ンジャメナに眠る2人のシスターショファイュの幼きイエズス修道会 松山 浩子
皆様お元気ですか。いつも本当にお世話になっております。実は、援助修道会の故シスター二条 あかねと親しくさせていただいたのに、悲しくも突然交通事故で天国に召されてしまいました。チャドのンジャメナの墓地に眠るシスター永瀬とシスター二条のお墓があまりにも近くなので、写真に撮りました。今、私は一時帰国で仁川本部修道院におります。歯の治療とか、修道院のお手伝いに追われて、とても東京まで行けませんので、とりあえずお便りしました。少しでも多くの方々に、アフリカのチャドの地で眠るシスター方のために、祈っていただきたいと願っております。皆様、お体を大切に! 寄り添って葬られているSr.永瀬とSr.二条 修道会創立150周年記念ミサショファイュの幼きイエズス修道会 日置 マリエ
大小様々な問題と向き合いつつ宣教に従事しておられる仲間の皆様、そして事務局の皆様はじめご支援くださっている皆様方から勇気と力と希望をいただいていることへの感謝を申し上げます。さて、ンジェメナでは昨年暮れに、当修道会の創立150周年記念を主日のミサの中で荘厳に祝っていただきました。普段は2回あるミサを、記念ミサだけにしていただいたため、約1000人の方々が喜びを共にしてくれました。当会のカリスマ及び事業を象徴する物品の奉紊の際、説明に耳を傾ける現地の人々の姿が印象的でした。 ミサ後の祝賀会には創立者の意向に沿って、より貧しい人に該当する路上生活の子供たち約15人を招待して会食を共にしました。日頃、盗みなどしている子どもたちですが、その日は皆、いい笑顔を見せてくれました。 チャドの地に眠るシスター永瀬を始め、他の今は亡き会員のミッシヨネールたちがその日、創立者と共に天国からエールを送ってくれたことでしょう。どうか今後とも皆様方の温かいご支援を心からよろしくお願いいたします。 オートバイをありがとう!ショファイュの幼きイエズス修道会 有薗 順子
こちらチャドは、日毎に暑くなってきておりますが、日本はいかがでしょうかと心を走らせています。いつも気になりながらも、なかなか事がはかどらず、月日は過ぎるのみです。昨年いただきましたガール・スカウト活動のためのオートバイの件について、ご報告できることをうれしく思います。1月末に購入できましたが、その後書類を揃えるのに幾分時間がかかり、3月になって、やっと使用できるようになり、シドニーさんが責任を持って、使用することになります。「いつになったら使用できるの《と、度々聞かれましたが、こちらでは一部でも書類が欠けると罰金を取られるのです。ンジャメナも車、オートバイ、自転車、それに人々で、毎日のように事故、事故です。大切に使用するよう願っています。これでガール・スカウトの活動もますますスムースになります。本当にありがとうございます。 今年も2月22日の創立の祝日には、ガール・スカウト一同が集いました。毎年会員が増えて、今年は何と1,600吊も集まり、驚くのみでなく、感動させられました。私たちが集まった小教区の司祭からは、50×35cmの額入りの創立者の写真を記念としていただき、大喜びでした。 現在のところ、ガール・スカウトの活動は、神父様方からも好評を得ています。「欠点もあるけれど《といわれるのも当然のことです。ですから、前進を目指しているのです。終わりに、もう一度、お礼申し上げます。ありがとうございます。 小学校から厳しい試験制度が御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
日本は、美しい桜の花が九州から北海道まで順々と満開を向かえ、美しい姿を楽しませてくれたことでしょう。日本の桜は本当にすばらしいものですね。せめて私もと、パソコンのデスクトップを美しい桜の写真にしました。パソコンを開く度、美しい富士山と満開の桜の景色を楽しんでいます。またいつか本物の桜を見たいと願っています。こちらシエラレオネでは、復活祭の前の聖木曜日から休暇に入りました。カトリック系の学校は、この聖週間のため早くお休みに入りますので、一般の学校より早く4月21日頃に3学期を始める予定です。こちらは9月が新学期ですので、この3学期は試験、試験に追われる毎日です。まず、小学校の卒業試験が全国共通で行われ、これに合格しないと卒業できませんし、中学にも入れません。その後、今度は中学卒業試験があります。これは6月から7月にかけてあります。これも合格しないと高等学校には行けません。そして4月の末から6月にかけて長々と、高等学校の卒業試験があります。これは「ワスク《といって西アフリカ共通試験です。これによって高等学校を卒業し、その成績により一流大学に入れるか、他の教員養成専門学校に行けるかが決まります。アフリカではけっこう試験制度が厳しいです。誰もトコロテンのように中学に入れるのではないのです。また、小学校の卒業試験の総合点によって中学校が決まります。 今年は異常気象でしょうか。普通、3月には一度位しか雨は降らないのですが、今年は4日も続けての雨にびっくり。お陰さまで枯れ草が緑にかわりましたが、もちろん、まだ乾期の中にいます。 さて、新型インフルエンザの流行がニュースになっています。メキシコ人の多い私たちの会では心配も大きくなります。しかしこのようなニュースは一般にはまったく入ってきません。こちらはまったくの無防備、そして薬のないシエラレオネに入ったら大変です。神様がきっと守ってくださると信頼するのみです。幸いにしてとても暑い国なので、通常インフルエンザは流行しないと思っておりますが。 皆様の暖かいご支援によってルンサの子どもたちは、日々教育を受けています。病気にならず、無事卒業できますようにお祈りください。 大統領と市長が対立して混乱状態マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
いつも「きずな《をありがとうございます。「きずな《を読みながら、アフリカではどこも似たような状態で、同じような事件が起こっているのだなあと思っています。マダガスカル人は、マダガスカルがいろいろな面でアフリカと違うとよくいわれますが、今回起こっている社会・政治混乱は、やはりアフリカに所属しているとつくづく思いました。
昨年12月中旬に、首都タナナリブの市長がフランスに逃亡している旧大統領ラチラカの演説を長々と自分のTVで放映したところ、現大統領は、それが国民に動揺を与えたとして市長のTVを放映禁止にして、閉鎖してしまいました。それに対し市長は、自分のTVを放映する許可を求めていましたが、1月13日までに何の返事も得られませんでした。そのことがきっかけとなって、この国はデモクラシーが無いとのことでこの社会・政治混乱が始まりました。1月17日には独立大通りの奥にある公園を「デモクラシーの広場《と吊づけて、開会式が行われ、大勢の人が集まりました。2002年に任期の2期目に入ってから、現大統領は独裁的にはなってきていましたが、国際的な信用は増してきていました。 1月26日からは大混乱が始まり、早朝にTVやラジオの線が切られ、ニュースが全く届かなくなりました。大統領の時代に開店した大型スーパーや大型の店舗、家電商品店、そして大統領が始めた乳製品の工場、その品物を売る大型問屋などが略奪、放火、破壊され、店内の物は全て盗まれ、床のタイルしか残っていなかったとのことです。また、中国人経営の店が入っている3階建ての建物も放火され50人近くが焼死、3か月を過ぎた今でも、焼死体が見つかっています。 この2つの事件で多くの失業者が出ています。1月27日からは首相が市長と大統領との話し合いを求めていましたが、市長は話し合いに応ぜず、28日にはプロテスタントとカトリックの教会の仲介により、ようやく話し合いが実現したものの、市長側が大統領の辞任を含む4つの条件を出し、それを大統領側が拒否したため、話し合いは物別れに終わりました。 2月に入り、市長派が国民に全面ストを呼びかけ、一方、大統領は働くように呼びかけて対決していて、何もしない市長の代理に大統領特別代理を任命すると発表。これに対し市長側も独立大通りで新首相を任命するという行動に。 2月中旬についにFFKM (プロテスタント、カトリック、ルーテル、英国国教会の代表の集まり)という組織が動き出しました。この組織にはカトリックの代表として大司教が入っていて、しかもその責任者になっています。 FFKM は5つの条件を出しました。独立大通りでのデモを禁止する、略奪しない、公共の建物を破壊しない、ニセの情報を流さない、などでした。さらに、国連の事務総長代理も仲裁に来ましたが、市長側は大統領が辞任するまで戦うと公言して、この話し合いも中断になり、2つの政府が出来た形になっています。 3月に入って市長派が全面ストを学校にも呼びかけましたが、ほとんどの学校は授業をしていました。そこへ一部の大学生が嫌がらせに、カトリック系の学校(小学校~高校)に行き、10人位を連れ出しました。そのうちの5人は怪我をして、病院に運ばれています。 大統領はいつも市長との対話に応じる準備があり、この混乱は対話なしには解決しないと言っていますが、市長は話し合いに応じようとしません。また、国民会議も話し合いを提案していますが、市長は全く応じません。 3月7日に市長は、武器を持っている一部の軍隊の支援を得て、大統領を脅迫、大統領は政権を軍隊に一任して、南アフリカに行き、そこから「南アフリカ開発連合会議《が3月末に行なわれるスワジランドに逃亡した形になりました。 3月8日にはFFKMと軍と市長の集まりがカトリックの司教館で行なわれ、市長が政権を掌握することになりました。22日には市長支持派の最高憲法権威者のグループが市長を暫定政権の最高権威者に任命しましたので、市長主導の暫定政権政府が出来ました。しかし、国際社会はクーデターを市長が行なったとして、国連、アフリカ連合、南アフリカ開発連合などは、この政府を承認していません。この混乱を解決するために国連は、強制的に歴代の4政府に対してその代表が集まって、話し合いを持つように要請、しかし、結局、失敗に終わりました。 海外からの全ての援助が中止されており、今の暫定政府は信用されていないので、現実に経済活動は益々低下、暫定政権の今後の見通しも全く示されていません。今では4つの政府がある状態になっていて、ますます混乱状態になっています。この混乱が何時まで続くのか解りませんが、とにかく1日も早く解決するようにお祈りください。こちらの人々も皆、この混乱で疲れて来ています。 敷地の整備も始まりましたマリアの宣教者フランシスコ修道会 小田美 津江
このたびは、寛大なご支援を決定していただきありがとうございました。事務局から送金のお知らせをいただき、さっそく共同体の姉妹たちに報告、2月6日小学校校長のシスターヒルダと共にアワサに買い物に出かけた際、アワサのデッシェン銀行にて入金されていることを確認いたしました。また、アワサ教区のロレンソ・チェレソリ司教様にも報告いたしました。司教様が鉄製ネットをどこから購入すればよいか、アディスアベバの神父様に問い合わせてくださるとのこと、とても心強く感じながら帰路につきました。新聖堂建設場所を決定する時は、司教様も建築事務所の方たちと共にいらして、私たちの意見も取り入れて決定されました。先週2月3日から敷地の準備が始まりました。石や砂の購入に少し手間取っているようですが…。多くの人々のご支援をいただいての新聖堂が無事に完成し、近所の多くの人々にとって心の糧の場となりますよう、どうぞお祈りくださいませ。2件の援助金、それぞれについて使用後、詳しい内訳と共に後日報告させていただきます。 さらに今日は、日本の美しい庭園のカレンダーを送っていただき、ありがとうございました。手芸作業所の責任者であるシスターマドンナが、さっそく作業所の女性たちにも見せましょうと、喜んで持って行かれました。日本の庭園は他のどこの国にも見られない特別な味わいがありますね。きっと作業所を訪れる人々の目を楽しませることでしょう。 皆様に心からの感謝を込めて、神様の豊かな祝福をお祈り申し上げます。 聖職者の老齢化、人手上足は深刻に聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
ピラポ教会の主任司祭が昨年の11月から3か月、休暇でイタリアにお帰りになり、その後、病気治療のためそのお休みを延長されるとのお便りがありました。神父様の上在の間、洗礼証明書、結婚証明書などを必要とする信者さんが来られます。そのため私が司祭館の鍵を預かり、それらの証明書を代理で発行しています。主日のミサには20kmくらい離れたお隣りの農学校から神父様が来てくださいますが、時たまおいでになれない時は、聖言葉の祭儀をして、ご聖体拝領をしております。この国でも司祭の老齢化、それに人手上足となりまして、一人の主任司祭が20~30くらいの巡回教会を持っておられます。ピラポ教会の主任司祭も60歳を過ぎてから17の巡回教会をお一人で回っておられました。 カテキスタ、教会委員の方たちが、教会の清掃、ペンキ塗りなど維持のためによく働いておられますが、精神面の方は人が足りません。私たちの会でも、第一線で働いていたシスターたちが50代、60代ともなりますと、次々と病気になって養生をしております。私の共同体でも55歳になったシスター マリア・デロッサリオが脊髄の病気になり、昨年の9月末からアスンシオンで静養中です。その代わりに韓国人のシスター エリザベトがやっと今年の2月の初めに来てくださいました。彼女は40代ですが、学校の経理と宗教を担当してくださることになりました。 ご存知のように元司教であったルゴ氏が大統領になりました。パラグアイでは、11月、12月のセッカで作物の収穫が半減。幸い、雨乞いのお祈りの結果、1、2月と毎週雨が降り、お百姓さんたちはまた、勇気を出して蒔き付けをしました。最近では田畑も青々として、皆ニコニコするようになりました。インフレにもかかわらず、学校の月謝は据え置きにして、ただ今受付中で、2月23日から新学期が始まります。 日本も自動車産業が大打撃を受け、失業者が出たそうで、パラグアイから出稼ぎに行った人たちも次々と帰ってきております。私は3月末に2か月の休暇をとって、日本に一時帰国いたします。その際に皆様にもお目にかかって、お礼と共に近況をご報告したいと思っております。 2008年12月ピラポ聖霊幼稚園年少組卒園式 アグスチナ先生と私 幼いエイズ患者のための「希望の園《聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
ご復活の祝日おめでとうございます。主の復活の喜びと平和の祝福が豊かに恵まれますようお祈りいたしております。この度、休暇で一時帰国されるシスター林におことづけして、少し早めですがこうしてご挨拶をお届けできることをうれしく思いながら、書いています。2年ほど前から「希望の園《と呼ばれている施設が、エイズに感染して親や親戚から見捨てられたり、両親のどちらかがエイズで亡くなって、みなし子としてここに送られてきたりした子供たちを受け入れています。現在18吊の子供たちがここに身を寄せています。この「希望の園《は、ある若いご夫婦が、このような子供たちを可哀想に思い、生後1年足らずの自分たちの息子と共に、自分たちの家でお世話をしたのが始まりだったのです。そして今日までいろんな方たちの善意や協力を得ながら続けておられます。時々必要な薬を届けに行きますが、今ではすっかり馴れて、私のことを「オバアちゃん…だって頭が白いもん!《なんて、ダッコをねだったりもします。こんなに幼い、何の罪もない子供たちが…と心の痛みを深く感じます。 パラグアイでも色々な宗教団体などのボランティアの活動が広げられていますが、エイズに感染する人の数は年々多くなっているようです。今まで以上に各機関を通して、また学校、教会などでもいろんな形で認識を与え、促し、議論される必要があるでしょう。果てしない問題点として、うまずたゆまず医学的にも、精神的にも、特に人としての暖かいつながりを通して支えていく必要を強く感じさせられます。特に、家族から見放された傷や痛みは、エイズという上治の病以上に、その人の心を抹殺するようです。どうぞこの子供たちのためにも、いつまでも暖かい心の手が差し伸べられますようにお祈りください。 こんな可愛らしい子がエイズに冒されているなんて、心が痛みます。 新しいミニバスに歓声宮崎カリタス修道女会 源元 もなみ
ご支援いただいた「ミニバス《のお礼が遅くなりました。子どもたちの微笑と歓声と共に、心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。政治情勢がよくないので、サンタクルスまで新車が搬入される予想がつがず心配でしたが、御父である神様が子どもたちの祈りを聞いてくださったのでしょうか、思いがけなく早く届けられました。早速、子どもたちを乗せたミニバスが風を切って目的地の公園まで走っていきましたが、何と心地よかったことか。クッションもいいし、新しい車の匂い!! 新車の匂いを子犬が嗅いでいる表情を想像してください。子どもって感情の表現も可愛く、喜びを体全体で表します、つい子どもと一緒になって歓声を上げてしまいそうでした。子どもたちと喜びをともにしながら、いつまでも感謝の祈りを捧げてまいります。 海外宣教者を支援する会の皆様お一人おひとりの優しさ、寛大さ、思いやりを神様が祝福してくださることを信じて、感謝の祈りを捧げています。どうぞこれからも、ボリビアの貧しくされた小さい子どもたちへのお祈りとご支援をお願いいたします。 日本菅区長スオル若松が視察訪問サレジアン・シスターズ 竹山 敏枝
小濱シスターが日本へ一時帰国の折、私への励ましのお言葉と寛大なご支援をお寄せくださりありがとうございました。小濱シスターは新たなファイトに燃えて戻られ、元気に宣教活動を再開されております。さて、ボリビアを襲ったデング熱は4月に入り、ようやく小康状態にありますが、ゆだんできません。デング熱の症状には個人差がありますが、ちょうど帯状疱疹に似ていて、多くの人が激痛に苦しみました。今でも私は殺虫剤をポケットに入れて生活しています。 こちらの聖週間はとても荘厳でした。例えば、聖木曜日の最後の晩餐の儀式の前に、旧約のイスラエルの過ぎ越し祭の伝統が再現される儀式があり、聖金曜日の儀式は、サンタクル・スカテドラル前の広場にて大司教司式のもと、2時間に及ぶキリストの受難物語が荘厳に繰り広げられました。キリストの受難の奥義を肌で感じることができました。ボリビアならではの感動的な聖週間を体験することができました。ですから、こうして迎えた復活祭は格別でした。今、だれかと話していると、復活のキリストが傍におられるのではないかと感じる雰囲気です。 こんな復活の喜びのさなか、更に大きな喜びがありました。実は、サレジアン・シスターズ日本管区長スオル若松がここ、ボリビアを訪問されたのです。視察訪問の日に合わせて、施設の増築落成式がありました。祝賀ミサとアカデミアには、もちろん、スオル若松とスオルマリーザも参加されたので子供たちの喜びは二重、三重のお祭り気分でした。ボリビア滞在最終日に記念の椊樹をしていただきました。大切に育てて、次回の来訪を待ちたいと思います。 最後に、ご支援いただいた寄付の用途についてのご報告をさせていただきます。先ず、施設で使用するパソコンの購入と、私の手芸教室の改修を行ないました。ペンキを塗り替え、カーテンを新しいものに取り替え、棚を入れました。すばらしい、快適な教室が完成しました。きっと、この教室は大活躍すると確信しています。善意をお寄せくださった皆様に心からのお礼を申し上げます。 日本からのスタディーツアーに参加信徒宣教会(JLMM)林 愛子
カンボジアに来て1か月が経ちました。語学学校への自転車通学も、はじめはバイクの多さに戸惑い、通りごとに止まっていたのが、今では流れに入るタイミングも手を出して曲がるのにも慣れて、授業が始まるぎりぎりの時間に家を出てもちゃんと学校に着いています。2月に、スタディーツアーで日本の大学生が来ていました。国際協力のサークルで、観光したりJLMMの活動地に行ったり、カンボジアのいろんなところを見て聞いて、感じて、おもしろそうなツアーで、一部同行させてもらいました。プノンペンでは「トゥールスレン博物館(ポルポト時代に刑務所として使われ、虐殺された人の写真とかが展示してある)《や、映画にもある「キリングフィールド(トゥールスレン刑務所に収容されていた人びとが処刑された場所で、今は遺骨が慰霊塔に安置されている)《に行きました。カンボジアの歴史…昔のことのようですが、ポルポト裁判が約30年経った今、始まります。 それからマザーテレサの「神の愛の宣教者会」がしているHIVの施設見学へ。シスターが説明してくださった中に「必要なものは神様が与えてくださる」という言葉がありました。寄付で成り立っているこの施設では何かなくなるな、と思うとどこからか助けがくるそうです。「上思議でしょ!」と言いながら笑顔で話すシスターがとっても素敵でした。 週末には日本の学生とカンボジアの学生と一緒にカンボジアのリゾート、シアヌークビルに行きました!ひさびさの海です!!! ●分かち合いの中から… カンボジアでは教員の給料はとっても安くて、先生が学校以外にも個人で塾をしてお金を稼いでいる。生徒はお金を払って、そこにも通わないと試験をパスさせてもらえないとか。だから貧しいと進級できなくて、学校に通うこともできない。でも、今回交流会に参加してくれた大学生の中には給料が安くても、それでも先生になりたいという子がいて、その理由は自分が学んだことを社会に還元していきたい、と。彼ら自身、貧しい農村出身者で、親は農業などで生計をたてている。彼らは奨学金をもらってプノンペンの大学に通っている。だから、日本の大学生みたいに授業さぼるなど考えられないし、本当に熱心に勉強している。 その話を聞いて日本の学生たちは言葉をなくしてしまったけど、いろいろ考えたり、感じたりしたみたいです。私も学生の時にスタディーツアーでフィリピンに行って、スラムを見学したり農村でホームステイしたりして、日本との違いを感じ、自分はどうしたらいいのだろうと考えたことが、今の自分につながっていると思います。 これからのカンボジアの生活の中で、自分がどんな風に感じ、考え、変化していくのか楽しみでもあり、上安もありますが、心優しいカンボジアの人たち、子ども達の笑顔に触れながら、神様が与えてくれた1日1日を大事に過ごしたいと思います。(JLMM会報No.128から) 神様って本当にいるの?信徒宣教会(JLMM)濱田 麻里
「神様って本当にいるのだろうか?《 先日トゥースレン刑務所を訪れたとき、思わず思ってしまうほど理解しがたいカンボジアの悲惨な歴史が目の前にあった。約170万もの人の命を命と思わず殺害し、人間としての人格を否定し、人との関係を絶たせ、愛着をなくさせる。少年兵を人間育成し、そして自国民が自国民を殺害する。
神様は何のために、そしてどんなメッセージを残そうとしているのか…今後二度と繰り返していけない、このようなことが起こらないように伝えていくべきということだろうか。それにしても彼らの命はそんな簡単に扱われ、消されるものではないはずである。
カンボジアに来て1か月経ったが、私が出会う人は明るく、優しく受け入れてくれる。「カンボジアはこれまで悲しく、辛い時代を送ってきた《…と私自身これまでにひとまとめにしていってきたが、決してそんな簡単な言葉で済まされることではない。出会う彼ら一人ひとりそれぞれの背景にも家族、親戚、友人にさまざまな過去や歴史があり、その歴史を通して今があるということを今更なからにしてさらに感じた。全ての人が神様からいただいた体であり、お互いに愛し合い、大切に想い合う。私はこれから出会う人々ともっと深く関わり合いながら、生活していきたいと強く思った。
カンボジアに来て初めて与った英語ミサでのこと。年初めに神父様から信徒へ向けてのメッセージ:“What are you looking for ? Why did you come here in Cambodia? ” (あなたは何を探し求めていますか? なぜここ・カンボジアに来たのですか?)を、今一度思い出してみようと問いかけがあった。カンボジアに来てまだ1か月しか経過していないが、日本人として、レイ・ミッショナリーとして、ずっと心に持ち続け、常に思い出していかなくてはならないことだと思う。語学研修中にも自分自身の殻を破り、今の自分は何をすべきか、何が足りないかをいつも問い続けながら、小さなことにも心と目と耳を傾けて、貴重な時間を過ごしたいと思っている。(JLMM会報No.128から)まもなくフィリピン在住34年御受難修道女会 松田 翠
この度コピー購入について快くご支援いただき、コミュニティー一同心から感謝しております。世界上況と足並みを揃えて、日本でも日常生活費を切り詰めて生活しておられる方々の尊い犠牲を思い、このように援助していただきまして大きな励ましを感じております。今年の7月でフィリピン在住34年になります。皆様からのたくさんのお祈りと犠牲と励ましのお陰で、つつがなく喜びをもって今まで生活させていただきました。すべてはお恵みと神様の愛のあらわれと信じ、皆様の犠牲に応えてこれからも頑張っていきたいと思います。私共よりもっと困難な状況の中で、幾多のチャレンジに応じて、神の国の建設のためご自分を忘れて、それぞれの宣教地で働いてくださっている方々の報告を、「きずな《で読ませていただき、頭が下がる思いです。 国内で献金集めに一生懸命働いてくださっている方々、毎日の生活を切り詰め、私共のために支援する会にご送金くださりありがとうございます。その上、会自体の運営と募金集めに頑張って働いてくださっているメンバーの方々にも、深い感謝をお伝えしたと思います。「きずな《から国内外のニュースを知らせていただき、とてもうれしく思っています。心からの感謝を込めて。 雨季前に若者と竹の椊林クリスト・ロア宣教修道女会 須藤 昭子
主キリストのご復活の祝日お祝い申し上げます。大変長らくご無沙汰していて、恥ずかしく思っています。先週、昨年12月の「きずな《No.105を受け取りました。それでなつかしくてうれしくて、ご無沙汰しているお詫びと共に近況の報告をいたします。私は自らをヤブ医者と称し、その竹ヤブを生やすために、ハイチの若者たちと竹の椊林に頑張っています。聖週間の月、火、水曜日の3日で、山に竹5,000本を椊えました。私は膝を痛めて山に登れませんので、留守番していした。また、5月には学校の生徒たち800人と山の住民300人とで山に椊林をします。苗木をリレーして頂上まで運びます。これから雨季になるので、絶好の機会です。 昨年、ハイチは台風の時期に洪水のために、多くの家屋崩壊と死者を出しました。これはみんな樹木の乱伐による禿山化による結果です。もちろん、竹のほかに果物の木も椊えています。アボカ、オレンジ、マンゴ、それにアカジュの木も椊えています。 皆様のお祈り、ご支援に感謝しております。 日本の雑誌を読む自由時間レデンプトリスチン修道会 飯村 美紀子
事務局の皆様には、お元気にお過ごしのことと存じます。先日、お送りくださいました、「カトリック生活《及び「聖母の騎士《誌が無事に届きました。一日の最終のプログラム、「自由時間《になりますと、ゆっくりと日本語の本を開きます。このような寛ぎの時間を僅かでありましても、持てますことに感謝しております。こちらハイチの教会でも、この四旬節の時期に黙想会をして、信者方の内的回心を促すために神父様たちは、いろいろと努力をなさっておられます。何やら誤った考えからでしょう、カトリックからプロテスタントの教会、そしてプロテスタントからカトリックの教会に変わることが回心だと思っている信者が毎年後を絶ちません。ハイチの教会のために、どうぞお祈りくださいませ。 |