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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES





『こんにちは!お久しぶりです!!』


事務局訪問の宣教者の皆様
(日付は来訪日)

5月30日
マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター中村寛子:コンゴ

このたびの帰国は一年間の霊的刷新の研修に与るためで、じっくりと日本の生活を味わっています。社会制度や環境がすべて整っていて、大体自分の計画通りに毎日事が運ぶという生活は信じがたいようでしたが、4か月の滞在でハイテクの社会生活にも慣れて、何とかまごつかず、人について行けるようになりました。しかし、以前は大部分の社会層が中流家庭といわれ、何となくそんな印象を持っていたのに、いつのまにか格差社会になり、底辺で生活しなければならない人々が増えたようで、アフリカとは違ってはいても、理不尽に苦しまねばならない人々はコンゴだけではないと痛感しています。


6月1日
信徒宣教者会 高橋真也:カンボジア

一年半ぶりに帰国しましたが、いろんなところでカンボジアと日本を比べている自分に気がつきます。訪問してお話を聞いていただけることに感謝しています。この会を通して、日本の皆様が世界の教会と繋がっていけることをお祈りしています。


6月8日
横浜教区司祭 石川裕之神父:ブラジル

 2年弱ぶりに日本に来ました。暑くも寒くもない日本の初夏の気候に喜んでいます。
食べ物も何を食べても飲んでもおいしく、幸せな気持ちになります。でも、人々の表情に活気を感じません。元気がない気がします。「日本人は病んでいる」ということが滞在中ずっと頭から離れませんでした。(石川神父様は残念ながら7月1日帰任の途中ニューヨークで肺炎・敗血症のため掃天されました。)

6月8日
マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター高橋有子 シスター佐々木光子:ブラジル


 6月6日シスター佐々木 と共に4年ぶり、家族訪問となりました。修道院訪問はもとより大勢の方々、そして親族との再会で、暖かい心遣いと笑顔に迎えられ、感謝と喜びの念でいっぱいです。時に日本国内の、いじめのニュースをはじめ悲しくも心苦しい事件を知ると、ブラジル国内で感じる以上に心が痛みます。また、幸いにも広島と長崎に行く機会があり、あらためて「戦争はいけない」と感じたものです。札幌の手稲教会では信徒の積極的な参加に出会い、感心しました。地方の教会は信徒も減少して、淋しいながらも祈りの真心にも触れることができました。また、以前より政治への人々の参加も真剣になっているようですから、聖霊は人の想いを超えて、自由に働かれるのでしょうね。


7月30日
聖マリアの汚れなき御心のフランシスコ姉妹会 シスター稲嶺桂子 シスター松原節子:ブラジル

 1994年10月にブラジルのカンポグランデという日系人、特に沖縄県人の多いところに派遣されました。高齢のイタリア人の神父様がよくお世話されていましたが、私たちにバトンタッチして安心したかのように、ひと月はどで亡くなられました。私たちほ一世の方々のために働きましたが、たくさんの二世の方々にお世話になり助けられました。そして1年半前から一人の二世の方が過3日間私たちと共に訪問活動開始。彼女の属する「明の星会」という団体が法人化されて、私たちの土地や建物を使って、これまでの活動を引き継いでくれることになりました。その方々にバトンタッチして帰国でき、心からほっとし、感謝いたしております。皆様方の暖かいご支援とお祈りをありがとうございました。


8月3日
聖パウロ女子修道会 シスター比護キクエ:ドイツ

 事務所が私どもの東京の本部修道院の近くに移ってこられて、とても身近に感じうれしく思いました。以前より広くても、簡素なこの事務所が、全世界の宣教者を物心両面で支えてくださっているのだと思うと、感動と感謝の心でいっぱいになります。ありがとうございます。


8月3日
ショファイユの幼きイエズス修道会 シスター脇山ミキコ:チャド

 六本木の新しい事務所を訪問したいという願いは、八幡様からファックスで地図をいただいたので、スイスイと事務所の扉の前につくことができ、楽しく実現しました。皆様の変わらないほはえみに迎えられて、2年半の月日の距離は消えて古巣に戻った感じでした。世界各地に派遣されている宣教者たちの古巣です!私たちの嘆きを聞き、援助の手をさし伸べてくださる「支援する会」と『きずな』によって、宣教者一人ひとりが霊的、物的に力をいただき、神のみ国の建設に新たに歩み出します。『きずな』によって結ばれているすべての人々の上に押さまの祝福を祈り続けます。

8月6日
フランシスコ会司祭 根本昭雄神父:ロシア

 私は南アフリカで黒人地区の教育と、HIVエイズ患者のケアに毎日を捧げてきましたが、正直、私は彼らに何もしてあげることができませんでした。そして今度は、ロシア(サンクトペテルプルグ)に入ることになりました。







『ザ・メッセージ(海外短信)』

  • 無事に引越しが終られた由、何よりでした。夏ばてなどなさいませんように!『きずな』の次号は100号ですね。遠く離れている者にとって『きずな』の存在は、大きな支えと力になっております。今後も日本と海外を結ぶ大切なきずなとして発展し、よい実りが得られますようお祈り申し上げております。
    (ハイチ レデンプトリスチン修道院 飯村美紀子)
  • こちらは5月に入って急に冬になり、10度以下になると人々はセーターの重ね着で、まるでアラスカに行ったよう!常時暑いので、20度以下になると大騒ぎです。子供たちは、学校の先生のストが度々あるので、路上で遊びまわっています。
    (ボリビア[サンタクルス] 礼拝会 斉藤クニ子)
  • 私たちの幼稚園も4年目になり、たくさんの方々からのご援助で、ヘルスクリニックが始まり、施設内に多目的室もでき、いろいろな活動に使われています。1月に、日本の修道会の「桜の聖母幼稚園」と姉妹校となり、これからいろいろな形で交流ができればと願っております。子供たちが自分たちの狭い社会に閉じこもるのではなく、もっと広く世界に目を向けて、共に歩んでいこうとする人に育ってほしいと願っています。皆様のご親切とお祈りに感謝。
    (フィリピン[バコロド] 善きサマリア人修道会)







『ECHO』

  • 新しい所に事務局が移転なさったとのこと、 これからもどうぞ頑張ってください。
    (千葉県松戸市 平松裕子)
  • この4月、娘が39歳で乳がんのため亡くなりました。娘の命の記念としてわずかですが、送金します。世界中で活躍されている方々に いつも心より感謝と祈りを送ります。『きずな』でいつも感動している一人です。
    (広島県江田島市 脇田タカエ)
  • 前号の巻頭言の小川神父様のように、私たち夫婦も『きずな』をすみずみまで目を通しております。そして皆様のお働きのために祈っております。
    (東京都東久留米市 米沢正博)
  • 皆様の数々のご苦労を思いながら、ほんの少しですがお送りいたします。
    (静岡市清水区 蒲原聖母幼稚園)
  • ご苦労様です。『きずな』をありがとうございます。支援を受ける人々の笑顔がとても美しく見えます。
    (鹿児島県奄美市 宮崎カリタス名瀬修道院)
  • いつも『きずな』を楽しみに読ませていただきながら、皆様のお働きに頭の下がる思いでいっぱいです。わずかな協力で申し訳なく思っておりますが、お体に気をつけられますようにと祈っております。
    (神戸市兵庫区 パリミッション女子会)
  • ふとしたことから皆様のお働きを知ったのも 神様の思召しだと思います。これからできるときには送金させていただきます。お祈りと共に。
    (兵庫県篠山市 篠塚知子)
  • 困難や苦労の多い状況の中で、み国のためにお働きくださる皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますようにお祈り申し上げます。
    (長野市 善き牧者修道会長野修道院)
  • 99号でカンボジアの水上村のプロジェクト(信徒宣教者会 高橋さんの記事)に目が止まりました。以前カンボジアを旅したときに見て、水の状態がどんなかばよくわかっているので、このたび少し応援させていただければと思いました。また、カンボジアの子供の里親探しなどしていらっしゃれば教えてください。
    (兵庫県姫路市 藤田武子)






『石川神父様の命をかけた宣教』

運営委員 井上 信一



 ブラジルの北部パラ州カスタニヤール教区の司祭として、宣教と司牧活動に奔走されていた石川裕之神父様の葬儀ミサが、7月14日に横浜の司教座教会である山手教会で執り行われました。石川神父様は休暇で一時帰国された後、帰任の途中のこユーヨークでブラジルへのフライトを待機中に肺炎から敗血症をおこされて、同地の病院での緊急治療の甲斐もなく、48歳という若さで帰天されたのです。7月1日のことでした。
 石川神父様のこれまでの海外宣教に対する真摯な思いと、全身、全霊を打ち込まれた活動を見てきた多くの人たちにとって、この突然の訃報は大きなショックでした。出身の横浜教区の人々だけでなく、何よりもブラジルの現地で神父様の帰りを待っていた人たちの驚きと悲しみは大変なものでしょう。日本の葬儀ミサに合わせて、現地でも追悼ミサが捧げられていると梅村司教様の説明がありました。
 石川神父様は現地の活動状況を送ってくださり、その要約を『きずな』やホームページにも掲載してきました。ブラジルでの司祭職が、日本では想像できないほど信徒の社会生活に深く関わっていて、肉体的、精神的に厳しいことが切々と伝わる報告もありました。その中で昨年の9月にブラジル滞在1周年目の感想を寄せられた報告「紺碧の空と真っ赤な大地から:第4号」に次のような文章がありました。
 「出国前ほ是非実家で泊まろうと取ったのですが、結局無理で、成田出発当日、それも30分だけ行くことができました。こんな時も携帯が鳴り響き、落ち着かない中、お茶を飲みつつ、私はこう切り出しました。《父さんも母さんももう決して若くないし、私も派遣中何があるかわからないし、日本に来てくれたたくさんの宣教師のご両親の犠牲を思いつつ、もしもの時は天国で再会しましょう!》 母は微笑んでいましたが、涙もろい父は泣いていました」。
 でも、そのお父様は葬儀ミサの中で、悲しみを抑えて次のように淡々と挨拶されました。
 「ニューヨークの病院で遺体と会ったとき、とても安らかな顔をしていました。18年間の司祭職をやり遂げて、きっと満足して天に召されたのだと思いました。これまでの皆様のお祈りと支えに心から感謝いたします」。このお父様の言葉に、悲しみをこらえていた参列者の方々は、涙が溢れるのを止めることができなくなりました。
 「海外宣教者を支援する会」としても石川神父様の命を賭けられた宣教・司牧活動に心から感謝すると共に、神父様とそのご遺族様の、そして悲しんでいるブラジルの兄弟姉妹のこころの平安のために心を合わせて祈ります。






『☆六本木だより☆』

事務局 八幡とも子
 事務所が移転してもうすぐ5か月になります。「今度、事務所が移転します」「どこにですか?」「六本木です」「ええっ、六本木ですか?」とみんなを驚かす会話をくり返したことをなつかしく思い出しています。
 東京ミッドタウンの近くですが、大変静かで緑もありとても恵まれた場所です。お隣りが「信徒宣教者会」なので心強くお世話になっています。
 一時帰国中の宣教者の皆さんもよく訪ねてくださり、お話をお聞きする機会にも恵まれています。ボランティアの方たちと一緒に作業ができるスペースもあり、力を出し合える喜びと素晴らしさを感じています。
 最寄りの六本木駅界わいの広告、チラシ配り、呼び込みの凄まじさは驚きですが、なんとか人の気持ちを掴んで売り込みたいという必死な姿勢に、反省したり感心したりの日々です。
 「支援する会」も皆様のお陰で25周年をむかえます。25年間ずっと宣教者のことを心にかけ続けてくださってありがとうございました。天国から見守ってくださっている梶川神父様はじめ先輩の皆様ありがとうございました。今日あるのは皆様のおかげです。これからもよろしくお願いいたします。そして、支援してくださる皆様とご−緒に、次の一歩を歩み始めることを感謝しております。「主よ、これからもこの集いにおいでくださり、私たちと一緒にいてください」。





『新入会員(敬称略)』

個人会員 5名
団体・法人会員 2件
賛助会員 2名






『編集後記』


  • 今夏、東京では梅雨明けが8月にずれ込み、本格的な暑さになったのは立秋も近くなってから。一気にいろんなセミが鳴き出し、日々暑さの記録を更新しながらも、季節は移り変わっていきます。25周年によせてお便りをいただきありがとうございました。
  • 会費を銀行から送金された方は、お手数ですがご住所を何らかの方法で、事務局までお知らせください。領収書や『きずな』をお送りするために必要となりますので。