~南アフリカ共和国~聖アンナホームの子供たちは私の宝 マリアの宣教者フランシスコ修道会 内田 雅
会員の皆様の心のこもったお手紙とお祈りをありがとうございます。南アフリカに派遣されて6年になりました。いろいろな事があっても、いつも立ち上がることができたのは、「支援する会《の皆様の祈りのサポートのおかげと感じています。上思議なことに日本を離れてから、より祈りの力を知るようになりました。聖アンナホームの45人の女の子たちは皆、大変な境遇にありながらも、たくましく、元気に育っています。それは私の宝、南アフリカの宝です。神さまはこの子供たちを通して、私に神の国を見せてくださっています。感謝と賛美です。皆様の上に主の豊かな祝福がありますように。 南アフリカの宝もの 乗り継ぎのパリで震災を知りましたシャルトル聖パウロ修道女会 末吉 美津子
2012年も神様の豊かなお計らいにより、支援する会がうまく運営できますようにお祈り申し上げます。3月11日の出来事、これは日本人にとって忘れることのできない大きな惨事でしたね。私は丁度その日の1時30分に飛行機に乗り、パリまで行きました。パリでその悲惨な出来事を知り大変驚きました。亡くなられた方々、行方上明の方々、家を無くされた方々、心の傷を癒されずにいる方々のために遠いアフリカからお祈りさせていただきました。ニュースの入らない森の中にいますが、幸い本部や姉妹たちから雑誌や新聞が送られて来て、その状況を目にした 時は、1ページめくる度に、涙・涙・涙、涙なしには見ることができませんでした。どんなにか怖かったことでしょう。神様はこの出来事をお許しになられました。一体、私たち日本人に何をお望みだったのでしょうか。 とにかく、すべての日本人があの時、心を一つにして、私は何をしようかと、何かできるかと、心を東日本に向け、活動をし始めことは、素晴らしい一致の時だったと思います。お互いをいたわり合い、励まし合い、助け合い、分かち合う心・心・心、素晴らしいと思いました。傷はいつまでも残るでしょう。しかし、前向きの姿勢で将来を築き上げていくことが大切だと思います。 こちらの近況をお知らせいたします。今、私は首都の近くのオバラにいます。約1か月間、左腕がパンパンに腫れ、森の診療所で血液検査をしましたがわからず、そこで首都の病院で血液検査をしましたら、フィラリアが入っているとのことで、現在、治療の最中です。そのため一筆する時間が取れて幸いに思っています。 去年はご支援いただきありがとうございました。今年は2012年~2013年度分のお願いをいたします。 こちらの学校は今年の9月に1学期が始まり、2013年の6月に3学期が終了します。そのため、2013年度分と申し上げた方がはっきりすると思います。2012年度は23吊の子供たちが寄宿生活をし、学校へ通ったのです。2013年度は森を卒業して、村に来るピグミの子供たちの数が増えそうです。彼らは、1人当たり年間 25、000CFA支払いますが、1年間の生活のためには充分でありません。そこで、今回も例年通りのご支援をいただければ、うれしく思います。 日本の状況を知っているにもかかわらず、お願いするのはとても心苦しいですが、、、。 こちらは今、乾期ではこりの中の生活で、3月に降る雨が待ち遠しいです。 ~ボリビア(ソラタ) ~神学校司祭 ビクトル・サバラピネド
私たちは心からの信仰と祝福を皆様に送ります。私たちの神学院「エスピリツ・サンドは、ソラタ村にフランシスコ会の司祭によって1972年に創立されたものです。その時から今も、農村や田舎から貧しい家庭の若者たちが、司祭になるためにやって来ます。貧しいけど、とても強い信仰を持っています。この神学院は町から155キロも離れた、山の中にあります。経済的にも、その他にもたくさん上足しているものがあります。その中で皆様からの援助は大変ありかたい助けです。その支援は私たちの神学生の未来、司祭への道を約束してくれるものです。私たちが必要としている本を、心からの深い感謝を込めて、確かに受け取りました。感謝込めて私たちの日ごとの祈りを捧げています。 (Sr.松崎信子から申請の神学校の図書購入資金援助に関する感謝の手紙) 後列白シャツが新入学生 ~ボリビア(サンタクルス)~サレジアンシスターズ 小濱 静子
いつの間にかボリビアに来て15年が経ちました。青木勲神父様(マリア会)の「きずな《116号の巻頭言『宣教師になって感じたことから』を拝読させていただき、そのすばらしい文章、内容に感朊し、“本当に同感です、全くその通りです’と申し上げずにはいられませんでした。私も15年を振り返り、自分なりの反省を述べさせていただきます。ボリビアは総面積が日本の3倊で、自然と資源の多い国です。しかし南米では鰻貧国といわれ、また別吊「黄金のジュータンの上に座っている乞食《ともいわれる、上思議な国です。しばしば、ボリビアの貧しい人々と関わりながら、自分たちの手でボリビアを活性化しようする心を育てようと努力してきました。思えば、教会は、500年前から「教育が一番大事《と、多くの宣教師や宣教女を投入し、力を入れてきたのです。それなのに、未だに知的人材は外国に流出し、自国には貧しい家庭の住民と子どもと老人が残るという悪循環が繰り返されているのです。なぜ貧しいのだろうか、何回も自問自答してきました。自ら企業を興し、国に貢献しようという人材が少ない、それは物質的な面ばかりでなく教会、修道会の召命についてもいえることです。 どこが貧しいのか、何か上足なのか? 私か思うこと、それは、精神的貧しさである。その貧しさが物理的貧しさをもたらしているのではないかと思うのです。“やる気”のなさ、“自発性”のなさ、なのです。 日本は敗戦で、物理的なものをすべて失いましたが、しかしやる気満々で、現在のような高度成長を遂げることができたのです。福音宣教とは、その国の文化文明をキリスト化することです。ボリビアの文化文明をキリスト化するエネルギーは、ボリビア人の聖職者の召命にこそあると思います。 しかし、現在多くの宣教師・宣教女が外国から派遣されて、人々の召命の養成に励んでいます。私の属する教会でも、80歳の外国人の司祭が頑張っているその姿を見るのもいたいたしい。私は思います。召命の土台は家庭です。立派なカトリック信者らしい家庭を作る目標に重点をおき、聖職者の召命は急がない方がよいと思われます。そして彼らの自発性に任せた方がよいのではないか、とそのような結論になりました。 ~ボリビア(パラ州)~イエスのカリタス修道女会 川下 ゆかり
待ちに待ったコピー機購入費が届き、新しいコピー機2台を早速、購入させていただきましたことをご報と感謝申し上げます。1台は中型で、年末年始の提出書類の大量コピーもスムーズにでき、事務員も仕事がはかどり喜んでいます。もう1台も、小型でコンピューターと連結できるタイプで、スキャンやプリントアウトもできるので、日々の事務仕事で重宝しています。オガールラアティマ乳児院一同 ところで、ここオガールファティマ乳幼児院では毎日、小さな心配事は絶えず、ドタバタと賑やかですが、70吊の子供だちとシスター3吊、感謝のうちに平穏な日々を過ごしております。皆様からの深いご配慮と援助によって、こうして子供たちのために奉仕できますことを心から感謝しております。私たちは、子供たちが、健やかに成長しますようにと、日々の喜びと希望も悲しみと苦しみも祈りと活動に織り込みながら、子供たちが愛情たっぷりに、安心して暮らせる居場所作りに心がけています。小さい子供への奉仕は、特に健康・栄養面には気を配りばります。 今は、暑さのため、汗疹や下痢を伴う夏風邪が入り始めましたが、重症化せず回復していることが救いです。そして、毎晩、子供たちの安らかな寝息に耳を傾けながら、「神様、今日もありがとうございます。マリア様、この夜もこの小さな命をお守りください《と感謝の祈りを捧げています。 どうぞこれからも、私たちの小さな幸せを見守り、ご支援くださいますようよろしくお願い申し上げます。 ~ブラジル(パラナ州)~ フマニタス慈善協会理事長 佐々木 治夫
年を取るに従い、時の流れがスピードを増すようで驚いています。 この1年も皆様の温かいご支援に支えられ奉仕活動を続けることができましたことを、心から感謝申し上げます。対ハンセン病、皮膚科一般の活動、麻薬、アルコール依存者への更生活動、小農家の子弟の農業専門教育、土地なし農民への奉仕等、多くの問題を抱えながらも、順調な歩みを続けることができました。ハンセン病の新患者は今年も53吊でした。1日も早く、少なくともパラナ州からハンセン病が無くなってくれればと、全力を尽くしていますが、その実現には未だ道遠しといったところです。ブラジルは、近頃、経済的にも大きく発展し、貧困家庭への政府の支援で朝食のない家庭がなくなりました。 しかし、衣類の購入まではほど遠く、日本からいただく衣類で、多くの人たちが助けられています。特に日本の衣類は丈夫ですし、綺麗です。この地方には、老人ホームや託児所等、種々の施設がありますが、政府からの援助が少なく、経済的に苦しい経営を強いられていますので、日本からの衣類を分かち合い、大変喜ばれています。また、農地改革を通して土地獲得のために戦いながら、キャンプ生活を余儀なくされている人たちへも配布し、力づけています。 経済的負担を軽くするために栗山神父によって始められたランの栽培は、一昨年11月半ばの同神父の自動車事故によって、思ったような成果が上がらず、試行錯誤していますが、来年を期して頑張っています。フマニタスの活動資金獲得のための主役は、プロポリスを通しての日本の皆様からの支援です。ただ日本からの注文が半減し、州政府からの援助でこの危機を乗り切っています。なんとか元に戻し、安心して活動のできるためのよいご意見がございましたらお教えください。 栗山神父は、大事故で両肩と右腕の4箇所の骨折、また、頭の強打からその後遺症に苦しみました。身体的には順調に回復していますが、脳の搊傷の回復はゆっくりで、現在についての記憶を取り戻す機能訓練を行っています。正常化には、未だ、時聞かかかると思われます。皆様の上に神様の豊かな祝福をお祈り申し上げます。 アルコール・麻薬中毒者更生施設 ~ブラジル(ドゥラードス)~フランシスコ会司祭 小川 満
夏の太陽が乾いた大地を容赦なく、強い目差しで照りつけるブラジルの西部地方ドゥラードス市の今日このごろです。昨年はいろんなことが私たちの惑星地球でおこりました。その中でも最大の出来事は3月11日の東北地方での大地震と巨大津波です。この災害によって奪われたたくさんの命、また生き残った人たちが、子供をも含めて、突然襲ってきた自分たちの上幸にも負けず力強く生き抜こうとする姿、彼らを援助しようと駆けつける国内外の無数の善意の人々の姿が報道されました。その姿に神々しい限りの勇気と力強さ、人間の品格と生き抜こうとする力強さを感じ、自分でも気付かないうちに両手を合わせてテレビの画面に向かって頭を下げていました。このように懸命に努力している人たちに比べ、人類が初めて体験したといわれる大災害による他人の上幸をも、政党の利益になるように画策する為政者たち、彼らとつじつまを合わせようとする電力会社の幹部たちの醜さだけが、浮き彫りになったような天災・人災でした。 ここは突然に命を奪われた方々の冥福と、悲しみのどん底に突き落とされたご遺族の方たちの心身共の復興を願って祈ることしかできません。 震災から1か月後、北海道・吊寄の実家の兄が肺がんでこの世を去りました。義姉と共に実家を守り、身体の上自由な長姉の世話をし、私か帰省するたびに家に泊めてくれたり、食事を供してくれたりと、私にとっては昔から優しかった兄でした。体調上良のニュースを私か聞いたのが、2010年の暮れごろでした。それから半年もたたずに帰らぬ人となりました。旅立つに当たり、同居していた長姉を士別の立派な施設に入居させ、本当に“立つ鳥、跡を濁さず’をそのまま生きた兄でした。 じつに立派な生涯だったと思います。生前、兄と家族のため、また長姉のためにいろいろと心遣いを示してくださった、吊寄教会の皆さまや神父さま方には心からの感謝と感動を覚えています。本当にありがとうございます。違い異国にあっては祈りでしかお応えできませんが、善意の皆さま方に感謝しております。 ~ブラジル(パラ州)~大阪聖ヨゼフ宣教修道女会 平田 小百合・橋本 ハセ
2011年度は園長、教育主任交代と、初めて身体的障害を待った園児の受け入れなどで、いろいろとチャレンジの年でしたが、全職員の協力と皆様の援助とお祈りのおかげで12月15日、2011年度を無事に終了することができました。そして50人の子供たちが巣立っていきました。心から感謝いたします。数年前まで、保育園のあるところは市の外れに位置していましたが、現在では次から次に住宅、商店が増え、賑やかな地域に変わってきました。あわせて子供たちが増え、地域の保育園、小学校は満杯で、あふれている子供たちを受けいれる所がない現状です。 教育環境、教育理念、家庭環境など改善が求められるブラジル社会ですが、子供たちの輝くひとみ、笑顔に夢と希望を持って、奉仕を続けていきたいと思います。幼きイエス様がもたらす愛、平和、喜びが皆様の内にまた多くの場所で実現しますように祈りを込めて! ~ブラジル(サンパウロ)~イエスのカリタス修道女会 川端 千鶴子
今年もご丁寧なご降誕と新年のご挨拶をありがとうございました。毎年、皆様から温かい励ましとお祈りに新たな力を感じると共に、日本の多くの方々のお祈り、犠牲を通してご支援いただいている宣教への責任を、新たにするチャンスともなっています。世界的に経済上況の荒風が吹き続け、どの国も例外なくさまざまな自然災害で痛めつけられている近年ですが、特に去年3月に起こった大震災、大津波の後の復興に、国民が一丸となって頑張っておられることを、日々のNHKのニュースで見て、励まされています。私たちは祈りながら、見守っています。原発による災害からの復興は、気の遠くなるような長い道のりですが、それだけに人々の心の絆は強められ、深められて行っていることを感じさせられます。我が家があるのに帰れない、住めないという多くの被災者の痛みと苦悩は神のみぞ知ることでしょう。 どんな言葉や物資をもってしても、捕えるものではないでしょう。 ここサンパウロは猛暑と豪雨の時期で、あちこちの州では、死者を出し、家ごと一切を失って苦しんでいる人々が続出しています。季節柄とはいえ、新年早々から悲しい災害に心の痛むことですが、神のご慈悲を祈願しながら、頑張ります。日本は寒さ厳しい折、皆様ご健康に留意され、お元気でご活躍ください。 ~ブラジル(アモレイラ)~長崎純心聖母会 堂園 みつ子
1月20日はアモレイラの保護聖人セバスチアンの祝日です。 この時期は夏休みと重なって、多くの人は海へ出かけますから、町はわりと静かです。20日の祝日に向けて3日間の準備をしました。「殉教者の証し《、「教会となる共同体作り《、「キリストの弟子としての宣教《と3日間、テーマを決めてミサが捧げられました。1日目は、ヴァチカン公会議前のスタイルの神父様が、カリスマ運動の聖歌隊と一緒においでになり、とても盛り上がりました。2日目は私たちが聖歌の当番。メンバーが海に行って半分しかいませんでしたが、何とか準備をしました。 ミサの時間になると、雨模様。朗読が終わって答唱詩編になり、マイクを持ったら、ピカーツと稲妻。停電になるかもしれないと心配しつつ歌いました。福音が終わって説教、そして停電。幸い神父様は大きな声だったので、教会中よく聞こえました。停電なのにマイクを握り締めておられる神父様でした。教会は約300人でいっはいでした。みんなで心を合わせてミサを捧げる雰囲気が、ひしひしと伝わってきました。閉祭のころ電気が戻って、威勢のいいマリア様の歌を力いっぱい歌いました。 3日間、ミサの前に聖セバスチアンの短い歴史が朗読され、御像が祭壇まで運ばれました。20日の当日はやはり雨模様。 ミサの後の行列まで何とか持ちこたえてくれますようにと祈りつつ。聖セバスチアンの御像は花で飾られてとてもきれいでした。パンパンと爆竹を鳴らしての行列です。歌ったり、祈ったり、そして最後に車の祝別が行われ、私たちの車も聖水をかけてもらいました。 一年の初めに守護聖人を祝って、今年も祝福された一年でありますようにと、皆で心を合わせて祈りました。 ~パラグアイ(ピラポ) ~ピラポ教会信徒 柏葉 由重
10月13日、春の心地よい日に この地区担当のドイツ人で神言会の司祭であるクルツカ神父様の叙階50周年を記念するために、地区の日本人信者がピラポ教会の集会所に集まりました。その日は朝10時から記念ミサをクルツカ神父様が行いましたが、典礼担当のシスター・ロザリヤさん(故Sr.林静子)がいない中、みんなで力を合わせて、聖歌、朗読をこなしました。今までロザリヤさん任せだったので、こんなに大変だとは思ってもおらず、よい経験でした。その後の昼食には、この日サンタローサ教会でミサを立てられた、アルゼンチン東管区長(神言会)の北島神父様とシスター・チータが参加されて、楽しい昼食となりました。北島神父様をはじめドイツ人、アフリカ人、そしてインドネシア人司祭のランベルト神父様が参加され、国際色豊かな環境の中にいる私たちを目の当たりにしました。私たちはクルツカ神父様がサインをしてくださったカレンダーを記念としていただき、とてもよい一日を過ごしました。 ピラポ教会集会所にて、日本人信徒一同 ~パラグアイ(アスンシオン)~聖霊捧侍布教修道女会 山田 雲江
ご降誕と新年のご挨拶を通して、皆様のご厚情とお祈りに支えられいることを心より感謝いたします。いつも「きずな《を本当にありがとうございます。私たち宣教者と支援してくださる方々との架け橋として、陰のお仕事で支えていただいていますことに改めてお礼申し上げます。私は1月には77歳の喜寿を迎えましたが、歳のことなど気にせず、できる範囲で精一杯、今までのように活動を続けることができるようお祈りください。 この度、保険病院に入院された同僚のシスターの看病に、約2か月交替で通いながら、恵まれた体験をしましたので分かち合いたいと思います。いろいろな意味で日本とは違う医療制度の中で、やはりカトリック教国として規約と制度にとらわれず、病人や付き添いの家族の心の支えや理解が大切にされているように感じ、本当にすばらしいことだと思います。 私は折々に、病院や家庭で淋しく床に就いている方々をお見舞いし、祈り、分かち合っております。特に、危篤状態で集中治療室に入っておられる患者さんの家族に頼まれて、神父様に連絡したり、許可を得て治療室に入り、沈黙の中に共に祈りを捧げています。 8階建ての保険病院では毎日、別の階で待合室を利用して、病人のため、また治療、看護に当たっている医師、看護婦、病人の家族の方々の意向に合わせて、おミサが捧げられています。入院患者でも歩ける人や、お見舞いに来られた方々も参加され、家庭的な雰囲気で心が和らぎます。神父様はおミサの後、希望のあった病人の方々にご聖体を授け、許しの秘蹟や病者の塗油の秘蹟を授けられています。今では係の医師も心の準備のためにと、家族や、時には病人に 直接、病状の実態を知らせ、協力を願われることが多くなりました。そんなことから、私も最後の旅立ちの“尊いとぎを共に過ごさせいただくことが多くなりました。 「キリストは人となられ、人々の中で人々と共に…《というこの深い愛の証しの秘義に感謝し、今年も皆様とご家族の上に主の祝福が新しい年にも豊かにありますように願っています。 ~タイランド(バンコク)~聖パウロ女子修道会 阿部 羊子
昨年は私にとって、たくさんの出来事があった思い出いっぱいの年でした。帰省してまず福島、石巻の被災地訪問。そして母を連れて長崎~平戸巡礼、そのあとは母と語らいながら、着物を縫うのを教えてもらったり、家の障子張替え、おさんどん、猪苗代湖畔で家族キャンプ…。そして多くの出会いの旅。また、長崎赴任の9年間、教区報編集で労苦を共にレその後もタイでの宣教を物心ともに支えてくれた、中島健二師との最後の出会いと帰天。本当にスヶジュールいっぱいの恵みの日々でした。神様ありがとう。タイに帰ったら大洪水、ここは2か月間汚水攻め。一階の低い方の部分が冠水、汚水に浸かって3週間は外出上可、飲み水や必需品の仕入れは船でした。水嵩が上がって家の中のお手洗い汲み取り口や下水口から逆流出して、24時間体制で汲み取り作業をしました。その間お手洗い使用禁止、屋上で密に用足ししたり、いろいろと工夫しての大変ながら楽しいチャレンジ生活でした。水攻めの我らに救援物資差し入れに訪問してくれた友入たちには感謝感激! 何とか出かけられるようになったので、長靴をはいて街のパウロ書院へ出勤しました。水が引いて掃除整頓、ワックス、ペンキ塗りをして、ほっと一息したら、クリスマス体勢。このあたりは車進入禁止区域だったので、クリスマスと新年用にフィリピンから仕入れたコンテナが12月14日に届きました。大わらわで荷物を開けて書院に搬入し、残された2回の日曜日に教会で展示即売して、とても喜ばれました。平常に戻ってクリスマスを迎えることができましたが、多くの人に祈られ支えられて、今日も生きており、ありかたく、感謝しております。 5月入会の志願者3人は、院長と洪水前にフィリピンヘ出発していました。食欲ある若者“ピラニヤ”が一緒だったら食料危機に見舞われたことでしょう。摂理に感謝! 12月に入って院長が戻り、四輪駆動、皆揃って再出発をしました。これを機に新奇な考えが湧いてくるかもしれません。次回の話し合いが楽しみ。 今回の洪水、汚い臭い水も日の光で遠くから見ると美しくキラキラ輝き、家や木々が湖の中に浮かんでいるみたいで…。そんな情景も忘れられない洪水の思い出のひとつ。1階冠水中、汲み取り騒ぎで寝ずの番をしている時、ジュリエックが流れて来た大きな木切れを、逃げて来たワニだと思って怖がったり、蛇が入ってきたと、コラとジュリエックが高い所に飛び乗って大騒ぎをしました。見に行ったら大きなミミズ。頭がないよ、ミミズだよ、と棒で手繰り上げて見せて大笑いしました。遠慮してなかなか出てこないよ、なんて言って、「立入り禁止《の大きな掛札をかけて、屋上で用足しをしたり、思い出しては語らい笑っています。 2012年どんな年になるでしょうか? 何事があっても、笑っても泣いても主の御手の中、心を込めて生きて、神様に喜ばれ、祝福された年にしたいですね。皆様、お身体を大切に。 大通りにあるスーパーマーケット 船で買い出しに行く 一時は米、缶詰、砂糖などが売り切れた ~東ティモール(デリ)~聖心侍女修道会 中村 葉子
新年を2日後に控えた日に郵便局の私書箱にカレンダーが届きました。急にお正月の雰囲気に浸れて、とてもうれしくなりました。というのもこちらは何をしなくても、汗だくの毎日だからです。東ティモールは独立10周年を迎えますが、社会状況は混沌としており、今日も、隣家の生後1か月の赤ちゃんにミルクがないことが分かりました。別の隣家では父親が入院中で、母親が付き添つているため、3歳から15歳までの6人の子供たちが、毎日おかゆしか食べられない状況で新年を迎えます。5世紀以上他国の支配下にあった国の建国が、一朝一タにはいかないことを毎日の活動の中で感じています。どうかお祈りください。いつも物心両面で、私たちを支えてくださる『海外宣教者を支援する会』に心から感謝申し上げつつ、新しい年のご多幸をお祈り申し上げます。 ~カンボジア(コンポンルアン)~日本カトリック信徒宣教者会(JLMM) 篠田 正司
1年前、プノンペン空港に降り立ち、車の中からカンボジアの風景を見て、「本当にここで生きていけるのだろうか《と上安に思ったのは、もう遠い過去のように思えます。それぐらいいろんなことを体験した1年でした。雨季と乾季も一通り体験し、水上村の雨季と乾季での水質の変化を見ると水の大切さがわかりました。ハンモックに揺られながら音楽を聴いたり本を読んだりするのも板についてきました。砂埃避けのマスクをして、牛の群れを避けながらバイクに乗るのも日常です。買い物も何かどこに売っているかもだいたい分かるようになりました。蚊帳で寝ていますが、案外圧迫感があり、蚊帳なしで寝たいと思うようになりました。カンボジアで生活が出来ても、言葉もまだまだで、早く、くだらない世間話ができるようになりたいです。そうしたらもう少しカンボジアについても分かってくると思います。一時帰国は11月になりそう。その時まで、お風呂やごはんや蕎麦やカレー、ラーメンやすき焼きやタラコ、くるくる寿司、そして愛する甥っ子姪っ子はおあずけです。 さて、こちらでは1年に3回も正月があります。それは1月1日と旧正月(ベトナム・中国の正月)と、4月にあるクメール正月です。水上村はほとんどの人がベトナム人なので、ベトナム正月が一番盛り上がります。水上村では爆竹が至るところでなったり、各家には神棚がきれいに飾りつけられたり、そして陸地の船乗り場近くには移動遊園地がやってきました。小さいですが、高速で回る観覧車やくるくる回るブランコもあります。ダーツを投げて、風船が割れると景品がもらえる「的屋《には子供たちが集まり、大人たちは昼間からお酒を楽しんでいます。景品でもらった魚の形の風船が、普段は湖の中にいる魚が空に飛び出して正月を楽しんでいるかのように見えます。そして、いつもは赤土と草だけの無機質な道ですが、人でにぎわうと余計にお祭りの楽しさが倊増しているように思えました。 そしてコンポンルアン教会では正月のミサがあり、普段はカンボジア語でのミサなのですが、今回はベトナム語でのミサでした。 これもとても新鮮に感じました。そして何よりもミサにあずかっている水上村の人たちの祈りが、いつも以上に強いように感じました。いつもは暇そうにしている子供たちまでも、声を出して祈っています。カンボジア語がわからない彼らにとっあり、普段はカンボジア語でのミサなのですが、今回はベトナム語でのミサでした。 これもとても新鮮に感じました。そして何よりもミサにあずかっている水上村の人たちの祈りが、いつも以上に強いように感じました。いつもは暇そうにしている子供たちまでも、声を出して祈っています。カンボジア語がわからない彼らにとっては、何よりの正月のお祝いになったと思います。そして「母国語《はとても大切なのだと再確認しました。 この日のミサは何を言っているのかさっぱりわからず、周りのベトナム語に圧倒されましたが、みんなが大きな声で唱える祈りは聞いているだけでもうれしくなりました。 |