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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『一クラス、二二〇人の小学校も…』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 脇山ミキコ
 …一九八九年五月一日から…ギダリの診療所の管理運営、保健衛生思想の普及、青少年教育、ギダリと…その周辺の村落の婦女子たち…のグループ活動の同伴者としての任務を引き受けました。
 ギダリも他の多くの町村と同じく飢饉、内戦の影響から脱出するための精神的、経済的力の欠乏が目立ちます。毎日、司祭館や修道院の門前には、仕事を探がす働き盛りの人々、食べ物、着るものに事欠いている人々が集まります。…とくに、心の痛みを感じさせられるものの一つとして、毎日のように青年たちが「何か読むもの、古い雑誌でもよいから無いか?」と尋ねて来ます。小学校、中学校また、高校に行っても、彼らは教科書を持ちません。先生が黒板に書くか、読むかする文章をノートに書き写すのが勉強です。小学校では、一クラスに二二〇人以上のところもあり、子供たちは名ばかりの小学生とも云えるようです。私どもは、彼らの将来を思い、真のチャド人としての成長を助けるために、今、とくに必要なものの一つは図書館であると判断しております。






『自力脱出を願い、援助を抑え…』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 有園順子
 …この5年間、貧しい人々の中に居て、ひたすら、彼らの独立、自立を望みながら、心を鬼にして物的援助を控え、今年はじめて、婦人たちからなる、共同耕作グループを十一月、組織することが出来ました。グループの各自が会 費を出し合い、種子や耕作費を払い、オクラ等を植えて、市場で、または商人に売り、牛や馬車・鋤、塩砂糖等を購入しようというものです。とくに保存出来るものは収穫時に売らず…共同倉庫を造り…値上りする時期まで保存し(ます)。
 …村人達にとっては大きなカケでありますが、…村人たちにとっては、…わずかながらも自力で、貧苦から脱出できるという、喜びと自信を持つことが出来ます。
 今年の雨期…一人残った私は、ライから56km離れたギダリの姉妹たちの所に参りました。ギダリはライよりも村で、太陽熱を利用した電気(ミッショネールのための)は、3日も雨が続きますと使用出来ず、ポンプは部品がなく…56キロと云いましても、深さの分らない水溜りの多い小道は、軽トラックしか通行できず…やがては通行不可能になります。
八九・八・六






『ミカン箱に札束つめて買物に』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …シエラレオネの経済状態はとてもひどく、お金の価値が日々なくなっています。フリータウンに、寮生のための食料品を買出しに行く時は、ミカン箱に数個、お金をギッシリ詰めて出かけます。普通の財布では、とても間に合いません。…日本のように、買物カゴさげて…とはいきません。…札束ならべて、ほんの少しの物しか手に入りません。銀行もお金がなくて空っぽ。小切手も現金になりません。この国で変らないのは、給料と郵便料。安い郵便料は大変助かりますが、安い給料では、一袋のお米も買えないと、人々は嘆いています。…毎年六月、司教が教会を公式訪問して歩きます。今年の4マケニ司教区から公式訪問を受け、約百人の信者が堅信を受けました。タンボールや鈴を鳴らし、けたたましいアフリカのリズムの歌声で、教会は割れるようでした。静かで厳かな日本の教会と対称的な風景です。






『南米』






『宣教のためにアマゾンへ船を!!』

〜ブラジル〜
日伯カトリック精神里親協会 宮城野区長井和子
 この夏、三カ月の休暇をとって、ブラジル、パラグアイを訪れました。…出発前の慌しさや、沢山の重い荷物の前では、なんでこんなにまでしてブラジルに行くのだろうかと思ったり…だけど、私の行く所はブラジルなんだと納得して、飛行機に乗りこみました。…24時間の長い旅も、南米大陸が見えると、感動に胸がふるえます。
 5年ぶりに訪れたブラジルは、ただ、外観だけを見渡しますと…地方都市は、さらに発展しているように思われます。美しいリオの海岸、すばらしいイグアスの滝、サンパウロの夜景、…日本円にくらべて安い安いと土産を買い…結構、々々と観光客…。でも、ここに立ち停って、そこを見つめ、人々と出会い、会話をする時、それは決して結構ではなく、恐しい程の戦懐が走ります。…街の大きなビルやアパート、小麦が黄色く実る畑、それを運ぶ大型車の列―(しかし)田舎から出て来た人が…やっと見つけた小さい土地に板を集めて建てた小屋を立ち退かされ、焼き払われたり、高い家賃のこわれそうなアパートで、身動き出来ない人々…病気で死んで行く幼児…犯罪、麻薬、不正…これらのすべてを包んで、ブラジルは動いています。…サンパウロは四つの司教区に分れ、…疲れ果てながらも司牧に走り回る司祭たち…新興宗教も、どんどん中に入りこんでいます。…この国に来て、とても悲しい言葉をよく聞きました。
 「この国では、黒人、半褐色人…には気を付けなさいよ」「彼らは信用出来ない」「外人は怠け者だから貧乏なんだ」と…。
 (こうした)人々が何気なく使っている…言葉に、偏見、差別があることを知ります。…彼ら以外の人々が、彼らをそのようにしたのではないでしょうか。…今こそ、皆が、彼らを人間として、その人格を尊重し、人間として生きていけるようにしなければならないのではないでしょうか。
 …一人の神父様からの手紙を紹介します。
 「私の働いている所は、アマゾン河の中に点在するいくつかの島で、59個所のコミニダージ、一六三一ファミリア、一二、一四四人が住んでいます。コミニダージに行くためにはアマゾン河を下り、…船が私の足です。…冬、一月〜七月までは水が一杯で家が水没、…水が多い時は、バナナ等も駄目になり…魚も少なく…住人の収入は殆どありません…船は司牧の…足だけでなく…病人も運べます。
 …現在、モーターなど機械はドイツからの援助で出来ましたが、本体が出来ないでいます…船を援助して下さい…日本人宣教師のために、どうか考えて下さい…。

こんな船がアマゾンの宣教者にあったらサンタレン・タバジョス河
こんな船がアマゾンの宣教者にあったらサンタレン・タバジョス河






『山、また山越え、夜のミサに』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会 間野玲子
 …私もブラジルに派遣されて、三カ月が過ぎました。…九月から、ロンドリーナ市から鮒K離れた、タマラナに来ております。タマラナは小さな町です。日本語を話す人は誰もいない修道院で、ポルトガル語のため、また、ブラジルの習慣を学ぶため、ここで生活しております。毎日、聖霊降臨の大祝日が来て欲しい気持(です)。
 ……このタマラナの町の中心は教会です…神父様は30以上もの巡回教会があります。ですから、町の中心の教会はミサが週に一度、聖体祭儀を信者さんが中心になって一度です…田舎の人たちが、農作業が終った頃、夜の八時頃がミサです。タマラナのシスター達は保育園、児童館をしておりますが、仕事が終って、夕食後、小教区の手伝いとして、神父様と共に巡回教会に行ってミサに与かります。
 小型トラックで約40分〜1時間かかって、ようやく着きます。麦畑を通り、牧場を通り、山の中、また、山の中です。信者さん達が百名以上、馬で…6KMも歩いて来る家族です。

同 松永泰子、松本圭世、松浦和子……クレッシュの…子どもたちは、元気に成長しております。しかし周りでは、麻薬、泥棒と、警察に連行されて行く大人たちを見て育っております。また、インフレが日毎に激しくなり、ブラジル全体経済的不安定の中におります。

クレッシュの子供たち〜Sr間野―
クレッシュの子供たち〜Sr間野―






『革命で、生活は楽になったが…』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子
 …ラパスも、やっと、昨年七月から電気が導入(され)、今年八月から水道も出来ました。設備(に)は、ちょっと、お金が要り大変でしたが、ずっと、生活が楽になりました。道路が完備すれば、雨が降っても学校が休みにならなくて済みますが、これはまだ、かなり先になると思います。パラグアイも、二月三日の革命により民主政治になりまして、大分変りました。新聞やラジオも、言論の自由が許されて、いろいろのニュースが入りますし、農産物も自由相場になりました。インフレも強くなりましたが、農産物も高く売れるようになり、農家は喜んで居ります。
 コロニアでも機械化が進み、大抵の家庭がトラクターや自動車を持つようになりました。その反面、信仰の方は、昔、歩いて教会に来ていた方が熱心で、ただ今は、冠婚葬祭だけの宗教になってしまったようです。…物質文明を重んずる傾向が強く、沢山の土地を持ち、財産を持つものが尊敬されている社会です。新しい政府になってから、土地のない農民達が、盛んに政府に訴えて居ります…インディオ達もその一部です。
八・一五

パラグアイ・ラパス幼稚園の子供たち(右、Sr林左、Sr金山)
パラグアイ・ラパス幼稚園の子供たち(右、Sr林左、Sr金山)






『エンマヌエルホーム完成』

〜ペルー〜
フランシスコ会 マヌエル加藤神父
 八月十八日にエンマヌエルホームの祝別式と寄贈式が行われました。皆様の暖かいご協力で無事この施設を完成致しました。ただこの日、急に外務省に叙勲の為に式の途中連れていかれましたのでホームの寄贈式の一部にしか与かれませんでした。
 今から六年前砂漠だった所にこじんまりとした美しい施設が建って居り、その中で無邪気に遊んで居る四十人の子供を見ますと感無量です。
 このホームの他に二百人ばかり収容出来るチャペル(兼講堂)と司祭館、そして隣に同じく小さな診療所を建てました。それはこの施設がこの地区の中で小島″の様な存在になって欲しくないからです。その為にはこの貧しい人達の事を第一に考えねばならないと思い、この教会と診療所を建てた訳です。この日は大統領夫人並びに労働大臣とその奥さん(日系人)そして大使夫人が参加致しました。また話によりますと日系人も四百人位参加したそうです。この寄贈式も終わったのではっとしています。しかし、今度は診療所の設備に取りかからねばなりません。また厚生省の認可も必要なのでこの問題も考えねばなりません。宿題は山積しています。でも援護会の方々が親切で協力的ですので随分助けられて居ます。また日本の皆様の暖かい御支援御協力は私達にとりましてはこの上もない支えです。
 ペルーでは相変わらずのストの連続、テロリストの電線を支える鉄塔倒しの連続(ここ九年間で六百塔が倒されました。また一万五千人の尊い命が奪われました)損失はペルーの外国への借款に匹敵する金額だそうです。この様な状態の中で働くのは、正直に申し上げますと容易ではありません。しかし同時に神様がいつもお守り下さっていると言う実感も致します。本当に神様に頼って行くと言う信仰の通しかありません。
一九八九年一〇月二四日

特殊学園アブディ・カシの子供たち〜ナダン・ハウス〜
特殊学園アブディ・カシの子供たち〜ナダン・ハウス〜






『アジア』






『愛で、子供たちと通じ合い』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
 …二年近く働いた特殊学園精神薄弱者児童学園から、退職と共に感謝状を送られました。…学園で得た私の体験は、非常に大きなものでした。…このような子供たちに対しては、とくに、真心から…暖かい愛で育んでやること以外に通がないのではないかと思います。
 いくら教えても理解出来ない。ですから愛で通じ合ってやることきっといつかは理解出来るのです。……彼らには、やはり、情緒があり、時としては、ある種の強い欲求があるのです。
 しかし、表現の仕方を知らない…ですから、こちら側から察してやる……きっと、反応してきます。
 …十月十三日にパパ様がメダンを訪問され、信者たちすべての人々に教えと導き、沢山の慰めを頂きました。
八九・一〇・一七