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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES






『南米より、感謝をこめて!』

〜ボリビア〜
サレジオ会 倉橋輝信神父



 日本のカトリック教会より、南米の地に派遣された私たち宣教者は、強烈な太陽の下、毎日、飢えと病いに苦しむ小さき兄弟、また、色々な困難をもつ、日本人移住者との出会いがある。そしてそこには、涙とほゝえみ、よろこびと悲しみがある。皮膚病から治されて喜ぶ患者を見て、自分も共に喜ぶ神父や看護婦の宣教女、日本人移住者の住む、いくつもの集落を巡回し、寝たきりのご老人や信徒のために、秘蹟を通じて霊的糧を与える神父、貧民窟や保育園の貧しい子らに、給食を提供し、宗教々育をする宣教女など、それぞれの使命こそ違っていても、皆、祖国日本を遠く離れて異国に生活していることには変りはない。その国の言葉の習得ひとつとっても、日本人の私たちには容易なことではない。
 ボリビアでの最初の四年間、私はミサの福音朗読後、信徒に向って、「皆様、お座り下さい(トーメン・アシェントス)」と言うべきところ、「皆様、椅子を持ち上げて下さい(トーメン・ロス・アシェントス)」という間違いをしでかしていたのである。だが、なぜか、椅子を持ち上げた者は、一人も居なかったのであります!。
 また、ボリビアは麻薬でも有名な国である。麻薬の問題で、ピストルで射殺された青年の葬儀ミサ、麻薬常習者の孫に‥殺された、老婆の‥ミサの式を頼まれることもあった。次に泥棒。‥生き馬の日を盗む早さで、教会事務所からタイプライター‥ギターも‥教会ホールの灰皿までも目を離せば忽ち消え失せてしまう始末……。
 まあ、このような世界で、南米での宣教者は活躍していると思って、まず間違いない。そして、この悪戦苦斗の宣教者にとっての大きな慰め、支え、助けは「海外宣教者を支援する会」の会員の皆様肘の祈りによる霊的援助、そして、多額のご寄付による、経済面での絶大なる援助である。日本からの「聖書と典礼」「新帝書」「聖歌集」をはじめ、日伯司牧協会のための、数百万円ものドイツ製印刷機(日本の二十四倍もの広大な面積を持つブラジルに散在する日本人信徒のための月刊誌、オリゾンテ誌をはじめ、すべての印刷物はこの機械で)の購入費、南米各地で宣教活動をされているシスターや、信徒の移住者のための黙想会指導等の旅費、宣教者の足である車の購入費、維持費、施設や診療所の援助等、これらすべてが、皆様の尊い犠牲によるものなのである。
「ディオステパーゲ(神様があなたに、おむくい下さいますように)」と、心から宣教者一同、お祈り申し上げております。
 感謝のうちに。






『服部比左治会長急逝!』




 財団法人日本カトリック移住協議会理事海外宣教者を支援する会・会長フランシスコ・服部比左治氏は、病気治療中のところ、昭和幻年2月り日、午前‘時20分心不全のためご逝去なさいました。75歳。
 ご葬儀は2月加日東京・世田谷・カトリック三軒茶屋教会で行なわれました。
み霊の安らかならんことをお祈り申上げます。
 服部会長は大正2年(一九一三)1月怨日、愛知県生れ。
 昭和8年、旧制第8高等学校卒、昭和11年10月高等文官試験外交科合格、同は年東京帝国大学法学部卒。
 同年4月外務省入り、以後、イスラエル、ナイジェリア、ヴァチカンなどの大使を歴任。
 昭和53年(一九七一)に定年退職後、外務省参与。外国要人の接遇業務に従事する期間、大使の名称を与えられ要人たちの接遇に活躍された。昭和前年8月にはテルアビブに出張し、ロッド空港乱射事件の事後処理に当られた。






『故・服部会長の葬儀行わる』

 2月16日午前6時加分に亡くなった、「海外宣教者を支援する会」の服部比左治会長の葬儀が、2月却日(土)午後1時半から、東京・世田谷のカトリック三軒茶屋教会の聖堂で行なわれた。
 外交官として活躍された服部会長の生前の交遊の広さを物語るように、この日の会葬者はおよそ五百人」霊前に捧げられた供花者の中には、現職の宇野宗佑外務大臣、衆議院議員の中曽根康弘・参議院外務委員会調査室などの政・官界、学校関係、カトリック教会をはじめ各種の団体、マスコミ界、変ったところでは、森進一・昌子夫妻の名なども見られた。
 葬儀は、三軒茶臣教会のピンチ主任司祭の主式、「会」の専務理事ローシャイタ神父様をはじめ数人の神父様方の共同司式で行なわれた。ピンチ神父様はミサ中の説教の中で、服部会長の入信までのいきさつを紹介するとともに「生涯を、家庭、国家、社会、そして教会のために尽した人を失ったことは、大変な損失だ」と述べ、服部会長の徳をたたえた。そして、亡くなる前夜、服部会長が遺された短歌2首を披露した。
 病床に苦しむ我はひたすらに神の御国を幕いてしのぶこの世をば七十有余経たる今未練を捨てて神の国を偲ぶこれは、服部会長が現世に訣別するために従容として詠まれた、「遺詠」では決してない。
 服部会長にはすでに、はっきり見えていた天国の門そして神に向ってうたった「ラウダ・テ」であろう。






『第二十三回役員会報告』

 第二十三回役員会が昭和六十二年十二月十六日(水)午後六時から、中央協議会一階会議室で開かれ、次の案件について審議、決定した。
  • 「きずな」の発行=きずな21号”はクリスマス特集号として写真や海外からの手紙を多くし、16ページ建としたが、内容も充実していたとの感想などが述べられた。  きずな22号”は巻頭言は帰国中のボリビアの倉橋拝信神父にお願いする。発行は三月一日、三、五〇〇部。
    その他、国内会員の意見や感想、献金の動機などをなるべく出してもらうよう働きかけること。きずな”のバックナンバーが大分あるので、持ち帰って配布することを確認した。
  • 援助審議=(別稿)






『援助内容』

 (一九八七・十二・十六・理事会決定分)
  • ブラジル・PANIBへ=公会議公文書のまとめ10冊。新共同訳聖書5冊。フランシスコ会訳聖書大、小合せて40冊。愛といのち10冊。祈りと秘蹟10冊、及び送料約一一一、四〇〇円。
  • ブラジル・マリンガ教区。フィリピン・Sr海野へ送る中古衣料送料約五五、〇〇〇円。
  • ボリビア・サンタクルス倉橋拝信神父へ=現地教会の建物改修、修繕代四〇〇、〇〇〇円。布教活動用小型トラックガソリン代、一〇〇、〇〇〇円。計約六六六、四〇〇円。