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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES






『ともに手をつなぎ』

海外宣教者を支援する会会員・事務局 吉岡道子
 「海外宣教者を支援する会」が発足して、早くも一年がすぎ、広報誌の「きずな」も第四号の発行を迎えました。
 服部会長をかなめとして、梶川神父様のご指導のもとに、事務局員としてお手伝いが出来ることを、心から感謝しております。私は、教会の信者さんで事務局でご一緒の樋口さんと、子供の幼稚園を通して知りあい、お誘いをうけて月一度の聖研に出席させていたゞいてから十三年になりますが、未だ洗礼は受けておりません。昨年「世界に生きる」を読み、日本から多くの宣教者が海外に渡り、現地の方々と共にご苦労なさっておられるのを知って、胸が痛くなる程びっくりいたしました。その頃、日本から遠い何もない国へ出かけて働いていられる日本人のお働きを人々に知らせ、応援する会が出来るので一緒にしていたゞけないか、とのお話をきゝ、心ひかれました。
 お手伝いをはじめてみると、修道会がこんなに沢山あったのか、又教会が北の果から南の黒まで、地図を広げて見ながらびっくりしてしまいました。私のようにクリスチャンでない方も、海外宣教者の活動を知ったなら、自分の生活の中にどっぷり浸っていることから一歩ふみ出して、何か支援したい。そして分ち合いたいと願う方が、数多くいらっしゃると思います。一人一人が、人間として信実の愛を持って努力を積み重ねていった時、本当の平和が来るのではないでしょうか。
 昨年のクリスマスに、海外宣教者の方々にささやかなクリスマスカードをみんなでお贈り致しましたところ、皆さんから大そうおよろこびのお便りをいたゞきました。そのお便りから、多くの方が貧しさのうちに心あたゝかく人々に接していらっしゃるご様子に、深く感動しました。このあふれる「キリストの愛」に感銘し、信者の方、末信者の方を問わず、共に手をつないで海外宣教者の活躍によって、少しでも世界の人々と、日本人との間の理解が生れることと思います。
 でも時々、ふとまだ信者でない私のようなものが、本当に宣教者の方々の生き方を理解出来るのだろうか、お手伝いが出来るのだろうかと思うことがあります。何から何まで教えて頂くことばかりですが、司教様、神父様、理事の方々に緩けて頂き、会員の皆様とご一緒に宣教者の方々と手を撞り、学びながら、今から一生の仕事として、お手伝いしたいと思っております。
 一人でも多くの方に不便な生活の中で働く方々の姿を知っていただけるように、そして支援する方の輪が広がっていくように努力したいと思います。
 どうぞ皆様の暖かいご支援を心からお願い申し上げます。





『役員会報告』

 海外宣教者を支援する会は、8月11日(木)の役員会で次の案件について審議、決定した。
  • 募金状況の報告=会発足よりの寄金等の入金総額九、七五二、四四〇円。、
  • 今期援助=@ブラジルへ〜旧約聖書詩篇五〇冊、六五、〇〇〇円(送料も負担)  Aペルーへ〜祈り本三〇冊、六、七五〇円。
     Bタヒチへ〜台風による学校被害への援助のため送る品物の送料を負担。
     Cグアムへ〜現地住民への支援三〇、〇〇〇円。
  • 講演会=帰国中の宣教者の講演会を11月13日(日)ごろ開催(場所未定)を承認。





『海外宣教者を支援する会「友の会」結成を!!』

 個人、賛助、法人会員の皆さま、皆さまの住んでおられる地域に海外宣教者を支援する会の友の会を結成して下さいませんか!。事務局にお便り下されば、皆さまが′お住いの地域の他の会員の方の住所等をお知らせ致します。支援の輪をさらに広げましょう。






『宝さがし〜歩く宣教・ポナペ』

〜シスター勝部の講演から〜
援助マリア修道会 勝部郷子
 太平洋上、赤道のすぐ北の海域一帯はミクロネシアと呼ばれ、三千ほどの島が点在しています。どの島も白いさんご礁で囲まれているので波打際が真白、上から見ると内海と外海の境界がはっきり見え、エメラルドの海に浮かぶ線の島々の美しさは格別です。そのうち人が住んでいる島は首位、ポナペはその一つです。
 飛行場のあるコロニアがポナペの中心街で、水道と電気が備わっていていくらか文化的な生活ができるのはここだけです。普通人々は鳥の声と明るさで時を計ります。太陽が昇ると起き、沈むと寝るという生活を三年もして来ますと、私の体にも時計が刻まれていて、日本の生活時間帯に合わせるのに苦労したほどです。それに水道の蛇口をひねると水が出て、そのまま飲めるということが奇跡のように見えました。むこうでは雨水を溜めて沈澱させ、ぼうふらが沸いているようなのを飲むのです。それでも水は貴重です。
 主食はパンの実、それにバナナ、いも、ココナツ、マンゴー、魚介類など土地が肥沃な上、海に囲まれているので食料は不足しません。豚は大祝日の最上のご馳走です。
 このようで飢えの貧しさはありませんが、ポナペの貧しさは離島の貧しさと言えるでしょう。情報が全くと言っていいはどなく、私達も心理的、霊的に空っぽになりやりきれなくなることがあります。
 宗教はプロテスタントとカトリックが殆んどで人口を二分し、わずかの人々が他の九つの宗教に属しています。
子供は一家族平均七〜十人位。子沢山は金持のシンボルです。母系社会で家族の絆が非常に強く、子供が家族を持っても同居していて三十人という大世帯も珍しくありません。子供が愛されていますし、子供同士お互いに面倒をみ、助け合って生活しているのはすばらしいことです。反面、強すぎる粁は子供の自立を大いに妨げています。それで、結婚してもすぐ離婚して帰って来てしまうのです。
 また練習結婚というのがあって、子供が四人、五人いてもまだ練習、婚姻の秘跡を受けると離婚できないのでいつまでも練習にしておくというのです。
 このような事情は司祭や修道者の召命にも影響があります。子供も持たず独身であることが奇怪なこと、考えられないことですし、息子を島外の神学校に送るのは死別に等しいのです。実際、ここ何十年も召命は皆無でした。
 私達がポナペの土を踏んだ日、それはポナペの人々にとって初めての日本人修道女との出会いであり、驚きでした。日本に信者がいて、日本人の司教、司祭、修道者がいるということは夢にも考えられないことだったのです。
 着いた時から一人の青年が毎日ポナペ語を教えに来てくれましたが、学校や教科書があるわけでなし、生活から言葉を学ぶため六ケ月過ぎると三人別々にジャングルの中に送り出されました。村人と起居を共にするためです。一週間位するとまた次の家族に移され、初めは恐れと不安でなかなかなじめませんでしたが、「こわい」とか「いやだ」とか考えないように決めた時からスムーズに人々の中に溶け込めるようになりました。こうして歩く宣教が始まったのです。それ以来、人が居る所なら通がなくても暑くても、その人の宗教が何であれ、しらみつぶしに訪問しました。それはあたかも宝探しをしているようで、無駄な時間と骨折りを繰り返しながら腹立たしさや虚無感にも襲われましたが、少しずつ埋もれた宝を見出す喜びも味わっています。
 長いキリスト教の歴史があるとはいえ、ポナペの人達は信仰に生きる喜びが何なのか、その面で非常に理解が浅いように思います。子供の教育と結婚の問題、そしてリーダーの養成は教会の緊急課題です。イエズス会の神父様達のご苦労でポナペ人の助祭達が育ちつつあり、現在は七名の助祭が夫婦で司牧と宣教の務めに献身しているのはすはらしいことです。
 南国特有の明るさと素朴さの中で、それなりに生きる喜びと幸せも多いかたわら、七年間一生懸命働いた一司祭の溜息もしはしぼ実感します。「ポナペは実りが見えない教会だ。全然前に進まないどころかスペイン時代が良かったとバックしていく傾向さえある」と。