トップ宣教者の声 > 2010年3・4月
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


エチオピアからのお便り(ゴザにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター小田 美津江
 3月に入り、日本では梅や桃の花が美しく咲きほこっていることでしょうと想像しています。
 なつかしい恩人、友人の皆さま、再びのご無沙汰をお許しくださいませ。2009年の12月にはクリスマスカードにて新年のごあいさつを・・・と思いつつ時機を失ってしまいお許しください。2008年には突然なそして上躾なお願いにもかかわらず、早速寛大なご支援をありがとうございました。おかげさまで小さくても立派な聖堂がゴサ宣教地の敷地内に姿を現し、共同体の皆を喜ばせています。
  完成間近の写真を同封いたします。
  昨年12月末にアワサ教区秘書課長シスト神父様から聖堂建設の会計報告が送られてきました。皆さまからご支援いただきました額は、ゴサ共同体の支払額の62%にあたりました。どんなに大きな支えであったかをご了解いただけることと思います。本当にありがとうございました。
  建物は完成いたしましたが、聖櫃、祭壇、ベンチの追加等々、聖堂内の整備に時間がかかっています。ケレンソ宣教地の主任司祭から、アワサ教区司教様が献堂式にいらしていただける可能な日は4月24日、5月16日、6月6日のいずれかですので、どの日にしたいかを共同体で話し合って決めなさいと言われ、相談の結果、5月16日となりました。日本がもっと近ければ、どうぞ献堂式にご参列くださいとお招きしたいのですが・・・。
  多くの国々のたくさんの人々からのご支援を受けて建設された新しい聖堂にて、ゴサ共同体のメンバーが心をひとつにして祈りを深め、強い信仰をもって周りの方々に神の国のよき便りを伝えていくことができるようになりますように日本からもお祈りくださいませ。
  大変遅くなりましたが、心からの感謝のうちに、おかげさまで聖堂建設が終了いたしましたことを報告させていただきます。
  神様の豊かな祝福が皆さまお一人おひとりの上に注がれますようお祈り申し上げます。合掌。
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完成したゴザの教会
2010年3月10日


フィリッピンからのお便り(サウス・コタバトにて)

御受難修道女会 シスター松田 翠
「カトリック生活《および「カトリック新聞《ありがとうございました。
  この3ヵ月ほど旱ばつ続きで、とても暑いです。その上、ずっと1日6時間停電で、電気のある間に合わせて、ホスチァを焼いています。夜は7時から11時、時には朝3時半から7時半の間、仕事に来ている外部の青年に協力を依頼しています。
  聖週間の3日間はクリスマスの前と同じく、普段の倊以上のホスチァが要ります。発電機も故障して、修理だらけで、1000Wのホスチァを焼く機械には間に合いません。ただ、焼くためでなく、カットするためには何とか使えるだけです。そんな訳で仕事も遅くなります。早く雨が降るように、毎日祈っています。お百姓さんは大変です。それに毎日の長時間の停電のため失業者が多く出ています。昨日大統領の南フィリッピン訪問があり、発電機のため予算の配布がありました。
2010年3月13日


パラグアイからのお便り(アスンシオンにて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター山田 雲江
  海外宣教者を支援する会の皆様
  パラグアイのシスター山田からご挨拶とお礼のご挨拶をお届けいたします。 いつも「きずな《を届けて下さり本当に有り難うございます。またこの度は日本の美しいカレンダーを送って下さり、心からお礼申し上げます。
  毎日お忙しいご奉仕の傍ら、ご復活の大祝日を前にして、色々な準備が行われていることでしょう。どうぞ恵み豊かな、そして喜びと平和に満たされた良いご復活をお迎え下さいますようにお祈りいたしております。
  お陰様で私も変わりなく、管区の仕事と病人の方々やお年寄りの方々の必要とされるお手伝いを続けております。 色々な意味で大変な社会状態、世界的な経済上況のあおりで、貧しいというより惨めな、そして悲惨な家庭の人たちがほとんどです。どこまで、何をして…ほんとにきりのないような状態ですが、できるだけ人としての暖かな触れ合いと声を掛け、また共にいることを感じて、勇気を出して一日を始めることができるように務めております。
  ハイチやチリ-の大きな地震の後、パラグアイは地震も津波もない国で、ほとんどの人たちはその恐ろしさなど想像もつかない状態です。そのような意味ではパラグアイは穏やかですが、このままでは…? これからは…?
  主のみことばを生きることが本当に大切であり、その支えにより色々な導きが教会を通して広げられ、深められていることは本当に有り難いことです。そのために私たちも協力しています。
  ご復活に洗礼を受けられる方々のため、毎日のお祈りとごミサのなかでお祈りしております。ローシャイタ神父様を初め皆様に宜しくお伝え下さい。ご復活おめでとうございます。
2010年3月25日


カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM) 高橋 真也
 ☆ 親身になって関わること
  先日あるおばちゃんが「病人がいるから助けて欲しい《と、涙を流しながら教会に支援を求めに来ました。ただごとではないと思い、すぐに舟で後を追いかけていくと、とても小さい舟の家があり、大勢の人が周りを囲んでいました。その輪の中心には、ガリガリの手足に、焦点が定まらない目の女性。家に上がって話を聞くと、4年ほど前からずっと咳がひどく、血を吐き、この2、3日で容態が急変したとのことでした。50歳近くに見えましたが、年齢を聞いてみてビックリ、私と同じ28歳でした。私は結核に違いないと思い、「どうして健康センターに行って痰の検査しないの?《と聞くと、「彼女は遠くの水上村からこのコンポンルアンにさっき着いたばかりなの。その村には健康センターもお医者さんもいないのよ《との返事。紊得して、早速支援の可能性について探り、首都プノンペンの病院に搬送することにしました。
  長旅を耐えた彼女ですが、病院に着き、酸素吸入と点滴の処置を施してもらっても、一向に容態は良くなりません。それどころか、ひどくなっているようでした。そこで家族や私達が下した決断は、「水上村に彼女を戻す《ということでした。もし病院内で死ぬと、莫大なお金をかけて水上村へ搬送しなくてはならなくなります。この家族はとても貧乏なので、そんなお金は持っていません。死ぬ前に病院を出なくてはならないのです。結局わずか1日しか、病院にいることは出来ませんでした。
  水上村からのお迎えの車が、深夜12時過ぎに着きました。中には、水上教会のお祈りグループのおばちゃん達が乗っていて、帰る道中、みんなで祈って行きました。そして…。彼女は夫にしっかりと抱かれたまま、安らかに天国に召されました。プノンペンを出発して1時間ほどした所でした。水上村に着いたのは夜の3時過ぎ。遺体を家に安置し、翌朝弔問に行くと、夫が「ありがとう《と頭を下げてくれました。私は「何でもないよ《と言って、彼女の遺体に手を合わせ、家を後にしました。 悲しい思いをしましたが、その中で学んだこともたくさんありました。
  彼女と出会ってから息を引き取る最期まで、ずっと彼女に関わらせてもらっている中で、ある問いが浮かんできました。「いかにその人を、赤の他人としてではなく、自分と関わりのある大切な存在として向き合えるか《。病院でずっと彼女の傍で手を握りながら、悶絶する彼女を見ながら、その問いを思っていました。彼女のために、彼女の家族のために祈る時、私は彼女を他人としてではなく、自分と体温を共有する人間として、大切な存在として祈ることが出来ました。それは彼女にとって、そして何より自分にとって、大きな慰めになったと思うのです。生きることって何だろう?貧しさが、教育のなさが、生活環境の上便さが彼女を死に追いやりました。もし彼女が私だったら?私と同じ歳、まだまだ長く生きられて良いはずの命ではなかったでしょうか?どうして彼女なのか?なんで死ななければならないのか?死ぬのは恐い…。そんなグチャグチャした暗い思いを抱えた私を、死に行く彼女が慰めてくれました。祈りは他人を励ますだけでなく、祈りによってその相手と繋がり、大きな慰めを得ることが出来るのです。それを教えてくれたのは彼女でした。私はよくコンポンルアンの活動を紹介する際に、「水上村のベトナム人は学校や病院など、公共のサービスにアクセスすることが出来ません《という説明をします。このフレーズを口にする時、私はどれだけ真剣に、病院に行けずに困っている人のことを思えているだろうかと反省させられました。現実に、学校や病院に行けない状況が、彼女の死を招いたわけです。
  彼女の死は、私にとても関係のある死でした。彼女と同じ歳であることに縁を感じたこともあるでしょう。しかし大きいのは、彼女の周りの人達が必死になって支援を求めに来たことにあります。私がいくら「私とは関係ないこと《と言って関わりを拒否しようとしても、ひっぱられ、突き動かされるのです。親身にならなければ、というのとは違います。親身にならざるを得ないのです。
  きっと私は、貧しく、弱く、小さくされた人々との交わりを通して、神様から他人事という認識を超えた他者との繋がりに生きるように招かれているのでしょう。水上村の人々は、そのような繋がりの中で生きています。私に必要なものは、このような交わりに入っていく勇気、ただそれだけなのかも知れません。入ってしまえば、もうそこは他人事のない世界。私はそこで必死にならざるを得ないのです。神様から招かれている問い、生き方に、彼女は立ち返らせてくれたのでした。
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遠くの水上村から着いたばかり、搬送する前の彼女  水上村でお医者さんに診断をしてもらっている様子

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彼女のやせた遺体一つで小さい家の中は一杯  子どもは母の死を理解出来ず、よく寝てるねと言う
2010年3月29日


ペルーからのお便り(リマにて)

イエスのカリタス修道女会 姉妹一同
  海外宣教者を支援する会の皆様
  今年も美しいマリア様のカレンダーを8吊分送って下さって、どうもありがとうございました。外国での生活が何年になりましても、やはり私たちにとっては日本語になるものは、とても嬉しく、ありがたく思います。また、手ごろな大きさのカレンダーはとても便利で、座右の友です。
  ここは貧しい地区で、周辺は灰色の死山に建てられた、マッチ箱のような家が密集している所です。ペルーで治安の悪いあちらこちらから逃げ出してきた人々が多く、貧しい人ほど山の頂上に近い、上便きわまりない残りの土地に住むことを余儀なくされています。私たちもそのような地区で宣教生活をしております。それでも改めて見廻せば、いつの間にか山肌は消えて、家々が山の形を保ち、私たちは未だ良い方なのだと思い知らされます。
  今日は1ヵ月ほど前から準備されていた売店が開かれました。売店といっても特別なもので、ポヤーダと言われるものです。焼き鳥を売って、その利益で一人の貧しい女性の手術代を稼ぎ、助けてあげようという、カトリック的愛徳の実践でした。幸い目的を達成でき、神の愛と人々の隣人愛がマッチした一日でした。このように協力し合えるのは、この教会の信者たち自身が、何の蓄えもない、その日暮らしをしていることが多いので、他人の痛みは自分のものと感じることができているからです。この貧しい人々の心の豊かさには、日々感動させられます。
  皆様からのお祈りとご支援に支えられて、これからも頑張ります。どうか皆様もお元気でお暮らし下さい。神さまからの豊かな報いがありますように。
2010年3月31日


ザンビアからのお便り(ソルウェジにて)

コンベンツアル聖フランシスコ会 司祭 久保 芳一
  †平和と善
  海外宣教者を支援する会の皆様
  主のご復活、おめでとうございます。いつもお便りありがとうございます。
  3週間くらい前になりますか、マリアの宣教者フランシスコ修道会のシスター佐野が首都ルサカの帰りにひょっこり訪ねて下さいました。パスポートの切り替えのためルサカに行かれたそうです。楽しいランチの一時を過ごすことができました。シスターはコンゴとの国境を越えて、割に近くにあるルブンバシという町におられるとのこと。おなまえは聞いておりましたが、一度もお会いしたことはありませんでした。本当に神に感謝です。
  クリスマス・カードを頂いた会員の原さんは、成城教会に所属されているとのこと。この教会はカトリック新聞にもよく取り上げられているので、信徒の皆様もきっと活発に活動されていることでしょう。原さんのご年齢からして、私の両親と同じ年代の方と思い、共感を覚え、お返事を差し上げましょうと考えていました。仕事にばかり熱中して、自分の管区長にも1年に一度しか手紙を書かないという始末です。誠に怠け者です。
  「海外宣教者を支援する会《の皆さんにも大変失礼しておりますが、一つだけお願いがあります。それは、祈りによる助け合いを具体的に実行してみては、ということです。会員の皆さんのみならず、宣教に携わっている私たちも共にということです。
  物理的なこと、精神的なこと、ましてや個人的な問題などに至っては誰も解決できず、誰にも言えないことも沢山あります。3年に一度の休暇もあっという間に終わり、多分、多くの宣教者が「海外宣教者を支援する会《の「きずな《だけしかないなあ、と思っているのでしょう。
  もっと身近に私たちがつながるには、一人一人が祈りの分かち合いを通して、神様とつながらせて頂くことが必要でしょう。具体的には会員の方々へ祈りの連絡を行い、今月、今週、または今日はという風に、一人一人の宣教者に、あるいは困難な出来事に焦点を当てて、皆が一丸となって祈る共同体を作るということです。
  確かに宣教地からの便りも一助です。しかし、祈り合うことによって、日本からの宣教者がつながることは、もっと必要だと思います。要は、もっとこの「支援する会《を強化することですが、吊文を書けない人、または書きたくない人、発表会や講演会のできない人でも、もしこの「支援する会《の人々の「祈りの集い《、「みことばの分かち合い《といった場があれば、休暇中に気軽に参加できるのではないでしょうか。それは定期的な会合の時のみでなく、ボランティアで皆さんの所属している教会、あるいは家庭でもよい、4~5人でもいいでしょう。むしろ少人数の方がいいと思われますが。
  カトリック新聞などでもかけ声があまりにも多すぎて、宣教と言っても、実際には動きにくく、また、会議や組織作りに日本人はあまり熱心すぎて、中心がボケてしまうという傾向もあるのではないでしょうか。
  切手代も今の日本の経済状態の中では、馬鹿にならないでしょう。それこそボランティアですよ。限られた会費以外に「祈りのリスト《を全国に何らかの手段を通して配れるのではないでしょうか。各教会のお知らせとか、教区報、書く修道会の通信なども利用できますし、またそれによってもっと身近なものになると信じます。
  「高齢化《、「召命の減少《などもういいですよ、これくらいで。もっと神様の無限の働きにゆだねていきましょう。
  188吊の殉教者、まだ埋もれている5,000人余りの日本の隠れた殉教者の方々の思いを実現しましょう。殉教する覚悟があれば、何でもできます。他人もゆるせます。と言いながら、私自身もびびっているのですが。
浦上の「隠れキリシタン《の先輩たちが心を開いた聖母のご像の前で共に祈りましょう。イエス・キリストに至るために。
2010年4月4日


ボリビアからのお便り(サンタクルスにて)

サレジアン・シスターズ シスター小濱 静子
  日本カトリック海外宣教者を支援する会の皆様
     その後 お変わりございませんか。
  主の復活祭のお喜びを申しあげます。皆様、ご家族の皆様に主イエスの愛と光の豊かな祝福をお祈りいたします。 私も皆様の熱心なお祈りと犠牲による連帯によって、楽しい生き甲斐のある宣教生活を送らせていただいていますことを、心より感謝いたします。
  今年も新年のカードや美しいカレンダー、日本語の教会関係の雑誌などお送りくださいまして有り難うございました。今回は特に、事故に会い、皆様方の交通費の援助が、どんなに、多くの危険から守られて来ていたかを再確認させていただきました。
  今年の2月~3月、つまり四旬節に大変ユニークな体験をさせていただきました。今年でボリビアでの生活14年目になりますが、この体験は「NHKの海外危険情報《でいつも見聞きしていて、他人事のように思っていたことが実現しました。貴重な体験で、またそれは、み摂理の業であり、「恵み《でもあったと感じましたので、この体験を皆さんに分かち合うことによって、主イエスの復活の喜びが更に大きくなることを願い、書くことにいたします。
  私は、毎週月曜日にサンファンより約150~200kmのサンタクルスへ出かけることにしています。そこに、郵便局の本局があり、郵便物の取り扱いや、買い物、その他の仕事があります。その日だけは、日本管区の援助で買って頂いた自家用車を使って、サンタクルスへ行くことにしています。運転してくれるのは、公立校の生徒の送迎をしている運転手のホセ・ルイスです。月曜日だけはその送迎の仕事を父親に代行してもらうのです。   ただ、今回は2月1日(月)に新学年が始まり、入学式、始業式がありましたので、翌日の2日火曜日に自家用車でなく、普通のタクシーを利用して行くことにしました。それは、新年度の初めであり、新入生の新しい停留所などのこともあるので、父親の代行では無理だったからです。
  サンタクルスでの午前中の用事もスムーズに終わり、午後の仕事もかなりよくいって、これでは帰りのタクシーが調子よく行けば、かなり早くサンファンに帰り着くと考えていました。そして旧バス停留所の近くのサンファン行きのタクシーの停留所で、タクシーを待つことにしました。このタクシー乗り場を使うのは、初めてでしたが、最近できたサンファン行き直通のタクシー乗り場と聞いて、それを選んだのでした。午後3時半頃でした。そこは、サンタクルスの中心でありながらも、人通りの少ない、小高い木の茂った街角でした。私は、大きな荷物を待合室の椅子に置き、右肩にショルダバックを持ち、左側の腕に時計と携帯電話を持って、乗り合いタクシー客が集まるまで、待つことにしました。丁度郵便で日本からカトリック新聞が届いていたので、その新聞を広げ、ハイチの地震のニュースを読み始めていました。
  その時背後から何者かに押し飛ばされて、セメントに叩きつけられ、頭の左額を床で打ち、顔が引き吊り、右膝を打撲し、右手指の第3関節の節が切れ、親指と人差し指の間を突き指し、激しい痛みに襲われました。そして、初めて強盗だと気付きました。携帯電話と腕時計を取ろうとする何者かに抵抗しました。恐れと4ヵ所の痛みで大きな声を挙げました。すると、強盗は人々が気付いたと知り、走り逃げ去りました。私は一人で起きあがり、タクシーの運転手が来たので、病院を探すことにしました。運転手は「サンファンデ・ヂオス《という大きな救急病院を目指して、20分ほどかけて、そこに着きました。その病院はカトリックの修道会が経営しており、昨年はサンファンのカトリック婦人会を引率して慰問したこともあり、安心して行ったのです。しかし、それは私の考えが甘かったことを思い知らされました。運転手は私をかばいながら、30分ほどその病院内を飛び回り、受付を探しました。しかし、時間が悪いのか、一向に受け付けてもらえませんでした。
  結局、サンファン出身の医者が働いている別の個人病院であるシラニ病院を探しました。そこは事故の現場から5分ほどの所でした。すぐに女医さんと看護婦さんが親切にして下さり、ベッドの上から、サンタクルスの私たちの養護施設カザマインで働いているシスター竹山と運転手のホセ・ルイスに電話をすることができました。
  結果的には、幸いなことに何も盗られず、ただ痛みと恐怖を体験しただけでした。2時間ほど病院にいて、シスター竹山と運転手のお陰で、夜11時半過ぎサンファンの信徒会館に戻りました。そして、安心して自分のベッドで休みました。額の傷や膝と指の痛みを覚悟していましたが、注射と痛み止め薬のためか、ぐっすり休めました。翌日サンファンのかかりつけの仁田原先生に診てもらい、レントゲンも撮りましたが、幸い骨折もひびも見あたりませんでした。
  ただ後遺症として右の親指はまだ痛み、鉛筆や箸を使うのが困難です。落ち着いてみれば、もっと大きな事故にならず、済んだことは神の大きな恵みと感謝いたしました。事故の翌日午前中は病院で、午後は宗教の授業に額に大きなバンソウコウを貼って出掛けたので、生徒たちが大変驚いて、同情してくれました。この事故で、「情報《として知ることと、「体験《することの違いがよく分かりました。「サンファンデ・ヂオス《の病院を探して、受け付けを探して回った時の状態が、イエスのご受難の体験に少し似ていたということです。それは、額がセメントの床で擦りむいて血だらけとなり、右膝が打撲で痛み、びっこを引き、右手の親指の突き指の痛みをこらえて、運転手の手にひかれて、病院の患者さんたちの前に晒されて歩いた状態です。早く手当をしてもらい、隠れた所で静かにしたいのですが、それもかなわず、他の病院を探しに行くときの状態です。比較すべくもないでしょうが、「イエス様もこんな気持ちだったのかな《とふと感じました。
  時が経てばたつほど、この体験は本当に「恵み《だった。こんな体験はめったにあり得ない、多くの危険がありながらいつも守られていたのだと、強く感じました。「当たり前《と思っているのは、忘恩だと感じました。
  次の出来事は、聖ドン・ボスコの遺体がサンファン・コロニアを訪問して下さったことです。サレジオ会の司牧地のために、この特別の恵みが与えられ、サンファンの日系の方たちが随行員たちの昼食を日本食でもてなし、ニグリス神父様もたいへん喜ばれました。サンファンの公私立の生徒全員と父母、信者が参加して、盛大なミサが捧げられて、本当にお恵みでした。
  四旬節第四週の土曜日に日系人の信者さんの「半日静修《をいたしました。サンファン・コロニア出身の西沢神父様のおかげで、いろいろな行事が重なっていたにもかかわらず、42吊の信者さんが参加し、日系人のご夫婦2吊が受洗し、1人の婦人が初告白と初聖体を受けるという恵みがいただけました。   南米ではハイチやチリの大地震があり、大きな試練の中で皆が連帯して助け合い、良い四旬節であったのではないかと私は思います。これも私たちの宣教に対して、いつも心をかけて祈り、犠牲、経済的援助を惜しまず捧げて下さる皆様のお陰と、神に感謝いたしております。皆様これからもどうぞ宜しくとお願いしつつ、復活祭のご挨拶といたします。
2010年4月13日


シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
  はるか後援者の皆様
  ご復活のお祝いを心から申し上げます。日本の桜はいかがしょうか? 四季のある国では春は美しい芽が吹き出し、花が咲き、まさに自然も復活をたたえる頃ですね。ここアフリカはそのような変化はありませんが、乾期の終わりに近づき、アフリカなりに復活の喜びを味わうことが出来ます。教会では最近布教も考えて、教会からかなり離れた所から「枝の主日《などの行列が始まります。朝8時といいましてもアフリカの太陽はぎらぎらと汗だくだくの行列が行われます。かなりたくさんの人が参加します。
  聖金曜日にはキリストの十字架の道行きを2キロ以上離れた村から始めます。今年はチンダータ村から始まりました。この村は、今から12年前、私は命がけでそこから最後に藪の中に逃げ、3日間のジャングルの旅をした、思い出の場所です。元気で今また同じ所に立ったのは、感慨深いものがありました。今は平和になり、大勢の人が履物をぬぎ、裸足になって、キリストの苦しみをしのぎ歩きます。そして14箇所で止まって、それぞれ祈りを捧げ、行進を教会まで続けます。私は糖尿病を持っていますので、靴をぬぐことは出来ませんでしたが、皆と心を合わせ行進しました。 40日間の準備と聖週間の祈りの後、復活祭を迎えるのはやはりうれしいです。今年は13人の大人が夜中のミサで洗礼を受けました。そして14人の赤ちゃんの洗礼が昼のミサで行われました。キリスト信者として新しく神様の道をまっすぐに歩んでいけますようにお祈りくださいませ。
  私たちの修道会はここシエラレオネに来て50年になります。今年は50周年を迎えることになります。最初のシスターは4人でした。1960年に船ではるばるやってきました。すでに2人は亡くなりました。そして1人は老齢でもう旅が出来ません。しかしたった1人ですが、その中で一番若くしてやって来たシスター・エデルミラは、まだ元気で米国で働いておられます。それで米国に渡った私たちの学校の卒業生が皆でカンパして、飛行機の切符を買って下さるそうです。それではるばるシエラレオネに久しぶりにやって来るそうで、楽しみにしています。私とは17年間一緒に働きました。
  彼女は1990年代までこちらの院長として働いていた方です。皆から愛され、転勤になった時は皆とても悲しみました。たくさんの卒業生が今米国にいますので、こんなすばらしい贈り物を頂けましたので、楽しみにしておられるそうです。おそらく彼女たちがこの国に着いたのは9月でしたので、その頃、特別なお祝いを計画しています。
  女の子など教育は必要ないと言われた時代で、生徒がいませんでしたので、家庭を1軒、1軒訪問し、親を説きふせ、小学校に子供たちを呼び集め、学校が始まったのでした。今では入りきれないから駄目と、断るのが大変な状態になったのは大きな進歩ですね。それにルンサの町だけでもすでに30校以上の小学校,近辺まぜて10校以上の中学も出来ました。
  戦争で一時は絶望的になりましたが、皆様のご支援のお蔭様で復活し、さらに発展し、いよいよ教え子たちが私たちの後を引き継ぐところまでになりました。深い感謝です。神様、そして私たちを絶えず支えて下さる皆様のお蔭です。心より感謝申し上げます。
  こちらの人は若くして亡くなってしまいます。透析もありませんし、医学も発展していません、その中で私は、70代まで33年という最年長で元気にしていれるのも、まさに皆様がいつも支え、祈って下さっているからです。私はそれをいつも感じています。シスターはどうして丈夫なの? 私の返事は「生かされているの《です。
皆様がいろいろご心配下さり、支え、祈って下さり、私の身体は私一人のものではなく皆様のものなのです。それ以外の何者でもありませんと、私は思うからです。神様の祝福を心から祈りつつ、皆様お一人お一人に豊かにお報いくださいますよう祈るばかりです。感謝、もう一度皆様。主のご復活心よりお祝い申し上げます。
2010年4月15日


ブラジルからのお便り(バウルーにて)

マリア会 司祭 青木 勲
  主のご復活おめでとうございます。
  私たちの「ドミンゴス中村長八神父《の列福調査の件ですが、目下神父様のお墓を発掘する最後の法的手続中です。何しろ初めてのことなので、地元の裁判所も裁判長も緊張と危惧の念でなかなか許可が下りません。中村神父様の取次で幾つかのお恵みとご利益を受けた方々がおられますが、未だ正式に「奇跡《と言うほどのことではありません。今年はブラジルの日伯司牧協会主催の「アパレシーダの聖母の巡礼《がありますので、全国レベルでの宣伝をして、神父様の遺徳と宣教熱を吹き込みたいと思っています。ちなみに、神父様は1940年3月14日に帰天されているので、今年は何と70年の記念の年でもあります。
  日本でも是非、中村神父様の列福のための祈りを広く宣伝してください。また去る4月8日には、バウルー市のお墓で「パウロ三木・長谷川一郎《神父様6年目の命日の祈りとミサを日系人で神父様を慕う信者さんたちと一緒に捧げました。バストス、ツパン、・マリリア、ガルサ、リンス、バウルーなど、遠くは200kmの距離を厭わず駆けつけてくれました。「長谷川神父様を慕う心の友《の集いでした。「また来年会いましょう《が合言葉でした。中村長八神父と長谷川一郎神父今頃は、天国で一緒に語らっておられるでしょう。
  日本の友人・恩人の皆様、このご復活の機会に沢山の心のこもったメッセージを頂いておきながら、お礼の返事も手紙も認めませんでした。日頃の皆様のご厚情に感謝しつつ。   
2010年4月16日


カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

信徒宣教会(JLMM) 高橋 真也
 ☆ 国を越えた愛の絆
  水上村には、学校に行きたくても行けない子ども達が多くいます。親が教育に無関心だったり、漁の仕事を手伝わなければならなかったりと理由は様々ですが、子ども達の「学びたい!《という意欲はとても旺盛で、まるで教育を取り巻く環境の悪さに反比例しているかのようです。
  以前もお伝えしましたが、この水上村を出て都市の学校へと勉強に行っている兄妹がいます。ポラー君(17歳)とボパーちゃん(15歳)です。歳は違いますが、同じ中学3年で学んでいます。親元を離れ、陸地の学校で一生懸命学んでいるこの二人を、日本の里親の方が里子として、奨学金の支援をして下さっています。
  この2人の支援が始まったのは2009年の6月で、まだ1年経っていませんが、2人は順調に勉学を続け、里親とも2度ほど手紙のやりとりを行いました。そして迎えた2010年の2月、なんと里親の方が里子に会うため、JLMMのスタディツアーに参加して下さいました! 里親の方がボパーちゃんの住む施設を訪れ、そこで感動の対面があり、里子の方へいろいろなプレゼントの贈呈が行われました。手作りのロザリオや、自分が昔着ていたという思い入れのある朊をあげたり、短い手紙をあげたり…。
  この施設にいられた時間はわずか30分。その間に交わせた言葉はごくわずかだったかも知れませんが、確かにそこでは心の交流が行われていたように思います。遠く日本からわざわざ会いに来てくれた、それだけでボパーちゃんは胸が一杯だったのではないでしょうか。その証拠に、いつもはいたずら好きでおてんばなボパーちゃんが、この日は借りて来た猫のようでした。
  わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
  (ローマの信徒への手紙 8章25節)
  将来、陸地で学んだ子ども達が水上村に帰って来れば、閉鎖的な水上のベトナム人コミュニティは、どんどん開かれたものになっていくでしょう。また里親支援が必要になりましたら、呼びかけをさせて頂きますので、その時は皆様どうぞよろしくお願いします!
111-9 111-10
手には里親の写真と手紙、奨学金で買ったノート  プレゼントされた帽子をかぶってニッコリのボパーちゃん
2010年4月17日


アメリカからのお便り(サンフランシスコにて)

聖ヴィセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会 シスター望月 敬子
  海外宣教者を支援する会からの「きずな《の贈り物、本当にありがとうございます。
  私は本年サンフランシスコに移動し、聖心カテドラル高等学校の図書館のお手伝いをしています。
  生徒1,200吊、教職員100吊のマンモス校です。スペイン語、中国語、日本語のクラスがあり、週に3度日本語クラスのお手伝いをさせて頂いています。日本では多くの高校生が中退していると聞きますが、こちらでは生徒が意欲的に、楽しみながら勉強しています。活き活きしています。少し考えさせられます。
  新しい住所は事務局に連絡しておきます。よろしくお願いします。
2010年4月某日


ドイツからのお便り(ニュルンブルグにて)

聖パウロ女子修道会 シスター比護 キクエ
  海外宣教者を支援する会”の皆様
  ご復活おめでとうございます。
  今年のドイツの冬は長くて寒く、心から主の復活と春の訪れを待ち望んでいます。
  教会内では長年にわたる聖職者による子供たちへの性的暴力が次々と明るみに出てきて、信仰だけでなく、モラルの問題の危機に面しています。
  この四旬節中、私たち全てが自分の犯した罪を真摯に受け止め、真の神と人への愛に目覚めていきますよう祈っています。   
2010年4月某日