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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


皆様のお祈りに支えられて

〜チャド(ライ)〜
ショファイュの幼きイエズス修道会 大和 ひろみ
カット
  日本ではほとんど報道されなかったようですが、1月30日から2月にかけて内戦が起こり、今までも度々繰り返されていたのですが、この度は首都ンジャメナまで反政府軍が押し寄せ、ンジャメナのシスターたちは大変な体験をされました。フランス軍のベースキャンプに泊まって軍用機でガボンに向かい、その後エールフランス機で総本部に避難するという事態にまで至りました。
  3週間後少し落ち着き、帰れましたので、シスター・グラツェと2人でンジャメナを訪問。無惨に破壊された建造物、たくさんの死傷者が出たンジャメナの町々を見て回りました。おびただしいフランス軍や政府軍のトラックが行き交い、街の様子がすっかり変わっていました。反政府軍の首謀者が捕まり、数日で停戦になったのですが、再びの反乱に備えて、ンジャメナ周囲20キロに穴を掘ったり、メイン通りの大木を切り倒し、見通しをよくしたりと、過剰反応と思える政府軍の行動に驚いています。現政府に不満を持つ人も多いようですから、まだまだ不安です。3月半ばまで全国に厳戒態勢がひかれ、夜間の外出禁止など南に住む私たちもしばらく緊張が続きました。
  実は、皆様からのお便りも、そんな事情からか、3月半ばにいただきました。仁川本部からの連絡で、日本から皆様がお祈りで支えてくださっていたことを知り、心から感謝いたします。
学校の復活祭休暇がいつもよりずれて、4月7日から始まりましたので、筆無精の私もやっとペンを執りました。新しい年度、神さまの愛と平和、喜びと恵みが、皆様の上に満ち溢れますように、心からお祈りをいたします。
洗礼
直ぐ横のロゴース河での洗礼式。いつも百名を超えますが、今年は少なく33名



思い出すままに

〜シエラレオネ(ルンサ)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
     アフリカ大陸を踏んでから32年になりました。聖フランシスコに憧れていた私は、彼がハンセン病を恐れ逃げ出したい気持ちを抑え、患者を治療し、それに接吻をしたとき、完全な喜びを得たということを知リました。当時の私にとって何がいやなことかといえば、アフリカに行くことで、考えただけで背中が寒くなりました。しかし、それに挑戦しようと、アフリカを志願。神様の愛は無限に深く、その愛の流れに乗って、そこにある宝も見えるようになりました。貧しいアフリカで、戦争で打ちのめされ恐怖で逃げ回りました。しかし、その中にも神様の深い愛と人々の愛をいただきました。貧しいながらも平和になった今、つくづく思うのは、私たちアフリカへの宣教師は、アフリカにいながら同時に日本、そして世界中の皆様への宣教師となることを、神様は望まれているのだということです。神様は愛です。愛を行う人は必ず愛の神様に出会い、神様もそのまなざしをそれらの人々から離されません。
  アフリカに出発するとき、全く考えてもいなかった出来事がありました。貧しさで苦しむ人々をどうにかして助けたいと、シエラレオネのことについて日本の新聞に書きました。それは大きな輪の広がりになり、多くの人がアフリカの貧しい人々に目を向けるようになりました。その中で愛の行為を通して神様に出会った方もありました。九州の曹洞宗の信者さんで、カンボジアに物質支援をしていた方が、ある日、朝日新聞のシエラレオネの記事を読んで感動し、これからシエラレオネの子どもたちを助けようと決心されたそうです。シスターを助けるには教会にも出かけなければと思い、やがて教会に行きだし、ご主人も共に一家全員で受洗。そして教会のために、アフリカ支援にと尽力されています。
  このように関心を持ってくださる方が日本中におられ、カトリックの雑誌や新聞、テレビなどによってシエラレオネを知リ、貧しい宣教女にすぎない私の手紙を喜んで受けてくださり、帰国したときは私の体験談に耳を傾けてくださり、愛の奉仕を続けてくださっています。もし私がアフリカに行かないで、ずっと日本にいたなら、これらの無数の善意の皆様とも出会うことはなかったのでしよう。今、大きな喜びを持って、私はアフリカだけでなく日本の宣教女でもありますと申し上げます。神様の小さな道具としてシエラレオネに、そして日本に神様の愛の福音を告げることが許されることを深く感謝する次第です。シエラレオネはまだまだ、貧しく、特に今年は食糧不足で苦しんでいます。でも、平和であることがどんなにすばらしいことか、この平和が続きますようお祈りください。それには引き続き日本からの愛の支援を仰がなければならないことでしよう。これからもよろしくお願い申レにげます。


元司教のルゴ氏が大統領に

〜パラグアイ(ピラポ移住地)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
  いつも「きずな」をありがとうございます。また、2日前にエンカルナシオンでカトリック雑誌の入っている小包便を受け取りました。船便は時間がかかりますが、どれも貴重な雑誌ばかりです。ありがとうございました。
  すでにご承知と思いますが、4月20日にこちらの大統領選挙が行われました。この度は何か月前からこの選挙が民主的に行われるように、よく準備されて公正な選挙が実施されました。 62年間も続いた赤党が敗れて、元司教のルゴ氏が大統領として選ばれました。長い間の独裁政治が敗れたわけで、この間多くの不正なこともありました。ルゴ司教様もよく祈った後に、この国を改善するために立候補されました。聖職者が政界に進出することは、前代未聞の出来事ですが、国民の90%以上はカトリックの国ですから、支持率も高く、大統領として選ばれました。今までルゴ氏は何回か暗殺を企てられたこともありましたが、貧しい人の味方になって、パラグアイをよい方向に向けようと努力されています。
  私たちもお祈りして、選挙がスムーズに行われるように努めました。司教様方も国民が冷静な態度で選挙をするように、何回も呼びかけました。新大統領は8月15日に就任されます。たくさんの問題を抱えた国です。失業者が多くて、アルゼンチンのブエノス・アイレスやスペインに出稼ぎに行っている人も多数おります。選挙時には、ブエノス・アイレスから汽車で3千人のパラグアイ人がかけつけましたし、世界中に離散している人たちが応援しました。南米諸国の人々も選挙が公正に行われるように監視。カトリック教会側としても、ルゴ氏を応援しております。
  さて、私たち聖堂小学校のためのご支援を受け取りました。ありがとうございました。申請書類にもれていた人数ですが、先生の数は14名で、生徒数は250名です。貧しい家庭の子弟もかなりおりますので、月謝を上げずに、やりくりをして経営しております。今日5月14日は、パラグアイの独立記念日で、市役所の主催で祭典があり、幼稚園児から高校生まで行列をいたしました。その後、母の日のお祝いを教会のサロンで行ない、生徒が歌ったり、踊ったり、詩の朗読をしたりして、お母さん方を喜ばせました。
小学3年生   子どもたち
  小学3年生グループ              Sr.林と日本・パラグアイ・ドイツの子どもたち



ケベックで開催の国際聖体大会に参加

〜カンボジア(コンポンルアン)〜
信徒宣教者会(JLMM) 高橋 真也
  昨年のバッタンバン教区司牧ミーティングで、私はカナダから来ていた一人の司祭と出会いました。私が信徒宣教者であることを知ると、興味を持ってくださり、カナダに戻ってからもメールのやりとりが続き、ある日、「国際聖体大会」への招待状が届きました。というわけで、6月15日から22日に行われた第49回国際聖体大会(International Eucharistic Congress=IEC)に参加のため、1か月カナダのケベック州を訪れました。
  国際聖体大会には、約12,000人が参加。40人の枢機卿、250人の司教、数え切れない司祭やシスター、そしてたくさんの信徒が各国から集まって来ていました。日本の公式団体の参加者は20人ほど、韓国やベトナムからも多くの参加者が来ていました。ただ残念なことに、遠いアジア地域からの参加者は他の地域よりも少なく、また、18歳から35歳の参加者は、全体の15%に留まりました。
 国際聖体大会は、4年に一度開催。今大会のテーマは、『聖体〜世に命を与える神の賜』です。この大会は『聖体礼拝』の一つの形式です。『聖体』というテーマに特化して、いろいろな年代や関心のニーズに合わせたプログラムがいくつも用意されていました。一週間行われたこの大会は、開会と閉会のセレモニーを除き、午前中は、メインコロシアムでカテケージス(枢機卿や司教といった代表者が、聖体についての講義)が行われ、その後、『証し』(信徒による、聖体に対する信仰の分かち合い)が行われます。その後でミサ、午後は大きな会場(競技場全体が大会会場)に点在する建物のそれぞれで、いろんなイベントが行われ、参加者は興味のあるイベント(ワークショップやコンサート、展示会など)に参加します。
  そして大会中は24時間開かれていた2つのチャペルで、いつでも『聖体礼拝』ができます。また、日ごとにそれぞれテーマが設けられ、ある日は、『ゆるし』についてのカテケージスがなされた後、劇が行われ、その後会場全体で『ゆるしの秘蹟』が受けられるように司祭が配置されていました。中盤のメインイベントとして、ケベック市内を練り歩いた聖体行列もあり、毎日、魅力のあるイベントが行われました。
  そんななかで私が一番苦労したのは、言葉でした。ケベック州は公用語がフランス語で、大会でも一番使用されたのはフランス語、私にはちんぷんかんぷんです。カテケージスや証しなどは、ラジオで同時通訳されるのですが、その英語は、私の英語レベルでは、ほとんど聞き取れないスピードです。みんなが「すごくよかった!」なんて言っているのを聞いて悔しく思いました。でも、言葉の苦労は、時に恵みでもありました。困っている私のために、通訳を買って出てくれる優しい人が常に現れ、とても仲良くなることができたのです。言葉の違いは、互いに理解し合おうとする『努力』を生み出し、その努力が、深い絆を生み出してくれることが多かったことに、とても感謝しています。   言葉に苦労した私が理解できた、英語でカテケージスがありました。フィリピンのイムス教区のタグル司教の話しです。彼は、アジアの貧困の現実を代弁してくれ、その貧しい人々の中にいるイエスを、そしてそのイエスに変えられた体験を話してくださいました。きらびやかなカテドラルの中でなく、ごみごみとした市場の中で商売をする老女の中にいるイエス。彼女は貧しくても、小教区の祈りの集いのグループに参加することを大切にし、その集いのある日は早く商売を切り上げます。「商売のための時間を延ばして、集いにちょっと遅れてもイエス様は許してくださるよ」と司教さんが話しかけると、「私は豊かにはなれないけれど、毎日を生きるだけの食料は神様が与えてくれます。それ以上何を望むのですか?」と問い返しました。彼女の信仰深さに、司教の彼は変えられたと言います。
  また、ある貧しい地域の子どもたちへの、食料提供プログラムがあったときに出会った少女の中にいるイエスの話もありました。彼女は、小さい弟を連れていました。母が仕事を探しに出かけたので、今日食べるものがなくここに。でも、このプログラムで食料を得られたのは弟だけ。自分はもう13歳で、このプログラムの対象ではないからと、食料を受けとりませんでした。自分の年齢を偽って食料を受け取ることもできるのに、それをしない彼女の正直さに心うたれ、不憫に思った司教さんが「もし残ったら食料をあげる」と提案すると、「この地域にはたくさん飢えている子どもたちがいるから、彼らにその残りをあげてください」と断ったのです。司教さんは、「なぜこのような純粋無垢な子ども達が飢えていくのか」と深い沈黙に陥り、改心に導かれたと言います。この老女や少女のような人々に、私もカンボジアでたくさん出会ってきました。これがアジアの現実です。カンボジアと12時間の時差のあるこのケベック市において、アジアの現実を思い起こし、涙しました。
  最後に司教さんは言いました。「聖体礼拝のとき、私たちは人間の無関心や神の助けがないために苦しんでいる人たちへの叫びへ招かれることがあります。しかし同時に、このような壊れた世界の中にある、希望に満ちた、純粋な愛への喜びの叫びをあげることもあります。イエスの十字架の死によって、罪深い世界の中に純粋な神の愛があらわになったことを思い起こしましょう。…聖体礼拝のとき、イエスが何を見ていたのかに目を向け、集中しましょう。聖体礼拝が私たちを今日の世界の犠牲者たちへの深い憐れみに導いてくれることを望みます。もっと無垢な被害者たちと関わる時間を持ちましょう。そうすることで彼らの涙や傷を理解し、それらを希望と愛に変えたイエスに触れることができます」。すると会場の参加者が皆、スタンディング・オヴェイションで彼を迎えました。私も、このような司教さんが(しかもまだ若い!)いることをとてもうれしく思いました。
IEC
IECメイン会場 聖体と十字架を模したステージ


イースタービレッジだより20号から

〜フィリピン(キダパワン)〜
札幌教区 司祭 祐川 郁生
 「イースタービレッジ」は、フィリピン・ミンダナオ島の中央部に位置するキダパワンという小さな町で、祐川神父が現地の政府当局、並びに日本国内の支援者の協力を得て始めた児童養護施設で、紛争や貧困などで両親、あるいは片親を亡くした子どもたち、さまざまな理由で虐待を受けた子どもたち、両親と共に暮らすことのできない子どもたちがスタッフと共に暮らしています。
    フィリピンに来て12年目になる。ここ数年はカトリック札幌教区の青年たちのフィリピン・エクスポージャに同行してきた。毎年1月にフィリピン各地で異文化と触れ、フィリピン人のおもてなしの心に触れ、“人間に帰っていく”体験をする青年たちを目の当たりにしてきた。
  今年は「イースタービレッジ」をその場所に選んでくれた。気負うことはない。普通の暮らしに青年たちが加わればよい。水のシャワーや塩辛い魚に酢をつけて食べる。箒で庭の掃除をする。動物たちに餌を与え、生きた鶏をお客様のためにさばいて食べさせる。フィリピンでのありふれた日常が日本の若者には、新鮮に見える。我々の命のもととなる食べ物に感謝して、「いただきます!」。   8日間にわたる体験学習の中身は日常生活。それと「おもてなし」を大事にするフィリピンの文化を伝えたい職員がいろいろと企画をして、フィリピンと日本の遊びの交流など、盛りだくさんであった。遊びの交流を通じて、言葉を超えて、心の交流が行われた。
  1月6日の公現のお祝いは、異邦人にキリストが示される大きなお祝いだ。子どもたちは、三人の博士たちに、自分の小さな夢、大きな夢を手紙に書いた。その手紙を風船にくくりつけ、一斉に空に飛ばす。小さな胸に大きな夢をもって、大きな歓声と共に風船を飛ばす子どもたち。その夢は届くとよいね。かなうといいね。その夢に参加させてくれないか。
  子どものような大きな夢を描き、大人の冷静さと現実的な物の見方の大切さが胸を交錯する。思えば、日本をはじめ多くの人たちの子どもたちへの夢への参加が、イースタービレッジを支えている。夢が届きますように!
EV