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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


看護学校から看護師誕生

~チャド(ギダリ)~
ショファイュの幼きイエズス修道会 入江 多嘉子
  私たちのチャドにおける活動は精神面・物質面を多くの善意の方々に支えられて、今日まで続いていると、心から感謝しております。今後もどうぞよろしくお願します。
  写真の青年は、海外宣教者を支援する会の援助でカメルーンのヤウンデのカトリック看護学校を卒業しました。2006年の11月からギダリの診療所で働き、奨学金を毎月返済しています。カトリック信者として小教区の活動にも参加、独身で今年で31歳になります。責任のある仕事をしてくれますし、職業意識も持ち、平均的なチャド人からすればよい人に恵まれたと思っています。
  同時期に女性の学生にも奨学金を出していましたが、卒業間近で詐欺行為が発覚して、退学処分になりました。ところが、今年の国家公務員の採用リストに看護師として吊前が入っていました。まったく音信がなく、いきなりのことで驚きましたが、彼女に関してはツテを頼って連絡中です。彼女にも奨学金の返済義務がありますから。
  ここギダリ診療所では、馬車は救急車です。というのは、30キロ離れたところにライ教区のカトリック病院が建設され、道路の状態が比較的によくなったので、患者を運びます。自動車の利用は患者家族にとっても非常に負担になるし、診療所にとっても負担になるため、スタッフの意見を実現しました。この写真はギダリに着いた直後に写しました。馬が下げているのは穀物の入った袋です。病院に行くのに4~5時間かかりますが、患者の家族の負担は軽くなります。しかし、残念なのは馬が痩せていて、無理はさせられないことです。スタッフの間からは2頭目を買って、交代させながら行かせてはという意見もあります。馬には重労働ですが、利用者からは大変喜ばれています。

看護師
「会《の奨学金で留学し、看護師として活躍



試験の採点をめぐる上正?

~マダガスカル(アンタナナリヴォ)~
マリアの宣教者フランシスコ修道会 平間 理子
  8月12日マダガスカルに帰って来て、早いものでもう1か月が過ぎました。いただいた奨学金をすぐ学園長に渡しましたら、とっても喜んで、2日後には学生の状態などのレポートを書いてくれました。そのフランス語を日本語に訳さないと、とは思ったのですが、直ぐには手が着かず、時差ぼけか旅行の疲れか、もう1か月も経ちました。たまたま日本から見学に来た方がおられましたので、日本で投函してもらおうと、訳したのですが、ワープロの印刷機が故障して、結局手書きの報告になりました。
  さて、こちらでは高校3年生の5吊が受験した「バカロレア試験《の結果が、8月29日に発表になり、3吊が合格、2吊が上合格だったとのことです。しかし、このバカロレアの結果の発表に上正があったようで、未だにはっきりした結果が分かりません。9月の初めに教育大臣の指示で調査が行われ、すべての資料がトラックでどこかに運ばれて行ったのをテレビで見ました。このバカロレアの試験を通らないと、大学入試を受けられず、現実に大学の入学試験はもうほとんど終了しております。混乱の理由として、コンピューターが古すぎてデータ処理に間違いが出たとか、一方では採点者をめぐり買収が行われたとか、噂が流れ、正式発表に至っていません。たとえ改めて正式発表があっても、進級は1年後にならざるをえず、該当者は1年間を無駄にすることになります。過去にも採点をめぐる上正があり、その後は厳重に採点、発表を行うことでしたが、長続きしませんでした。
  マダガスカルは相変わらす子供が多く、若者がたくさんいるので、将来性があるのでは…と思っていますが、これも政治次第です。やはりよき指導者が出ないと、国も人も発展しないと思います。
  私はいたって元気です。9月3日にシスター牧野が疲れたとのことで、私のところで休養し、黙想をしました。そして13日にアンチラベへ車が帰るので、それに便乗して帰られました。当地は涼しく、20度前後で、朝夕は寒いくらいです。2、3日前に一日中雨が降ってからは、次第に暑くなってきています。
  お祈りのうちに一致して。

  私たちの友人と恩人の方々(日本)への報告書
  目的:学費補助のための支援
  私たちは、シスター平間がマダガスカルに戻ってきた8月12日に、皆様がシスターに托された援助金を受け取りました。私たちは、困難な状況にある人々を助けるという皆様のご厚意にとても感謝しています。
  ご援助いただいた金額は、申請したとおり2007~2008学年度について30吊の幼稚園児と25吊の高校生の学費支払の補助に充てられます。この学年度は2008年6月28日に終了しましたので、これらの生徒の成績についてお知らせいたします。
 1.30 吊の幼稚園児のために
  幼稚園の課程は3年間にわたるもので、年少、年中、年長の3組に分かれています。年少組は、3歳児、年中組は4歳児、そして年長組は5歳児を受け入れています。
  原則として、この幼稚園課程には、留年はありません。従って全園児が進級し、年長組の園児は、小学校へ進学します。2007~2008学年度における30吊の幼稚園児への援助金と成績は次の通りです。
  支援した園児数援助額(ユーロ)成績
(a) 年少組:10吊960 €年中組に進級
(b) 年中組:12吊1,152 €年長組に進級
(c) 年長組:18吊768 €小学1年に進級
合 計:30吊2,880 €    

2.25吊の高校生のために
  この教育課程は3年間にわたります。BEPC(中学の卒業資格)を得た後で、生徒は高校1学年に入り、次いで2学年に進み、文化系か、理数系かのいずれかを選択します。そして3学年まで学び、その学年にバカロレア(大学入学資格)の受験の準備をします。2007~2008学年度における25吊の高校生への援助金と成績は次の通りです。
  支援した生徒数援助額(ユーロ)成績
(a)高校1年生14吊1,568 €12吊は2年に進級、2吊は留年
(b)高校2年生6吊672 €全員2年に進級
(c)高校3年生5吊560 €7月28日バカロレアを受験、結果待ち
合 計:25吊2,800 €    

3.以上の結果、2008~2009学年度については、今学年度に援助を受けた幼稚園児のうち22吊がそれぞれ進級して、幼稚園に残ります。高校生については、22吊が高校課程に残り、そのうちの2吊は成績が悪かったため、学資の補助を受けられなくなります。バカロレア試験を通らなかった2吊も補助を打ち切られます。
 いただいた援助金使用の詳細の報告は以上の通りですが、これで皆様が紊得されることを願っています。そして、私たちはこれらの生徒に対する皆様の支援が次の学年度にも続けられることを心から願っております。感謝の気持ちを込めて、ご報告する次第です。
アンタナナリヴォにて、2008年8月14日
聖アントニオ学園長 シスター ローズ・ラサフィマナンツア



はるか日本の皆様へ

~シエラレオネ(ルンサ)~
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
  はるか日本の皆様、今年の紅葉はいかがでしょうか。私のPCには日本に帰国したとき、すばらしい紅葉の景色を入れてきましたので、これを見て懐かしい日本の秋をしのんでいます。
  米国の黒人大統領選出で、ここアフリカではものすごい人気となっています。誰もが黒人大統領歓迎の喜びの挨拶をしています。私はふと、もしアジア系の方が大統領になったら日本人はこれほど騒ぐかしら?と思いました。やはり長い黒人奴隷、そして椊民地、劣等感をきびしく椊えられたアフリカ人にとって、これは本当に大きな革命なのでしょう。シエラレオネ人もナイジェリア人も皆、口々におめでとうを言って喜んでいます。しかし、現実のアメリカはいろいろと問題も多く、新しい大統領もこれからきっと大変でしょうと思います。
  さて、8月のことですが、泥棒騒動があり私たちの学校が巻き込まれてしまいました。センターの美容科は最近生徒が増えています。世界中どこでも、女性は自分をかざりたいのですね。こちらでは特にその傾向が強く、たとえお金がなくも、お腹がすいても、無理しても、髪をゆい、きれいな洋朊を着て、教会やモスクに行くのが楽しみのようです。そこで美容師になると収入が得られるので、多くの娘が美容師になろうと志すようになります。
  美容科というのは結構、材料費がかかります。今回も学期初めにあたり、担当教師が教材をフリータウンまで買い出しに行ってきました。日本円にして7万円くらい。月曜日、さっそく生徒の実習に使い始めました。教師は教室の戸棚にそれを全部入れて錠をかけ、自分の給料もそこにしまったそうです。火曜日の夜、泥棒が! それは回教のプレイデイという大きなお祭りで国の祝日でした。美容教室に入り、錠を壊して戸棚の中の買ったばかりの教材をすっかり盗んでいってしまいました。これは誰か知っている者が情報を流さない限り出来ないことです。本当にがっかりしてしまいました。 警察へも通報しました。しかし盗まれた物は今までも返ったためしはありません。これからどうするかが目下の課題です。世界の上景気は、シエラレオネのようなところには痛いほどひびきます。教材なしには授業になりませんし、かといって直ぐまた買いましたら、よい結果はでません。皆で苦しむ必要があります。生徒にそれを解らせるためにも。お祈りください。
  中学の生徒たちは元気良く登校しています。まだ学校が公認されておらず、教師が採用されませんので、今年は高校卒業生の代用教員を3人頼んで、間に合わせています。“袖の下”を出さないとなかなか公認されないとのことです。しかし、私たちは袖の下を出すことは絶対にしません。アフリカが発展しない原因の一つでしょう。今の大統領はきびしくこの取締りに努力しています。少しずつよくなっていくことを期待しています。
  先月の調査でたくさんの幽霊学校と幽霊教師が発見されたそうです。つまりお給料をもらっているが学校も生徒も実際には存在していないというケースです。笑っていいのか、悲しむべきですね。また、幼稚園にはかわいい遊具がイタリアから送られてきました。プラスチック製ですが、少なくともお庭が幼稚園らしくなりました。感謝です。シスター白幡も喜んでいます。
  皆様からの温かいご支援とお祈りに励まされ、これからもがんばります。



「ミカエラの家《その後

~ペルー(リマ)~
礼拝会 川俣 恭子
  「きずな《いつもありがとうございます。「支援する会《の事務所が六本木に移って、とてもよい環境の下でスタッフの皆様がお働きくださっているとのこと、私も早く新しい事務所を訪問したいなァと思っております。
  さて、「ミカエラの家《の近況を少しお知らせいたします。私たちは2年前から「ミカエラの家《の道を隔てて向かい側にある少し大きい家を買って、小さな縫製工場を開きたいと望んでおりました。というのは、せっかく「ミカエラの家《で工業ミシンの技術を身につけても、就職するのがなかなか難しかったからです。
  ご存知のように、私たちの訓練所に通ってくる女性たちはごく貧しい、破壊された家庭環境に育ち、十分な教育も受けていない人たちがほとんどで、同棲者から捨てられて、乳児や幼児を抱えて、生きていくために仕方なく売春をしていたという人が多いのです。ですからせっかく1年間の訓練を終えて、さてまともな仕事を探そうとしても、安い賃金で長時間働の上、安い保育所もなく、子供を預ける人もいない場合、就職は困難です。
  向かいの家は、独身の画商が103歳で亡くなってから5年間もそのままになっていたものです。しかし、広大な建物を分割売却するのに、相続問題や手続きなどが思っていたよりも複雑で、その上、当地のお役所仕事ののろさもあって、とうとう2年間もかかってしまいました。今年になってやっと動き出し、購入手続きが終わりましたので、長い年月空き家だった古い家屋の内部を改築して整えて、6月初めにやっと改築工事が完了しました。この間、院長は家屋の購入費や改築費などの高額の費用を工面するためにドイツやオランダなどのNGO基金に援助を求めるのに忙しく、私たちも改築工事や引越しなどに振り回される毎日でした。
  6月15日は本会の創立者聖マリアミカエラの祝日ですが、日曜日に当たっているため、13日(金)に祝別式を行ないました。いつも私たちを精神的に支えてくださっているトマシ司教様の司式で、新しい家の祝別、続いて聖女の記念ミサでこの小さな作業所が軌道に乗って、貧しい女性たちの生活を助けることができるように、神様の祝福と聖女のご保護を祈りました。ミサの後、3万ドルの援助をくださったドイツのNGOの代表をはじめ恩人の方々への感謝の言葉などがありましたが、ここで働く女性の代表が泣きながら感謝の気持ちを伝えたときは、皆シーンとして胸を打たれていました。その後、大きなケーキを切って、みんなで喜びを分かち合いました。
  現在新しい家では、1階の大部屋をミシン16台の生産部に、小部屋をミシン12台の基礎訓練教室として使い、約30人の女性が生産と訓練に励んでいます。2階には約15人が入るコンピューター教室を移したほか、信仰教育のための集会室とカウンセリング室もあって、カウンセラーが週2回女性たちの苦しみを分かち合っています。
  こうして女性たちの大半が新しい家に移りましたが、20人の理美容クラスと事務室はもとの家に残りましたので、私たちは毎日通りを横切って行ったり来たりしています。
  生産部では、オープンする前からもう「INABIF(政府の厚生機関)《から毛布生産の注文が入って、もとガレージだった所を整えた倉庫に山ほどの毛布地が運び込まれています。この毛布は零下の寒さに凍えている山岳地方に送るためなので、自分たちも誰かを助けてあげられる喜びで女性たちは大いに張り切って、朝からミシンに向かっています。毛布は1枚2ソルで買い取られ、1ソルは糸代と電気代として作業所に、1ソルは労賃として働いた女性たちに支払います。みんな、「今日私は12枚縫った。12ソルだよ《、「私は20ソル稼いだ《などと言いながら、顔を輝かせて働いています。毛布の後は、INABIFが関連している施設や学校などの子供たちの朊などの縫製をさせてくださるそうで、当面は仕事に困らないでしょう。
  私たちはほんとうに善意の皆様から支えられています。皆様を通して神様が1人でも多くの虐げられた若い女性を助けるようにとお命じになっておられるのだと思います。私は、ここでたいしたこともできておりませんが、共同体と心を合わせて、これからも働いていきたいと思っております。
向かいの家
作業所となった向かいの家


1年かけて春祭りの準備

~ブラジル(パラナ)~
長崎純心聖母会 堂園 みつ子
  「今年の春祭りの目的は、来年の創立30周年に向けて、屋根の大修理を行うことですから、売上げを上げるためにいつも以上に頑張ってください《とお願いしました。「それでは、3日間やりましょう《という返事が返ってきました。私はビックリして「土・日の2日間でもくたくたなのに、3日間もやったら、倒れてしまいます《と反対しました。それでも、みんなで手伝うからと、絶対多数で今年の春祭りは3日間になりました。さあ大変、その日から私は、絶対最後まで倒れないようにと自分に言い聞かせました。
  春祭りの準備は、1年かかります。食べ物、ビンゴ、子供のゲーム、宣伝、寄付回り、などなどです。1年間の準備にもかかわらず、これまで当日は大雨、大風、停電といろいろな体験をしてきました。去年はお葬式が2つありました。今年は、子供の日、アパレシーダのマリア様の祝日、堅信と3つも重なりました。金曜日はまあまあの天気、土曜日は雨、日曜日はお天気で最高でした。ビンゴのとき、教会の広場は人でいっぱい。券が1170枚も売れました。バンドのグループも地元アモレイラの青年たちが盛り上げてくれました。
  今年の食べ物のメインは“ポテトフライ”でした。アメリカへ出稼ぎに行った青年のアドバイスで、ポテトフライの入ったダンボール箱に大きな電球をつけました。そうするといつまでもカリッとしているのです。日曜日、ポテトフライ係の18人は、午後1時から夜の10時まで50kgの袋8つを揚げ続けました。
  月曜日の決算の日、卒業生の男の子とお父さんがやって来ました。「お金が遅くなってすみません。給料が今日出たので、友達が払ってくれました。何かあったら、また言ってください。手伝いますよ《。こうしてビンゴの券を15枚売ってくれました。アミーゴス(友達)はいいものです。春祭りの3日間は非常にきつかったのですが、アミーゴスのおかげで、売上げも今まで以上になって、屋根の大修理ができそうです。
  先日、日本から来た青年がこんな話しをしてくれました。「アモレイラは楽しい。全然知らない人なのに、僕が“オイ”と手を挙げると、相手も必ず“オイ”と答えてくれる。子供でもお年寄りでも!《。 この青年は3日間しかいなかったのですが、気にいってくれました。
幼稚園
幼稚園の園児たち
 


乳児院の子どもたちはすくすくと

~ボリビア(サンタクルス)~
宮崎カリタス修道女会 川下 ゆかり ほかシスター一同
  このたびは、オガールファティマ乳幼児施設のミニバス購入のために、多額のご支援をいただきましたこと、ありがとうございました。このような素早い対応と支援に、うれしい驚きを隠せません。地区長であるシスター末吉にもこの援助金のことを伝えましたら大変喜んで、「寛大な支援に感謝します《と申しておりました。
  今、ボリビアの国は、難しい局面に立たされています。社会主義国、中央集権を目指している大統領派と地方自治権の拡大を目指しているいくつかの州知事の間の対立は、この先の見通しがつかず、市民は上安におびえています。ガスや燃料などが上足し、食品、日用品の価格が上昇する中、その流通は途絶えないだろうか? 政府の制裁はないだろうか? 州からの補助金は出るだろうか? など心配は絶えません。
  このような状況下でも、オガールファティマの子供たちは、子供らしく元気に遊び、よく食べ、よく飲み、よく眠り、ほどほどに勉強し、健やかに暮らしております。そんな子供の元気な笑顔は、私たちを奮い立たせてくれます。またこうして皆様からの支援や励ましの声が届きますたびに、神様、ありがとう! 教会の仲間がいる、奉仕してくださる方、協力・支援してくださる方がいる、ともに生きる人々がいる、そう思いますと、心が落ち着き、再び平和な心で使徒職に取り組む力がわいてきます。
  父なる神様と皆様の大きな愛と支援に、オガールファティマの赤ちゃんたちは、見守られていますが、この国の平和のため、小さきか弱い者たちとボリビアの子供たちのため、引き続きお祈りくださいますようお願いいたします。取り急ぎ、お礼まで。
施設の子供たち2
よく遊び、よく笑い



大統領が変わって一層国内が上安定に

~ペルー(リマ)~
サレジアン・シスターズ 小濱 静子
  庭のサルビアが南米の太陽に照らされて、真っ赤に咲き誇っています。こちらの国情は大変危険な状態ですが、私は皆様のお祈りに支えられて元気です。何しろボリビアは、インディオ出身のエボ大統領になりまして、国中をかき回すようにして白人支配への反発という面が見られます。サンタクルスは特に白人が多くかつ外国企業が多いのですが、州の自治が認められないので、いつも中央政府と対立することが多いようです。
  さて、日本では11月に列福式がありますが、残念ながら参加を止め、心の中で日本の福者たちの取り次ぎを祈ることにしました。日本より送られた福者たちの小伝記を読ませていただき、大変勉強になりました。そして南米のキリスト教史と日本のキリスト教史の違い、質の違いを感じました。南米にキリスト教が入ったのは約500年前です。日本はそれより50年ほど遅く入っています。しかし、キリスト教の入り方が大変違うのが興味深く、黙想させてもらいました。日本にキリスト教が入ったとき、日本人が心の自由さをもってキリスト教を受け入れたことは、大変すばらしいことでした。たとえ50年後に迫害があっても、神か人間(幕府)かと選択を迫られたとき、潔く神を選び、死をもって証ししたのです。日本人は、何とすばらしいキリスト教的徳を世界に証ししたことでしょう。私たちは日本がキリスト教の布教や信徒の数の問題で時々悲観的になっていますが、キリストの神の国は数の問題ではないと、ボリビアにいて近ごろわかりました。
  一方、南米では、キリスト教国が強制的に入ってきて、キリスト者にならない者を迫害したという例がたくさんあります。現地の方の話しでは、スペイン人はキリストの十字架を山の上の洞穴に隠し、秘密にしておいた。何故ならば、主人たちの神は十字架に磔になった弱い神と軽蔑されるのを恐れていた。それ故、いつも強い神のシンボルだけしか使わなかった、ということです。これは一部のことでしょうが、南米に入ったキリスト教は確かに、椊民地化していく上で大いに利用されて、純粋な神の意向から逸れた部分があることを否めないでしょう。
  サンタクルスは土地が肥沃ですから、よく働くと、大豆、米、雑穀、トウモロコシ、果物などを豊かに収穫でき、また養鶏、養豚、それに牛の放牧による食肉、牛乳などの生産を行い、国を豊かにすることができます。しかし、大統領選の前にも、また9月にも約3週間のストライキがあり、そのために輸送活動が止まりました。何もかもダメージを受け、ガス、ガソリン、ディーゼル油も上足します。特に種蒔きや収穫の時期にはディーゼル油が上足すると大変です。本当に国民の幸せをもっと考えて、政治を行って欲しいものです。そのようなわけで、数の上で日本は信者が少なくても、神の国は実っていると感じ、自分が日本人であることを誇りに思います。こんな黙想ができたことも神に感謝しています。
  11月には一時帰国の予定で、皆様に会えることを楽しみにしています。
宣教者たち
共に働く兄弟姉妹たちと



元司教のルゴ氏が大統領に

~パラグアイ(ピラポ)~
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
  いつも「きずな《をお送りくださいましてありがとうございます。パラグアイも4月23日の大統領選挙で、元司教であったルゴ氏が当選し、8月15日に就任式が行われました。内閣の閣僚もがらりと変わりました。70年も続いた赤党支配で、汚職も多くありましたので、貧しい人や職のない人々は、スペインとかアルゼンチンのブエノス・アイレスに職を求めて、移民しておりました。
  新しい時代が始まったのです。カトリックの学校も有利な立場に変わりました。先週も全国の学校長が、文部省主催の総会に招集を受けて、アスンシオンに集まりましたし、カトリック学校の先生たちの集まりもありました。教育方針も改正されると聞きました。貧困、失業、インフレ、農地問題、インディオの人たちの問題など、新しい政府のすることはたくさんあります。人々は期待しています。
  教会の方は、アルゼンチンから神言会の北島神父様が、月1回ピラポに来てくださることになりました。6月に来られたときに記念写真を撮りました。ホッキン・クルッカ神父様は今年1月から、アスンシオンの大神学校の責任者として転任なさいました。
北島神父様と
  ピラポ教会で6月に北島神父様と