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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

たより


『幼児からのメッセージ』

〜中 国(香港)〜
天使の聖母宣教修道女会 蓬田 トシ子
 『きずな』とマリア様のカレンダーをお送り下さりありがとうございました。世界各地でお働きの宣教者の方々のご苦労を読ませていただくたびに、香港は“アダム神父様不在中の神父様探し”の苦労以外は、とても恵まれていると感謝せずにはおられません。
  こちらホンコンでは元旦は少しだけ祝いますが、気分的には昨日から今日になったという程度の変化です。2日からは学校も始まり、通常に戻ります。クリスマスも中国への返還以来、25日だけ休みの企業がほとんどです。  ちょっとかわいい話しを一つ。クリスマスの霊的準備として例年、1日黙想をカトリック会でいたします。大人は神父様、子供たちは私が受け持ちます。ゆるしの秘跡の時、4歳になったばかりの女の子が、「私も告解に行きたい」と言い出し、母親がまだ小さいからいいのよと言い聞かせても、「私もイエズス様にゴメンナサイと言って、ゆるしてもらいたいの」と言って、とうとう神父様のところへ。しばらくして、とてもうれしそうな、いい表情をして、戻ってきました。そのお陰でお母さんも初告解をしました(新しい信者です)。私は“あなたも幼児のようになりなさい”というメッセージをイエズスから再度いただきました。個人の間でも、国々の間でもギスギスした世相を反映しています。幼児イエズス様の喜び、希望、愛、平和が浸透して行きますよう祈ってまいりましょう。  昨年の私のニュース ◇ つつがなく年を重ね、3月に満83歳になりました。身長、体重変化なし。 ◇ 定期血液検査も異常なし。ドクターから長生きできるよと保証され、ボケない長生きか、赤ちゃん返りの長生きか??? 神に委せよ!ハーイ。 ◇ 7月2日、立誓願50周年を迎えた。ヴァチカン外交官のモンセニョール・E.ヌーゲントとメリノール会の司祭のアダム神父様の司式で、感謝のミサ、その後教区のレストラン“カリタス”で昼食会。内輪だけの祝いでしたが、カトリック日本人会の方々も参加くださって、家庭的な雰囲気で祝うことができた。主に感謝! ◇ 9月29日〜10月2日、金祝のプレゼントで北京旅行、広東語は「おはよう」と「ありがとう」だけの私は団体旅行もチンプンカンプン。救いの手、ピアニストのミセスとそのお嬢さんの案内で3人弥次喜多道中よろしく、楽しい旅だった。万里の長城も若き大学の先生に手取り足取りで何とか登りました。何とスケールの大きな工事!と感嘆すると共に、労働力と莫大な費用がどこから?と考えてしまった。 ◇ 12月7日、枢機卿の招待で香港において70、60、50、25周年を迎えた方々の記念ミサと夕食会があり、出席。枢機卿様と神父様は一人一人に祝いのことばを掛け、握手をしながら、ご祝儀を下さった。異国の地で味わえた喜びと感謝!


アブダの7年間

〜パキスタン(ファイサラバード)〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 岡野 真弓
 皆様、いかがお過ごしでしょうか? こちらは12月に入り、急に朝晩が寒くなり、最低気温 が5度、日中は17〜8度位となって短い冬の到来です。
 皆様からのご援助により、たくさんの患者さんが助けられていることを感謝し、今回はその中から一人ご紹介します。
 2000年に私がこのセント・ラフアエル病院に来たとき、13歳の少女だったアブダはもう20歳になりました。彼女は腸閉塞で入院し、人工肛門を作って、生命の危機は脱しましたが、全身の栄養状態がかなり悪く、数か月経っても手術創は癒えず、外科医はさじを投げてしまいました。「家に帰せばその内よくなるだろう」ということでしたが、彼女の家庭環境が悪いので、 考えたあげく、首都イスラマバードの近くにある長期療養施設へ転院させることにしました。
 1か月後、その施設から電話が来て、アブダがガラスで自分の手を傷つけているとのことです。そして数日後、彼女は黙っていなくなってしまい、しばらくして、彼女は当院に現れました。「勝手に施設からいなくなって…」と責められると、彼女は「どこにも行かない。死ぬならここで死ぬ」と病院の玄関で大の字になって叫んだそうです。
 13歳、学業途中で長期療養を強いられ、なかなかよくならない、人工肛門からは体液と便が いつも漏れてくる…。そんな時間が長かった彼女はいつも不機嫌で、この病院を信頼している、 好いているとは、感じられませんでした。しかし、そんな彼女の強烈な意思表示によって、そ の日からこの病院は「彼女の避難所」となったのです。その後、幸いにもよい外科医に出会い、 また彼女自身の体力が少しずつ付いてきたおかけで、傷口は塞がり、正常に排便できるようになりました。
 昨年父親が亡くなり、母は痴呆に、加えて彼女の姉が再婚に際して置いていった幼女(姪) が彼女に託されました。こうして何の収入もない彼女が、一家を支えなければなりません。母、 アブダ、姪の内、1人でも病気になると、3人で病院に来て一緒に「自主入院」します。食事 も、清潔で快適な寝具も、彼らの「治療」に欠かせません。1か月位して落ち着くと、退院。 彼らには治療費を払うお金はありません。他人に頼って生きるしか方法がないのです。彼女は 所属教会の神父さんに会いに行っては無心します。お金がもらえないと、そこでヒステリー状 態になり、失神することもしばしばとのことです。
 ある日、一人のシスターが「あまり他の人を困らせないで」と言ったところ、そのシスター は彼女から30分のとうとうとした説教を聞かされる羽目に。「もし人を困らせないで生きられ るならそうしたい。しかし、これ以外の方法がない。生きるために仕方なくやっている」とい うものでした。まさにその通りです。
 極貧と惨めな生活の中で、小さく縮こまり、話す声を聞くこともなかった彼女の小さな姪は、 5歳になり、当病院の関連施設である学校の寮に無償で入りました。今、教育を受けなければ、 アブダ以上の困難な人生になる、と考えた一人のシスターの判断でした。制服を着て、他の寮 生に混ざった彼女は、笑うようになり、また思わぬ利発さとリーダーシップを発揮し始めたと のことです。  20歳になり、背も伸びたアブダは痴呆の母を連れて、月1回くらい病院に来ます。以前はそ の度に、私の心に「どうしていつまでも無料で与え続けなければならないのだろう」と不満が 浮かびました。教区司祭は時々、援助しているようですが、医療費までには及びません。 しか し、ある主日、貧しいラザロと金持ちの朗読を聞いたとき、「今後は黙って、快く援助しよう」 と心が変わりました。彼女は必死に家族を支えて生きているのです。私が十分な教育を授けら れ、衣食住に困らないでいるのも、彼女がそのどれにも恵まれないでいるのも、彼女のせいで もなく、私が何か善行をしたせいでもないのですから。最近のアブダはこざっぱりした服を着 て、微笑み、一人前の女性に見えるようになりました。

アブダ
訪問看護の一コマ


女子パウロ会員のパワー

〜タ イ(バンコク)〜
聖パウロ女子修道会 阿部 羊子
     こちらはタイ仏教国、暑さの中で祝うクリスマスです。お祭りや飾り付けるのが大好きな人々、12月5日の国王様の80歳の誕生日(父の日)をお祝いして、華やかに飾られた街は、引き続き手間と費用をかけて、ピカピカで荘厳に。クリスマス・キャロルが流れ、サンタクロースがやってきて、人々は贈り物をして、イエス様の誕生日、仏教国でも盛大に祝います。
 おかげさまで私は、3人の姉妹たちと元気に宣教に励んでおります。一番若いシスター・メ ルシーが院長で、召命活動に邁進。遠慮しないで存分励めるように協力し合ってやっています。 シスター・コラは中央広報部の部長を務める神父の助手(特に外交)として大活躍。学校でメディ ア教育の実践をしたり、本人の希望と職場での必要性もあり、今年からマスコミ修士課程の勉 強のため、仕事と大学通いをしたり、一生懸命です。中央機関と私たちとの間の貴重な架け橋 でもあり、東京で開催されたSIGNISに参加、東京の女子パウロ会も訪問し、豊かな体験 をして大喜びで帰ってきました。シスター・ジュリエッタは書院の責任を受け持ち、小さい ながら、こちらの教会内外において貴重な存在であり、特に取り寄せる洋書も担当し大活躍。 交代で書院も手伝います。企画相談は皆で、私は視聴覚および出版物の制作編集実務の一切を 担当。ほかに私の個人的な日本人へのささやかな活動、あけぼの会(黙想・分かち合い風読書会、月1回で125回になりました)の世話。長崎コレジオの神学生の山岳民村でのボランティア15日間の体験学習の同伴世話役、「アジアの風」の大学生の山岳村での体験学習の現地コーディネータ一で10日間犯お世話役。下見やお世話役をしながらも、こんな機会でなければ入れないような奥地の人々を訪ね、役に立つ物資と共に福音を届けることが出来ます。それはそれは、 喜ばれます。また、日本人信徒たちの相談にのったり、洗礼志願者に教理の手引きをしたり…。 タイ国に日本人シスターは2人だけ、バンコクには私1人。「出番!」と霊のささやきがあっ たときは、姉妹と話し合って可能な限り応じています。
 2人の志願者、アティッタヤー、バリッチャーもフィリピンでパウロの娘、弟子として、修道 会での勉強に元気で励んでいます。帰って来る日を祈りながら、楽しみに特っています。
 日本の人口の半分、この広いタイ国に女子バウロ会員4人。4輪駆動ですから、馬力があり ますよ。喜びも苦労も共にしながら、多くの人に支えられて邁進しています。最近は起床、就 寝時に「イエズスの御母、童貞マリア我らを聖ならしめ給え」の祈りを唱えながら、初心の熱 意を胸に、この年(もうすぐ65歳)になっても燃やしています。11月半ばメニエル氏病が久しぶりに、またやってきて動けなくなりましたが、治療を始めて快復に向かい、感謝のうちに平常通り仕事についていますので、ご安心ください。



小さな島にいろいろな変化が

〜ミクロネシア(ポンペイ)〜
援助マリア修道会 木村 和恵・斉藤 高子
 昨年11月中頃、鹿児島大学の先生たちがポンペイを訪問されました。その一人いわく「ポン ペイの子供たちは自然に恵まれ、いいですね、子供らしい」と。これがず−と続きますようにと願っています。
 「きずな」を通して皆さんと、そして世界で宣教なさっている方々と深く心のつながりを感 じます。私たちの宣教は、これといって新しいことはありませんが、こつこつと村を歩く宣教 で、人々との関わりは広がっています。この小さな島にも地球温暖化の影響があり、海岸沿い に住む70代の方が10月11日の満月ときの潮の高さに驚いていました。「こんなことは、自分が生まれて初めてだ。家のそばまで満潮時に潮が入り、部屋がぬれないように、周りに板を打ち付けた」と。一度塩水をかぶったタロイモや、パパイヤなどの木は駄目になるそうです。
 今、ボンペイには統一教会が入ってきて、盛んに活動しています。人々は統一教会が何か分からなく、“日本にただで旅行できるこどで、その誘いに容易に応えています。カトリック教会では、統一教会が何であるか説明しますが、人々はお金の誘惑に弱いです。40%がカトリック、50%がプロテスタントのこの小さな島の信仰が危機にさらされていることは、他の国々と同じです。どうぞお祈りください。「私はあなたたちと共にいる。わたしのことばは永遠に生きる」というキリストのみことばに希望をおき、人々との地味な関わりのうちに、キリストを伝えています。(バンディプール・コミュニティ)


雨期に雨が降らず水飢饉に

〜チ ャ ド(ギダリ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 入江 多嘉子・日置 マリエ
 昨年は創立25周年記念行事や事務所移転も重なり、多忙の年ではなかったのでしょうか。
 チャド共和国ギダリ共同体は4月にシスター日置マリエを迎えました。彼女は2年間ンジャ メナの宿泊センターで語学勉強も兼ねて派遣され、現在私と一緒にギダリ診療所で働いており ます。
 チャドの気候も世界環境の変化にもれず、季節のわりには暑い日々を過ごしています。今年 は雨期に雨量が得られず、食料、水飢饉の話がすでに出ております。乾期到来とともに、東の 方ではまた戦争が始まっています。私の住んでいる所はかなり離れているので、ご心配なく。 ただ、行政面で支障が出ています。毎年行われる小児麻痺予防接種キャンペーンのために動か される車の調達がむずかしくなってきて、国から派遣される監視役人たちが以前に比べて減っ てきています。戦争に使われるお金はどこからきているのかしらと思います。どうぞチャドの 平和のためお祈りをお願いいたします。


反政府軍の力が強くなって

〜チ ャ ド(ンジャメナ)〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 有薗 順子
 皆様からガールスカウトの活動をご支援をいただき、スカウトたちも成長してまいりました。 私は彼女らの後からついていくような状態になり、少々心配することもありますが、彼女らに 信頼すべきでしょう。事務局専任のクローディヌ夫人は、エイズ研修会に出席するため、ライ 教区に出張中です。
 今後の活動計画として、イギリスのガールスカウト世界連盟から提案されているプロジェク トを検討中です。それは、学校に行かない難民キャンプの6歳〜17歳までの女子を対象として、4か所の難民キャンプで4年間にわたって、生活指導を行い、生命の尊さや手仕事などの面で の指導をするというものです。ここのキャンプは中央アフリカからの難民を対象としたものな ので、私も休暇を利用して、1か月間でも働きたいと思っています。
 さて、チャド西方では、また相当な戦いが続いていて、2、3日前は300名ぐらいの政府軍 死傷者が出て、病院に収容しきれず、ニジェールの病院にも運ばれたそうです。残された家族、 婦女子の苦しみはどのようなものでしょう。今後、反政府軍は、政府軍に加担しているフラン ス軍とも戦うと言っています。反政府軍が強力になってきているようです。アベシエの80km の所まで、戦場になっていて、多くのNGOはまた引き揚げました。“ミドリのサヘル”、“JICA”の判断はよいことでした。
 神戸のシエロさんという方(41年間、カメルーンの大学で毎年2か月くらい講義をしている)が昨晩ここに一泊されました。シエロさんによりますと、チャドのニュースは日本にまで伝わっていいないとのことですので、フランスの“ZOE”というNGOのことについてお知らせします。
 この“ZOE”という団体の数名が、11月の半ばに、ダルフールとチャドの年少者103名を飛行機で連れ出そうとしているところを差し止められました。彼らは父兄に「学校に行かせる から」といって子供を集め、出発前は、傷もないのにあちこちに包帯をして、飛行機に乗せようとしました。フランスでは里子、または養子にしたい多くの家族が、相当なお金を支払って、子供たちを待っていました。チャド側にも彼らに協力した者がいるようです。現在、チャド人5名、フランス人6名がンジャメナで監禁され、裁きを待っています。チャドの人々は人権に反するとして、デモなどを行い、車を焼いたり、乱暴を働いたり、また、白人を見ると子供泥棒などといいます。
 いろいろな問題、困難は生きている人たちのもの、これらは生みの苦しみで、その後、平和 が訪れるでしょう、といわれた神父様がおられます。平和の君を待ちながら、ともに世界のた めに今年も祈り続けてまいりましょう。


滞日中はお世話になりました

〜チ ャ ド(ライ)〜
ショファイュの幼きイエズス修道会 脇山 ミキコ
 12月17日にライの共同体に戻ってまいりました。滞日中は25周年の記念講演会でお話さていただくなど、いろいろとお世話になりました。「カトリック新聞」が記事にしてくださったので、フランスの総本部やチャドの各コミノテの姉妹たちが読んで、とても喜んでくれました。私にとっては気の重いことだと思って少々悩んだりしたのですが、それは自愛心の傲慢のためであるということがよく分かりました。口でたびたび神さまのお望みになることを、お望みのときに、お望みのところで、行うことができますようにと言うのですが、自分がよく見てもらうようにと望んでいることも分かりました。
 チャドでのミッションが、本当に神さまのお望みの通りにできますようにと祈っておりますが、皆様のお肋けがなければ、何もできないこともだんだん分かってきたように思います。
 すべてを与えられるために、人となられたイエズス様に本当に傲って、生きることができますように、お祈りくださいませ。私も皆様方恩人のために毎日の小さな祈りですが、お棒げいたしております。
 2008年にもよいお便りを差し上げることができますようにと、願いつつ、今日一日、心を尽くして、生きてまいります。どうぞ、チャドに真の平和が一日も早く来ますように、お祈りください。

 注:チャドでは政府軍と反政府軍の戦闘が激化してンジャメナにまで拡大。フランス 軍が外国人の安全確保のために軍事介入を行ない、外国人滞在者は国外へ退去せざる を得なくなった。シスター有薗と日置は2月8日に修道会のフランスの総本部へ無事 到着。シスター脇山はじめ5名のシスターはンジャメナから南方300km離れたライ地 区(影響はないと見られている)で活動をを続けておられる。



雨期の車の運転は祈りとともに

〜カメルーン(バトゥリ)〜
シャルトル聖バウロ女子修道会 末吉 美津子
 11月の半ば過ぎに、こちらは雨期の終わりを告げる雷と雨がひどく降りました。今年の雨期 は、雨量が多くて、川の氾らんがあちこちで見受けられ、ぬかるみや穴ができ、バスやトラックがはまったり、穴に落ちて横転したりしています。首都、ヤウンデまでの道のりでそんな事故を目撃しながら、神さまに目的地まで無事に見守ってくださいと祈り、運転をしてきました。
 会議のため11月17・18日とヤウンデに来ましたので、先日お送りくださいました援助金の領収証を、この手紙の中に同封させていただきます。本当にありがとうございました。4月か5月ころに1年間のご報告をさせていただきます。と申しますのは、こちらの決算は8月で、学校関係は3学期の初めの4月には、大体の結果を出すことができますので。
 行く年、来る年が神さまの愛のうちに平和をかもし出してくれますように。
 (この手紙は1月末に事務所に到着)


洋裁科の生徒が命拾い

〜シエラレオネ(ルンサ)〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸 美智子
 昨年のご支援のお陰で問題なく職業センターの発電機を勤かすことができ、これによって一番必要なお水を汲みだし、また、商業科のクラスはコンピユターも使うことができました。まさに皆様のお陰です。心から感謝申レLげます。
 シエラレオネは平和になり、毎日の生活は本当に呑気です。幸いこの国は恐い犯罪などもなく、とても住みよい所ですが、これという企業や就職先がありませんので、人々の生活は貧しく、もし病気になったら大変。病院に行く費用がありません。毎年貧困と無知から生徒を守るのが大仕事です。今年も生徒の一人は命拾いをしました。
 洋裁科の一人の聴覚障害の生徒クリスティーナが盲腸になりました。私が受けた報告は、彼女がマラリアになり、お手洗いに行けずにお腹が膨れている、ということでした。彼女には両親がいないので、全額支援で入学、基礎科で洋裁を習っています。お手紙を書いて上げるけれど、費用は親族が支払うようにと言うと、彼女を村のネイティブ・ドクターに診てもらいたいとのこと。ここでは医学を勉強した人でなく、草を煎じて治したりする人がいるのです。私が気になったのは、お手洗いに行かないで、お腹が腫れているという説明です。病状からして緊急を要することだと思い、病院に即時送ってくださいと、頼みました。
 後で胸をなで下ろしたのですが、盲腸が破裂し、腹膜炎となり、膿がお腹中に入り、大手術をすぐ行わなければなりませんでした。それも危篤状態となり、腸も切らなければならない、輸血をしなければ、などと大騒ぎでした。まさに数分の違いて彼女は死んでいたということでした。私は本当によかったと神様に感謝しました。無事に彼女は回復し、退院しましたが、無知と貧困からこんなことが毎年あるのです。これからは医療費というのも考えなければいけないと思いました。この国にはまだ健康保険もありません、たくさんの人々が若くして亡くなっています。平和になって本当によかったのですが、この国が貧困から抜け出すにはまだまだ遠い道のりがあるのです。
 明るいニュースとしては、来週、一人の青年が司祭になります。最近シエラレオネではとてもよい司祭が誕生しています。この人たちが将来のシエラレオネ人を指導してくださるでしょう。
 その同じ日に幼稚園の運動会があります。シスター白幡は張り切っています。今年はバプティ スト眼科病院のノルウェイ人の先生が、息子さん2人を私たちの幼稚園に入園させました。皆、 オポト(白人)、オポトと言って大人気です。うれしいことに、彼は幼稚園に滑り台を作って上 げましょうと、約束してくださったそうです。世界は皆兄弟ですね!


皆で考え、分かち合ったセミナー

〜ケ ニ ヤ(ナイロビ・ソウェト)〜
神言会 佐藤 新
 皆さん、お忙しい毎日を過ごしていることと思います。昨年はなが〜い夏休みをもらって、 日本に帰ったこともあり、本当にあっという間だった気がします。管区の仕事とソウェトの小 教区の司牧活動、どちらも盛りだくさんで、充実しております。
 ソウェトの教会も、皆さんのお祈りと支えのおかげて、心身両面においてすくすく成長して おります。昨年は特に、私たちの信仰生活をより一層充実したものにすることに重点を置き、 いくつかのセミナーを開くことができました。祈りの生活について、秘跡の大切さについて、 小教区とキリスト小共同体におけるリーダーシップのあり方について、アフリカのカトリック教 会のあり方と進むべき方向についてなど、皆で考え、分かち合うことのできる大変貴重な機会 となりました。
 いつも皆様のお祈りとご支援に感謝しつつ、日本の教会のために機会を見つけてはお祈りし ています。


破れないシャツ作りを

〜タンザニア(ブコバ)〜
聖フランシスコ病院修道女会 藤岡 正恵
 ご無沙汰しております。一昨年、皆様からの援助金をいただき、タンザニア・ケモンド村の 婦女子の裁縫クラスのためのミシンを購入することがてきました。ありがとうございます。初めは数人の婦人たちに、そして小学校高学年で、卒業後は家の手伝いや他の町に働きに行く女子 に、繕い方から教え、ようやくミシンヘと進めてきました。
 ところが、初めての足踏み式ミシン。リズムをとることもなかなかで、ようやく基礎縫いに たどりついたところで、故障続き。町中の店にあたって部品を探しましたが、2か月間は手縫 いの繕いものだけ。やっと探し出して修理し、再開となりました。
 1月の新学期に向けて、簡単なユニフオームを手がけ始めました。マーケットで買ったシャ ツは、1か月もしないうちに袖や脇が破れてしまう“シロモノ”なのです。まだ売り物にする のはほど遠い製品ですが、少々の動きでも破れないシャツ作りをしています。1枚に数日かか りますが、徐々に上達することでしょう。小学校卒業だけの女子(学校に行ければよしですが) のために、古着を利用して材料不足を補うことを考え、少しずつ人数を増やしていけたらと願っ ています。
 皆様の祈りをこめた善意に励まされ、この子供たち、婦人たちが育っていってくれたら、村 の子供たちが破れた衣服をいつまても着ていることのない村になっていくことでしょう。祈り のうちに感謝をこめて。

裁縫クラス



1976年からベルギーに

〜ベルギー(ブルージュ)〜
カルメル会 出口 節子
 「きずな100号」と「宣教者を支援する会25周年」のお祝いの言葉を一日も早く、と思いながら、とうとう2008年を迎えてしまいました。私は1976年に宣教者としてベルギーに来まして、間もなく「支援する会」の発足、「きずな」の発刊、あれからずっとお世話になっております。本当にありがとうございます。今はシスター米沢と二人になりましたが、カルメルの隠れた生活を通して、ミッショネールの召命を果たさせていただいております。
 命をおささげになった宣教者の方々、世界各地でいろいろな困難に出会いながら、み国のだめにお働きになっていらっしゃる方々の記事を通して、励まされております。また、陰でお働きのスタッフの方々にも心から感謝しております。 2008年が皆様の上に聖霊の力、聖パウロの 宣教熱が与えられる年となりますように、日々のミサにおいて祈りつつ。
 

今年はピラポでクリスマス会

〜パラグアイ(エンカルナシオン)〜
聖霊奉侍布教修道女会 林 静子
 支援する会の会員の方から美しいクリスマス・カードを送っていただき、どうもありがとうご ざいました。 クリスマスツリーに吊して、飾っております。
 12月23目、パラグアイの3つのコロニア(ラパス、ピラポ、イグアズ)の日系信者さんたちが集まる、恒例の合同クリスマスをいたしました。今年はピラポがお当番で、子供と大人で150名位の人が集まりました。 クルッカ神父様が日本語のおミサを立ててくださいました。 ピラポの子供たちがキーボードで伴奏して、皆元気に聖歌を歌いました。
 おミサの後に昼食会、余興もあって、とても楽しい一日でした。一年に一回、クリスマス会 で別のコロニアに住んでいる方たちと交流ができて、皆非常に喜んで帰られました。
 クルッカ神父様は73歳になられ、このたびアスンシオンの神学校の方に転任されることにな りました。ここから400km位離れたところですが、今までのように毎月1回おミサを立てにこ られることは難しいと思います。
 どなたか若手の布教者がパラグアイにおいでになることを待っております。シスターの数も足りません。私も只今のところ、ピラポとラパスの2つのコロニアをかけ持ちで布教しておりますが、充分ではありません。シスター金永は8月末から風土病にかかり、それが原因ですっかり弱ってしまいました。お歳も86ですから元のように元気になられるか、どうか分かりません。皆様にお手紙を書くことはできませんが、よろしくと申しています。
 新しい年が皆様にとって恵みの多い年になりますよう、祈りつつ。


エネルギーの問題が深刻に

〜ボリビア(サンタクルス)〜
サレジアン・シスターズ 小濱 静子
 いつも私たちの宣教に温かい手を差し伸べてくださり、心より感謝いたします。皆様の上に神のゆたかな祝福がありますように。
 昨年、当地で宣教活動をしておられる西沢神父様の記事を送りましたが、郵便事情が悪いの で、そちらに届いたでしょうか。神父様はスペイン語が堪能で、日本語を書くのが不自由なの で、私が代筆した次第です(ホームページ・宣教者の声2007年8月参照)。神父様は大変広い 地域の宣教・司牧の責任者となっておられます。
 新しいエボ大統領就任以来、エネルギー問題が深刻になり、自動車用のヂーゼル油が不足しています。以前、水害のときサンファン・コロニアにも援助を求められて、ついでにそこの日系人の霊的指導もお手伝いくださいましたが、今はこのヂーゼル油が不足して、長い旅も難しくなりました。そのためその霊的指導もなかなか受けられなくなりました。神父様は大変控え目で、貧しい人々のために献身的に奉仕され、聖ョゼフのように地味な活動を黙々となさっています。
 

毎日安心して水を使用

〜ボリビア(サンタクルス)〜
宮崎カリタス修道女会 立石 順子
 いつも私ども修道女会に暖かいご支援をお寄せくださり、ありがとうございます。特に最近は、ボリビア地区(コチャバンバ)子供支援センターの濾過冷水器装置工事費のご援助をいただき、ありがとうございました。おかげさまで工事もすでに完了し、健康的な水を毎日、安心して使用させていただいております。完成の写真が準備できず、残念ですが、本当に立派なものをご支援いただいたものだと、いく度も感謝の言葉を口にしております。子供たちはもちろんのこと、共に働く姉妹たちも健康への心配から解放されました。
 ここボリビアの社会情勢は非常に悪く、暴動やデモが頻繁に起こり、不安な状況の中にあります。貧困が、人の心を蝕んでいるのだと思います。来る主のご降誕が病める人々の心に平安をもたらしてくださるように祈っております。
 私は、この度、日本へ一時帰国する予定でありますので、是非、貴会の事務局をお訪ねしたいと思っております。それではクリスマスと新年を迎えられるに当たり、神様からの平安と喜び、希望が善意の皆様の上にゆたかにありますように心よりお祈り申し上げます。


夏本番にクリスマス

〜ボリビア(サンタクルス)〜
宮崎カリタス修道女会 オガールファティマ乳幼児院 修道院一同
 ボリビア国サンタクルス市オガールファティマは、太陽の光がサンサンと降り注ぐ、夏本番にクリスマスを迎えます。昨年はオガール、ボリビア、そして世界でさまざまなことが起こり、喜びと涙を分かち合いました。先日、年長組の子供たちが、オガールの庭で実ったココの実を楽しみました。堅いココの殼が割れると、大歓声を上げ、かわいらしい手に、ココの白い果肉が配られると、満足げに平らげてしまいました。
 このように賑やかに、そして感謝の内に暮らしております。神様の恵みと皆様の暖かい励まし、そして子供たちのために支援したいとの善意が、オガールファティマを維持しているといっても過言ではありません。本当にありがとうございます。
 新しい年も気持ちを新たに、私たちに託された小さく尊い命を守り、はぐくんでまいりたいと思っています。どうぞ今後ともご支援くださいますよう心からお願い申レ上げます。


濱尾枢機卿様も帰天されて

〜パラグアイ(アスンシオン)〜
聖霊奉侍布教修道女会 山田 雲江
 キリストの命の祝福が皆様のご家族と、つながりを持つすべての方々にも豊かにありますよ うに。
 「きずな」を25年間送り続けていただいておりますことに心から感謝したしております。先ほど家族から濃尾枢機卿様が逝去されたというファックスを受け取りました。移住協議会当時からローシャイタ神父様、また先に召されていらした梶川神父様ともども、私たちにとって本当に心身ともに宣教者としてだけでなく、人としてまた信徒として励ましを受け、支えられてきましたことを、なつかしく心から感謝のうちに思い出しています。
 イグアス移任地へもご来訪いただきました。電気の明かりも何もない暗い道路でお迎えし、「よくこんなに遠いところまで訪ねてくださって…。家族だって出来ないことを」と申し上げると、「これは神さまの宣教師に対するお心づくしなんですよ!」と肩をたたいてくださったことを、昨日のことのように思い出されます。
 濱尾枢機卿様とご一緒にいらしてくださったローシャイタ神父様にも心からお礼申し上げます。また、その当時から「きずな」を通して豊かな恵み深い体験を分かち合ってくださっている会員の皆様にも心からお礼を申し上げます。
 濱尾枢機卿様の永遠のご安息を祈りながら。


イヴォティ市の日本語教師として採用されて

〜ブラジル(イヴォティ)〜
聖マリア在俗会(旧称:聖母カテキスタ会)高田 照子
 「きずな」100号記念号を拝見しました。この25年間、いつも心にかけていてくださったことを改めて感謝申し上げます。また、カレンダーなどにも心を配ってくださり、ありがとうございます。カレンダーの1つ、日本の四季の風景のものを私が働いているカシヤス大学の教室に かけていました。年末、教室に入ったところ無くなっていました。もう年末なので、要らない だろうと誰かが持って行った様子です(こんな事めったにないのですが)。もう1つはコロニ アの日本語教室に。むかしからの童謡と子供たちの絵が描かれていて、子供たちも、私も、お 母様方もとても喜んで見たり、歌ったりしておりました。
 「きずな」を通して、他国で働いておられる皆様のことを知ることにより、私などゼイタク な生活をしているね、と度々思っておりました。主に日本人を対象に公教要理(洗礼、初聖体、堅信など)をしてきましたが、日本語教師の仕事も欠かせないものでした。幸い、私は1988年8月にイヴォティ市の教育課で、日系コロニアの日本語教師として採用され、お給料も市から いただいております。このようなことは、全ブラジルを探してもめったにないことなのです。

日系信徒
 昨年、当地リオ・グランデ・ド・スール州の日本人移住50周年で、その記念の祭典がポルト・アレグレにおいて盛大に行われました。日本文化の展示会場で生徒たち(ほとんどがブラジル 人)に私は折り紙を展示いたしました。「おひな様」一式と小さい花の額、小物、サッカーボー ルなどは生徒が折りました。ブラジルの国旗も折った小さな鶴を下げて作りました。
 そうそう、後になってしまったのですが、2007年3月5日にローシャイタ神父様の弟様ドン・イヴォ・ローシャイタ司教様がお亡くなりになられました。こちらのテレビで知りました。ブラジリアで一度お目にかかり、写真を撮らせていただき、時々思い出しておりました。私にとって一つの大きな力ともなっていたからです。心からお悔やみ申し上げます。


大きなプレゼントをいただいて

〜ボリビア(コチャバンバ)〜
湯川教会信徒宣教者 野原 昭子・聖マルティンの家一同
 2007年は、聖マルティンの家にとって忘れられない年になりました。神様の悪戯でテレビに放映されたことで少々気の重い私ですが、日本の各地から多くの温かい励まし、援助を受けた という知らせがエルピス会を通して届き、心改めて、再奮起する力が与えられました。心から お礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 1999年から私たちは多くの不便を感じながら、借家生活をしていますが、2件目の借家も大家さんの都合で「来年の出来るだけ早いうちに出て行ってもらえないか」といわれ、途方にくれていました。事情を知ったアルゼンチン在住の高平ョシユキ様から、12月5日に一軒家を冒って寄付してくださるという、思いもよらない大きなクリスマスプレゼントをいただきました。  引越しを2008年1月4日頃にする予定で、少しずつ荷造りにとりかかっています。下見に子供だちと職員全員で行ったところ、皆すばらしい新居に大喜びです。でも、新しい家は20人の子供たちが入るには部屋数が足りず、その上彼らに一番必要なリハビリの部屋(設備を整える ことなども含めて)などの増築と、車椅子用に何か所も改造が必要で、その費用は1,000万円近くもかかる予定です。その他、年間約600万円ほどかかる運営費も忘れられません。それらのため、2月初句には再度その資金集めに日本に帰国しなければならない状態です。また、皆 様にご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
 *お詫びと報告  2年ほど前私は土地を買い、日本に建築資金集めに帰国し、多くの方々に協力していただきま した。しかし、その土地が建築禁止地区であることが後で分かり、次のような対応をしました。 ☆まず、買った土地の近くの借家に引越し、そこで必要な改造をしました。
☆役所の人は土地を測量にきたときには、施設を建てることを知っており、しかも設計を担当してくれたのは、前市長であったにもかかわらず、建設許可をもらいに行ったら許可は出せないと初めて言われた。おそらく金を取るのが目的ではないかと…。
☆すでに、10万個の上レンガも造り、移動の段階だったが、その土レンガはその後2年間教会裏の広場で雨に打たれ、これ以上放置できなくなり、今年雨季に入る前に買った土地の周りを囲む塀とブタ、鶏、アヒル、モルモット、ウサギなど(全て食用)の家畜小屋に使いました。それは、食用のために飼っていた動物を野犬に食べられてしまったためです。
☆また、その土地の管理と、野菜、家畜の世話に一家族を雇い、彼らのための家と、倉庫を作るなど、急遽計画を変更しました。
☆その他手術など思わぬ出費が重なり、2年前にいただいたお金はこのように他の方法で使ってしまいましたことをお詫びしておかなければなりません。
☆これらについての会計報告を必要な方は、エルピス会にお願いしてくだされば幸いです。
 さて、今年の11月3日で、聖マルティンの家も10周年を迎えます。それを記念するかのように、1月にはもう障害を持ち、しかも極貧で人間扱いもされなかった子供3人が入所してきま す。新しい入所者が来るのは、神様が私たちを祝福しているしるしです。周りは皆心配してく れますが、神様は心配するな!と言われるかのように、私たちを支えてくださる新しい援軍を (テレビ放映という方法を使って)今年約250名も送ってくださいました。その上、ボランティアの希望者も…。本当に感謝です。神様の祝福をうけて、2008年が皆様にとってもすばらしい年になりますように。ろしくお願いいたします。
聖マルティンの家族
聖マルティンの家一同の笑い顔