《巻頭言》 『贅沢な命との出会い』 クリスト・ロア宣教修道女会 勝 一 美
私は2006年11月にアフリカを離れ日本管区所属になった。 これまでの皆様のご理解とご厚情にお礼申し上げる。おかげさまで1992年11月に派遣されてから14年間、コートジボアールのズクブ村のブルーリー潰瘍治療(当時は“ダロアおでき”といっていた)、識字教育、女子教育センター、サンフラ市の母親学級、HIV感染者の援助、そしてダブー市の児童図書館等のために必要な援助を、必要な人の所へ、必要な時にお届けすることがきたと思っている。
その間、ご迷惑をおかけしたことなどあったらどうぞお許しいただきたい。私はたくさんのことを学ばせていただいた。修道院入会の前に、『時の止まった赤ん坊(曽野綾子著、毎日新聞社)』という、マダガスカルの産院が舞台になっている小説を読んだ。そこには主人公のシスター茜のほかに、もうひとり日本人の年老いたシスターが登場する。貧しい観想会のそのシスターは泥棒に襲われて亡くなるが、遺言のような手紙を(※)息子夫婦に残していて、[あなたも贅沢にお生きなさい]と書いておられた。快適で便利で安全で、賞味期限で大騒ぎができるような生活に比べると、どちらかというと不潔で伝染病も多く、何をするのも不便で治安も悪く、時々戒厳令などもしかれ、危険と隣合わせがあたりまえの毎日だったが、いろいろな方々と出会い、いろいろな出来事を通して私も“贅沢”を少し味わわせていただいたと思っている。健気で逞しく生命力溢れる人々とともに「逆境」 − 私かそう思っているだけで現地の人たちは感じていないかも知れない − を過ごさせてもらったゆえに味わうことのできた“贅沢”であった。 その中のひとつ、めぐみちゃんと過ごした日々は、いただいた贈り物が思いがけなく高価なものだったことを、開けてみてはじめて気づいた時の感じと似ている。彼女とはロプーという村で女性、特にエイズ感染者の生活改善のお手伝いをしていたころ、定期的に訪ねていた村の産院で出会った。お母さんはエイズで、薄暗い病室でやせ細って疲れきったお母さんのそばにいた小さな、小さな赤ちゃんに気づいたとき、胸が詰まってのどがカラカラになったことを今でもはっきり思い出す。少しの間抱かせてもらったが、重みが感じられず、母子手帳を見ると3日前に1300gで生まれてきて、その日の測定では1200gとあった。その日はショックでそのまま帰った。 しばらくして二人が身を寄せていた村の家へ訪ねたとき、家族もお母さんとこの小さな赤ちゃんのことはあきらめている様子だった。まだ名前がなかったので、お母さんと相談して「グラース・めぐみ」という名前をつけた。それからお母さんを助けながら、これからのことを一族の人たちと話し合ったりしていた。時々産院へ連れて行って体重を測ったが、手に触れたものを反射的に握る赤ちゃんの癖で、めぐみちゃんもベッドの鉄格子を力強く握り締めて見せてくれたことがあった。産院の看護師が「この子は生きますよ」とその力に驚いていったこともあった。めぐみちゃんは少しずつ大きく(1700gまで増えたことも)元気になってきた。目が見えない様な素振りもみられたが、話しかけると反応があり、笑い顔も見られ、縦に抱くと泣いていても静かになる。私はめぐみちゃんのことがだんだん愛おしくなってきた。毎日、力一杯、神さまのくださる恵みのなかで生きている姿を見て、誰が愛さずにいられるだろうか! 1か月ぐらい経ったとき、クーデター未遂事件の影響でとても治安が悪くなり、外出が難しくなったことがあった。 1週間程して久しぶりに会っためぐみちゃんは、ひとまわり小さくなり、泣き声も弱々しく呼吸が苦しそうだった。そしてちょうど生まれて2か月経った日の夕方、神さまの元へ帰っていった。私は泣いてしまっていたが、めぐみちゃんの静かな叫びは、勝利の歌に変わった。人生の残酷さに傷つけられる出来事かもしれない。でも受胎の瞬間から生きるために戦ってきたこの小さな女の子は、与えられた使命を全うし召されていった。夜明けに生まれ、太陽が昇ってくると静かに消えていく朝露のような人生は清らかだった。その美しさにめぐみちゃんに込められた神様の思いを感じずにはいられなかった。 この出会いは、“エイズ”を悲惨な“病気”としか思っていなかった私を“生命”への係わり へと目覚めさせてくれた。そしてその後の使徒職を“子供と若者”へと方向付けてくれた。命の大切さと創造主を、人生の若い時に知ってほしいと願うようになったからである。本を通して命の尊さ、民族や宗教の違う人やHIV感染児童と共に生きること、そして平和について考えてもらうために、皆様の援助は、図書の購入と読書会のお手伝い(毎週近くの小学校の16クラスで開いてきた)に使わせていただいた。また内戦で不信感や排他主義の蔓延していたあの時期に、この活動ができたことも、時宜に適ったことだったと思っている。2007年3月に内戦も終わり、和解へのプロセスを歩んでいると報道されている。民族や宗教の違いを超えたキリストの平和が実現することを心から祈るばかりである。 種は植えられた。武器を鋤や鍬に造りなおし(イザヤ2)、この平和の種を育ててくれることを心から願っている。 (脚注)※観想修道会の中仁は、結婚後夫に先立たれた婦人が修道生活を望む場合、子どもなど家族の了解が得られたならば入会が許されることもあります。(編集部) 『第27回運営委員会議事録』日時:2007年12月11日(火)18:00〜19:15場所:四谷SJハウス会議室 議事: I.創立25周年の行事について 八幡さんから11月10日(土)午後ニコラバレ修道院ホールで、25周年記念講演会が無事に行われたことが報告された。1) 3000枚くらいのチラシを各方面50か所くらい配布したが、実際の参加者は約80名にとどまったこと。 2) 会場の「ニコラバレ修道院9階ホール」という案内が不親切(ニコラバレが未だ周知されていない)であったことで、問い合わせも多かったことが反省点として報告された。 3) カトリック新聞の取材・掲載、東京教区ニュースへの掲載もあってよかった。 U.「きずな」101号について1) 100号の表紙は写真にしたが、101号は元に戻って巻頭言となった。その巻頭言「人と人をつなぐ力」は心打つ内容であった。2) 記念講演会の3名の講演の要旨を掲載したが、もう少し増やして2ページずつ6ページくらいにしたほうがよかったこと、レイアウトを2段組にせず、1行42字詰めにして「お便り欄」との差別化を図った、と担当者から報告があった。 V.「きずな」102号について1) 巻頭言は現在ザンビアから一時帰国中の久保神父にお願いするが、都合が悪い場合シスターにお願いすることになった。2) 例年通り海外からのクリスマスカード、メッセージを掲載する。 3) 原稿の締め切りは2月10日、発行日は3月1日、発送作業は3月6日。 W.援助申請の審議@ ボリビアの倉橋神父から2005年に出された申請: 2008年にサンタクルス教会が30周年を迎えるにあたり、新築工事が50万ドルかかる。その工事の一部、3年間で1万ドルの申請があり、すでに援助を決定していたが、その最終回として今年度分3,000ドルの援助を承認した。A ブラジルのSr.浜崎 和子(宮崎カリタス修道女会)からの申請:ラール・サン・アントニオ福祉総合施設センターの老朽化に伴う修復費用として 24,902ドルの申請があり、その内訳(保安のための金網による敷地囲い、屋外照明、施設の通用門の作り替えなど)について検討した結 果、「金網の敷地囲い分」として 8,476ドルの援助を決定した。 B カンボジアの日本カトリック信徒宣教者会の高橋真也さんからの申請:1)コンポンルアンの水上村の教会の識字教室に通う船の維持費(ガソリン代、メンテナンス費、税金、運転手給与、バッテリー購入費) 2)公立小学校への通学全船の維持費(上記に同じ)として1年分 2,400ドルずつ合計 4,800ドルの申請があり、全額援助を決定した。 C ボリビアの倉橋神父からの申請: 1)アルゼンチンの日本人共同体司牧奉仕のためのサンタク ルスからの旅費として 450ドル 2)移住地司牧のためのガソリン代および運転手の日当として 540ドル 3)エキペトロル教会の木製テーブル、椅子 200脚の修理用材料費として 200ドル合計 1,190ドルの援助を決定した。 D ブラジルのSr.日高和子(聖心侍女修道会)からの申請:近隣の4つの貧しい地域で貧困や家庭崩壊などで基礎教育が受けられない子供たちが、センター外の活動に参加するための貸し切りバス使用の費用として、2年間に 5,000ドルの援助の申請があり、検討の結果援助を決定した。 EブルキナファソのSr.黒田小夜子から申請されている農業用小型トラック購入費の今年度分、80万円の承認をした(今回で終了)。 X.その他1)前号で紹介した書籍「ドミンゴ中村長八神父ブラジル日本移民の使徒(日伯司牧協会監修)」については、日伯司牧協会からの依頼により、当会が販売の窓口として協力することに決定 した。2)次回の委員会は、3月11日(火)、四谷のSJハウスで行なう予定。
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