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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『新任地で、若い姉妹と共に』

〜マダガスカル〜
マリアの御心会 中村洋子
 三カ月の休暇を日本で過し、一カ月パリで霊的養成を受け、一月六日パリを発ちマダガスカルに着きました。人々はすでにマダガスカルはご存知だから慣れていらっしゃる…とおっしゃりながら、励まして下さいました。……一度見て、知っているだけに、三年の宣教はきついもの。皆さまの目に見える、見えない形で祈り、支えて下さる―このことを信ぜずに、生身の人間にとって実現出来るものではありません。パウロではありませんが、人々の祈りで、私は、今、ここに存在している、生かさせて頂いていると信じています。
 少し付け加えさせて頂きますと、私は、一週間ぐらいタナナリブに滞在して後、新任地アンチラベに行きます。あちらは養成の家、いわゆる私達のマダガスカルの修道院修練院です。若い志願者、修練者達と生活するわけで、修道者としての先輩…いつも欲ばる私、……何を若い姉妹から教えていただけるかと大いなる期待と希望に満ちて行って来ます。






『ウガンダに平和を!!』

〜ケニア〜
聖心会 寺田和子
 …皆さまのお祈りに支えられて、六回目のクリスマスとお正月をケニアで迎えることが出来ました。ケニアは今のところ平和なのですが、隣りの国・ウガンダは、七月末のクーデター以来(というより、独立当時から)内乱で大変でした。…が、元ゲリラ側のリーダーが国首となったので一応落ち着き、平和の兆が見え始めました。
まだ、一部では戦っていますが…ウガンダの平和のためにお祈り下さい。(一九八六・一・三一)





『自転車入手に走り回る』

〜ガーナ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木志津
 …待ちに待った嬉しい便りが、日本管区の会計…から届きました。
 …私のお願いしました、Youth Leaderたちへの自転車の配給をお受け下さいまして、ありがとうございます。自転車を入手すべく、いろいろ走り回っているのですが、時間がかかりそうです。来週、もう一度…町まで出かけて交渉しようと思っております。…今日、ガーナでは、物価は日毎に価格が上ったり、ストアは物をストックしたり、安いのは郵便料金くらいなもので、これも、すぐ変るでしょう。…WAのBishop GREGORY KPIEBAYAにも、早速、自転車の件をお話しし、共に喜んで頂けました。いろいろ話し合った結果、価格の1-3を各自が払い(一九八六年度末までに)、その1/3はParish Youth CouncilのFundに入れ、約三年のサービスを約束することにしました。残念ながら、自転車が手に入ると、とたんに教会に来なくなり…というケースがあるらしいのです。…丁度、JIRAPA Parishが二つに分かれ、B00という新しい、PARISHが本格的に動き出した時なので、新しいB00を助けるためにも、自転車を数台、分けることができます。
(一九八六・二・二〇)





『大統領も満足』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …いつも、力強いご支援を本当にありがとうございます。今、ルンサは座っていても思わず「フウ!」とうなりたくなるような暑さです。乾期も六カ月となりますと、殆どの井戸の水が乾いてしまい、深刻な水不足となります。…シエラレオネには日本大使館はありません。隣国リベリアの日本大使が、シエラレオネも受け持っておられます。ところが昨年十一月にリベリアでクーデターがあり、国交が断絶してしまいました。そこで、手紙一つ通じない不便な状態にあります。…幸いに、シエラレオネは平和のうちに政権交代し、新しい大統領が就任しました。…先月、大統領はルンサに来られ、私共の中学、病院(Srルイサの働く)を訪問され「こんなブッシュの中に、こんな素敵な学校が、しかもイギリスの助けを借りないであるとは」と、大層、満足して帰られたようです。カトリックミッションに心から感謝しているとも申されました。ここシエラレオネには、たった七人の日本人しかおりません。そのうち四人は統一教会の宣教師家族で、フリータウンにいるそうですが、会ったこともありません。あとの三人が私たち三人の修道女なのです。そんな訳で大使館も無いのでしょう。…ご援助頂いているエリザベトは今、四年生で、元気に寄宿生括を続けております。四年の勉強はかなり難しく…大変なようです。(一九八六・四・六)






『アジア』






『シスターは縫製工場へ』

〜フィリピン〜
イエスの小さい姉妹の友愛会 前田トシ子
 …私は、こちらに来て、九年経ちました。国際空港の近くにあるスラム街に小さい家を借りて、二人のフィリピン人シスターと生活しております。二カ月前に、二畳足らずの小さい聖堂を作り、毎日、午後からは御聖体礼拝があり、この町内に住む貧しい人のために、失業者、病人たちのためにお祈りしています。一緒にいる一人のシスターは女性の下着猿を縫う工場に勤めています。六カ月の臨時より本採用されました。一人は家内工業の幼児の衣服を縫う工場で、半日勤めています。非常に低賃金です。二月七日の大統領選を前にして、話題が必然的に選挙に向けられます。この国を現状から救い得る人物が選ばれるようお祈り下さいませ。…前回の地方選では、投票が始まった時点で投票箱が一杯になっていたとか…。今回の選挙は世界中に注目されていることと思います。……真の正義と平和の、良き訪れ…フィリピンの教会の心ある信者と心を合わせて祈りと犠牲を捧げて下さいますよう、お願いします。(一九八六・一・四)






『大統領・変革願う国民』

〜フィリピン〜
援助修道会 勝谷久子 小野島照子
 …いつも支援する会の皆さまの支えを感謝しております。…今、大統領選挙を前に、国民もさまざまの動きを示しています。…マルコス派、コーリーを支持する人、選挙ボイコットと、はっきりと分れている中で、毎日、交わっています。長く続いたマルコス政権による抑圧で、今、国民は力を合わせて変ることを願い、祈り、行動しています。…選挙のあと、物価は値上りし、生活はもっともっと、厳しくなると云われています。いずれにしても、苦しい道を歩まされているフィリピンです。貧しさと戦い、安い労働力に甘んじなくてはならないフィリピンの人々が、一日も早く、人間として、自由に平和を楽しむ日が来ることを心から願っています。レベリサのスラムのお母さん方も、今も、タオルやナプキン作りに励んで、生活を支えています。ナプキンもセット(6枚)で千円です。各色あり、とても布も良いものです。…タオルも協力して頂けるようでしたら、また送らせて頂きたいと思います。(一九八六・一)






『ギバンに新クリニック建設』

〜フィリピン−イサベラ・コミュニティ紙「レインボー」から転載〜
聖母訪問会 山下正子
 …日本のカトリック医師会を主軸として、カリタス・ジャバン・カトリック新聞社を通して広く日本の皆様に呼びかけて頂き、多くの善意の方々の心が集まって、イサベラ州のギバン村に「レフアラル・センター(ギバン・クリニック)」が建設されました。単なる病院、診療所と少し異なった、保健衛生に関する新しいシステムのセンターとして二月に開院。イサベラ教区の企画として一九七五年より始まったCBHP(共同体に基いた保健衛生プログラム)は、ヘルスワーカーの教育、訓練、アフターケア・サービスと三つの部門に分れ、スタッフが各々の部門で、このプログラムを推進しています。
 このレファラレルセンターはこのプログラムの実りとも云えるもので、サービス部門の診療所の検能を果たし、また、スタッフを含めたヘルスワーカーの教育、訓練の場ともなっています。ふつう、大体25ペソ(一ペソは10円)といわれる初診料を、このセンターでは安く、5ペソ〜10ペソにされているので、日に日にセンターを訪れる患者も多くなっています。






『ギバン保育園のはじまり、はじまり!!』

〜フィリピン〜
聖母訪問会 信徒宣教者小田美恵子
 毎朝七時すぎ、朝食のパンをかじっている私の耳に、子供たちの明るい声が飛びこんで来ます。八時から始まる保育園に集まって来る子供達の声です。昨年四月、イロカノ語の研修を終え、この村に保育園作りのために来てから十カ月、一軒々々家庭訪問しての家族調査からはじまり、今年の二月十日、やっと開園へ漕ぎつけました。
毎朝八時から十時まで二十四人の子供を保育しています。といっても言葉のギャップは大きく、名前を聞いたつもりが「ごはん」という答えが返って来たりすることも屡々。…この保育園は、イラガン教区のギバン小教区に属していて、この村と隣村の貧しい家庭の子供(六歳児)を対象にしています。村には保育園はなく、13キロ離れた町まで通わすことの出来る家庭は、この村に、二、三軒しかありません。…保育園、幼稚園といっても、こちらでは小学校の予備校のようなもので、字を教えたり、算数を教えたりするのが主のようです。しかしこの保育園はイラガン教区の意向のもとに、勉強というより、ゲーム、唄、お話、お祈りなどを通して、人々との関わり方、腱康管理、宗教、道徳などを身につけ、ひとりの人間として、また共同体の一員として成長して行くことを目的としています。
 …今まで狭い社会で生きて来た子供が、ここに通うようになり新しい人々、社会と出会い、変ってゆく姿には目を見張ります。
(一九八六・三)






『農業協組合作りに六年』

〜フィリピン〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 海野常世
 …昨年九月五日付で二つの、日系人の多く住む二つの村に農協を作りましたのが、フィリピン政府から認可されましたので、ホッとしたところでございます。…マニラの日本人の住む町に、夜十時頃バギオを出て、小さいトラックで(五時間)、マニラに直売に参り、途中で睡眠をとり、また、次の日、夜出て朝帰ります。あちらの方は何より、日本の野菜と清潔さを喜んで下さいます。でも、日本の野菜の種子を手に入れるのは大変です…何とかお願い出来ますでしょうか。…農業組合を作りますまでに、共同″ということを教えるために六年間かかりました。…自作農で種を播いて収摩し、市場に収めるまで、自分でしなければならないのですが、共同ですることは損をするように考えるようなのです。やっと、利益が少し出て来て、わかって来たようです。
(一九八六年・一・二三)






『二人のシスターが会うのに汽車で四十時間』

〜インド・ボンベイ〜
聖心侍女修道会 中出敬子
 いつも「きずな」をありがとうございます。私は、インドのボンベイにある知能障害児のための学校で働くようになって今年の七月で十年になります。インドへの入国は、数年前から厳しくなり、日本人のミッショナリーは、南インド・コチンのSr石原と私の二人きりです。…日本の九倍の面積を持つ大きな国ですから、お互いが会うためには、汽車の掟で四十時間、夏休みを利用しようと思うと、三カ月前から切符を予約しないと、席はとれません。それで、南のケララ州には、今までに一度しか行ったことがありません。
 今年の二月、教皇様がこのインドの地を踏まれ、十日間に十四の都市を訪ねられたことは驚異的でした。各地で平和、愛、一致のメッセージを残して下さった教皇様のお姿、力強いお声を忘れることができません。ヒンズー教徒釦多、回教徒10帝のインドですが、教皇様の平和へのアピールは人々の心を動かし…どこも人々で埋めつくされ…ました…インドでは、神の名によって来る人を、眺めるだけで祝福を受けるというDarshanの思想があり、私共の学校の父兄の中でも、多くのヒンズー教の人達が、子供を連れて信者の一父兄にまじって催物に与っていました。物質的に貧しくても、精神的な価値を大切にするこの国で、教えられることはたくさんあります。






『南米』






『ある邦人の死』

〜ブラジル〜
聖心侍女修道会 日高和子
 …二月二十一日(金)私にとって大ショックの日でした。…お正月に私を自宅に招いて下さった、牧山静馬さんが亡くなったお知らせがあったからです。…長男(15歳)をサン・パウロの学校に入れるため…手続に行った帰り…夜、寮のため対向車と正面衝突、殆ど即死、後部座席に寝ていた長男と、末の男の子は、打撲と…頭にケガ…、…ブラジルは広いので、バイアの南に住んでいらっしゃる唯一の弟さんが、すぐ遺体を引取りに出かけましたが、往復で二十時間、ご遺体が自宅に着いたのは、金曜日の夜十時半頃でした。…サン・パウロにいらっしゃる一人のお嬢様の到着を待っていたので、埋葬は(土曜)午後になりました…ご自宅には、サン・パウロ、バラナ方面から、車で、25時間かかって馳けつけたご親戚で一杯でした。農場が隣り同士だというブラジル人たちもいらっしゃいました。出棺の前に、私は皆で準備していた日本語のお祈り、短い聖書朗読などを唱えました。…いくら、こちらは司祭がいないとはいえ、私が、親しかった方のために、死者のための典礼を司式しようとは思ってもみないことでした。でも考えてみれば、とても親しくしていたからこそ、その役目が私に回って来たとも云えますね。
 亡くなった日は、静馬さんの46歳の誕生日…そして、奥様と7人の子供が残されました。牧山さんは、こちらに移り住んで一年ちょっと。農場は、はじめての収穫を待っているところです。一家の柱を急になくされた、奥様をはじめ、ご家族のこれからが、しのばれます。でも、私たちをはじめ、ここに住んでいるわずかの日系人がみんなで、残されたご家族を力づけてあげたいと思っています。
 この静馬さんの死を通して、私は、日伯司牧の難しさを感じました。……そしてまた、生命の尊さ、生きていることの意味についても深く考えさせられました。
(一九八六・二・ニー四)





『授業日数は年百日以下』

〜ボリビア〜
サレジオ会 倉橋輝信
 一時帰国の際には大変お世話になりました。…深く感謝しています。ボリビアの公務員の月給は(医者も含め)三十ドルです。昨年の十一月から始まった夏休みは、三月六日現在も続いています。
 社会に経済力がないためではないでしょうか。ここ十数年間、授業日数が百日を越した年(公立学校)はありません。(二百日がきまりです)
(一九八六・三・六)

一歳二カ月の栄養失調の赤ちゃん 〜ボリビア〜
一歳二カ月の栄養失調の赤ちゃん 〜ボリビア〜






『羨しがられる邦人司祭二人』

〜パラグアイ〜
聖霊奉侍布教修道女会 金永松子
 …こちらは、そろそろ冬の訪れの気配で、朝夕は冷い空気となりました。…十二月にエンカルナシオンで叙階なさった神言会の、品田神父様が、二月からこのピラポに着任なさいましたので、司祭の絶対数の足りないパラグアイで、日本語のお出来になる司祭が、お二人も、このピラポにいらっしゃるということは、羨望の的のようです。……聖週間の典礼もとても美しく、びっくりする程沢山の信者さんが参列なさっていました。今は、ちょうど大豆の収穫期です。
 厳しい自然との戦いでございますが、今年は一般的に収穫もよく、値も良いとか。また、ピラポ移住二十五年のお祝いを間近に控えて、さらに前進をと、移住地の方々は、明るく、明日への希望に向りて歩んでいらっしゃいます。……昨年九月、日本から一人のシスターを迎え、また、今年三月には、アルゼンチンからシスターを迎え、他のパラグアイ人のシスターと、国際色豊かに四人のシスターは、小さい共同体ですが、心を合わせて働いています。…三十年前別れて、今まで消息不明だった中国に居ります弟との文通が、日本を介して出来ることが出来、大きな恵みと感謝しております。
(一九八六・四・八)





『一貫任・決断力の教会作りへ』

〜ブラジル〜
マリア会 青木勲
 …年末、年始は猫の手も借りたいほど忙しく、ほとんど手紙も出さず新年を迎えました。二つの教会、延べ二万五千人の信者の世話は簡単にはいきません。とりわけ、新年と新学期の準備、いろいろ信者のための研修会で、文字どおり、テンヤワンヤです。
 今年の夏、早いもので、三年目の休暇で三カ月帰国します。なにしろ来伯して九年間、一度も健康診断をしておりませんので、今回はまず健康管理というところです。おかげ様で、腎臓結石にかかりましたが、石が出ましたので、少し用心しながら働いております。
 教会の方向性と宣教の基調は「解放の神学」。今こそ、神様がどんな計画を全人類に期待しておられるか、はっきりと解明し、責任と決断力ある教会を作りたいと思りています。その意味で「共同体作り」以外にないと思います。(一九八六・一ニー〇)