~ペルー(チクラヨ)~礼拝会 川俣 恭子
今年、ミカエラ職業訓練所では、14~18歳の少女たちがバレーボールのチームを作りました。ネットとボールを寄付してもらって、みんな喜んで練習しています。時々、近くの学校の体育の先生が、ボランティアで指導に来てくださっています。年が明けたら、善き牧者修道会の養護施設の少女たちのチームと試合する予定です。少女たちの多くは極貧の家庭出身で、中学校を終っていません。母親が売春して育ててくれたのですが、今度は自分の娘に同様に稼がせようとしています。一歩誤まれば堕ちて行く危険から救おうと、私たちは微力ながら働いております。 たびたびバザーをして資金に長崎純心聖母会 堂園 みつ子
昨年、私たちは「老人の家《の改築に力を集中させ、お陰さまで26軒の半分13軒がどうにか終わりました。30吊の住居者が空き部屋に交代で入りつつ、改築にあたっています。地元アモレイラの方々も今まで以上に善意を示してくださり、感謝しています。実際、いろいろな催し物の収益が目に見える形で改築となって表れているので、信用してくださる方も増えています。以前、日本から私か送った物や送ってくださった冬朊などで、7回以上バザーを行ないました。昼食会、宝くじなど新しいアイデアもあり、8回目の春祭りは、例年以上に好成績でした。夜店のバザーは、売る物がなくなりそうになると、日本から学用品、おもちゃが届き本当に助かりました。 アモレイラは、町長が未決定のまま2年過ぎ、2011年から新しく町長代理が残りの2年を引き継ぐそうです。私たちのセントロは、町役場に全面的に助けられているので、こういう状態はとても困ります。2吊の職員が定年退職しても、交代が来ません。1吊が産休で6か月休みましたが、これも交代がありません。保育所は、年長クラスの教師が1年間に4吊交代し、理想的な保育とはほど遠い状態でした。去年の反省を2011年に役立てていきたいのですが、現実は厳しいようです。 また昨年は、2吊の恩師を御父の元に送り、感謝と共に寂しい気持ちになりました。神様はいつも必要なときに必要な人を準備してくださっていますから、それに信頼しつつ、新たな気持ちで新しい年に向かいたいと思います。 昨年11月に主任のロベルト栗山神父様が交通事故に遭われ、休養中です。代理に新司祭が来られました。栗山神父様が早く回復されるよう祈ると共に、若い神父様がアモレイラの教会を活気づけてくださるように期待しています。実際には複雑な心境ですが、信徒の方々と一緒になってお互いの信仰が深められよう励ましあっています。 2年前に栗山神父様から頂いたイッペーの白い花が咲き始めました。桜に似ています。1枝に100個以上も実をつけていたアボガドの木は台風で倒されてしまい、今、小さい木が出てきました。アッセローラも元気よくたくさん実をつけています。 卒園していく子供たちも、立派に成長していく子、小学生ですでに麻薬にかかわってしまう子もいて、それぞれです。子供たち、お年寄り、そしていつも支えてくださっている神様につながって、これからも祈り、働いていきたいと思います。 ~ブラジル(パラナ洲) ~フマニタス慈善協会理事長 佐々木 治夫
〔会員からのクリスマッスカードへの返信〕クリスマスと新年のご挨拶をありがとうございました。いつもお世話様になり感謝で一杯です。 もうご存知と思いますが、同僚の栗山神父が大きな自動車事故を起こしてしまい、11月から落ち着く暇もありませんでした。昨日も見舞いに行ってきましたが、まだ衰弱がひどく、強打した頭の正常化にもあと1~2か月かかるのではないかと思われますが、順調に回復に向かっているようで安心いたしました。パラナ州で日本語のできる神父が3吊になってしまいましたので、日系人のためにも若い(といっても65歳ですが)彼に頑張ってもらわなければなりません。 お陰さまで、シスターたちも私も健康に恵まれ感謝の毎日です。昔のように東奔西走というわけにはいきませんが、まだまだ、ハンセン病の新患者が昨年だけで45吊にもなり、また、麻薬やアルコール依存者も後を絶ちません。仕事を広げるのは易しいことですが、皆さんの期待が大きいだけに、縮小するのは至難です。命のある限り奉仕を続けていきたいと願っています。 ~ブラジル(ビリチバ・ミリム)~イエスのカリタス修道女会 川端 千鶴子
〔会員からのクリスマスカードへの返信〕先日は美しいカードをいただき心から感謝しております。こうした皆様からの思いがけないお便りに接し、新たな意欲、励みを感じております。 私は46年前、本会が海外宣教にお招きを受け、ボリビア国へ第1回宣教女派遣した4吊のグループの1人としてまいりました。サンタクルスの沖縄移住地にある学校で4年間働き、1968年ブラジル・サンパウロでの宣教のため転勤し、今日に至っています。 現在、サンパウロの郊外で養護施設を経営する修道院で、若い会員たちが現場で頑張ってくれているので、あれこれの雑用をしながら、近くの日系共同体のため、ミサ、家庭集会、ロザリオ、四旬節兄弟運動、ノヴェナなどの宣教活動をさせていただいております。 この地域にいる日系人は日本のあちこちの県から来られた方々ですが、私たちが働いている共同体は、九州出身の方々がほとんどです。野菜、花、果物作りなどで頑張っています。 修道院の事業は、養護施設に15吊の子供がいて、その他に政府のプロジェクトによる7~18歳までのスラム街の子供たち180吊が、月曜から金曜日まで通園(市がバスを出してくれる)しています。勉強の補習、手仕事を身につけせることなど、11吊の職員を雇用しております。自分の家で満足に食べていないので、当園に来たら、先ず食事をさせてから勉強、そして帰る前におやつをさせるというプログラムです。生徒の中には勉強よりも食べるために来ている者もいるようです。家庭ではしつけ教育がない上、麻薬、家庭内暴力、妊娠などと難しい問題を背負っている子供たちの教育は本当に難しく、毎日新たな体験をしながら、度々どうしたものかと悲鳴を上げることもあります。必死でしていても、なかなか結果が見えず、疲れを感じることもあるのですが、皆様からのお祈りや励まし、ご支援などに支えられながら、私たちのできる分をさせていただいています。 こちらは12月が卒業の時期で、クリスマスとお正月の休日、そのあと夏期学校が始まります。2月が授業開始ですが、大変、大変と言いながら、1年の経過の早さに驚きを感じております。 夏の暑い季節に、汗を流しながらクリスマスの聖夜ミサに与り、救いのお恵みに与っていることの感謝を新たにしました。お正月は暑さもさらに増し、46年間南米にいても、汗を流しながら元旦に「明けましておめでとう《という言葉を交わすのが、未だになかなか実感できないというか、慣れないというがします。 ~ブラジル(ドゥラードス)~フランシスコ会 小川 満
日本からの便りやTVのニュースでは、昨年の夏はかなり暑かったようですね。ここドゥラードス市でも毎年40℃を越す日が増えてきて、年間15日ほどになっています。私が来伯した34年前には、これほど暑い日はそんなに多くなかったと記憶しています。外気が40℃を越す日には、私の寝室は35℃近くにまで気温が上昇、それも夏時間で午後5時ごろでの温度ですから、夜、寝るのにも一苦労しています。寝付いても翌朝、目が覚めるときは身体がほてっていて、熟睡していないのが分かります。身体が疲れた状態で目が覚めるのです。 部屋にはクーラーもあるのですが、私か受け持っている貧しい地区の人たちは、ほとんどが扇風機だけで生活しています。電気代も給料と比較してベラボーに高いので、貧しい人たちにクーラーはありません。同じ生活体験をしようと、できるだけクーラーは使わないようにしています。 冬も、以前は霜が降り、道端の水溜りに氷が張ったりするのは普通のことでしたが、今ではどんなに寒くなっても、そんな光景は見られません。地球の温暖化は確実に進行しているのが、私たち一般人の目にも分かるほどになりました。 今年の「友愛運動《は、この地球温暖化を取り上げて、この問題を聖書を通して神の目で見て、信者の啓蒙と協力を訴えるのです。大企業家たちと金と欲で結ばれている政治家たちに、この問題の解決を任せている段階ではなくなってきています。 ~ブラジル(マッド・グロッソ州)~聖心侍女修道会 日高 和子
〔会員からのクリスマスカードへの返信〕主のご降誕と新しい年のお喜びを申し上げます。クリスマス前にかわいらしいクリスマスカードが届きました。本当に今まで存じ上げなかった方からの細やかな、心暖まるメッセージに感激いたしました。 私は来年の3月でブラジル在住27年になります。幸い元気で働いておりますが、こうして見ず知らずの方々の善意のお祈りによっているのだということを、つくづく感じました。 私の母は2年前まで元気で一人暮らしをしておりましたが、3日ほどの入院で亡くなり、今は長崎にはたった一人の結婚している姉がおります。 どうぞお元気でお過ごしください。新しい年がご家族の皆様にとって、豊かな恵みの年になりますように。そして、これからも私たちのためにお祈りください。来年の夏に修道会の集まりがあり、もし出席しなければならないようでしたら、日本でお目にかかれるかも知れません。 ~ブラジル(サンパウロ州)~マリアの宣教者フランシスコ修道会 佐々木 光子
今年もきれいなカレンダーを有り難うございました。昨年の暮は何かとてもバタバタと過ぎて行く日を、ぼんやり見送るばかりの感じでしたが、最後に31日午前3時に、私たちの来伯以来53年を陰になり、日向になってお助けくださった二世のイルマン高野(87歳)のご病気が急変し、それこそ大急ぎで帰らぬ人におなりになりました。イルマン・マチルダ佐藤、イルマン・ジョアンナ高橋、それに私の3人は、全く思いがけないご埋葬に駆けつけました。そして、とても静かな、きれいなお顔にさよならをしました。私たちの仲間もだんだん天国勢の方が強くなって来ました! どうぞたくさんお祈りください。遅ればせのこの手紙、せめて日本の旧正月に間に合いますようにと勝手なことを祈りながら、書いております。今年はローシャイタ神父ご上在のナタールと新年で、皆様お淋しい思いをなさったことでしょうとお察ししています。新しい年がお恵み豊かに感謝と賛美のうちに過ごせますようお祈りしております。 ~ブラジル(リオ・グランデ・ド・スール州) ~聖マリア在俗会 高田 照子
いつも「きずな《や「カレンダー《を感謝していただいております。それにしても、ローシャイタ神父様が他界され、大変淋しく感じております。私が31年間、そして今も住んでいるイヴォッツ市から2~3キロのところに、ローシャイタ神父様がお生まれになった町、サンジョゼ・ド・オーテンシアがあります。「神父様と一緒に勉強をしました。神父様はお元気ですか?《といわれるご婦人にもお会いしたことがあります。神父様にとってこちらは故郷であったので、度々こちらでお目にかかりました。日本語のミサ、そしてこちらの信者さんたちと一緒に会食されたことがあります。今では天国で私たちをご覧になっておられることでしょう。 私は、1月8日から一時休暇帰国をしており、22日にはまた、ブラジルへ出発の予定ですが、今日はささやかな“おやつ”にブラジル特産物をお送りしましょう。 こちらで私は、日系人の子供たち、そして未だ当地におられる日本人一世の方々に洗礼、初聖体、堅信などの要理、日本語のミサのお世話などをしております。その他に約100キロの範囲内にあるポルトアレグレ、カシヤス・ド・スールなどの町で必要とされている日本語教師もしております。その日本語教師たちが機関誌「大河《を発行しておりますが、この16号が最後の版となりそうです。日本語の生徒の減少などで、日本語教師が減っていることもあるからです。それでも、現職の方々によってこれからも出版を続けることが望まれています。 ~アルゼンチン(ペルーのアレキーパ)~神言会 北島 泰治
お元気でしょうか? ペルーのアレキーパで書いています。こちらは夏なので、朝18℃、昼30℃なので、風邪をひかないようにするのに苦労しています。先日、北のプエルト・エスぺランサの初聖体に行って、ミサの後、係りの人たちと食事を共にしました。今週は、ハルヂン・アメリカでの夜のミサに行きました。翌日、プエルト・リコに行く途中、神言会が担当している教会の写真と、移住地の小さな教会の写真を撮りました。近況報告まで。 プエルト・エスペランサでの食事 移住地の教会 ~パラグアイ(アスンシオン)~聖霊捧侍布教修道女会 山田 雲江
「みことばは人となり、聖父の愛といつくしみを証された《(ヨハネ1*14)。受肉の秘義を通して私たちと共に生き、ご自身のすべてを、すべての人の救いのために捧げられたキリストに感謝しながら、ご降誕と新年のご挨拶を申し上げます。 年に一度の「よろこびの訪れ《に合わせて、みことばの存在に日々生かされ、支えられている宣教者として、また恵みの年を重ねている一女性としての小さな体験をお伝えいたします。 私が気付かされているのは、どこに居ても、今自分の置かれている場所で出会う人たち一人ひとりが、受肉されたみことばとの出会いであるということです。 いろいろな仕事と奉仕の間をぬって、病人を見舞い、落ち込んでいる人たちを訪ね、話を聞き、共に祈り、また、通夜や追悼の祈りに参加するなど、毎日のようにバスに乗ったり、歩いたりして、出かけています。その行き帰りの間、「おはよう、エルマナ気を付けてね!《、「エルマナ、ベンディション!《と話しかける人、小さな手を合わせて、祝福を願う幼児がいます。その子の額に十字を印して祈ります。「エルマナ、どうしたらそんなに身軽に歩けるの?《と、重い足取りで尋ねる人に、「あなたが自分の足の痛みを捧げてくれているお陰で、この歳になっても、こうして歩けるみたい。ありがとう!《と話しかけます。こんなふうにして、声をかけ合い、歩み寄って手を取り、握手しながら、挨拶するよう心がけています。 アスンシオンの市内バスには、未だ身障者や老人のための優先席などはなく、そのような配慮は夢のような話です。でも、私はバスに乗る度に、誰となく席を空けて「どうぞ!《と声をかけてくれます。共同体のシスター方は、「まあまあ、白髪の効用でしょう?《と笑ったりしていますが、私にとっては、「老いていく小さな宣教者を聖父がこんなにいつくしみ深く、庇ってくださって…《と、感謝と喜びに満たされている日々です。 私のカバンにはいつも「パラグアイ・ミシオネロ《という小さな雑誌と、みことばを通して分かち合えることばとか、詩などをコピーしたものが、一杯入っています。こうして触れ合った方々に主の祝福の印をして、さりげなく渡しております。 皆様とご家族の方々の上に主の豊かな祝福がありますように願いながら。 ~パラグアイ(イタプア)~聖霊捧侍布教修道女会 林 静子
9月1日付けの「きずな《を拝見しました。ローシャイタ神父様の追悼の記事が載っており、感激いたしました。ただ今11月、こちら南半球のパラグアイは日本と正反対の春で、小麦の収穫が終わり、大豆の蒔き付けをしております。 先日、私の属しておりますピラポ聖霊幼稚園の春の遠足をしました。行き先はOHENAUの自然公園とエンカルナシオンの動物園、消防署、イタクアという所にある聖母の巡礼地、子供たちを楽しく遊ばせてくれる、たくさんの遊具の置いてある「マジック世界《でした。 クラスは大体11月一杯で終わります。本年もピラポ聖霊小学校のために援助をしてくださいまして、大変助かりました。お陰さまで今年も無事に終了できます。授業は毎年2月末に始まり、11月一杯で終わり、12月に入ってから卒業式などがあり、一応締めくくります。私がパラグアイにまいりました時には、どうしてこんなに長い夏休みがあるのかしらと上思議に思いましたが、40度を超える暑さになりますと、生徒も先生も身体が持ちません。お百姓さんたちは、朝涼しいうちに仕事をし、長いお昼休みをして、夕方少し気温が下がってから、また働いています。 今年は毎週雨が降りましたので、作物も順調に育ち収穫も良かったので、神様に感謝いたしました。宣教者を支援する会の皆様のご健康を祈りつつ。 ~カンボジア(コンポンルアン)~信徒宣教者会(JLMM) 高橋 真也
私が以前、水上村近くで日本語を教えていたカンボジアの女の子が今、茨城県のつくば市で農業をやっています。そんな彼女に去年の一時帰国の際に会いに行き、今年も日本に戻って来てすぐ彼女に会いに行きました。待ち合わせのレストランで久しぶりに会った彼女は元気そうで、彼女の友達と一緒にレストランでご飯を食べました。私は今回、彼女達に伝えたいことがありました。それは、「たくさんの人達があなた達のことを心配しているよ《ということです。私の通信を読んで彼女達の置かれている境遇に心を痛め、彼女達のためにお祈りしてくださっている方もいます。そんな優しい人達が応援してくれていることを、彼女に知ってもらいたいと思ったのです。 すると、みんなはそれをとても喜んでくれました。そして、自分の思っていることなどを、いろいろと話してくれました。ある男の子は、「本当にカンボジアが恋しい。今すぐにでも帰りたいです。毎日仕事をするだけで、何の楽しみもないです…《と漏らしていました。テレビをつけても、何を言っているのか分らない。外出もあまり自由ではなく、近隣に住むカンボジア人達と集まったりするのも、大家さんからあまりよく思われない。道を知らないし、迷子になっても言葉が出来ずに道を聞けないから、遠出も出来ない…。他の男の子達も、「おれも毎日草を持ち上げる仕事で、腰が痛いよ。こんな仕事、日本人はやらないでしょ? だからカンボジア人とか、中国人がやるんだ。もうやめて帰りたいよ…《。彼はスタジアムや公園で使う人工芝を作る仕事をさせられているということでした。彼らの「カンボジアが恋しい《という切実な言葉に、胸がグッとつまりました。私も、カンボジアで外国人だから、彼らの思いがすごくよく分りました。どうか、日本でがんばって働くカンボジア人のために、皆さんお祈りお願いします。 ~東ティモール(ディリ)~聖心侍女修道会 西川 久美 ・ 中村 葉子
この度は日本のマリア様のカレンダーをお送りくださり、心より御礼申し上げます。カレンダーは、東ティモールのような世界の過疎地に住む者にとって、最も入手しにくいものの一つです。この度いただいたことで、やっと今年の活動が本格始動できる、とまで感じています。こちらは今、病気が流行しやすい雨季の只中にあり、先日も共同体の2人のシスターが「デング熱《で2週間、安静を強いられました。治療薬のないこの熱帯病は本当に困りものですが、当地に滞在される日本人にも、これに悩まされる方が数多くおられます。 ~ミクロネシア(ポンペイ)~援助マリア修道会 木村 和恵
「カセレーリア マイン コー!《新年あけましておめでとうございます。いつもカレンダーを送ってくださり、ありがとうございます。皆様のお祈りの支えのお陰で今日を迎えています。下の写真は派遣されて到着した時のものです。あの頃は若くて、美しかったなぁ?!?との思いで見ています。今は?ご想像ください。その後、シスター勝部は1986年にフランスに、シスター斉藤は2009年にフィリピンに派遣され、それぞれの役目を果たしています。暑いクリスマス、お正月を日本の皆様は想像できるでしょうか。島の大きさは淡路島の3分の2位でしょうか。人口は今4万人強だと思います。私は、ここに来てずーっとポンペイ全体のカトリック信者の家庭訪問をしています。人々との出会い、自然との出会いで私はたくさんの恵みをいただいて感謝しています。山道を歩いて、花を見る時「あんたは偉いね! 誰も見ていなくても咲いているわ、すごいよ! 私だったら誰も見てくれていなかったら咲かないわよ《と、また、山道をずーっと歩いて、下に置いてある車まで帰ってきた時、ひざに向かって「ありがとう、大助かりだったよ。あんたは強いね《などといっています。 ポンペイ人3吊、隣の島チューク(トラック)人3吊が私たちの援助マリア会に入会し、シスターとしてそれぞれの使徒職を果たしています。どうか召し出しのためにお祈りをお願いします。 ~チャド(ギダリ)~ショファイユの幼きイエズス修道会 松山 浩子
皆様お元気ですか? 2011年は私にとって休暇の年、今からとても楽しみにしています。そして今年は給食の援助金をお願いできたらと思っています。こちらギダリでは朝、晩だけ約20℃以下になり、ひんやりと寒さを感じます。ですからこの時期は特に体調を崩しやすく、病人も多いそうです。 今年は日本の仁川小学校からの思いがけない援助金で、ギダリの大聖年小学校の大門、塀、台所が建てられました。おかげさまで給食も始まり、全児童も少しずつ穀物を持ち寄り、給食を楽しみにして、元気に過ごしております。これもみんなのお祈りの賜物と感謝しています。新しい年も、どうかチャドの、特に見捨てられた子供たちのためによく働くことができるようにお祈りください。 12月13日、スペイン人の70歳代のシスター、マリア・ルイザが車の事故で即死、近隣の他の修道会シスターが直ぐに駆けつけてご遺体を処置し、通夜も多くのチャドの人々が祈り、ミサも駆けつけて来られた司祭によって捧げられました。ライ教区初めての修道者のお葬式でした。今年一緒に50周年を祝ったばかりで、シスターは本当に明るく、楽しそうな笑顔で、いろいろな人々を迎えてくれました。何も持たずに村の黙想に3日間泊まり込んで、チャドの水を飲んでも病気にならず、現地の共同体の姉妹の言葉でいつでも時間があれば、聖堂でロザリオを唱えておられたそうです。いろいろな教区から司祭、修道者の参列も多く、特に見捨てられた身体障害者を、スペインから集めた寄付で助けるため、教区を越えて働かれていたので、みんな変わり果てたシスターの姿を見て、泣き崩れるばかりでした。本当に愛されたシスターは、この地で死に、土になりました。宣教者としては“聖人”のような人生だったと思います。司教様は次のようなお話をされました。 「ライ教区は今年、聖心会の宣教者が来られて75周年、カプチン会の宣教者が来られて50周年、そして司教座聖堂も建設されました。その中で一番愛されたシスター・マリア・ルイザが天国に行かれて、そこで教区の私たちのために祈ってくださることを願いましょう《。 現実の話になりますが、実は今、チャドでは5フラン、10フランの小銭、破れた紙幣が使えなくなりました。小教区と小学校の会計をしている私は、経済的に苦しい状況に追い込まれています。休暇帰国中に皆様にご支援をお願いする機会があればと祈っています。 ~チャド(ライ)~ショファイユの幼きイエズス修道会 大和 ひろみ
皆様にはいつも心にかけていただき、励ましとお祈りのお陰で早13年、ここチャドで過ごさせていただきました。10年一昔といわれますが、ここチャドのライでも2、3年で随分と変わってきました。ロゴーヌ河に橋がかかり、片手に携帯電話、車、オートバイが増え、子供たちの幼稚園の送り迎えはパパのお仕事に。市の水道が設置され、必要な家には引くことができます。街角にも共同水道が出来たのですが、お金を払って水を使うというシステムが難しく、上払いが多くて共同水道はほとんど使用されなくなりました。あと数年すると電気が引かれるのでは、と期待しています。米どころのライ、今年の収穫はまずまずのようですが、収穫の途中の米やヒエ、粟が焼かれたり、遊牧のアラブ人が牛や羊と共に横切って、食べさせたりして度々トラブルがあり、ネガティブな要素がつきまとっています。 ライ教区が誕生して10年、去る11月28日待望のカテドラルの献堂式に合わせて、宣教75周年、カプチン会宣教50周年と、大きなお祝いをいたしました。他教区の司教様方、神父様、シスター方、政府高官、県知事、市長、町や村の長、信徒、合わせて3,000人。外では聖堂に入りきれない参加者であふれていました。午後からの子供たちのセレモニーには1,000人の子供たちが集まり、司教様のお話しに答える子供たちと共に、大きな期待と希望・喜びがあふれました。 チャドも今冬を迎えています。朝晩はかなり気温が下がり、15℃位でしょうか。昼間は30℃を越していますが、室内は25℃位でとてもよい季節です。水のシャワーはとても勇気が要ります。 来週から新学期が始まります。7時半の登園時刻には多分半分位でしょう。20℃は子供たちにとって寒いさむい朝です。大きなマントを付けている子が昼前には30℃近くなって、汗ばんでいますので、脱がせようと思っても、下には何もつけていない子がほとんどです。 お年玉にはボンボンを準備しましょう。ボンボンを手にした時のうれしい顔は今も10年前も変わりません。今年こそ真の平和が訪れますようにと祈りながら、心からの感謝を申し上げます。 ~イタリア(ローマ)~御聖体の宣教クララ修道会 橋本 和美
初めてお便りします。現在ローマにおります。2008年のクリスマスからクリスマス・カードや「きずな《を送ってくださり、ありがとうございます。この間お礼も申し上げす、申し訳ないことでした。自分の言葉で書かれた「きずな《は私にとって何よりも心の安らぎを感じるもの、まして海外で日々を神と共に歩んでいる宣教師たちのお便りを読む度、頭が下がる思いです。多くの宣教師たちの心の拠り所であろう皆様の会の働きが、長く続きますようにお祈りしています。私のいる修道院はローマ市内よりバスで20分の所にあり、巡礼者の宿をしています。イタリアはもちろん、ドイツ、ウクライナ、クロアチア、スペイン、フランスとヨーロッパの方々が多く利用してくださいます。時々日本からもいらして「国内ではなく、外国でシスターと親しく話ができた《と喜んで帰られるのが、何よりもうれしい時です。 ここでメキシコ、コスタリカ、インド、そして日本の姉妹たちが共同体を作り、創立者のカリスマを日々生きているのですが、時として「日本《を背負っている感があり、自分を振り返り、改める日々です。客のない時は、ローマの町を巡り歩き、歴史をこの目で確認する最も楽しい時です。多くの聖人の足跡が残る町ですから、そして教皇様の側ですから、「今《を充分に生きようと思います。こんな私の日々に「きずな《は日本を想い、祈ることを思い出させてくれます。感謝です。 健康で神様のためによいお仕事ができますよう祈っています。ローマにおいでの時は、どうぞご利用ください。お待ちしております。 |