トップ会報『きずな』2号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アジア』






『日本語教えて六年』

〜中華民国・台湾省・台北で〜
聖霊奉侍布教修道女会 山崎陽子
 海外での宣教者のための祈りの会が日本にできたということを聞いていましたが、こんなに早く、私どものために祈ってくださる方がいらっしゃるとは想像していませんでしたので、とても力強く思っています。私は聖霊奉侍布教修道女会のシスターですので神言会が経営している輔仁大学外語学部に呼ばれて、六年前にここへ来ました。今、日文科の主任をつとめています。先生は十五人、学生は一年生から四年生まで合計二一四人です。いろいろとむずかしいこともありますが、学生たちは日本語、日本文学、歴史、地理など一生懸命勉強します。
 お祈りして下さる方があると考えますと、とてもうれしい感じです。お祈りは一番ありがたいです。






『聖心の連祷で一致を』

〜韓国にて〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 尾山タカヨ
 外国で働く私共のために霊的ご援助を頂き本当にありがとうございます。「本」をお読みになって頂いてありがとうございます。私の記事は分って頂くために、思いつくままに書き、本になるとは夢にも思いませんでしたが……。こうして、私どものために暖かいご援助が頂けることを本当に嬉しく思っております。
 私から一つのお願いですが、私たちをはじめ、すべての司祭、修道者のために、イエズス様の聖心にかなった誠実な良い奉献の生活が出来ますように「イエズスの聖心の連祷」を毎日一回、ゆっくり捧げて下さいませんか?。聖心を黙想することも出来ますので、良い時間を十分でもとって下さいませ。私も喜びの中に毎日働かせて頂いております。お祈りの中に一致しつつ。






『南米』






『ことばが一番の壁』

〜ブラジル〜
聖ドミニコ宣教修道女会 中村節子 氏家喜美子
 宣教者のつどいをはじめ出発まぎわまで暖かいお心づかい、本当に有難うございました。今ブラジルの大地にしっかり足をふみしめつつ、何の戸惑いもなく生活にうち込めるのは、あの集りと諸宣教師の愛熱の息吹きとそして何時も変らぬ事務局の方々の宣教地に対する広い視野の上に立った暖かい心くばりとであった事を、今、しみじみ感じております。(中略)初春のブラジル・サンバウロ空港には、松尾神父様、長谷川神父様のお迎えを受けて一入感激致しました。(中略)十月にドミニコ会の志願院の落成式と三人の黒人志願者の入会がありました。十五年間全然入会者がなく、このまま終って行くかと思われたブラジル管区でしたが、十五年間の苦しみの中で現代社会を眺め、創立者の源泉まで遡って心を開き受け入れられた事で、新しい息吹きを感じました。(中略)今、私達は日本語学校をしていますが、私たちの近くには沖縄の方々が多く住んでおられます。移住した当時の事を、時々老人がお話し下さいますが「難儀しましたよ」と一番、言葉の通じないもどかしさを話されますが…(中略)日本語学校をしている傍ら、ブラジル人の病者の家庭訪問を黒人のおばさんと一緒にしたり、沖縄の方々の家を訪ねたりしていますが、一番壁にぶつかったのは、やはりことばでした。日本からはるか、ブラジルに思いを馳せた時は、何も構えず共存して行く…という意気ごみでしたが、現実に直面して自分を見ると、かなり、構えの強い事を反省させられます。今後とも頑張って参りますので、よろしくお願いします。
 先日日本からの電話で父の死亡通知がありました。八十二才でした。私が出発する時からすでに病んでいましたが、こんなに早く召されるとは思っていませんでした。どうぞ父の霊の安らぎのためお祈りお願い致します。






『十年間は失敗つづき』

〜ブラジル・スサイにて〜
ナザレットのカテキスタ会 小島典子
 私共はこちらに参りまして二十年になります。家庭の聖化”をスローガンにして出発いたしました。最初は先ず私共の生活の糧を得る事から始めましたが、生活経験のとぼしい私達、はじめの十年は殆ど失敗の連続。この苦しみの中に移住の方々と同じ苦しみを味わった感で、大変貴重な体験でした。そして十年前、結局、私共の出来る仕事、日本での経験あり、幼稚園を始める事にして今日に至りました。この間、日本人の方々に喜ばれ、年々、園児の数が増し日系の信徒の方々、幼椎園の父兄、家庭と知り合い、巣立って行った子供達の初聖体、洗礼、両親の回心、結婚等々、幼稚園の仕事を土台として、私共の宣教の仕事が動きはじめ、今では、とても働き手が足りない状態となりました。
 幼稚園は只今、園児数は百五十名、四つのクラスがあります。日本語クラスが二つ、ブラジル語のクラスが二つです。
 私共の修道院はスザノの町から6キロの田舎にあります。約四万uの土地の中に、私共の家と黙想の為、将来、花嫁学校を目的としている建物、サロン一棟、食堂一棟、宿舎が一つ出来ています。もう一棟、宿舎と中央に聖堂を建てる予定でおります。
 幼稚園はここからスザノの町の方へ3キロほどのところにあります。毎日、ここから幼稚園へ仕事に出かけて行きます。
 只今、姉妹の数は私共日本から来たものが四人、ブラジル生れの人が一人計五人です。神父様はドイツ人で日本で十二年働いて、こちらに来られました。どうぞ、お祈り下さいませ。働き手をたくさん頂けますように。






『二年で地球を3周分』

〜ボリビアにて〜
サレジオ会 司祭 倉橋輝信
 『ボリビアは周知の如く多くの問題を抱えた国ですが、特に一年前より、ここ数十年に見られなかった経済不況に見舞われています。物価は十倍、それに反して公務員の給料は三〇%アップのみ。
 その上、農作物は政府より定められた安い値で買い取られていくという悲劇に、農民、とくに日本人移住者は苦しんでおり、入移以来最悪の状態におかれています。従って、そのような状況下で宣教に従事する宣教着たちの経済面での困難も例外ではありません。
 私は今、モンテーロ市のサレジオ会経営の中、高校で働く傍ら、司教活動を行っていますが、参考までに司牧の範囲を記してみますと、モンテーロ(私の居住地)から、サンファン移住地まで片道(以下同)100キロ、オキナワ第一、50キロ、オキナワ第2まではさらに20キロ、サンタクルス(日本人移住者、とくに青少年)まで50キロです。この二年半で13万キロを走り、走行距離は地球を約三周したことになります。』






『嬉しい宣教者たちの連帯性』

〜ハイチ〜
クリスト・ロア宣教修道女会 須藤昭子
 チリン、チリン電話が鳴る。ハロー、シスター須藤ですか”受話器から美しい流ちょうなフランス語の声が聞える。これはシスター・ジャクリーヌの声。ハイ私です。なんですか”今、総合病院のデポー(物置)に重症の結核患者がいるので引きとって下さいませんか”承知しました。ではね”。これは彼女と私の間で時々交わされる会話である。シスター・ジャクリーンは、マザー:アレサの会のフランス人のシスター、いつもにこにこして活気のある若いシスターである。チリン、チリン”ハロー!シスター須藤”、こんどはクレオル語である。いまから救急車で患者をつれていっていいですか”。声の主はシテ・シモン(スラム街のある地域名)の聖ビンセンシオ愛徳姉妹会のシスター・イザベルである。彼女はスペイン人でフランス語を話さないので、私との会話はクレオル語である。中年のよく太って、張切りやさん。
 シグノ・サナトリウムには、シテ・シモンからいつも多勢の患者が送られて来る。必ず疥癬と貧血を合併した重症結核患者である。
 宣教地に来て働いて、私の一番嬉しく感じたのは宣教者たちの連帯性である。人口の80%を占める貧しい人々の世話は到底誰の手にも負えないものである。ほんの一部の人々を世話するのにも、いろいろの修道会が助け合って世話をする。例えば、私とハイチ人のシスター(聖テレジアの小さい姉妹会)は、送られた人々の世話をし退院後はシスター・ジャクリーンやシスター・イザベルが看とる。
 丁度、九月に浜尾司教様がはるばるハイチまで私たちを訪問して下さった時(中略)シスター・イザベルは、浜尾司教様がスペイン語を話されるので大喜びで、スラム街の中を案内して下さった。私はこれまで数回ここを訪れたことがありながら、ここの人々があのボロ家に住むのに家賃を払わなければならないのだと知らなかった。全く貧しい人々が、どんなに生活するのに苦しんでいるか、想像をはるかに越えるものがある。
 ハイチに来て間もない頃だった。私は、なにかの集りで、ヴィラ・マンレーズに行った時、昼食時に偶然に坐った八人のテーブルは、なんと八人が全部別の国籍の人たちばかりでした。レバノンを追放されて来られたベネディクト会のフランス人とイタリア人の神父さま、カナダ、スペイン、ハイチ、日本人のシスター、スイス、ドイツ人の在俗修道会の方、私はその時、大きく目が開いた気がしました。宣教地で働くことが、全く教会から派遣されて教会の一員として働くこと以外の何ものでもないと感じたのです。
 教会のすばらしさ、偉大さを垣間見た気がしました。






『アフリカ』






『体内に虫が巣くっていた少年』

〜シエラレオネ・ルンサで〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 シエラレオネはじめ西アフリカの国々では二月から四月が一年の中でも一番暑く、まさに焦げるような毎日になります。しかし人々はこの乾期の方が雨期より好きです。それは刈入れの時でもあるからです。雨期の間は食べるものがなく、ひもじい思いをする多くの人々も、乾期には一日に一度は充分食事を頂けるからです。(中略)
 しかし赤ちゃんの死亡率は50%です。その原因の第一は、栄養失調、マラリヤ、不衛生な処置からくる破傷風です。これは赤ちゃんはほとんど家で生まれ、きちんとした助産婦を頼まないこと、土地のクリニックも消毒が行届かないことなどが原因で、Sr鶴田が助産婦として働く病院に赤ちゃんが運ばれて来ても殆ど手遅れというケースが大部分のようです。
 私の働く高等学部は九月から新学期が始まりました。いずこも同じ入学風景がみられますが、日本と少し違いますのは、年老いた父親が頭に赤ちゃんのような帽子を被ってやって来ます。おもむろにポケットをさぐり、汚い古靴下の片方をズルズルとひっばり出します。と、その中には大切に入れて来た入学金8レオン(ドル)20セントが入っているのです。高等部ともなると、一年間の学費、教材費合せて約二五〇ドルはかかります。貧しいこちらの人にとっては大変な事なのです。小学校(義務教育でない)を終り、選抜試験を通過してこと高等学校に入るということは、日本で云えは大学院に入るくらいの。パーセンテージになります。ですから親も娘に大きな期待と誇りを持ってやって来るわけです。(中略)高等部は一年生一三〇名、二年八〇名、三年六〇名、四年三五名、五年一五名と、最後の五年に到達するのは約二割の生徒でしょうか。
落第を繰返し十年かけて五年生に辿りつく娘もいますし、二年、三年と落第しているうちに結婚して離れていく生徒も多く、最後まで頑張る生徒はやはり家庭のしっかりした娘が多いです。貧しい娘たちは、いろいろの困難と誘惑があります。「本が欲しい…お金がない」そこで、シュガー・ダディの所に行く。このシュガー・ダディとは売春と同じことで、お金を頂く代りに娘はその代償を払わなければならない。この悪から救う唯一の方法は成績のよいしっかりした娘の里親になって頂き学資を手伝ってあげることです。
 私達の所で働く一人の少年は12才の時初めて修道院を訪れました。痩せて、目もよく見えないようでした。(中略)眼科医に見せたところ、何千匹もの虫が体内に巣を作り、その巣がおできのように体中にふき出して、ほっておくと虫が視神経を食べてしまい失明するとの事でした。何回かにわたって手術を受けさせ、彼はすっかり虫を退治し、体も逞しくなり、洗礼も受けました。生れ変った彼は必死に勉強をはじめ、七年間の小学校教育を一年でやりとげました。現在、彼は毎朝食事にやって来、食事がすむと高等部の制服に着替えて嬉しそうに学校にでかけます。(中略)
 私は聖旨によってアフリカで働いています。いつまででしょうか。主の望まれる時までがんはります。主の中に喜んで―。






『宣教地からの]マスカード』

 クリスマス、新年にわたって、各宣教地からメッセージが寄せられました。ありがとう。
ブラジル
▼深堀光子(聖母カテキスタ会)「雨期で毎日雷雨の音を聞きながらNATALの準備をしています」
▼中島邦(同)「私の働いている所は、サンパウロ州第2の首都リベロンプレット市から40キロ奥地の日本人集団移住地です」
▼佐藤和子(マリアの宣教者フランシスコ)「皆様の祈の一致を考えた時、心から力を与えられます」
▼野村月子(シュエンスダット宣教女)「私はサンパウロから約70キロの所で、日系一千家族の中で働いています」
▼高澄子(愛徳カルメル)「マリンガには沢山の日系人が居ます。日本の教会のニュースなどお知らせ下さい」
▼氏家喜美子(聖ドミニコの宣教)「この国で日系人のための日語学校をしながら宣教の仕事に励んでいます」
▼宇田初枝(長崎純心聖母)「ポイア・フリアの子供たちを預かるクレッシィで0才〜14才まで毎日70名余りの子供たちがやって来ます。月に一度はシラミ退治もします」
▼佐々木パスカル、佐々木美代子、佐々木光子(マリアの宣教者フランシスコ)「南十字星の下、多くの困難の中で毎日を捧げて働いています」
▼赤塚洋美(宮崎カリタス)「私、布教者として益々希望を頂きました。ありがとう、オブリガード」
▼下田リエ子(同)「来年三月でブラジルに来て満四年です。よりよい宣教女になることができるようにと一所懸命です」
▼大場加代子(ベタニア)「ご親切にお便りと日本の切手をありがとうございました。はじめてお便りを頂いたような気がしません。何年も前からのお知り合いのような親しさを覚えます」

パラグアイ
▼宮入きわ子(聖霊奉侍布教)「新しい年が皆様にとって主の恵みの年でありますように」
▼林静子(同)「石神司教様もお元気で移住者の為にご活躍とのこと、本当に有難く存じ上げております。

フィリピン
▼小野島照子(援助)「貧しく抑圧された人々に取囲まれて心痛む日々です」
▼千葉桂子(聖心侍女)「フィリピンの人々の正しい信仰生活の為にお祈りを」

ポナペ
▼勝部郷子、木村和恵、斉藤高子(援助マリア)「ポナペの生活も二年を過し苦労はありますが少しつつ根付いています。小さなことを忠実にすることの積重ねを感じます。お手紙で勇気づけられます」

インドネシア
▼服部篤子、中野かおる(ご聖体の宣教クララ)「私たちの為のお祈りとても嬉しく存じます。海外移住協議会の方々によろしく」

ベニン
▼道下美和子、野間順子(マリアの御心子女)「暑土の中での4年間のクリスマスは素晴らしく、貧しい国の人々と共に幼きイエズス様をお迎えしたことに大きな意義があります」

エジプト
▼島村哲子(マリアの宣教者フランシスコ)「私の居りますアレキサンドリアは非常にヨーロッパ的な大都会ですが裏町には日本で考えられない程の貧しい人々がいっぱい住んでいます。でもエジプト人は大らかで朗らかでとても人間的です。神に全てを托して生きている姿は学ぶべきものがあります」

(♯紙面の都合で「修道(女)会」の字句は省略いたしました)