トップ会報『きずな』38号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『深夜、呼鈴が……』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 朝倉信江
 …司祭の常駐していない小さな教会に住んでいる私たちは、正に、「生きた教会 」であることを体験します。
 一月二日の深夜、けたたましく、呼鈴が鳴りました。
 観光に来ていたフランス人の一家族が、祈りの場所を求めて来たのでした。五歳の坊やの遺体も一緒でした。ここから車で三時間はどの砂漠の入口の町、ザゴラのホテルで(坊やが)プールに落ちての事故死でした。施す術のなかった遺体を、救急車が私どもの町の病院まで運んでくれましたが、遺体の傍らで祈りたいという両親の願いを叶える場所が病院にはありませんでした。幸いに教会があると教えられて辿りついたわけです。玄関に出たシスターが自分のベッドを明け渡し、通夜を共にしました。十二歳、十歳のお嬢さんの誕生のあと四回も流産し、もう子供が出来ないのではないかと諦めかけた矢先に恵まれた男の子でした。
 「あの子は幸せだった。あの子から沢山のことを教えられた。
 今回の旅行も素晴しかった。明るく、ピチビチしていて、命そのものだった。あの子は永遠の命に入ったんだ!」と、悲嘆のどん底にあっても、信仰の深さを証しして下さいました。
 「永遠の命に入ったんだから祝わなければ…」とまで云われました。子供たちも、よい宗教々育を受けており、フランスの家族に電話して泣いている母親を、小さな娘たちが抱きかかえて、無言のう付ちに、悲しみを共有しておりました。
 寒い、寒い夜でした。
 翌日も、どんよりした底冷えのする一日でした。
 両親が少し仮眠している間、湯タンポにしたびんを、遺体につけてあるのを見ました。冷たい弟の足を温めるため、子供たちが置いたものでした。
 遺体を本国に送還するための手続きに、いろいろ困難が伴いましたが、父親はよく忍耐して事を運びました。…(フランスで)埋葬の後に、新しい命の象徴に洗礼式をする…とのことでした。この主任司祭の提案に彼らは心から慰められておりました。私たちも、強烈な信仰体験の証しを頂いて感謝しております。





『厳しい登録制度』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子
 …きずな発送のお手伝いをして=@の高木様の一筆を読ませて頂き、本当にこうして皆様の暖かい心の支えがあればこそ、私達の歩みも勇気百倍…します。
 11月末にチャドへ着きました。…チャドでは、10月16日にまたまたクーデター。これは失敗に終りましたが、四〇〇〜五〇〇という人達の死亡者を出し、外出禁止令のうちに暗雲極まりなしで(す)。
 …明治百年…ではないですが、チャド百年、この若い国も大きく変っていくのでしょう。出生届をする人も多くなっています。
 住民登録…もかなり手厳しく、税を収めているという証明書を持っていないと、半日その場に坐っていて、そのうち調べる側が場所を変る日まで、しかし、時には牢に入れられる事(も)ありで…。
 事務処理的なことが十分になされてなく、また、書類がどこかへ消えたのか、88年からの徴収…水道料等、幸い私たちは領収書が取ってありましたのでよかったのですが…この水道があるのは限られた家ですので、水を止めると云われたら払う以外にない…のやり方です。






『日本製品、アリガト』

〜シエラレオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …10月17日出航のコンテナ船は11月14日に到着…手続をやっと終え11月27日夜、無事ルンサに到着いたしました。夜遅く着きましたので、翌朝、中・小学校の用務員さん約25人の手で、荷物は次々と降ろされ、約2時間半で全部倉庫に収まりました。用務員たちは分け前を頂いて皆本当に嬉しそうで…口々に有難う″と感謝していました。日本の物は、どうしてこんなに素晴らしいものばかりなのだろう、すごい国だと感心しています。…学校は2カ月のストライキの遅れを取り戻そうと、補修時間を延長したり…ハードなスケジュールの毎日です。世界食糧援助機構から援助が受けられるという嬉しいニュースが入り…(小学校では)総てを整えて待っておりますが、一向に食榎は送られて乗ず…忍耐々々の毎日です。中学校も一度送られただけで、もうストックが終っても次が来ていません。どうなるのでしょうか?。
 …生徒が日本語で「どうぞ、オハヨウ」などと流行語を作っているのも愉快でした。そしてありがとう″を生徒とともに、ここに、申しあげます。

日本からのプレゼント給食カップに喜ぶ小学生〜シエラレオネ〜
日本からのプレゼント給食カップに喜ぶ小学生〜シエラレオネ〜






『森の動物も人も同じ水』

〜ジンパブエ〜
ナミュール・ノートルダム修道女会 伊東千秋
 …ジンバブエで迎える十年目のクリスマス、暑さの中での降誕劇、未だになじめない祝日です。…今年もいろいろなことが沢山ありました。こちらの教会 のハイライトは、アフリカ・シノドスの準備にすべての人が参加したことです。今年の(一九九一)はじめから、司教用、司祭用、修道者、カテキスタ、そして一般信徒と、それぞれのレベルで5つのトピックスについて研究、話し合いが数カ月続けて行なわれました。
 「西暦二千年に向ってのアフリカの教会と福音宣教〜私の証人となる」というテーマで、その中に5つのトピックスがあります。
 一、救いの良きおとずれを宣べ伝える。二、土着化三、対話四、正義と平和五、コミュニケーションの手段。私たちも修道者間でこれらのトピックスについて話し合い、分ち合いがセンターで数回開かれ、いろいろと学ぶ機会に恵まれました。とくに、「土着化」については、アフリカ人のシスターたちの意見に耳を傾け、ジンバブエの文化とキリスト教の接点を見出して行くことが難しく、これからの大きな課題だと痛感しました。同時に、日本の教会、日本でのキリスト教の土着化についても考えさせられる機会でした。
 私たちも3人の新しいミッショナリーを迎え、8人から2人となり、まさにインターナショナルなコミュニティです。…養成の方は数人の希望者がいますが、今、みな勉強中です。彼女たちが卒業するまでは、もっぱら、召命促進のためのワークショップなどを開いています。(91クリスマス)

同 深堀清子
 …私はジンバブエで初めてのクリスマスを迎えます。肌に当ると痛いと感じる太陽の下ではクリスマスの実感が湧きません。
 9月にプラワヨに移り、Sr伊東の住む近くで、また、新しい生活をはじめました。…教区のセンターで働いています。このセンターをよく利用して勉強をするC・A・D・E・Cという組織があります。とくに地方での成人教育、ことに学校教育を殆ど受けていない人々を対象に、縫製、養鶏、養豚、農業、井戸掘り、トイレ作り、溜池づくり等のプロジェクトを持って活動しています。
 ある日…見学に行きました。ブラワヨからボツワナの国境近くまで行ったのですが、私たちが象にこわされたという井戸を見ていると、その構にある水の少なく、濁っている溜他に、牛やロバが水をのみに来ました。そのあと、女の人が……水を汲みに来たのですが、遠くから歩いて来たらしく、まず、その水を掬って自分のノドを潤し、それからバケツで水を運んで行きました。
 家畜も森の動物も、人間も共に同じ水をのんで生きているのです。
 その様子をボンヤリ眺めながら、ベトレヘムの馬小屋で誕生した幼子キリストも家畜と同居していたのだと、ここで思い知らされました。……皆様から援助頂きましたランドクルーザーは大活躍してます。


南米





『スラムのなかで』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会・ロンドリーナ修道院一同
 ……不安定な政治、経済の中で貧しい子供たちと共に過しながら、皆様の力に支えられ、大きな励ましを受けながら歩んでおります。
 私どもの関わっているスラムの三百家族(一三〇〇人の住民)の地域の中で、2歳〜6歳85名の託児所をしております。
 …土曜、日曜学校、ロザリオの祈りの会も、託児所、聖堂を使って続けられており、また、お二人の未亡人の方がボランティアで手芸教室も始まりました。一回目の作品も、展示、即売も日程が決まり、7歳の子供から母親まで、生活費になるこの手芸教室を楽しみにしています。
 ブラジルのインフレはやむことなく、失業者も増大し、毎日、食物を願う人も増えて来ました。暗いニュースの多い国ですが、希望をもってスラムの人々と共に明るく過しております。

同 間野玲子
 …一九九一年…私にとって変化の多い年でした。三カ月間、世界21カ国の宣教者の方々と一緒に学び…ブラジルの貧しい人々の中で、共に歩んで行くことの大切さを味わいました。
 この期間に私の父は天国に召され、そのことによって信仰の尊さ、神秘をも感じ、皆様方の祈りに支えられていることを強く感じました。
同松本圭世…ブラジルで迎えるクリスマスも8回目になりました。治安の乱れはひどくなるようで、怖い思いをしながらも多くの人々に触れ、恵みの中で過しています。

同 水口孝子
 …私はブラジル在2年目になりました。お蔭さまで元気に過しています。かわいい子供たちには、下手な、片言のポルトガル語を教えられたり、笑われたりしております。






『ひどくなるインフレ』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会 間野玲子
 …いま、ブラジルの社会は、ますますインフレが目立って来ています。…毎週日曜日に求める新聞代が二五〇から五〇〇クルゼーロになり、バス代が二年前、三五だったものが二〇〇にまで上りました。
 今朝の新聞のニュース一面に、私共、ベタニア修道会のあるロンドリーナからホースイダリアス行きのバス5台が強盗に襲われ…とありました。インフレのはげしい中で、多くの人が生きていく手段として、いろいろな社会悪が目立って来ています。
 生活の大変な人々、とくに貧しい人々にとって、皆様から送られてくる中古衣類、毛糸、文具類は大変助けになります。

ブラジル・ロンドリーナ市。子供の日にスラムの託児所に集った子供達。近くの教会の青年遠から、プレゼントをもらって大喜び。
ブラジル・ロンドリーナ市。子供の日にスラムの託児所に集った子供達。近くの教会の青年遠から、プレゼントをもらって大喜び。






『組織化された「子供の村」』

淳心会 アントニオ・マルゴット神父
 …子供の村「明けの星」も組織的に出来上り、一人の神父のものと違って、ちゃんとした委員会、規則も出来ました。これからは社会教育法人の設定だけしか残っておらず、私は会長として選ばれ、5人の会員のうち4人が日本人です。
…もう一つのお恵みは私の休暇です。しばらくの間、子供たちを、長崎聖母純心会のシスターの…ご指導に任せて、まず東北ブラジルの日系人移住地を回って行こうと思いましたが、旅行中、病気になって一つのコロニアしか訪れることが出来ませんでした。それが治ってから、祖国ベルギーへ行き、無事にヘルニアの手術をしてから姫路の弟と一緒に、兄の70歳の誕生会に参加出来ました。私たち7人兄弟が集まったのは40年振りで、とても喜んでいました。一カ月してから、途中で、バンコクの友人と信者たちを訪問して第2のふるさと日本に帰りました。(しかし)私の一つの目的は、日本で出来るだけ多くのブラジルの出稼ぎを訪問することで、とても忙しかったので、友人、知り合いの多くに会えなかったのは残念でした。
 日本のなつかしい思い出一杯な心でヨーロッパへ帰り、7週間ベルギー、オランダを回って、アモレイラの明けの星″子供の村の話をし、急いでブラジルへ帰りました。
 子供たちは喜びの涙を流して出迎え(てくれ)ました。
 皆様の御援助のおかげで、子供の村の新しい四軒の家の建築は進んで、あと二、三週間したら出来上ります。
 このように、新しい年は私たちのために新しい時代になります。
 (しかし)問題はまだ沢山残っています。
 人が増えれば増えるほど給料も増えますし、家を建てただけでは足りません。家の中のベッド、椅子なども買わなければならないし子供たちがふえるほど生活費なども上ります。ブラジルの経済、社会状態はだんだん悪くなります。物価もインフレも毎日上ります。
 しかし、皆様のご協力をもって、頑張ります…。(91・12・15)






『ここに愛の手が…』

〜ボリビア〜
宮崎カリタス修道女会 田河緑
 第三世界の、開発途上国のと呼ばれる南米アンデスの麓ボリビア国サンタ・クルース市にある私共の一つの支部は、ファチマ養護施設と呼ばれる施設に併設されています。この養護施設を昨年(一九九一)十二月訪問する幾会を得ました。ここに、カリタス会 の姉妹3名が、国立の施設であったこのファチマ養護施設をドン・ケートサンタ・クルース大司教区補佐司教の要請を受けて引き受け…ております。引き継いでからまだ日(が)浅いにかかわらず、要所々々を改装、改修し、なんとか人間の家らしくなったとか。この費用はすべて、心こもる寄付によってなされたとのこと…ある方は尋ねられても名前を明さず多額の寄付をされたそうです?施設内を一巡して、洗濯場の一角に特別に輝いているものを見付けました。それは大型の洗濯棟としぼり機です。すぐに「これは日本からの寄付でしょう」と云ったら「そうです。カリタス・ジャバンに頼みました」とのことでした。悪から洩れる太陽の光線を受けて淡い光を放っている大型洗濯機、その横につつましく控えているしぼり機、毎日、どれだけのものを洗い、絞っていることでしょう。
 この機械によって、保母さん方の労力がどのくらい緩和され、能率が上っていることでしょう。…皆様方の愛の業が…光を放ち、働く人々を励ましているのです。
 この施設には、0歳から13歳までの子供たち、親から捨てられた子、家庭問題で逃げて来た子〜いろいろです。
 丁度訪問していました時、生後6カ月の子が死亡いたしました。
 輸血までし、シスター方、保母さんたちの必死の看護にもかかわらず……両親の手に抱かれることなく、顔も知らず、…愛の腕に抱かれて、生かされて6カ月、この世に生きる力尽きたのか召されて行きました。施設あげての心からのお別れの祈を受けて枢に納められシスターの肩にのせられて墓地へ葬られました。この施設の子供たちは、今まで墓地も持たず、墓と墓の間の通路に、人の足で踏みつける所に葬られていたとのことです。
 シスターたちが司教様に嘆願し、知人に懇願して、やっと土地を手に入れ、(心ある方々の寄付によって)立派な墓を作り、今はこの墓に全部の子供たちを集めて収めてあります。この世で幸うすき子らも、安らかに幸せに眠っていることでしょう。






『先生ストで学校閉鎖』

〜ペルー〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 松本公子
 …ペルーでの2回目のクリスマス、新年を迎えます。おかげさまで全く違う環境の中でも、ごく普通に生活させて頂いています。
 …年に二、三回送って下さる「きずな」で…さまざまな国で頑張って、宣教にはげむ、達しい<Vスター、司祭、信徒の様子が、…伝わってきます。(ここでも)地をコツコツと耕やし、子を背負って市場に野菜、果実を売りに出す、大型トラックで半日、一日の旅を週二、三回繰り返す、土とワラと水をこねてアドべ(生レンガ)を…朝から晩までどろんこの中で作(ってい)る「大いに頑張っている遥しい」人々(がいます)。…日本に届くペルーのニュースは晴いものばかり 〜という印象がとても強いのですが、ここで、ごく平凡に生活していると、その暗さ≠ェかえって不自然に思えます。もちろん、私たちが住んでいるウルバンパのすぐ近くでも、ごく善良な、人々のために骨身情しま鰍クに働いていた測代の男性が暗殺されたり、覆面をした数人がクスコの観光地を襲ったり〜の暗いニュースも耳にします。
 ペルーでは、教職員のストが5月8日から8月はじめまで3カ月続き、学校(私立は別)は全面的に閉鎖されました。…ペルーでは教職員の給料が本当に安いのです。とくに基本給が日本では考えられないほど安いのです。私たちのコミノテの一人のシスターの給料は、スト前までは四〇、〇〇〇インチィス(約駒ドル・六六〇〇円)程度。…通ってくる先生たちの交通費も一カ月分が給料の一カ月分ほど。生活していくのが大変です。
 ウルバンパはクスコからバスで一時間のところ、都心から離れていますがインカ時代からValle Sagrado(聖なる谷)と云われている…小さな都(市)です。ウルバンパには美しい建物のホスピタルがありますが、一回の診療ごとに二、〇〇〇インティス、薬は高いお金を出さないと買えない仕組みになっているので、貧しい人々(住民)は、ぎりぎりの悪い状態になる、または、死の直前まで我慢してしまい、乳幼児の病気や死も絶えません。
 昨年(一九九〇)一年間は、教会の中の小さな診療所に無料奉仕の女医さん、その後もスペイン人女医、ペルー人の若いお医者さんが診て下さいましたが…今は誰も診療所には居ません。…人々、とくにお金を持たない人々は不安な毎日を過すことになり、…スペイン語の判るお医者さんが来て下さったら…というのが私たちの願いです。
 一九九二年はペルーの「会」の創立25年、南米宣教五〇〇年と、歴史的な…回心の年(です)。(91・12・31)'






『北米』






『地図にものらない島』

〜アラスカ〜
イエスの小さい姉妹の友愛会 クララ・信子
 …あまり小さくて時々地図にも(載ら)ない小さな島…不便な所なので常住の司祭は居らず、クリスマスにもミサがありませんでした。
 でも、ラジオで中継放送される深夜ミサに、島の人々と一緒に耳を傾け、心を全世界の広さにまで大きくし、お生まれになったイエズスに感謝の祈りを捧げました。…今年は例年に比べて雪が少なく、気温があったかい?…はず…とか耳にしますが、北風の吹きまくる日はやはり寒く、人体に感じる寒さはマイナス50F〜60F以下になります。でも、子どもたちは、戸外で遊ぶことが好きで、時々、ホッベタに凍傷の出来ることもあります。夜の長い、寒い冬のアラスカですが、もうこの頃は、日毎に日が伸びていますので、人々の心にも寒さに負けないよう、家の中を、とくに心をあたたかく保ちたいと願っています。

日本人によく似たイヌイット(人間″・エスキモー)の子供達
日本人によく似たイヌイット(人間″・エスキモー)の子供達


アジア





『火山灰で聖母子像』

〜フィリピン〜

 「ピナツボ・ミッション」
聖母訪問会 上野紘子
 ウワ!!雪が降ったみたい/私たちC・B・H・D・Pのスタッフは8月21日〜25日まで、パンパンガのヘルス・チームと合同で、ピサッボ山の噴火による患者さんの村へ行って来ました。毎日、昇る煙の恐ろしさで血圧の高い人々、心配で眠れない人々、ひどい皮膚病の子供たち…など、四泊五日のメディカル・ミツションに五百名の患者が押寄せました。皆様から寄贈された薬品を小さな事に沢山積んで行きました。なに分、一面が灰化した地、私達はイサベラから飲料水、米、野菜、ガスボンベに至るまで車に積み、道中、お湯を沸して峠で朝食をとりました。泥で埋まった家畜小屋と人家、河川を痛々しい気持で眺め、毎日、村々を廻り、患者を診察しました。初めてドクターを見たアユタ(山岳民族)の子供の不安な顔と、薬をもらって帰る時の歓声と笑顔が、今でも私の中に焼きついています。

 「絶望的なアエタ族のいま」
同 遠藤マツエ
 今世紀最大規模の大噴火…まだ山々は北アルプスの雪山と錯覚する程の白さ、日本の雪山を見る時には希望があり、春の訪れを待つ山であるが、ピナツボ火山の灰に覆われた山々は、いつになったら緑が出るのか、絶望的な人々の不安な状態はかくしきれない。
 …ザンパレス州・サン・フェリペ避難所の3つの地区で病人の世話をしながら、テントを一つずつ回っているある日のこと、まだ話すことも出来ない2歳位の男の子が私の膝元に来て「マンマ、マンマ」と言って両手を差し出すので、食物を何も持っていなかった私は…心痛かった。また、若い母親が乳児と幼児を2人抱えて、両方の乳房で飲ませている姿や、栄養失調の子供などを見て、この子供たちにお腹いっぱいになるだけの食事をと、週2回の給食を始めた。

 「火山灰の聖母子像」
同 加藤みつ
 …数々の大きな試練に見舞われたフィリピンでした。被災者と少しでも苦しみを分ち合えたらと、ピナツボの火山灰で作られた聖母子像が、ソーイング・グループの仕事場に置かれました。
 「自立」を今年度の目標に品質委員会を選び、仕事の配分、作品をチェックするなどして、責任をもって運営していけるよう努めています。専門家を招いてセミナーを開き、年間を通して豚を飼育できるよう(雨期は育てにくいため)各自がセメントの小舎を作りました。今では60頭以上を飼育しています・。=軌道に乗るまで多くの問題はありますが、自立に向って歩み始めたソーイング・グループです。

 「新しい気持で宣教へ」
同 芝崎富美子
 …体調を崩し5年ほど帰国していましたが、四月から新たな気持でフィリピン宣教へ戻りました。忘れかけたタガログ語を勉強し直し、今はイサベラで農村地区の保健活動について学んでいます。
 こちらでは以前より、過度の森林伐採を阻止する運動を起していますが、昨日の新聞に、…大臣の娘が不法に伐採し輸出していたことが載っていました。輸出国に日本が無かったことにホッとしました。しかし、日本で殺された疑いのフィリピン女性の事件で、抗議デモがマニラであったことも報じていました。貧しいが故に人権が無視されていると、フィリピン人は日本人に対し怒りを感じています。
 「ギバン保育園と奨学生プログラム」同山下正子…ギバン保育園は今年(一九九一)から主任のニナ先生、助任のメルシー先生によって保育が行なわれています。園児たちもよろこんで毎日元気に通って来ます。毎日のミルク、毎金曜日のお母様手作りのおやつは皆大好きです。今年は母親教育にも力を入れ、月一回の父兄とスタッフの会合の折には、毎回、講師を招き、環境問題、保健、健康管理、などのセミナーを行なっています。
 ギバン村高校生の奨学生プログラムでは、良いクリスチャン、リーダーとしての養成がなされており…社会劇コンテストでは第三位に入り、日頃の教育の成果が現われていました。






『危険で閉じた宣教の家』

〜フィリピン〜
キリスト・イエズスの宣教会 渡辺栄子
 …昨年(一九九〇)フィリピン滞在七カ月の報告を出しましたが、…あの時、山の上の宣教地での回教徒のキリスト教徒集落の夜襲事件について書きましたが、それが今年に入って発展し、多数の避難個民を出し、さらに、コタバト市内での連続誘拐事件と結びつけて、ついに、貧しい山間民の生活向上のために働いておられたフランス人の神父様まで拉致されました。町は一時パニック状態でしたが、…神父様は一カ月後無事救出されましたが、山の方ではその後も、抗争が続いています。…危険が迫って宣教地の家を閉めざるを得ませんでした。さらに会の内部でも(さまざまの)状況判断から、一時的にコタバトの家も閉めて、二年後に新しく出発することになりました。私も4月頃、日本に帰る予定です。……ピナトゥボ山避難民センターを訪問する機会がありました。
 雪景色さながら、川、野も山も灰で裏白。すごい灰吹雪に閉口します。ボランティアの援助もありますが、彼らの生活回復に十分とは云えません。それでも、訪れる人々の周りを取り巻く子供たちの笑みは汚れない美しさで輝いています。
 修院の大きな聖堂にピナトゥボ山が作られ、そこに幼子イエズス様が置かれました。アユタ族の子供たちの姿と重なって、今日の苦tみから救い出される明日への希望を、そして、人々の罪に対する許しと愛を、裸の赤ん坊の手を広げて、助けを求めている姿の中に見出しました。(一九九一・クリスマス)






『大世帯の日文科』

〜台湾〜
聖霊奉侍布教修道女会 山崎陽子
 …台湾聖霊奉侍布教修道女会輔仁の修道共同体は、アメリカ、ローマで研修中の二人の姉妹を含めて十五名、それぞれに祈り、黙想、仕事、勉学、よりよい共同体づくりに精を出しています。国籍別では、ドイツ人七人、オーストリア人一人、中国五人、フィリピン一人、日本一人で、私はおかげさまで当地で十六年目を迎えます。
 日文科は三年前から実施している定員増で、三年生が甲・乙の2クラス、四年生が1クラスで、華僑の学生を入れて約四五〇名の大きな世帯になりました。
新進気鋭の学科長、林水福教授をはじめ、中国籍、日本籍の我ら教師一同、毎日元気に研究・授業・学生指導等にとり組んでいます。
鉦深山(みやま)講師(聖心会)の指導のもとに「水曜会」と称する宗教活動も少しずつ実りを見せ、祈り、生活体験、文学と宗教との関係という3つのテーマで話合いを持っています。クリスマスには女子学生一人が洗礼の恵みに浴します。
 この国も、政治、経済、教育などの面で幾つかの問題をかかえておりますが、私も毎日の生活を通して、自分の出来る範囲でお役に立ちたいと念じております。(一九九一・一二月)






『活気ある韓国の教会』

〜韓国〜
聖母の騎士修道女会 庄子裕子
 …ソウルでの一年間の韓国語研修を終え、ソウルから約一五〇肋離れたテ・ジョン(大田)に移ってからすでに五カ月。大田は将来、私たち聖母の騎士修道女会が障害児・者のために施設など福祉事業を計画している都市。現在は施設開設の準備を兼ねて、大田教区で運営している障害児の初期教育施設「アンタン・エチべ=安堂(平和)の家=」で、3歳〜7歳のダウン症児や自閉症児と呼ばれているいたずら天使と遊び回っている。去る12月17日、安堂の家でも、大田教区の景甲龍司教様や家族、卒園児を迎えて、ささやかなクリスマス会を開いた。母親から離れられなくて泣き叫ぶ子や、先生の目を盗んで走り回る子、おもらしする子、内容はささやかでも、なんとも賑やかで楽しいクリスマス会だった。
 世界で一番薬の好きな国民は日本人という話を…聞いたことがあるが、大田の市街地を歩くと、10メートルおきと云っていい程薬局が多い。…立派な店構えで白衣を着た薬剤師さんが、しやんと坐っている。風邪をひいても、薬局へ行って症状を話し、それにあわせて薬を買い求める。とてもよく利くという話である。日本人には効鴫〕7任きすぎる時もあるようだが、確かにかなりひどい症状でも治るみたいだ。でも、私は風邪をひくたびに…まだ病院から薬をもらっている。
 ティ・サドンでのこどもミサは、毎週土曜4時から始まる。
 ミサの前に聖歌の練習があり、二百名以上の幼稚園から小学六年生までの、元気のいい歌声が聖堂いっぱいに響きわたる。韓国語のわからない私でも、いつの間にか子供たちと心を一つにしてミサに与かっていた。…ミサ後、神父様のお話しがあったが、ざわついてくると、神父様が大きな声で、なにか言う。すると、子供達は自分の耳たぶをつかんだまま、立ったり、坐ったりさせられ静かになる。
 子供と神父様のやりとりを見て、つい笑い出してしまった。