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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』






『麻薬依存患者らの施設で』

〜ブラジル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 高橋有子
 現在、アルコール及び麻薬依存症患者の更生施設におり…姉妹2人、職員ともども努力しております。ブラジルで始めて、男女混合施設の読みで、七年目に入りましたが、困難はいつも思いがけない出来事と共に続いています。人々とのかかわりの中で考えさせられるのは、神様がどれ程人間を愛しているか、どうしたら喜びに目覚められるか、ともすれば人間不信に陥っている彼らの心が痛ましいのです。幸いに、心理士、作業療法士も居り、療法プログラムに沿っていますが、何かにつけ、人手不足を感じます。私自身、看護業務は病院と異なり、かなり、寮母の因子も多く、出来る限りのことで努力しております。
最近、初聖体の勉強希望者が3人も申し出て、姉妹と共に喜んでおります。と云いますのも、今までの彼らの荒んだ生活を思えば、この施設に来て、初聖体″を思うだけでも、大変なことだと思うのです。カトリック国でも、さまざまな人間の在り様は、理想とほど違いながらも、決して失わぬ明るさ、希望、寛大さをもったブラジルの人々は素敵です。








『ハンセン病治療に光が…』

〜ブラジル〜
横浜教区 佐々木治夫
 …今年も日本から沢山の方々の訪問を受けることができました。…フマニタスの対ハンセン病活動も、国立多摩研究所の和泉先生の来訪を受け、素晴しい成果を挙げました。ドクター・マウロは、9月にサンパウロでのブラジル皮膚学会で、フマニタスを代表し、5つの研究発表をして気を吐いてくれました。とくにMLPAという和泉先生との共同研究の成果は、ブラジルの皮膚科・ハンセン病学界に一石を投ずる大反響を引き起こし、フマニタスの名を、いやが上にも高揚してくれました。この…方法は、抗体の検査を通じて、人体にあるハンセン病菌の有無を検べるもので、この検査によって、体になんの症状も無い人からハンセン病菌を検出することも出来ました。発病前にハンセン病を癒してしまうという意味で画期的なものですし、治療段階においても、薬の効果を知るのに、すばらしい力を発揮してくれます。この方法がブラジル全土に普及し、ハンセン病の早期発見が容易になれば、どれほどの人々に喜ばれることでしょケか。…ブラジル経済の悪化という暗い…世相の中で、楽しく、明るく活動し、患者さんの心に希望の光を灯し続けていきたいと思います。






『泥の海に囲まれた子供の村』

〜ブラジル〜
淳心会 マルゴット神父
 …昨年子供の村″を造りはじめ、クリスマスの前に、崩れそうになっていた古い家から新しい美しい家へ引越し…12月22日にコルネリオの司教様が…新しい家を祝福しました。希望のしるしとして、子供の村に、「暁の星」という名を付けました。新しい家は丘の上に建ち、非常に見晴しの良い所です。前の家は油虫、ネズミ、のみが一杯で、街の一番やかましい広場に建っており、落着きませんでしたが、今度は大自然に囲まれ、夜中に虫と風のコーラスが子守歌を歌って、朝に小鳥の朝の祈りの声で日が覚めます。落成式の日は天気が良かったが、それからすぐ、一カ月以上続いて大雨が降って、私たちの家は泥の海に因まれて、ノアの箱舟のようになって…大雨(で)、アモレイラの小さな水道局に一杯泥が入(り)、一カ月以上断水になって、便所、台所、シャワー、洗濯場に水が出なくなって、衛生状態は大変でした。…5月の末に、私は突然に丹毒のひどい発作があり、熱が高くて…歩けなくなりましたが、佐々木神父様がとてもお世話(下さり)で、なおりました。
 アモレイラ、アサイにも、日本人と日系人の出稼ぎが始まり、一月から七月までの間に、全国の出稼ぎは五七〇〇〇人以上になったのです。…家のない子供も非常に多くなり、子供の犯罪が大きな問題になりました。全国では歳以下の売春婦は五十万人(ブラジル人の各三百人に一人)だそうです。子供の村…は不良少年のために作ったのではないが、裁判官が送った(来た)子供の中には…皆に迷惑をかけて、他の子供が危険なので…帰さなければならない…ケースもありました。でも、子供の村は、もうすぐ原則が出来、委員会が選ばれて、教育法人として認められると思います。






『共同体センター建設へ向って』

〜ブラジル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 浅沼みどり
 …私どもマリアの宣教者ランシスコ会員が働いているファベラ・ビラ・ムナは、サン・パウロ市周辺地帯の新しい地区(今年(一九九〇年)サン・パウロ大司教区から切り離された)サン・ミゲルの一地区グワイアナージスにあり(ます)…私もブラジルで11年…。
 …7年前に洪水で家が流出した家族で構成されているファベラ(木造.ハラック地区)です。私たちは2年前にこの地区に入り、基礎共同体の司牧にチームで働いています。
 子どもの栄養失調、電気、・水道、下水道の不備など、どこのファベラにも共通の問題は、ここにも山積みですが、住民たちは、生活を改善するには、自分たちが一致して立ち上らなくてはならないことに目ざめ、動き始めています。
 その結果、市のファベラ改善の都市計画に組み入れられ、ブロックで家を建て替える資材の援助を得るところまで、こぎつけました。
 しかし、一番困るのは、集まる場所がないことです。市と交渉して、共同体センターのために土地を貰いましたが、建築のための援助はありません。もしセンターがあれば、集まり、ミサ、カテケジス、おとなの識字教育、保育活動など出来ることがいっぱいなのです。
 建築は住民の共同奉仕作業によることになるでしょう。






『日系人の‥逆移住は大きな課題』

〜ブラジル〜
マリア会 長谷川一
 …いかがお過しでしょうか。12月3日には青木神父と四百キロ離れた町での、日伯司牧の会合に行きました。…往復八百キロ、車の旅に慣れているとはいえ、やはり、遠く感じました。…月の半分が旅行、定期的旅行に加え、司祭会議、マリア会の集まりなどのため、60キロから錮キロ離れた所に行くのは当り前…月に数回、40キロ離れた町の、82歳の耳の不自由なお爺さんの洗礼の準備のため、チョットした合間をみて、車を飛ばすという具合です。
 …新しい任務に就いて一年半が過ぎ去ろうとしています。…日系人の宣教の具体的目標として「日曜日の福音を家庭に」というスローガンを掲げ…てきました(が)、この運動は…今、やっと、ほんの一握りの人がスタート地点に集まって来たという状態です。
 …出稼ぎの問題は、今では、日系人の多くが日本へ職を求め、逆移住している状態です。日本からブラジルに渡り、現在、日系人の司牧宣教に携わっている私にとっては、大きな課題です。






『強いプロテスタントの布教力』

〜ボリビア〜
三位一体聖体宣教修道会 弓野志ま子
 …第3世界と云われている所は、どこも同じような問題を多かれ少なかれ抱えているように思います。衣食住医の問題も大きな問題ですが、それと同じくらい、人々の転宗問題があります。プロテスタントの布教力の威さは、薫ろくぼかりです。二、七〇〇人ぐらいしか人口のない、このコンセプシヲンでさえ…転宗してゆく人が後を絶ちません。サンタクルス市では、カトリック教会15に対し、プロテスタント教会 一五〇と云われ、プロテスタントのこの勢力は何なんだろうと考えさせられます。
 私が働いている場所は、三百年前、イエズス会宣教師が、奴隷狩に脅えるインディオを集めミッション村を作った所にあります。
 ミッション・デ・チキーストと呼ばれ、コンセプションはこの中に創立された10の村のうち、5番目に創立され、イエズス会追放が行なわれるまで、インディオの天国が実現されていた所です。しかし、イエズス会追放後、村を占領した白人によって、奴隷とされたインディオが、つい最近まで、どのような悲惨な状態に追いやられていたか、古い邸を見ると想像がつきます。
 でも、少しずつ独立していったインディオたちが、手を組み、自活できる道を探しはじめました。






『四キロの道を小学校へ』

〜ボリビア〜
扶助者聖母会 山口多香子
 …ボリビア・コチャバンパは、海抜二、五〇〇メートルのアンデス山脈中ボリビア第3の町とかで、市中繁華街は、どこの世界も同様に人々が多く賑やかで、ボリビアの方々は日本人にそっくりで、あまり違和感はありません。…コチャバンパは子供達が多く、私達の惨院で、三月開校のために、小学校二階建14教室を建築中です。学校が少ない地域で、4キロの道を歩いて来る子も居るそうです。…オラトリオの子供達が私どもの修院に参りますので、一緒に野原を飛び回り…心も体も若返って来ます。…アンデスの山々を仰ぎ、広い牧場に羊や牛が平和に草を喰み、澄みきった青空には小島たちが噂り、あちこちの家のニワトリがトキを告げ、牛の後をアヒルがヨチヨチ…の様は…日本のどこか田舎に来た思いすらします。






『人づきあいに苦労』

〜ボリビア〜
メリノール女子修道会 大藪あい子
 …今年の五月ごろから、ここ、コチャバンパのクリスト・レイ教区に属する一つの小さい貧しい村アントファガスタという所で、子供たち(8歳〜15歳)のグループとCEBのグループと共に頑張っております。この村は大体百五十家族で、殆どの方たちは、チリ・ラパス、サンタ・クルース、オルロ等の他の所からで、なかなか献身的に、この村のために―という態度がみられず、いわゆる我関せず″で、団結するのが困難のようです。…以前は会合の場所に小学校を借りていたようですが断わられ、その後、二、三の家族の家を借りていましたが断わられ、最後には、幼稚園の一角をということで、なかなか落着きません。椅子もテーブルもないので…微々たる予算の中から2台のベンチと小さいテーブルを、最近、帝人致しました。人々は大変親しみやすく、オープンなのですが、まだ、五、六カ月のおつき合いで、しかも、この村に住みこんでいないためか、なかなか深いところまで溶けこんでいないのが現状なのでしょう。






『アフリカ』






『教育は金持だけのものか』

〜シエラレオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …スペインの休暇から戻って…飛行機から降りた途端、蒸気ガマに噴かれたように、汗がどっと流れ始めました。…隣国の内乱状態はひどく…避難民はもう5万を越え、そうでなくとも貧しいシエラレオネは…ガス、ガソリン、石油すべてに不足し、生活もかなり動きがとれなくなって来ています。革もガソリン不足で思うように走らせません。発電機も、夜2時間やっと回すだけです。…物価の上昇は、まさにウナギ上り、昨年よりさらに上り、一冊の教科書が一〇〇レオネから10倍の一、〇〇〇レオネ、テストGCE西アフリカテスト代が、なんと、筆記のみが一万レオネと考えられない物価高となっています。先生でさえ、一カ月三、〇〇〇〜五、〇〇〇レオネの給料、一学期の月謝だけでも、一人五、〇〇〇レオネ、教育は金持のみのものになりそうです。現在、スカラシップを倍の人数に増やしています。日本から来た、横ケイノートやセクションノートは、みな終りました。たとえ一冊でも結構です。運動にご協力下さい。…今年はイラク、クエート問題で、世界中の人が心を痛め…ていますが…ここは…隣国ライベリアの戦争の火がいつ飛んで来るか分らぬ不安に悩まされています。今年は5人の5年生が日本の奨学金を頂き、めでたく卒業しました…GCEのテストが発表され、5人とも大変良い成績で合格…それぞれ希望に燃え、看護婦、フォーム6.、大学にストレート、修道会 の志顕著へと勉強しています。






『多いリバーブラインド』

〜シエラレオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
 …こちらシエラ・レオネは、ハマラタンにやっと入り、砂とともに、少々冷たい凰がサハラから吹いて来て、気温が下り、日本の晩秋ぐらいの気温が、朝と夕方あります。日中は、やはり暑くなりまのすが、こちらも異常気象で、ハマラタンらしくなったのは、四、五日前からです。…病院の外来は、沢山の病人で、ごったがえすでしょう。…外へ出ると、沢山の盲目の人々が、子供たちに手を引かれて集まって来ます。リバーブラインドの人々が、とても多いです。






『パーキングボーイを救えた』

〜ケニア〜
フランシスコ会 大司達也 佐藤達郎
 …いつも、皆様方のお祈りとご支援を頂き、まことにありがとうございます。今年も、皆様の善意のおかげで…貧しい家庭の、沢山の子供たちが、学校に通うことが出来ました。また、家族より見離された老人方の食糧と生活のため、また、パーキングボーイ(路上で寝起きする子ども)の食糧と厚生、リハビリセンター支援等、皆様方に大きな愛の助けを頂くことが出来ました。
 東西の和解とともに、中東湾岸問題、環境、経済問題等々、世界は大きく揺れ動いていますが…貧しい小さな人々、助けを必要とする人々に愛を分ち合って下さいました善意の皆様に、喜びと平和が豊かに満たされたように…。






『ガーナの生の共感を目指して、そして、人間の尊厳を』

〜ガーナ〜
神言会 菊地功
 …ミッションのすぐ近くの家で、16歳になる女の子が亡くなりました。ある日、急に腹痛を訴えて、ところが、この病気のことを、四日ほど苦しんでのことでした。
 家族が埋葬を依頼して来るまで私は知らなかった。というよりも、家族は神父を祈りに呼ぼうなんて考える暇もないほど、忙しかったと言います。一体、何が、そんなに忙しかったのでしょうか。この少女の両親は慣習上の結婚儀式をまだ済ませておらず、そういう場合に子供が死ぬと、母親が葬式一切の面倒をみなければなりません。そこでこの母親は、少女が病気になって危ないと見てとった時、すかさず、近くの父親の家へ彼女を運びこみました。勝手なことをすると腹を立てた父親側の親族が、母親を呼んで訳をただしたところ、実は秘密裡に「ラボ・カスタムを済ませていた」と母親が打ち明ける。「ラボ・カスタム」とは、いわば、父親による認知の儀式で、これを済ませると子供は「父親のもの」となり、葬式も父親の負担になります。父親側の親族は罰として母親が羊を一匹提供するように要求、…交渉は延々と、いつ果てるともなく続き…その間、病気の少女はろくに面倒もみてもらえず…死んでいったのです。…一人一人の人間の尊厳を大切にして欲しいと思うのです。
 ガーナで迎えるクリスマスも5回目となりました。私の働くオンンンン教会は…2年後には教会設立50周年を祝います。…50年の宣教の成果は、洗礼を受けた人の数としては、確かに上っているのですが、残念ながらカトリック教会の物的豊かさの故にひきつけられた人も多く、本当の意味でのキリスト者共同体が育ってはいません。
 私は、宣教師として、今、ガーナですべきことは住みこむこと≠ナしかないと思っています。…「欲しい」と「必要」には限りがあ鰍閧ワせん。…物質的発展が宣教師の「戦果」として語られるのも事実です。しかし、本当に必要なことは、20世紀末のガーナの生を共に生きることを通して、キリストが、いま、まさに居ることを感じてもらうことで、そうして始めて物質的発展が生きて来ます。
 …多くの日本の人に、あるがままのガーナを知って、その生を共感して頂くことが、日本から派遣されたものの務めであると思います。






『心眼は開いていた婦人』

〜マラウイ〜
無原罪聖母宣教女会 守山陽子
 …9月に、今まで居たムジンバの町から車で約二時間の、ザンビアとの国境沿いの奥地…ムザンバジ・ミッションに移り、生活を始めています。電気や水道もなく、川や井戸水、雨水を利用しての生活です。9月に50周年を祝ったこのミッションには、教会のほかに小学校、診療所、司牧センター、宗教々育センターなどがあります。
 さらに五つの巡回教会を抱えています。ここには…四人の神父さん達がいらっしゃいますが、司牧から、畑、井戸、用水池の管理、世話までと…猫の手も借りたい様子です。私たちの共同体はたった三人(カナダ人二人と私)の小さな共同体です。…修道院には毎日、沢山の人が訪れます。小学生の子ども達も訪れます。彼らは仕事(お手伝い)を板みに来るのです。…シスターが彼らに仕事を与え(庭掃き、草むしり等)、お駄賃としてノートや鉛筆、ボールペン等の学用品を与えています。学用品は、大体、一クワッチャ(60円ぐらい)ですが、彼らにとっては高価で、たやすく購入できないのです。…数年前から外国から送られて来る寄付金を教会のMH L―M塁(慈善グループ)に渡し、貧しい人たちの世話を委託しているそうです。先日、日の不自由なご婦人が小学生の男の子に手を引かれて、修道院にやって来ました。…婦人は…子供の学費を支給されたので…お礼に行ったら、寄付金は、無原罪聖母宣教女会のシスターから頂いている…と聞かされ、ひと言お礼を言いたくて…来たのだとのこと。私たちは嬉しいショックを受けてしまいました。感謝されることを期待などしていませんでしたが…この婦人は感謝をしにわざわざやって来たのです。目の見えないこの婦人の心の限は、しっかりと開かれているようでした。






『夜になると銃声が…一からやり直し』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 永瀬小夜子 大湾トミ子
 …海外ニュースその他でお開きの通り、クーデターによる政権交代が、去年12月初めにありました。…若者を戦地へ直送するためにトラックが走り抜け…ゲリラ出没のニュースが入って三カ月近く、北部の方での戦いに多くの犠牲を出し…官公庁その他の給与の遅滞が続き…不満となり、政治組織の弱さが体制に終止符を望む声となり…(等々)、苦悶するアフリカを、ここに見ます。
…(ゲリラの)いよいよ首都入りの声に逃げまどう人達…車や金を強奪…狂暴、便乗した盗賊、小さい子供達まで…盗品を頭に乗せて白昼堂々と行列です。ギタリーの支部では、銃をつきつけられて車を掠奪され…ライの支部でも、お金とともに神父様達の車が盗まれ(ました。)…車で行くには後押しとスコップが必要、雨期は交通止です…車が無いと診療所の仕事、病人…買出しと困っていると思います。8日ぶりに(ギタリに)車は返って来ましたが…あちこち破損…修理に出さなければなりません。…私たちは村々へ出かけるのをやめて様子を見ています。幸い三日目に新政権が完全に働き出して…平和にさえなってくれれば…と歩み出しは上々でしたが…聞くところによると、まったく同じやり方で…夜になると銃声が絶えない近頃です。…クーデターの繰返しは、悲惨、飢餓、大量難民を糾生み、やっと希望が持てはじめた仕事も、また、一からやり直しです。…10月はじめ頃より、ハシカが流行し多くの子供たちの命が奪われています。まもなく、また、骨髄炎の季節になります。
 …話は変りますが…私が…送って頂いたきずな″を読んでいると、「それは何か」との質問、それに答えて、そのあと、きずな≠ニはと、横に居たヨーロッパ人の手と私、チャジアンの三人で「絆」を結びました。黒、白、黄の手、周りに居た幾人かの青年たち、次次に交代して固く握り合う。ニッコリ笑う姿、お見せ出来なかったのが残念です…






『アジア・大洋州』






『イザベラから』

〜フィリピン〜
聖母訪問会 フィリピン・コミュニティ
 「基礎共同体健康推進プログラム」

 レントゲンがある!″
上野紘子
 …結核の非常に多いイサベラに、今年は日本のカトリック医師会の先生方の厚意による、ポータブル・レントゲンが寄贈されました。
 …総重量五百kgのレントゲンが玄関に着いた時の感動!司教様と共に皆で息をのんで見守りました。…その後、9カ月日に今村さんと友人のスタッフがレントゲンの研修を受け、サービス可能な体制を整えました。…一月から六月まで、百八人の疾を検査したところ、24人が十、74人が一、病院でレントゲンをとった人が10人いました。

 夢はひろがる”
今村美智子
 …「ミチ、この子を看てやってくれよ」と、ヘルスワーカー…が、母親と小さな赤ちゃんを連れて来た。みるからに貧しい身なりで、ポロボロのスカート、…「どうしたの」とのぞきこむと、ニコッと子供は微笑む。子供の手足は、しなびたバナナのよう…3カ月かと思ったら、8カ月にもなるという。たった4キロ、高度の栄養失調だ。いま、5歳以下の子供の健康増進に働き始めている。…母親たちが週2回、栄養たっぷりのおやつを作り、子供たちに食べさせている。栄養失調だった子供たちも…標準体重に追いついて来た。…まだ、小さな規模でやっていることだが…スタッフの夢は広がる。
…共同の畑に蛋白質豊富な豆類をまき、子供たちのおやつにする。
…などで、今、いも畑の隣は豆をまくために耕している最中。

 希望をもって編む”
加藤みつ
 …7月16日、北部ルンンを襲った大地震のあと、マニラーイサベラ間の陸路交通は長期間遮断されました。…ソーイング・グループのメンバーも、生活の程を指先に託して作品の仕上げに勤しんでいます。…この仕事を…存続させていくために、市場開発に力を注いで(おり)、幸い、マニラ存在の日本人のご婦人方の協力を得て、バザーの都度、売らせて噴いており…ある方は自宅を解放して販売しqnrて下さっています。…生活設計がたてられない。子供の数が多すぎるなどの問題(も)あります。…豚の飼育を3年前から始め、現在、28匹の豚を各家庭で飼育しています。子豚代をグループから借りて、6〜7カ月後に売る…売って借金を返したら終り…また、借金…なのです。…これが村の現実です…でも、彼女たちは、果たせなかった夢を子供たちに託しています。生活のために編むだけでなく、人々と分ち合う喜びを持てる…希望をもって共に歩んで行きたいと願っています…。

 ギバン保育園から”
山下正子
 …日本人の先生とフィリピン人の先生とで、両方の国の良いものを分ち合って保育しようとの意図で始まった保育園も、早や、来年の三月には6回目の卒園式を迎えます。今年、富永容子先生が徐々に、フィリピン人の先生の手で保育園をやっていけるようにと…毎日の保育が終ると、2人の先生のためにオルガンを教えたり…セミナーを開いて…先生教育に力を注いで下さいました。…手作りの玩具を保育園に残したいと、自ら大工道具を手に、木製のパズルなどを作ったり、頑張って下さいました。ちょっと頑張りすぎて(〜)体調を崩され、十月にやむなく一時帰国して療養。その間、責任をまかされたニナ先生は、しつかり主導権をとって保育して下さり(いました)、今年、保育園にはシーンーと.フランコが出来、毎日、園児たちが喜んで通っています。

 奨学生とともに”
大森雄二
 昨年まで、シスター山下が面倒をみていたスカラシップは今年から善き牧者の会のシスタージェバ、大学を出て…戻って来た元将学生のトム青年、保育園の容子先生、それに私の4人で関わり始めました。せめて高卒程度の教養を子供たちが身につけることは…プラスであろうという始まりの思いから、今年は…リーダーの資質、自立に必要な技術、知識を身につけること…を目標として掲げました。
 …クラスのない土曜は畑作業、数学の補習…をこなし、日曜はシスターのキリスト教講座…トム青年の歴史の見直し…を各一回ずつ行なっています。…このように、やや荒々しいほどに動いているスカラシップですが、いつでも、一人一人の小さな成長を大切に見守っていきたいと思っています。






『一番安いのは人命』

〜フィリピン〜
キリスト・イエズスの宣教会 渡辺栄子
 …フィリピンでの七カ月をご報告したいと思います。…一応、共通語である英語が話せるようにと…ここの大学の英語の授業に出たのですが、…主流はタガログ(語)、授業中も屡々、タガログ語で説明され、英語の直接訓練にもなりませんので…前期でやめ、自前でやり始めました。私達の生活の中心であるごミサも、英語、タガログ、セプアノ、イロンゴと四つの言葉で捧げられます。実際に働くとなると、さらに、部族や、回教徒の言葉も必要です。…地震や台風で傷めつけられた人々は、また、石油の高騰に悩まされています。
 …石油価格を故意につり上げて暴利を貪る者、学校の先生方の給料が何カ月も払われず、利息が誰かの手に入るとか…不正に満ちています。…ここ…コタバトは私達の会の養成のための家があるのですが、実際に働いている宣教地はもっと南の山の上で…少しは静かで涼しい所です。…私が、このような村に行っていた時のことです。
 回教徒の一団が……村を夜襲して、彼らの財産である水牛と衣類を盗み、一週間のうちに立ち退かないと再襲すると脅して行きましたので、周辺の村々まで、こぞって避難をはじめました。私も、婦女子十数人と四時間、炎天下を川を渡り、ぬかるみに足を取られながら歩きました。若い母親は、赤子を風呂敷のような布を首に吊り下げて抱き、子供は鍋、釜を持って歩きます…石油も米も価格がどんどん上っていくのに、一番安いのが人命だと云われています。






『ピウダ、ネタショしよう』

〜韓国〜
御受難修道女会 長谷川税子
 …こちら、韓国の教会 では、今、「ピウダ」、「ネタショ」という二つの言葉が流行していると、ごミサに来られる李神父様が説明して下さいました。
「ピウダ」は、空(から)にする″で、自分を空にして、主と隣人のために与えつくすこと。「ネタショ」は、公会議以前の、ごミサの始めに、世界的に使われていた告白の祈りの一部これ、わが誤ちなり(メア・クルパ)″の韓国語で、こちらの教会では今でを使われています。何かあった時、すぐ、他人のせいにせず「自己反省をしよう」との意味で、今日、カトり′ックでない社会でも、一般にネタシ,をしよう″とよく、この言葉が流行しているそうです。そして、お互いによい社会を築いていこうと努力しています。






『自由…だが、心の不安は…』

〜オーストラリア〜
聖パウロ女子修道会 松本恵
 …オーストラリアに来て、一年二カ月が過ぎました。(オーストラリアは)他のミッション地とはかなり違った状態だと思います。
 …アジア、アフリカ、南米などのある国々のように、ものすごく貧しくて食物もないという人には殆ど出会いません。
 …でも、だからと云って、宣教師、宣教女が少なくてもいいとは云えないと思います。この国に住んでいる人は、少数のアボリジニ(原住民)以外は、皆、移住者か、いろんな国から仕事や観光で一時的に来ている人たちです。…英語でない母国語で日常会話をしている人が、まだ、かなり居ます。…生活様式も様々です。…自由に生きられるのは、この国のいいところでしょう。でも、それだけに言葉がよく分らず、何を信じていいか分らず、信仰や道徳的に迷っている人たちが沢山居るようですから、その人達に心や、手をさしのべるという、福音宣教の本当の必要さを強く感じます。この国は、先進国の中に数えられ…宣教地とは見做されないでしょう。ですから…私が来るまでは、日本人の宣教者もたゞ一人、去年になってやっと三人になった状態です。…カトリックとアングリカンが多い国なのに、三つの州にそれぞれ一つずつある私達のブックセンターが唯一の、数少ないカトリック書店の一つという状態です。一九九一年に三つのブックセンターにコンピュータが完備し、お客様の需要に、よりよく応えられるようになりました。






『様変りし始めたポンペイ』

〜ポンペイ〜
援助マリア修道会 ポンペイ修道院一同
 ……常夏の島ポンペイに派遣されて、10年となりました。…すべてにおいて異質であるポンペイに飛びこんだのが、ついこの前のように思われます。
一九八六年九月、島一周道路の完成に伴って、人々の生活の急激な変化が現われ始め…現在は溢れるほど車が走っています。
 また、電信柱も全島に立てられましたが、電気は一部の家庭にしか引かれていません。…家庭訪問を続けていて気付いたことですが、殆どの家庭に、学校、出稼ぎ、結姫などで外国に出ている人が居ます。そのような動きの中で、人々は、このままではポンペイはどうなるのかと、お互いに話し合ったりしているようです。ミクロネシア連邦〜ヤップ、チューク(トラック)、ポンペイ、コスラエの4州〜は、一九七九年五月十日憲法を施行、一九八六年十一月三日、米国による信託統治の終結を経て、米国と自由連合協定を結んだ主権国家となり…この日を独立記念日としています。昨年十一月三日ミクロネシア連邦の首都が、コロニアから川キロ離れたパリキールに移されましたが、小さな島々で自立への道は厳しく多難のようです。
 …ポンペイ修道院建設が…一九九〇年十月二十九日にやっと着工の運びとなりました。…ミクロネシア人の手によって教会が発展していくようにと祈っています。