トップ会報『きずな』23号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『南米』






『選択なき″生活逆境の中の生きざま』

〜ペルー・マリ〜
司教代理 ルイス・S・マルチネス・S・J・
 信徒宣教者の大橋美知子さんを、ご紹介申し上げます。
 ‥現在、マリ市・カラバイヨ地域のエル・プログレッン地区で献身的に働いておられます。小教区の、いろいろな司牧に協力する他に、地区の人々に裁縫を教えておられます。彼女の‥奉仕と献身を誘えるとともに、感謝いたします。

信徒宣教者 大橋美智子
 ‥私の活動のための資金を少しでもご援助願えれば、この上なく活動しやすいのですが…。
 ‥日常の生活の費用は全く心配要りません。たゞ、自分が関わっている人々やグループ(婦人の洋裁とししゅうのグループ。若い青年達の‥文化・音楽グループ)の他に、薬代や食物に困っている地域の人々に、小さな手助けをしたり‥などの資金が必要になっているからです。‥月々百ドルぐらいもあれば助かるのですが…。
 ‥最近のニュース‥物騒なことばかりで、新聞を見ても気が重くなります。警官殺しやテロは瀕繁で、治安は悪いです。インフレの物価高で、ふだんでも仕事がないのに、無職の人が溢れている中、婦人達は、椅麗なししゅうをして、テーブルクロスや神父様たちの、ストールを作って売ったりしているのですが、今まで、家で何もすることなく、文句ばかり、ケンカが絶えなかったのが‥こんな給麗なものを作れるのだ‥夫もー終になってやっている‥などと聞かされると、‥勇気づけられます。仕事もスローですが‥共に居て、喜んだり、悲しい時は慰さめ合ったり、話したり、一緒に病院に行って順番を長く待ったり、全く、待つことに慣れないとやって行けない世界です。私など、‥帰ろうと思えば、いつでも帰れる国や家がありますが、ここに居る人々には、その選択はありません。この地で、いかなる状況の中でも生きて行かなければならないのですから。
 その生きる強さ、信仰には教えられます。
 ……飢え、病気、テロで、何人も、大切な家族をなくしている人々が殆どですが、悲惨な中をくぐれば、くぐるほど、人は、もっと優しくなれるのでしょうか。その優しさの中で、逆に、私は成長させて頂いています…。






『労働者向けの食堂で働く』

〜ペルー〜
宮崎カリタス修道女会 樽角ナツエ Sr川端 具志堅春海
 ‥私たちは昨年2月に、ペルーの首都リマからバスで二時間かかる郊外にあるワーチョという所で、新たな仕事をはじめました。
 宣教師、イタリア人司祭のもとで、子供たちの要理指導、初聖体の準備、典礼奉仕、貧しい婦人グループ訪問等をし、今年一月から、貧しい労働者のための食堂で働きはじめたばかりです。食堂では、労働者たちが仕事の帰り、また、昼休みに立ち寄って亘食をとります。‥メニューはとても簡単なものですが、一定料金で、かなり、ヴォリュームたっぷりのものが食べられます。そのために、私たちは少しでも安くしてくれる人々を求めて、歩き回っては食糧を買っています。時には、一緒に昼食をしたりして、ペルーの人々に少しでも早く近づけるようにしています。






『貧しい生徒達に学資を』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 山田雪江
 パラグアイ・アルトパラナ県・マジョルキン移住地は、ブラジル汲フ国境の町、フォスドイグアスと隣接している、パラグアイの国境の町、ストロエスネル市より六十八キロの地点にあり、二万人と云われている住民の大半は、自給自足の形での農業で生計を立てている、貧しいパラグアイ人、及び僅かですが、ブラジルから移住して来ているブラジル人が住んでいます。この移住地は、小教区の大きな教会 を町の中心として、約二十八年前から、あちこちから移り住んで来た人たちによって拓かれて来ました。
 子供たちの数がとても多く、奥地の方には、一年生から六年生までの子供たちが、一人か二人の先生の世話で勉強しています。
 ‥パラグアイでも、六・三・三という制度で学校教育がなされ、二十年前とは変って、今では中学三年までが義務教育として行なわれていますが、このような貧しい国でも‥学歴がものを言うようになり、高校進学を希望する生徒が多くなっています。
 このような状態から各小学校、とくに小さな合学授業でのレベルの差は‥大きく、中学一年に入りますと、本人ばかりでなく、学校側、とくに教師の苦労は並大抵ではありません。今のところ、希望者は一人でも多く採るようにし、入学試験もなしで、受付けており、高校はそのまま持ち上りで入試もなく進学しています。
 このようなわけで、こういう貧しい地域の子供たちを一人でも多く受け入れ、将来に向けての勉学と共に、信仰に基いての人間形成のためにもお手伝いさせて頂いています。
 ‥こんな中で、日本では考えられない程の安い月謝(ということから、.ハラグアイでは、教師の給与がとても低くて、免状があっても、他の仕事をする先生も多く居られます)です。とくに今の円高の割でいきますと、日本円の四、五百円という‥月謝が払えない生徒も一杯おります。パラグアイには、大きな産業工場なども少なく、このような貧しい場所で、まともな給料を手にする人は非常に少ない割です。一年中、教科書を持たないで終ったり、制服の着替えを持たないで終るということはとても多いのです。学校にある図書室での本の数も限られていますが、皆で教科書を一緒に使いながら。勉強しています。






『沈黙の行進〜正義への主張』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 宮入きわ子
 ‥こちらに参りました時より、早や18年になりますが、去年までは、日本人移住地に働いており、直接、現地の人の社会には入りきれずのに居ました。しかし、今年から、エンカルナシオンの‥志願者養成の家の責任者になり、いまは、パラグアイ人社会の真只中に立たされています。若い志願者とその家族、市民、教会、学校、社会を通して、中南米共通の多くの問題に行き当ります。土着化するために、‥すべては学びの場です。
 ‥エンカルナシオンでは12月4日に信者の若者たちの提案で、沈黙の行進を行ないます。偉いと犠牲を意味した行ないですが、同時に正義への主張をも意味します。
 司教をはじめ修道女達も、彼らを励まし、行動を共にします。

エンカルナシオン・(左端志願者たちSr宮入
エンカルナシオン・(左端志願者たちSr宮入






『はじめて、パパ様ご訪問』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 林静子 
 ‥5月16、17、18日の三日間、パパ様がパラグアイをご訪問‥、18日にエンカルナシオンのキテリア飛行場に、一時間五十分ほどお立寄りになり……5月18日はちょうどパパ様のお誕生日に当ります。
 ‥今まで、アルゼンチンに二回、ブラジル、ペルーなどにお出でになり、今度はやっとパラグアイ‥皆、喜んで‥おります。
 この三日間は国祭日となり、学校も官庁も、皆、お休みになります。
 カトリック国であり、政府の高官も皆信者ですが、カトリック教会と政府の間に溝があります。パパ様の来訪を俄に、この国にまことの平和、相互理解が実現するように、お祈りいたしております。
 ‥移住32年目にやっと電気がつくようになります。たゞいま、太いコンクリートの電柱が、次々と建てられています。‥被昇天の頃にはスイッチ一つで電気がつき‥今まで二回しか(使われなかった)ドイツから寄付の電気オルガンも‥度々、利用出来ると思います。
 ‥私の住んでいる前の空地に、今度、日本語小学校の建築が進められており、日本からも一人、若い日本語教師が開発隊員としていらっしゃいました。






『十年一日の診療設備だが…』

〜グアテマラ〜
コングレガシオン・ド・ノートルダム 斉藤好枝
 ‥ここは小さなインデヘナの部落ですので病院もありません。それで必要に迫られ、二十五年前から本会 が開設いたしましたが‥設備も十年一日の如く、進歩の跡が見えません。日も当らず不清潔で、水道も午前10時前に止ってしまいます。何しろ、六カ月以上も雨が降りませんので、土挨のひどさは筆舌につくせぬ程です‥病人たちはすべてと云ってよいくらい、栄養不良です‥とくに子供たちは、細菌感染のための腹痛や皮膚病が多いのです‥従って、ペニシリンとビタミンの注射が主な治療法となっていますが、食生活の改善‥栄養指導を行なえる清潔な場所があれば、目下、思案中です‥しかし、医者に行きたがらない貧しい人々は、クリニカを頼って、信頼して訪れて参ります。日毎に快方に向って行く子供や大人の顔に、美しい微笑みが浮ぶのを眺める時、この数々たる仕事を祝して下さった神に感謝と讃美を捧げずにはいられません。






『アフリカ』






『勤めに出た娘からプレゼント』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 朝倉信江
 お心こもった励ましのお便り、ありがとうございました。
 私どもは貧しい少女(14歳〜18歳)たちの職業教育に専念しています。1月4日から2学期が始まったところですが、昨年6月に卒業し、工場に勤めることが出来た子が、自分のサラリーで花瓶を買って、私共にプレゼントしてくれたのには感激しました。
 失業者が多いので、女子の就職は大変むずかしいのです。どんなに、その子が喜んでいるか、ひしひしと伝わって来ました。






『観光地だが、貧しい人々』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒川栄子
 モロッコは、観光に大いに力を入れている国、とくにマラケッシュは、多勢の観光客の絶えない町です。それでも、町の人々はとても貧しく、私たちは、両方の間にあって、貧しい人に仕事を教え、与え、それを富める人に売るような仕事も(教育事業の他に)しております。修道院には11人のシスター、89歳から48歳、国籍も6カ国です。






『病死した患者の枕から薬が』

〜シエラレオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 ‥二月、三月は、一年中、一番カラカラに乾く時期です。太陽はギラギラ照りつけます。湿気がないので、思う程、苦痛ではありません。しかし、水不足はまた始まり、大変です。この頃に学校は運動会 をいたします‥日本のそれと違い、たゞ走る、眺ぶが主で、赤、青、黄、緑と、四つのグループに分れて競い合います。
 生徒が皆で草をむしり、鍬で筋をつけて、トラック作り。原始的な運動会ですが、太陽直下をものともせず、黒ヒぎウのように走る姿は達しいです。それぞれ、自分達の属するグループの色を、どこからか見つけ、リボンにしたり、帽子にしたり、結構、四色鮮やか、きれいに揃いアフリカ流にきれいです。
先週、私どもの病院で働くシスターが、‥珍事を話してくれました。最近、一人の中年の男が入院して来ました。彼はトイレに行くことも断って、八日間もベッドから離れず寝ていました。‥生れてはじめてベッドに寝たこと、とても気持がよいので、八日間入院費を払って貰ったのだから、十分に活用しなければ‥ということだったそうです。‥また、ある男は、病気が少しもよくならず死んでしまいました。ベッドから遺体をはずして、みなびっくり。枕の下から、続々、薬が出て来ました。村に帰ってから薬をのもうと思ったのでしょう。笑えない喜劇のような悲劇が毎日続いています……。






『アジア』






『停電は、日本人のせい?‥』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
 ‥私は一月十三日にインドネシアに着いてから、ずっと、援助者の方への訪問や、ご寄付を頂いた方々への、お礼の手紙と、目的の方々への訪問とで、すっかり、時間を賛してしまいました。その上、メダン市では毎晩、停電が続いて、「サア!夕の祈をはじめましょう‥、父と子と聖霊の御名によりて…」‥停電”‥明日のミサはランプをともして‥と聖歌もそぞろ……。世の中、いったいどうなっているの‥神父様日く「電気も休養が必要だから。日本人は電気に対して、罪を犯している。一日中、昼夜兼行で電気をこき使っている。日本人がメダンに居るから、時々、停電になる」と、私たちを笑わせていらっしゃいます。ですから、夜は何にも仕事がなく、時間が来たら休むしかありません。健康のために良いことですが、そんなわけで、日中の忙しい時間を避いては、毎日、時間さえあれば手紙を書いています。神学生やシスター志願者には、霊的励ましをもって助けたり、私の出来る範囲で一生懸命助けています。
‥でも、時には、あまりの(格差の)違いにびっくりして、親元に帰る人も居ます。‥インドネシアでは、ルピアが不安定なため、預金していた前年度分のお金は、全部USドルに香えてしまいました。
 USドルにしておけば、絶対、安全ですから‥。大司教ダトウバラ様からも‥よろしくとのことでございます。






『刑余者とともに』

〜マカオ〜
信徒宣教者 米沢洋一
 レイミッショナリー(信徒宣教者)として、マカオに来て、二年四カ月経ちました。‥間もなく、ここでの活動も終えて日本に戻ることになっています‥拙いものですが文章に書いてみました。
 (私が)マカオに来た目的は、一年間のハーフウェイハウス(刑務所を出て、社会へ再復帰しようとする人のための短期滞在ハウス)での仕事‥ということでした。‥そして、ここに来てからすぐに刑務所に毎日のように通い、今は友達である二人の受刑者の方から、地元の言葉である広東語を習いはじめました。‥翌年の八月にハーフウェイハウスに入り、‥10月に実際に刑務所を出た人々との共同生活を開始したわけです。‥小家族形態で‥計四人での生活です。
‥このハウスの目的は、このような(人の)アフターケア体制のないマカオの政府や教会に、その必要性を知ってもらうこと、地元の人へのアピール‥でした。
 ‥一年間のこのプロジェクトの間七人がこのハウスを利用しました。
 ‥いろいろなことがありました。‥もちろん、沢山のトラブルも。
 七人のうち、三人は黙ってハウスを出て行きました。
 政府関係の人、そして教会も、いろいろな人がこのプロジェクトを評価してくれましたが、積梅的に、このような福祉を‥受け継ぐという人は現われませんでした。しかし現在の刑務所長さんが興味を示し、このようなハウスを続けたいという考えを持っています。
 ただ、条件が十分に揃わず、まだ、スタートすることが出来ないでいます。
 ‥ポルトガル領であるマカオは、住民のほとんどが中国人ですが、中国とはいろいろな点で違います。人々も大陸の人と大分異なります。‥マカオには、毎日のように、‥隣の中国大陸から中国人が逃げて入って来て、ある人は警察‥に捕まり、‥ある人は運よく見つからず、警察の日を逃れながら生活しています。カトリックの国でもあるマカオ。とても、興味深い国ですが、日本人の私たちにとって、この国を理解して知るのは、そう簡単なことではないように思います。(一九八八・四・六)