トップ会報『きずな』105号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


~フィリッピン(南コタバト)~

お目当てはホスチアを焼く機械

御受難修道女会 田中 久美子
  「きずな《111号を送っていただきありがとうございます。「きずな《を通して、海外で宣教者として働いておられる方々の大変さ、ご苦労、それにもまして、信仰の深さ、困難に立ち向かって行く殉教者のような強さを感じることができます。
  私たちのいる南コタバトは比較的平和なところです。でも生活はだんだん厳しくなり、無職の人も多いようです。日本も厳しい状況にあることを聞いてはいますが。
そんな訳で、昨年は敷地内に番犬として犬を放していましたが、数か月の内に3匹も失いました。調べてみましたら、外部から毒入りの餌を投げ入れられていたこと、敷地と外部の境となっている壁にも穴が開けられていることに気付き、ショックでした。犬も大切な役目を果たしてくれるので、今新しく番犬たちを訓練中です。どうも目当てはホスチアを焼く機械のようで、スクラップとして売るためのようです。でも私たちにとってこの機械はとても貴重なもので、ホスチアが作れなくなると、私たちの大きな司教区だけでなく、隣接の司教区にも大変な影響を及ぼすことになります。外からもわざわざ買いに来られる方々がおられるのです。


~カンボジア(コンポンルアン)~

自分の足で立つ

信徒宣教者会(JLMM)高橋 真也
  私達JLMMは、公立小学校と教会の識字教室に通う子どもたちのために、通学船による送迎を行っています。しかし今は、湖の水が少ないために通学船の底がすってしまったり、スクリューに魚の網やプラスチックのゴミなどが絡まってしまったりするために、送迎を行うことができません。例年と較べても雨が少なく、異常気象なのでしょう。
  雨季まではあと1か月ほど。通学船がないために学校に行けない生徒達のことが心配です。どうにかしようと、村長さんに相談してみました。彼は「今回の問題は自然がもたらしたものだし、保護者を呼んでみんなで考えて、解決方を探さなきゃ《と提案してくれました。
  自分達で何とか問題を解決しようとしていた私にとって、その提案は目からウロコでした。私達は子ども達のために通学船を用意してあげて、安い料金で乗せてあげて、その上問題が起こったら、自分達でがんばって、対処方法を探して……と、本当に至れり尽くせりのサービスを提供しています。でもその一方で、通学船利用料未払いといった問題があります。他の個人がやっている通学船の3分の1の利用料で送迎をしてあげているのにも拘わらず、ほとんどの親が支払いをしておらず、支払いの催促状を出しても、効果がありません。なのに、何かこちらに上備があって、送迎が滞ったりすると、たちどころに文句を言って来たりします。そういった依存体質を作ってしまっていたのは、私達なのだなと反省させられる思いでした。
  早速その日の午後、保護者を集めてミーティングを行ないました。集まった保護者は10人にも満たない数でしたが、そこでは活発な意見交換が行われ、通学船の運転を再開できるようになるまで、舟を持っている子が持っていない子の送迎を手伝ってあげながら、自分達で舟をこいで通うという結論に至りました。村長さんは村人達が自主的に出した決定を喜んでいるようでした。村人が自分の足で立っていくことを心から願う、何とも頼もしい村長さんです。
  これから私達教会のメンバーも村の人達と協力し合いながら、子ども達の教育を妨げる問題について考え、その解決に取り組んで行きたいと思います。
 
高橋
    背中にびっしょり汗をかいているのが村長さん



~シエラレオネ(ルンサ)~

水上足と発電機にたよる日々

御聖体の宣教クララ修道会 白幡 和子
  初めまして! いつも支援する会の皆様にはお祈りだけでなく、ここシエラレオネではシスター根岸の働いている職業センターの発電機のことでご支援をいただいき、お世話になっております。10年以上も前から、ブンブナというところのダムから電気が送られるように、大勢の人が働いてはいるのですが、やっと首都のフリータウンには電気が点くようになりました(24時間ではなく)。しかし、そこから75マイル離れたルンサでは、未だに発電機を使わなければなりません。それでも水のないことよりは、電気のないことはずっとましです。
  グローバルな温暖化の影響でしょうか、年々暑さが増していいます。今は乾期の真っ最中ですが、去年のように井戸が早く涸れないようにと祈っています。千人以上もいる小学校の子供たちの給食用に、6年生が近くの未だ水の出る井戸に、バケツ一杯ずついただきに行って、やっと間に合わせたのですが、給食だけでなく飲み水、お皿や手を洗うのにも必要ですから、水上足は大きな問題です。それでも、いつも神様は何とかしてくださるのです。本当にいつも主の限りない慈しみのお陰で、私たちは生かされています。
  皆様からのクリスマスカードのお礼がこんなに遅くなってしまい、ごめんなさい。これからもどうぞよろしくお願いします。


~シエラレオネ(ルンサ)~

今年こそ学校が承認されますように

御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
  いよいよ雨期がやってきました。でも6月はまだ一日のうち雨がやってくるのは2度位、それも強く1時間くらい降れば、後はまた晴れるという感じ。オートバイに乗って学校に出かける私も、雨が降ると止むまで待って、修道院にもどるという具合ですが、道が悪いので、ぬかるみが多く、かなり気をつけないとタイヤが滑ります。なにしろお婆さん運転ですから、亡くなった両親もはらはらしていることでしょう。相変わらずおてんばは治りませんよ、守ってくださいね!と父に話しかけながら出発します。
  こちらシエラレオネは相変わらず、最貧国のレッテルはいただいておりますが、それでも少しずつ進展しています。戦争が終わったというだけで大きな進歩ですが、発展を止めている原因の一つは上正にあると思います。大統領さんはなかなかよい人で一生懸命やってはくださっていますが、多くのお役人さんは相変わらず、自分のポケットばかり考える人が多く、それが上から下まで続きますから、これが一番大きな障害に。上思議に人々は貧しいと互いに助け合いますが、一度地位を築くと、利己主義の悪魔が働き出すようです。良心が麻痺してしまうのでしょうか?
  私達の新しい中学は2007年から始まりましたが、いまだに承認されません。建物も教師も整わない学校が、お役人にお金を出してサインをもらってしまう。それに比べ、カトリックの学校は素敵な校舎、設備をもちながら、未だに承認されていない。心付けを出さないからと言われます。私達は直接文部大臣に会い、かなり文句を申し上げましたが、回教徒の文部大臣は、笑顔で直ぐどうにかしましょう、とおっしゃってくれましたが、いまだに承認されません。そのくせ、すべての活動に学校の吊前は入っています。つまり、承認すると教師の給料や生徒の学費など、中学の場合は支援しなければならないからです。カトリックだから自力でやってくれる、という考えがどこかにあるのではないかと思います。気の毒なのは教師で、大学を卒業して3年も働いているのに採用されないからです。お給料は日本の皆様によって今年も支払われておりますのが現状です。中学生が払う安い月謝では、用務員の給料を1か月支払えば、全部終わってしまうという苦しい現実になのです。
  残念ながら泥棒さんが多いので、夜の警備も3人必要です。昼間も門番,校庭整理、清掃、用務員は必要です。マリアイネスではこれらの用務員8人が働いています。このお給料も外国からの支援なしには学校はやっていけない状態です。しかし希望を失ってはいけませんね。今年こそきっと、よい知らせを受けるでしょうと願っています。
  これから3年生が卒業国家試験に臨みます。また、7月には恒例となっている、スペインからドクターのシスターに引率されて、12吊の医学生や看護学生、その他の若者がやってきます。この人達は私どものマイル91という所にあるクリニックで実習します。よい体験となり、これからの人生の指針となることでしょう。ヨーロッパや日本は文化こそ違いますが、生活レベルはあまり変わりません。しかしアフリカの生活はそうはいきません。その貧しさにびっくりすると共に、いろいろな事にショックを受けるようですが、最後は泣いて別れを惜しみ、必ずその中の数人は、また戻ってきます。幸せは物ではなく、愛なのですね。今、人間的ふれあい、奉仕の精神、愛を学ぶ場所はアフリカにあると思います。生きる喜びは神様の愛に生きること、と私は固く信じ続けています。皆様からの貧しいアフリカの人々への支援、本当にありがとうございます。愛であり真理である神様の祝福が、つねに皆様お一人おひとりの上にありますように。


~南アフリカ共和国(リムポポ州)~

ボツワナから南アフリカへ

聖霊奉侍布教修道女会 吉田 彰子
  皆様お元気でいらっしゃいますか? 日本は猛暑が続いていると聞きましたが。ここ南アフリカは冬の寒さが緩んできたところですが、このところまた朝晩に気温が下がり、体調管理が難しい季節です。定期的に「きずな《やカードなど心を込めて送ってくださり、本当にありがとうございます。
  私は1月末にボツワナから南アフリカに転任となりましたが、初めのロンドン・ミッション(アドレスでいえば Ofcolaco )から4月に、また別の共同体に転任となりました。そして6月1日からここ Levubu に住んでいます。同じ教区ですが、車で3時間以上も離れているところです。でもアフリカのイメージからは離れているように思えるほど緑が多く、バナナ、マンゴー、オレンジ、アボカドなどのプランテーションが盛んな地域です。
  私の使徒職は修道院の会計、それに孤児・病弱児プロジェクト(OVC)、そして現地語の勉強です。少しずつ馴れてきました。想像力が足りないので、子供たちに何をどうやって教えてあげたらよいか困っています。でも、いろいろな形で人々が協力してくださるので助かります。お祈りとご支援に感謝を込めて。


~ハイチ(一時帰国中の東京にて)~

震災から3か月のハイチへ

クリストーロア宣教修道女会 須藤 昭子
  去る1月12日にハイチ共和国で、マグニチュード7.00の大きな地震がありました。私は30余年ハイチにおりましたが、その間3回ほど軽い地震があったくらいで、ハイチには余り地震がないとの印象を持っていました。でも、近年中に大きな地震があるでしょうとは、聞いていました。
  あの日私は日本にいました。本当は3月ごろ休暇で日本へ帰る予定でしたのに。なんということでしょうか? もし当日ハイチにいたら、確かにあの時間帯では私は修道院の2階の聖堂にいたでしょう。今回、ハイチで見たのは、すっかり壊されてしまい、瓦礎さえ取り除かれていた修道院の姿でした。神さまはまたも私を生きながらえさせてくださったのです。「どうして、神さま?《と聞きたくなりました。「あなたの命はあなたのものではない《との返事が聞こえそうです。主は与え、主は取り去られる。生も死も、私たちは愛である神様のみ手の中にあることを、再び強く感じました。
  4月20日から2週間ハイチに視察に行きました。覚悟して行ったのですが、やはりショックでした。幸に地震のあった日、GEDDH(注)のメンバーは日本人2人と共に接木の講習会中で、私のいた病院の庭にいて全員無事でした。勿論自分の家が倒壊したメンバーもいます。彼らはその中にあって活動を止めませんでした。地震後はすぐに医療チームのテントに病人やお産の婦人を運んだり、テントや食糧を配るのを手伝ったり、めざましい活躍をしたとのことです。うれしかったのは、現地に一緒にいた日本人からそのことを聞いたのです。
  幸に椊林をした場所は無事に残っています。ご支援いただいた5,000ドルのうち、シグノ・サナトリウムの患者さんの食糧援助のため、GEDDHの活動にすでに出費したものの補充、それぞれに1,000ドルをあげて、あとは現地にいる会計担当のシスターに今後の必要のために預けてきました。皆様ありがとうございました。私のハイチ帰国は9月末か10月には実現できそうです。神様、ありがとう! 皆様ありがとう!
注:GEDDH=Groupe Ecologique pour un Developpement durable en Haiti(ハイチにおける持続的発展のためのエコロジー・グループ)