に無事着くことが出来ましたのは、もう2週間余りも前のことになりました。
(中略)日本との時差、ちょうど12時間ですから、昼夜が急に入れかわって、数日体調が整わず…それでも元気で第21回日伯司牧童教著大会に出席することが出来ました。先輩宣教師の方々と、心結ばれたこの出会いは、ブラジルでの生活の第一歩として、とても貴重な体験だったと感謝しています。(中略)大会から帰りましてからは、引越しの準備をSr八木橋と2人で始めています。サンパウロ中心地に近いカラヴァン・ヴェノ通りの家は、四カ月位、空屋になっておりましたので相当荒れており…でもエキペセントラルの青年会の数人が仕事と勉強の合間に、ペンキ塗りをして下さっています。どこからか中古品のガスレンジ、冷蔵庫、ベッド、お鍋…大根一本、人参二本…ETC。町と人々の表情から決して豊かでない、ものすごいインフレの中で、み摂理に甘やかされた子供として、主と人々の寛大さ、やさしさに驚きと感謝を新たにしています。八月一日、家の祝別とミサ、八月四日から援助修道会の二人の生活が始まることでしょう。






『指で字を追い、福音を読む人達』

〜ブラジル〜
聖心侍女修道会 日高和子
 こちらも乾期に入り、また、雨の一滴も降らない生活が始まりました。(中略)毎水曜日の午後、私の受持地域の一つにカテケシスのために行っています。平日なので、婦人と若い女性13人ほどの小さなグループです。教会も集まるのに都合の良い所もないので、いつも、このメンバーの家で行なっています。ところが皆のために椅子がないので、ある人は立ったまま、ある人は床に坐って私の説明を聞きます。先週は宿題として私が指定した福音書の中の一節を探し、それをノートに写すことになっていましたが、正しく探せた人はたった2人(中略)字が読めるといっても小学校1年生の拾い読みにも似て指で押えながらですからこの宿題も彼女たちにとっては大仕事のようです。教える側も教わる側も忍耐です。(中略)このような素朴な人々を相手にしながら、神にこのブラジルの片田舎に呼ばれ、ブラジルの人々の為に働くことが出来ることを心から感謝しています。この乾いた土地に種をまくのにも似て、私の小さな働きは、どれ程の成果をもたらすかわかりませんが後は、神様にお任せ致しましょう。






『嬉しかった出会い』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 山田雪江
 四月十一日、三人の神父様がクララ先生をご案内し、私への訪問をかねてお立寄り下さいました。神父様方とクララ先生は私の司式しているお葬式の最中に到着なさいました。15分位して田中神父様が、飛入りで私に代ってお祈りをして下さり、お説教、埋葬をして下さりとても助かりました。幸い、クララ先生は沖縄出身の方で、ご家族の方や私からの連絡で、先生を待っていられた移住者の方もあって、とても嬉しい出会いに恵まれました。
翌日十二日は、神父様方とクララ先生をご案内して世界一と言われるイタイプの発電所とイグアスの滝へ行きました。
 イタイプ”と言うのは、グァラニー語で「うたう石」というそうです。ダムの計画、調査がすすめられていた時、川中にあった島のところから、なにか音がきこえ、石が歌っているようだということで、このような名前がつけられたそうです。誰方が言い出されたのか、田中神父様に向って「神父様は笑う石″だよ。ペトロは岩だし、よく笑うから」なんて言われ、この時から田中神父様、あの独特の笑いのためか笑う石”という別名を頂戴なさいました。
 滝では、私のつたない手づくりのお撮りでみんなでお弁当をたべました。ロベルト栗山神父様は、こんなにしておにぎりべんとうを頂くのは10年ぶり位とかおっしゃっておられました。
 この日夕方6時から信者さん方、沢山集まられ、復活祭の御ミサをして頂き、皆さん、こんなお若い、たくさんの神父様方のごミサで嬉しかったととても喜んで下さいました。






『恐ろしい物価上昇』

〜ボリビア〜
礼拝会 斉藤クニ子
 サンファンから2人の青年が事業団の研究生として日本に行きますのでこの手紙を托します。
 サンファンに着きましたら学校も私立学校と公立学校に分れ、新しい経験をしております。こちらの物価上昇は恐ろしく、1ドル、四八〇ペソになりました。収入はあまり変りませんのに、支出の方はどんどんふえて、学校でも、教科書、ノートを買えない子供がたくさん居ります。移住者の方々も苦労をしております。3年越しの米不足とドル上昇の悩みです。それでも、日本への旅行者がだいぶあるので、なぐさめもあります。






『アジア』






『12歳の少年、父代りで働く』

〜フィリピン〜
援助修道会 勝谷久子
 常夏の国ではじめての夏を過しております。先日は皆様のお言葉に甘えて大変な品物をお送りし申訳ございませんでした。無理して売って下さったようで本当にご好意を感謝しております。ありがとうございました。竹製品、カゴ、タオルを作っている方々も、日本の方々に使って頂けると心から喜んでおられました。(中略)タオルはスラムのお母さん達の手で作られるものですが、収入のない彼らにとって、生活を支える手段です。タオル一枚編んで4ペソ(百円)ですから沢山売れることが出来れば彼らにとっても助かります。
 4ペソで卵の小さいのが8個、パイナップルの安い時には1個買えます。スラムの子どもがタバコ売りをしていますが、朝から夜七時まで働いて5ペソです。この5ペソで油と小魚を買うと何も残らないとお母さんは嘆いていました。この話を聞いて、何を買うのも貴重なものに思えて来ました。彼の働きの何日分と思うと、恐しく高いものに見えて来ました。この子どもはお父さんの代りに働いていて結局学校には行っていません。12才ですが、まだ1年生だそうです。最近の恵まれた私の姪や甥たちを思うと何と云う差かと悩みます。人間としての権利さえ守られていないのです。彼らのせいではなく搾取している人達が居るからです。アジアの国の一員として日本人にも責任があるのではないでしょうか。






『天国″でない島へ救済を』

〜タヒチ〜
天使の聖母宣教修道女会 杉本美佐子
 すでに皆様方もご存知のように、地上の天国と云われているこのタヒチ島にも天災は免れることは出来ませんでした。今年の始めから4カ月間に6回も大暴風雨に見舞われ、10メートルにも近い津波が襲りています。(中略)もはや天国″でないことだけは確かです。島の大部分の家屋(四千戸位)が被害を受けています。この天災の後、2カ月も過ぎているのに未だに屋根もなく、橋や道路もえぐられ、通行止になっている所もあります。家や少ない家財を失した沢山の家族は、経済力も乏しく修理が出来ず、教会内、学校の一部に住んでいたり、一軒の家に四〜五家族同居しています。
 私の任命されているタラパオは中心部から60km離れた田舎町で、3人の小さな共同体です。私たちはここの小教区の幼、小学校の責任を持ち、教会の手伝いもしています。こちらは、4月12日の最後、最大の暴風雨によって、コンクリート建の幼、小の窓ガラス、屋根は全部破壊されました。(中略)休みを利用して、どうしても復旧工事をしたいのですが、資金調達に苦心しております。とりあえず資金集めの為に映画会を行ないます。日本の皆様方にも、この現状をご理解して頂き、祈と共に暖いご援助が頂ければ幸いに存じます。