アフリカのチャドで活躍中のシスター松山 浩子(ショファイユの幼きイエズス修道会)は、今般
「チャドの大地」という絵本を出版されました。日本語とフランス語の文章のみならず、見事な
絵もご自分で書かれたものです。この絵本を出された趣旨が次のような「あとがき」にまとめ
られています。絵本の表紙と本文の挿絵も2枚ほど併せて載せておきますので、ご覧下さい。
《あとがき》
ショフアイユの幼きイエズス修道会のチャド宣教は1980年に始まりました。それは、フランス・カナダ・日本という当時の3管区のシスターたちによる国際共同体が存在したおかけです。最初の宣教者の一人、シスター・アンネット・ペリュベは、チャドでの15年の奉仕を終え、1995年にカナダに帰り、もう一人の先輩、シスター脇山ミキコも15年の奉仕の後、2009年に帰国しています。現在、私たちは、カナダ人と日本人シスター合わせて10人で、他の宣教会のメンバーともつながりを保ちながら、3つの国際共同体を作り、チャド宣教を続けています。
2010年12月13日、イエズスの聖心の宣教会のスペイン人のシスター・マリア・ルイザが、交通事故で亡くなりました。ライ教区で亡くなった最初の宣教者であるシスターは、この教区で宣教が始まって75周年の祝いの年の生贅となられたと、司教さまのお言葉にあり、このチャドの大地に眠るシスターをうらやましく思いました。
私のチャドでの日々は、初めてチャドに来た1991年から、帰国期間を除いて10年目を迎えようとしています。この絵本を書きたいと思ったのは、来年の2012年がシスター永瀬小夜子の10周忌になることと、チャドをこよなく愛したシスター永瀬と、一番長く共に過したシスター三宅陽子、非常に若くして亡くなられたシスター二条あかねを偲び、ご遺族や友人方に現在のチャドの様子を少しでも知って頂ければと思ったからです。このシスター方の魂は、今もチャドの人々、木々や花、大地に生きていて、大きな励まし、支えとなっています。
シスター永瀬が亡くなったのは、最も暑い季節で、4月から6月までの3ヶ月間は、木陰で40度、砂の上なら60度以上の気温が続きます、扇風機も冷房もありません。チャドでは貧富の差はますます広がるばかりで、少年兵や子どもの奴隷の問題、女性に対する性的虐待、性器を傷つけて死を招くことさえある悪い習慣などを抱えています。2011年3月11日、東日本大震災で多くの方が犠牲となられました。そんなときも日本人は落ち着いて整列ができることに感動しましたが、チャドでは、子どもも大人も整列することが難しく、支援物資を取り合い、争いとなるのです。この国では教育の不足と文化の未熱さのため、理解し難いことが多く、度々腹を立てる私ですが、休暇にでかけるときは、皆、私の帰りを待っていると言ってくれます。
文化の違いを超えてあらゆる人々と関わることができ、貧しく苦しむ人々の本当の友となれる人は幸いです。亡くなられたシスター方は、どなたもこのようなタイプの、忍耐強く、微笑みの美しい方々でした。きっと天国から、チャド宣教に協力してくださる人が増えるよう祈っていてくださることでしょう。
最後になりましたが、この絵本の完成のために、貴重な示唆を与え、仏語訳で助けてくださったシスター小川 紘子に心から感謝申し上げます。
讃美と感謝のうちに
2011年6月12日 聖霊降臨の祝日に
シスター松山浩子(チャド、ギダリ在住)
|
|
チャド共和国に二人の日本人シスターのお墓があります。ひとつはショファイユの幼きイエズス修道会のシスター永瀬小夜子のお墓です。もうひとつは援助修道会のシスター二条あかねの墓です。 |
私の先輩であるシスター三宅陽子はチャドで20年間働いて、帰国後2005年1月に亡くなられましたが、シスター三宅にならって、私もチャドに来て、子供たちに祈りの生活を教えることになりました。先輩が植えた木々は見上げるほど大きく成長しています。 |
|