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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『中米』






『毎年の台風に…人々は貧しく』

〜ハイチ〜
無原罪聖母宣教女会 本郷幸子
 …六月二十八日、モントリオールを発ち…ハイチに参りました……この国での第一の適応とか…それは、一週間目に下痢を起したことです。日本で頂いた梅干を何回か口に入れて、体力の衰えを防ぎました。…飲み水は……過したものを飲むように云われて…外に出かける時は、必ず、プラスチックのジャーを持参します。…ハイチの第二の都市ケイ市(人口12万)は、…昔は外国船も寄港した港町というのに…湾口に船か座礁していて…さびれた港町です…六月に大きな台風に見舞われ…水害で80人〜00人以上が死亡…養老院、診療所、学校なども浸水(しました)…毎年のようにこの状態が繰返されているのに誰も改造する人もなく、貧しい人が置き去りにされているので、胸を痛めます。…新しく赴任した宣教者のために、インクルチュラションのセッションが、八月八日から一カ月に亘ってありました…新しく生れ変ろうとしているハイチの優先は、何をおいても人間の尊厳が優先されなくてはならないことを痛感させられ、中でも、医療と教育が急務のようです…セッションは教区運営の農民教育施設で行なわれました…電気は夕方七時から十時まで自家発電で灯されるだけ。…水は雨水をためたもの…飲み水はそれに薬を入れてこしたもの…建物は雨風を凌ぐだけで網戸もなく、蚊、はえ、夜はコーモリ、くも…などの訪問を受け……キャンプ生活と同じで、生活の知恵を試された三十日間でした。おかげで、無いもの尽くしで過せる自信もついたようです。








『アフリカ』






『砂遊びを知らないこども』

〜マダガスカル〜
マリアの御心会 中村洋子
 …先日…農業専門家で、ペール・ド・ロラニエという方がいらして……お話ししました。「洋子、何か新しい事をする時は、四年見ないと駄目だ」と云われました。マダガスカル人は、アジア的で人あたりが良く、何か説明すると「ウイ、ウイ、ウイ」というので、分ったかと思うと、何も分っていなかったということが常。同じことを十回云ってもまだダメ!‥とにかく私自身、神様に、こんなに忍耐して成長を待って頂いているのですから、大きな顔出来ないと思い至っています。この数カ月間…考えていたことは「物を与えること」から脱皮するこ、と。…朝・昼と食事に来る5歳までの子供たちの教育と、付き添ってくる親達のの養成を思っていました。子供たちには、まず砂場を子供の親達に作ってもらいました。…子供たちをその砂場に入れたのは良いのですが、遊ぶことを知りませんでした。20分間も30分間、もジーッと坐っているだけには、私も驚きました。でもやっと今頃…何か分らないけど砂の中で何かやっています。
 …また天才的な音楽好きな子供たちに、歌とダンスを教えています。…先日、商社の方が帰国することになり、ピアノを売って行くと聞いてとびついてしまいました。先日…突然の援助のお願いをして驚かせてしまいました。ご無礼をお許し下さい。






『一日を奇蹟的に生きる』

〜シエラレオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …こちらルンサは、人々が申しますには「シスター、私たちは一日一日、奇蹟的に生きています。食物を買うお金がありません。どうして過せるか、明日も知らない毎日です。神様に、今日、生かして下さいと必死に祈っています」物価の値上り、給料は雀の涙ほど…沢山の税金…一カ月のサラリーでは五日も食べていけない…さらに給料の未払月も度々で、人々は飢えています。増えるのは伝染病(とくにコレラ)と泥棒ばかり、大変困った状態になりました。…教会の聖室も賊に壊され開かれたまま。そして、三日前には、とうとう私共の休んでいる修院の…二階に数人の賊が入り、タイプやラジオなど、かなり盗んで逃げていきました。私ども以上に人々が私共の身を心配し、今では、修院の周りを、夜、二人の武装警管が守って下さっています。貧しさが極まで来ております…一日も早く先に立つ人々の目が開き、国が発展するようお祈り下さい。






『国中にもはや薬は一つもない』

〜シエラレオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 鶴田順子
 …現在、シエラレオーネの状況は、経済的、行政的にも悪化の一途の観があります。毎日、一ドルが28レオーネ、または35レオーネと不安定な状態です。五年前は一ドル一・二〇レオーネでしたから、現在の状態は異常です。…三日前PORT・LOKOという町にある国立病院長が、私のZ・P・Iと呼ばれる予防接種課に立寄り、「国中の国立病院には、もはや薬は一つもない。このマベラセネの病院だけが働いている」と云っていました。…いま、私の居るマベラセネの病院、そして予防注射棟は、実債的にボルト・ロコ県の中心になりつつあります。一年前、国に頼みましたワクチン保存用の冷凍庫、いまだに修理出来ず、届きません。…スペインへ一時帰国するブラザーのドクターに頼み、もう一つの冷蔵庫と安全装置器等購入し、コンテナで送ってもらうつもりです。この国では、いまのところ、コンテナだけが、安全に目的先に届くようです。……この国の人々の生活も、一日一日苦しくなっています。私たち自身の生活も同じです…新大統領の公約の中に、道徳の立直し、乳児死亡率の低下のために、予防注射の促進というのがありましたが現実は、なかなかうまくいかないようです。五月に大統領が予防注射課Z・P・Iを訪ねられた時、彼は「これは、とても重要だ。働きに感謝する」と仰言っていました。(10月9日)






『辛いもてなし…ついにじん麻疹…』

〜ガーナ〜
神言会 菊地功
 …私は八月十五日、ガーナの首都、アクラ市に無事到着しました。
 生まれてはじめてのアフリカは、コトカ国際空港の群がる人込みで私を迎えてくれました。…早速、翌日には、ガーナ入門のコースのはじめとして、ガーナ人会員ガブリエル師と共に、ボルタ湖(ガーナ東部の世界一の人造湖ダム)西岸の町、アセセワの教会へ出かけました。…アセセワの教会は、周囲の村落に、いくつかの巡回教会を持っています…教会以外の建物は、学校と村長さんの家しか見えないのですが(ミサをたてに行ったところ)時間が経つにつれて何処からともなく人が集まって来ました。村落は森の中に隠れるように広がっているのだそうです。…生れてはじめてのランプの光でのミサでした。…村の家を訪ねると、伝統に従って、必ず水と食事を出されます。多くの場合、ヤムイモの蒸かしと、パンクウカフフというカサバや、(いも)とうもろこしをついて蒸かした餅のようなものを、魚の煮つけのスープに浸けた…食事です。ところがこのスープが怖しいはど辛く、しかも村の水は…おいそれと口にできませんので、じつと耐えなければいけません。一日に数軒回った時など、口から火を吹く勢いでした。とうとう一週間目にじん麻疹です。…ガーナでの主な神言会の動きは、小教区司牧、技術学校、小中学校の運営、邦人司祭養成、井戸掘り…といったところです。
 …また日本と違って…備品がなかなか手に入らないため、技術学校木工コースでブラザーの指導の下に、それらを制作しています。
 丁度、現在、修練院を新築中ですが、その日その日に必要なセメントを手に入れるのが精一杯で、工事がなかなか進まないそうです。
 ドアや家具は、すべて技術学校で制作していますので、まだドアがつりていない部屋や…階段の手すりが無かったりしますが、時間切れで、すでに修練士が生活を始めています。…(8月31日)






『南米』






『11人の子に、さらに捨て児も』

〜コロンビア〜
汚れなきマリア修道会 郷司道子
 こちらに参りまして8カ月過ぎたところで、新米です…私の住んでおりますところは、メデリン市内からバスで約40分ほど登った山の斜面にある…サント・ドミンゴ、サビオという大変貧しい地域です。大部分の人達は職がなく、飢えています。ここで五名、スペイン人のシスター達と一緒に生活しております。五名のシスターたちは、一人が保育園、三名が小学校、あとの一人が中学で教えており…(先生たちの)給料は政府から支給されます。でも、学校への援助は何もありません。子供たちは月5ペソ(約四円)払うことになっております…生徒は保育園二五〇、小学九〇〇、中学一五〇名です…授業は二部で、夜は夜学の生徒となっています。
 私は学校へは一日だけ…あとは修道院の回りに住む人たちを訪問して…おります。…先日も一軒の家も訪れました時…「シスター、昨日も今日も何も食べておりません。明日も食べるものがないんです」といわれ…すぐ修道院に戻り、米、じゃが芋・野菜等を買い与えました。…他の家…では子供11人で、父親の動きは鉄くず拾いで毎日の収入は少なく…熱がある赤ちゃんに薬を買う金もなく、お腹が空いたと泣く子…小さな小屋の中で蜂の巣をつつついたような騒ぎでしたが…その母親は町に出た時…川沿いに捨てられた捨児を家に連れて帰りました…11名の子供でも多すぎるのに、捨児を自分の子供として育てようとする心は、とてもきれいで、真似の出来ないことたと思いました。…






『施設へパンミキサーを寄贈できた』

〜ペルー〜
三位一体聖体宣教修道会 斉藤万里子
 …皆様からの御厚意のお蔭で、リマ市立の特殊学校(耳、口、身心に障害のある子を収容)に製パン用のミキサーを購入、寄付する事が出来ました。ペルーナショナルからもご寄付を頂き、当方のボランティア活動で古切手やクリスマスカード、古着等を売ったお金を合せて購入し輸入品はあまり高価で無理でしたのでペルー国産の品を求めました。学校では盛大に祝別式をして下さいました。私共のシスター(ペルー人)アデラの司会で「みことばの祭儀≠ェはじめにあり、加藤神父様によって祝福して頂きました。学校側では、感謝の心を表わし、児童の作品展示会と民族衣裳を着た子供たちの踊りや感謝の言葉の寸劇など、全然耳の聞えない子供たちなのに、先生の合図で上手に、一生懸命に、私どものために催しをして下さり…生徒が作ったパンやクッキーで乾杯して、盛大な贈呈式をして頂き…ました。…私どものボランティアグループも、最近、少々元気がなくなっておりましたところにこのお恵みを頂き、また、皆、張切って、新たに元気を回復して働き出しました…ペルーの、この不自由な恵まれない子供たちに代り、厚く御礼申上げます。…








『手づくりのバラでお祝い』

〜ブラジル〜
聖心侍女修道会 日高和子
 …八月末に私たちの共同体で、10歳〜16歳の子供たちが初聖体を受けました……私はカテケシスの担当で、カテキスタを指導する傍らこの子供たちには去年のクリスマスに聖劇をさせたりして、親しみを持っています。初聖体に先立ち、子供たちの一日の静修を私達の祈りの家で行ないました。いつもは神父様が指導して下さるのですが、今回はお忙がしくて、私がしました。…ブラジルでは八月最後の日曜日が「カテキスタの日」になっていますので、初聖体のミサの中で、どのようにカテキスタを祝うか…(この)カテキスタへの感謝は、我ながらケッサク!、子供たちの両親は経済的に豊かではありませんので…「…高価なものでなく…私たちの感謝の気持を……シンプルな形で示したらどうか」と話したところ、一人の母親が、「イルマン、バラの花一輪あげたら」と提案しました。私が「一輪いくらくらいするのかしら」と言うと「千三百クロゼールはする」ということです(最低賃金は約八万クロゼール)。私は驚いて、「それだったら私が作るワ!」ということになりました…私は飾りつけのために作った花の残りのやわらかい赤い紙で……赤い五輪のバラを作ることになりました。…自分で作るのは始めて(です)……。
 …ところがです。これがまた立派に出来上ったので私は自分で感激して、「これ、なかなか良いじゃない!売っているのと大した違いはないんじゃない!一と、鼻高々で…シスターたちに宣伝しました。
 (そして)式は、幸い、何の支障もなく、喜びのうちに終えました。






『アジア』






『一年に六千人の信者誕生!』

〜インドネシア〜
御聖体の宣教クララ修道会 服部麗子
 いつも”きずな”を送って頂き、楽しく、また、読むたびに大変励まされて、心から感謝しております。こちらは毎日暑いですが、とくに、十一月はものすごい暑さで、これが終ると雨期に入ります。
 私は、一昨年まで、チモール島で動いていましたが、ローマから帰ってからは、スラバヤで動いています。
 …十年以上滞在している外国人宣教者の滞在ビザが、今、問題打なっています。こちらでは、邦人司祭の養成に一生懸命ですが、信者は増える一方で、司祭の不足は目に見えています。このスラバヤでは、一年に六千人の信者が誕生します。(10月5日)






『アフリカ・レポートIII』

〜ペナン〜
国際協力委員会 ・秘書 梶川宏
 …ペナンのボヒコンの婦人教育センターをしているマリアの御心会の修道院には、シスター道下が動いています。…センターの裏に診療所があって、しよつ中病人が薬を官見いにやって来ます…検査室には机と一台の顕微鏡があるだけでしたが、Sr道下は時間が足りない程、一生懸命動いていました。…この診療所をみると、子供達がマラリアや破傷風でどんなに苦しんでいるかが分ります。…この国の幼児死亡率は高く30%だそうです。ここでは政治と宗教の緊張は直接的にはあまりありません。しかし、学校などは、皆、国営になりました。
 十一月二十九日
 ホーン語でのごミサに加わり、私もどミサを捧げました。歌は日本の子守唄のように、ゆったりした哀愁を帯びた歌でした。…またその反面、非常にリズミカルでタムタムに合う歌もあるそうです。今日は…小さな村で行われる栄養教育の現場に行きました。……大きな広場のような所にお母さん通が四十人集まっており…人はどんど仙ん増えつづけています。この人々に魚粉と大豆を配りはじめました…子供達の体重測定をし、基準に達していない子供達は診療所に送られます。
 十二月一日
〜アフリカ滞在最後の日〜
 今まで行ったことのないような、やぶの中にある村に行きました。
 …殆ど文化的なものが入っていないというその村…砂漠を走り、河の畔から丸木舟に乗り、やっと着きました。村の人々が私達を迎え十字架を先頭に踊りながら、シュロの屋根を葺いてある集会所に着き、そこでミサを捧げました。…奉献の時、見事な踊りでその奉献の心を表したのには感激しました。…(ここの)神父様はフランス人なのですが、…種族が違うので、村に入れないとのことで、ここに苦悩するアフリカがあるように思いました。
 ミサ後、バザーをするというので見ていましたら、競売なのです。
 まず、はじめは水一杯…二千円の値段がつきました。もちろん、これは寄付のためですが、いろいろな物が競売されて、みんなにとってはお祭りのようなもので、一緒に楽しんでいるようでした。
 村の人たちが、私たちに食事をふるまってくれました。御飯、トカゲの肉を入れた辛いものでした。バナナ、さつまいも、とうもろこし、ズボン、スカート、ロザリオなどが競売に出されていました。
 男性と女性の経済力は、女性も市に行って物を売ってくると自分の費用になり、男性も働くと、男性の費用になるということでした。
 生活費は女性が出し、学費など、公的なものは男性が出すそうです。
 したがって、女性は働きながら仕事をしなければならず、大変苦しいのだそうです。
 いろいろな人との生活、いろいろなアフリカ、それは私に世界の広がりを感じさせました。私のこの旅行を通して、観光客としてで、はなく、人と人との出会いとして過せたのは、Sr野間とSr道下のおかげだと思っています。彼女達がいろいろ計画して下さったから。
 アフリカの一番大きな問題はキリスト教が土着すること。第二は開発の問題。もう一つは健康の問題。アフリカは病んでいるわけではありません…栄養不足や飢餓の問題などこれらの原因を考えなくてはなりません…第二の開発の問題は、宣教師側からみた開発と、政治上の開発とでは、大きな開きがあるように思います。彼らの大きな問題は治水です…アフリカの国々が助け合いながら、開発に関わっていくことが大切だと思いました…また、アフリカの国は地域的にいろいろ違いがあることを知らなければならないと思います。
 ……多くの価値を蓄えている大陸アフリカ…が、東西間の政治的一緊張によって…分裂に追いやることのないように願っています。…宣教師たちがアフリカを愛し、アフリカ人を愛して、彼らの統一を心から願って働いてほしいと思います。
 彼らの中で、彼らと共に生きる喜び、価値を発見して欲しいと思いました。……(終)