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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『アフリカ』






『早くトラックを走らせたい!!』

〜マダガスカル〜
マリアの御心会
本間良子  「きずな」十二号……「マダガスカルへトラック」の記事とトラックの写真がのっていて、びっくりしたり、よろこんだりです。
 トラックは、もうタナナリブに着いているそうです。目下、税金の手続と、車検等の手続を、日本人の商社の方々のお世話でしています。経済省だけにでも、五十四枚のサインを要求されたりするので、専門家の協力が、本当にありがたいです。
 今は一日も早く、トラックを走らせて、村々に吉報を届けることを取っています。ご支援を心から感謝しつつ。








『夜鳥が暗くと子供が死ぬ!?』

〜シエラレオーネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 ルンサの毎日は相変らず単調ですが…身近な出来事をお伝えしましょう。…雨期になり、梟の一種の夜鳥がブタシきから部落にやって来て、ワヤバイチヂクの実など探すのでしょうか、夜十一時ごろから三時ごろまで、継続的に「クワッ、クワッ」と鳴き…あまり気持良くありません。この鳴き声を聞くと…村人は叫び喚き、雨戸を叩き、ブリキ缶を鳴らし、鳥を追い払おうと大騒ぎ…。「なぜ、そんなに騒ぐのか」と開きますと、「それはウィッチです。あれが鳴く毎に赤ん坊や幼ない子供の血を吸うのですよ。あれが来ると子供が死ぬ」というのです。「迷信です」と、いくら説明しても「シスターは外人だから信じない。この鳥は、わしらアフリカ人には魔力があるのだ」と、説をまげません。なにしろ、幼児死亡率五十多のこの国では、必らず、何処かで子供が亡くなっているので……なかなか、迷信はとれません。しかし、修院のイチヂクの木に止まるこの鳥をめがけて石を投げ…修院のベランダにも(石が)来ますので、こちらもベッドの位置を変える…毎日です。…五日前に、学校の用務員さんの赤ちゃんが死にました。…彼は十二人の子持ちで、すでに六人が死にました。(死んだ赤ちゃんは)彼のたった二人目の件…でした。彼はルンサから八キロも離れた村に住んでおり、毎日、歩いて学校に働きに来ます。彼の給料は約一八〇レオン。小屋はうす暗く、家具は、たった一個のベッドです…。奥さんが気管支炎で強く咳をしたため…赤ちゃんは予定より早く生れました。……奥さんは肺結核にも躍っており、二歳の末娘も喀血していました。……死んだ赤ちゃんをしっかり抱き、彼は修院の聖堂で泣きじゃくりながら(祈っていました)「神様、聖旨ですから…この子をお受け下さい。でも神様、私の病める妻と他の子供達はお守り下さい…」真剣に祈り叫ぶ彼の姿に……皆、泣かされました。苦しみを静かに受ける、この小さい人の中に…神を見せて頂きました。
 私達を取り巻く人々の大部分は、職もなく、貧しさに飢えている人々です。(一カ月の給料が)十日でなくなり、あと二十日間を六人の家族を抱え、どうやって過すのでしょう。…アフリカの道は険しく遠いです…例え万が一でもよい、何か出来たらと毎日、努力しております。






『ようやく自家発電に』

〜タンザニア〜
援助修道会 柏瀬百合子 
 先日、石神司教様がナイロビの聖体大会に参加なさいました折、日本から運んで下さいました荷物…ありがとうございました。貧しい国のこと、ポールペンから紙に至るまで、ケニアに行って手に入れるより方法がありません。病院で使うガソリン、ケロセン、砂糖、すべて…役人の所に行って購入許可を貴い買うわけですが、必ず手に入るとは限りません…。
 九月末、ようやく自家発電装置が使えるようになりました。夜七時から十時までですが…しばらくケロセンランプの下で生活した者にとっては、電灯のある生活は別世界のようです。秋葉原に行けば山積みになっている電池が、ここでは殆ど手に入りません。しかし、物がない中で、工夫して生活するのも楽しいことです。…八月から九月にかけて、麻疹が流行し、一つのベッドに子供が二〜三人一緒に寝ています。麻疹やマラリアのため、強度の貧血になって死亡する子供の数も少なくありません。プライマリー・ケアの必要が痛い程分っているのですが、現状では、とても村まで出かけて行って予防接種をしたりすることが出来ません。医療従事者の教育もまずしなければならないことです。






『八〇〇グラムの子がいま五キロに』

〜セネガル〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 玉木照子
 私は、アフリカ、セネガルの首都ダカーで、私どもの修道会経営による乳児院で働いています。乳児は○歳から、約一歳までで捨子、母親の亡くなった子、家族に問題のある子と約六十名。栄養失調、衰弱のひどい子には、頭から点滴注射を入れます。今年はじめ、八百gの双胎児が入院、毛布だけで元気に育って、もう五kg以上に…何かしゃべりはじめました。どうしたことか、双胎児が多くて、現在、六組もいます。…子供たちは、養子として、土地の人やヨーロッパへ貰われて行く子、元気に成長して家庭へ帰る子、行先のない子は、一歳以上になると、S・0・S村(国連からの援助で、一歳から二十歳まで(収容しています)。昨年二月・皇太子ご夫妻が訪問されました)へと移ります。修道院の敷地内に寄宿舎があり、十五歳〜十八歳の少女約五十名、その半分は乳児院関係で働きながら、育児・衛生・算数・洋裁・料理・フランス語・宗教等を習っています。
 あとの方達は通いで、街に、お手伝い、子守り、事務所の掃除等、働きに出ます。少女達は二年間寄宿舎生活をし、二年生になると、乳児院の夜勤も出来るようになり、立派に…成長し、卒業して行きます。
 …私がアフリカに着いて三日目、港に日本人の漁師が時々居るから…とシスターに誘われ、修道院から車で二十分ぐらい…の港に行きましたら…最初にお会いした方は、私が高校時代(山口県・萩・光塩女子学院)に受洗の代母も頼まれた、同クラスの吉村さんのお兄さんでした。今までお会いしたことも、お話ししたこともないのですが、アフリカで、はじめて日本人に会え…同郷の方で、友人のお兄さんとは!!、(この)お兄さんは、下関の大洋漁業とセネガルの合併会社の船で働いておられ、それから、港に着くごとに、若い育ち盛りの五十人のお嬢さん達と、私どもの国際的家族(日本人は私一人、他にフランス、スペイン、マルタ、ザイール人)に、とれた魚を下さって助けて下さり、感謝しています。








『流感が蔓延』

マリアの宣教者フランシスコ修道会 遠藤能子
 …日本の暑い夏…こちらは南半球で…全く正反対で…千五百メートルの高地に住んでいる私の所は、朝の気温が四〜五度に下る。冷え込みの強い、霜の降る寒い冬が…続きます。道産子の私でも、夜は湯たんぽ(プラスチックの瓶代用)に、身を締めて寝ます。夜勤を汲オて、冷え切って眠れぬまま、朝になることも、度々です。
でも、日中(は)太陽が地上をあたため、気持のよい日々です。
 雨の降らない乾期なので、どこも、ここも挨っぼく、流感が蔓延して大変な時期です。住めば都で、美しい雄大な大自然と、おいしい空気は何よりの、神さまのプレゼント。町には人力車が走るような、のんきな田舎に住んでいます。年々、物価が上昇し、生活は苦しくなる一方です。…泥棒、盗み、毒殺、殺人等々…日常茶飯事、あまり気持の良くない話題が絶えません。道徳・治安が乱れ、社会秩序は一体どうなっているのかと疑いたくなる世相の中で、キリスト者として生きることは容易なことではありません…正義に生きるには、強い精神と信仰が必要です。
 曽野綾子さんの小説「時の止った赤ん坊」…は、実は、私の働いているマテルニテが舞ムロになっております。…まだお読みになっておられませんでしたら…ご一読下さい。…






『アジア』






『年齢は気にせず』

〜インドネシア〜
聖母カテキスタ会 浜谷真佐美
 …私は今、ラウエデスキーで、毎日々々…宣教師として…満足した仕事で、思いっきり働けるのは幸いです。先月(※第十号・中谷神父様巻頭言・編集部註)の「きずな」の中にお書きになっていらっした神父様のお言葉が、私の胸の中に…焼きついています。
 「宣教師として外国で働く場合、自分の持っている才能(力)のけ1-10も出せたら上出来の方だ」と慰めのお言葉を頂いて、自分の本職を、そのまま生かせるのは、本当にありがたいことだと、心から感謝をしております。…今年の十二月で丁度五十歳になりますが、自分の年はあまり気にしていません。それは、周りで、あまり老人に見える人が多いので、私はいつも三十歳か四十歳にしか見られないのです。…手術後、ちょうど一年が過ぎましたが…体調は至極良くて、毎日曜には、三里、二里半の道を歩いて、青年や娘さん達と一緒に布教に出かけます…。先日、帰天された…私たちの霊父、ゲオルグ・ゲマインダ神父様が、最後の最後まで、神の御国のために努力するようにといさめて下さっている遺言を、そのまま…生きたいと思います。






『宣教二十五年』

〜インドネシア・スラバヤ〜
御聖体の宣教クララ修道会 服部麗子
 私はローマから帰りまして、今度はスラバヤで働くことになりました。こちらは相変らずの暑さで、今も汗びっしょり。
 九月十五日は、うちの会がインドネシアへ来て、宣教しはじめて、二十五年を迎え、…マディウムの教会で感謝ミサが盛大に行われ…このあと、こちらの習慣で、夕食が、ノビシアドのお庭で、招侍者とともに二十五年を祝います。






『変って来た大学生たち』

〜フィリピン〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 上田二三
 …今年の日本側の夏休には、日本から、男子・女子の大学生が数名、フィリピンを訪ねて下さいました。学生方は、英会話をスラスラと話され、時代も変りつつあることを感じさせられました。
 ご多忙中、海外におります私どものために、ご配慮を頂きまして、厚く御礼申し上げます。
 当方、日毎に生活が厳しくなっておりますが、信者さん方は、毎日のごミサを欠かさずに祈っております。






『南米』






『困難な遺体探し、メキシコ大地震』

〜メキシコ〜
淳心会 神学生野中春樹
 今回の(メキシコ)大地震は、例えようもない悲惨な結果を起してしまいました。十二日経過した現在に至るまで、必死の作業が続いています。何しろ破壊された首近い建物が、すべて大きなビルディングのため、崩れた石くずの中から、人々を(あるいは遺体)掘り出すことは容易ではありません。未だに毎日、何人かの生き残りた人々が救われているのは、まったく奇跡です。死者の数は七千人剛にも及び、それ以外に(は)何人埋もれているのか見当もつきません。毎日々々、発掘現場の前で、身内の者が発見されるのを待っている人々、家族を失って絶望している人…どうか、これらの人々のためにお祈り下さい。私の住んでいる地域では、被害がありませんでした。私は…やっと神学の勉強を終えようとしています。十二月にはすべて終了し、ブラジルに戻ります。






『たった一つの園庭の砂場』

〜ブラジル〜
ベタニア修道女会 姉妹一同
 たくさんの援助を頂いて、スラムの人々との交流に一層力を得て毎日を送っております。このたび、また衣類をお送り下さいまして、本当にありがとうございました。保育園の子供に使ったり、バザーを開いて、ロンドリーナの人々の協力の中で、その収益を保育園の維持の資金にしたり、貧しいスラムの人々の寒い時の寒さをしのぐ着物になったり、たくさんの使い道に供させていただいております。
 私たちの働いている「平和の聖母の保育園」もどうやら軌道に乗り、毎日、皆さんに助けられながら保育の仕事に励んでおります。
 園庭というには、およそふさわしくない、小さな、たった一つの砂場が遊び場で、そこで遊んだり、近くの蚕糸工場の職員宿舎の中の公園に遊びに行ったりして、子供たちは楽しく、満足して過しております。ヴィラに住んでいる小母さんの作る給食が、また、子供たちの、この上ない喜びです。