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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声


ブラジルからのお便り(ドゥラードス市にて)

フランシスコ会 司祭 小川 満
  平和と善!(その1)
 2月になり、屋根のひさしを越えて、少しずつ北側の窓を通して午後の日差しが部屋に差し込むようになりました。太陽が南回帰線から回帰して、ドゥラードス市の上空を通過し、北に向かっているのです。 1年に2度、12月上旬と1月上旬に太陽が頭上を通過します。そんな時期の正午には、まっすぐ伸びたやしの木や電柱の影が地面からなくなります。赤道と南回帰線にはさまれた南国に生活していることを本当に実感する瞬間ですが、日中の気温が40度を超えるのにはあいかわらず閉口しています。
 昨日(灰の水曜日)は大斎、小斎でした。それにこの暑さ。午後4時の病人のためのミサ。午後7時と8時には2つのチャペルでのミサ。いずれも教会は3百人以上の信者で超満員。そして灰の式。7時のミサの途中では、夕方にもかかわらず日中から続く残暑と脱水症状で、失神しそうになりました。自分の年と身体の限界を感じ、それを認めなければならない時期に来ているのでしょう。それに、やはり私には零下の気温の世界が向いているようです。
 ところで、昨年の暮れは4つの共同体での初聖体とそこから派生する諸問題(子供の洗礼や両親を含めての告白の秘蹟など)で超忙しく、クリスマスと新年の挨拶を書く余裕がありませんでした。猛暑の中での多忙は、もともと少ない私の思考能力だけでなく、体力や気力さえも奪うようです。それとも私の年齢がそうさせているのかもしれません。
 年が明けて、ブラジル社会全体が休暇モードに入ってからも、サンパウロの日伯司牧協会から、今年の四旬節の友愛運動の指導書を早急に部分翻訳するようにと依頼があり、やはり超多忙な新年の幕開けとなりました。そんなわけであわただしく言い訳がましい新年の挨拶となりましたが、今年も皆様のご多幸を祈るとともに、私のためにもお祈りをお願いいたします。
 あわせてご復活へのよい準備と意義ある復活のお祝いを迎えられますようにお祈りいたします。
2008年2月7日

 平和と善!(その2)
 『きずな』101号ありがとうございます。初めから終わりまで 『海外宣教者を支援する会』創立25周年と 『きずな』100号発行 おめでとうの記事で埋められていました。
 私たち宣教者にとっても、支援してくださる方々、自分の貴重な時間を割いて働いてくださる会のスタッフの方々にとっても本当に嬉しいことだと思います。
 例によって、『きずな』101号を、初めのページから、なめるように読み進んでいくうちに、ふと気が付きました。私が宣教に送り出されてから今年で30年になります。30年前に、四谷の中央協議会で私たちの宣教出発を喜んで準備してくださった方々がいました。
 今でも懐かしい梶川神父様、ローシャイター神父様、濱尾枢機卿、八幡さん、樋口さん、その他の方々(名前を忘れてしまいました。本当にごめんなさい)が出発に必要ないろんな手続きを教えてくださったり、海外で必要なものを揃えてくださったり、講習会を開いて宣教師としての海外での心構えなどを教えてくださいました。
 日本を出た後でも、新品の書籍やカレンダー、「カトリック生活」、「あけぼの」、「聖母の騎士」などを送ってくださいました。
 『支援する会』が創立25周年なら、それより5年前のあの方々はいったい何だったのだろう。そんな疑問を抱きながら読み進んでいくうちに、最後のページで委員の樋口さんが書かれた、「濱尾枢機卿追悼」の辞を読んで、初めてその疑問が解けました。移住協議会の一環として理事長の濱尾司教様のもとで働いておられた方々だったことを知りました。
 当時のスタッフの働きを思い出してみると、不安と希望の入り混じった複雑な気持ちで出発の準備をしていた私たち宣教者を、 自分たち自身もいろんな試行錯誤を繰り返しながら、宣教師たちに勇気と自信を与えながら、 送り出してくださった方々でした。
 現在の「支援する会」が創立されるために本当に骨身を惜しまず土台を準備してくださった方々だったのです。
 25周年という節目にあたり、『支援する会」の皆さまに心からの感謝をお送りするとともに、30年、いやそのもっと以前から宣教師派遣に奉仕されている方々にお礼の心を表わしたいと思います。
 ブラジルでは感謝の気持ちを伝えるのに、男女に関係なくがっちりと抱擁し、頬と頬をしっかりとつけ合いますます。日本ではその習慣がないので、ことばだけの表現になりますが、私の気持ちとしては、当時のお一人お一人をしっかりと抱擁して、感謝したい気持ちでいっぱいです。どうぞ「気色悪−い」とおっしゃらずに、お受けください。
今後ともご支援をお願いいたします。 
2008年2月15日


エチオピアからのお便り(ゴサにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター小田 美津江
  海外宣教者を支援する会の皆様
  このたびは、寛大なご支援を決定下さり、ありがとうございました。事務局からご送金下さいましたとのお知らせをいただき、さっそく共同体の姉妹たちに報告いたしました。
2月6日小学校校長・シスターヒルダと共にアワサに買い物に出かけた際、アワサのデッシェン銀行にて無事エチオピアに入金されていることを確認いたしました。また、アワサ教区のロレンソ・チェレソリ司教様にも報告いたしました。司教様が鉄製ネットをどこから購入すればよいか、アディスアベバの神父様に問い合わせて下さるとのこと。とても心強く感じながら、帰路につきました。
  新聖堂建設場所を決定する時は、司教様も建築事務所の方たちと共にいらして下さり、私たちの意見もたずねて、決定されました。先週2月3日から敷地の準備が始まりました。石や砂の購入に少しとまどっているようですが…。多くの人々のご支援をいただいての新聖堂が無事に完成し、近所の多くの人々にとって心の糧の場となりますよう、どうぞお祈り下さいませ。2件の援助金、それぞれについて使用後、くわしい内訳と共に後日報告させていただきます。
  さらに今日は、日本の美しい庭園のカレンダーを送っていただき、ありがとうございました。手芸作業所の責任者であるシスター・マドンナが、さっそく作業所の女性たちにも見せましょうと、喜んでいただいていきました。日本の庭園は他のどこの国にも見られない特別な味わいがありますね。きっと作業所を訪れる人々の目を楽しませることでしょう。
  今日は、無事入金されていることを報告しますと共に、心からの感謝を込めて、皆様の上に神様の豊かな祝福をお祈り申し上げます。
(写真107-3)
2008年2月12日


シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子
  海外宣教者を支援する会の皆様
 地球温暖化と申しましても、やはり日本は今頃、寒いでしょうね。ラジオでは雪が全国的に降っていると聞いていますが、皆様いかがおすごしでいらっしゃいますか? お年寄りの方は特に寒さがきびしく感じられるでしょうね。私も日本に行ったら、その寒さに耐えられるかしらと自信ありません。なにしろ20度を欠けると、寒いというこちらの人を最近は理解出来るようになりましたから。
 キリスト教のカレンダーでは2月の6日から四旬節が始まりました。キリスト復活を祝う復活祭前の40日間は悔い改めの時でもあります。砂漠でキリスト様が40日断食をなさったように、この40日間、カトリック信者は生活を改め、いろいろ小さな犠牲をささげる時でもあります。
 それで、司教様はこの期間中、運動会もピクニックも楽しい行事は控えるようにと勧めておられます。そこで四旬節が来ないうちにと、いろいろな行事が重なりました。1月26日は幼稚園の運動会でした。そして、私たちの学校は歴史上はじめての職員旅行といいましょうか、1日ピクニックを1月19日にいたしました。
 土地の先生は生まれてこのかた、学校のある町以外はどこにも出たことがなく、多くの人が海を見たこともありませんし、ダムを見たこともありません。社会科の先生がダムを見たこともなくて、どうして生徒に教えられましょうか? そこで今年は病院のマイクロバスをピーター修道士院長から無料でお借りして、先生20人を連れて、ブンブウナという所に滝見物と建設中のダム見学に行きました。
 ルンサから2時間の道のりがありますが、大半の先生は初めてのピックニックに大興奮でした。なにしろ快適なミニバスもきっと乗ったことがなかったでしょう。普通の交通機関といいますと、おんぼろピックアップにぎゅう、ぎゅう人を詰めて、いちいちストップしながら走るポダポダというのが唯一つの交通機関ですから。ノンストップでスピードを上げて走るバスの旅はそれは快適。皆うれしくて、神様ありがとうの連続でした。
 毎月少しずつ貯めておいたお金で先生たちは昼食をつくり、朝は大きな丸いパンに缶詰のお魚を入れたサンドイッチ、子供のようにうれしそうでした。
 滝見物、そしてダムを見て夕方もどってきました。本当に皆が楽しそうでした。こちらの負担はガソリン代1万5千円位でしたが、この喜びには代えられないと思いました。きっと先生たちも、これから生徒にダムについても良く説明が出来るでしょう。これも皆様のご支援があるからこそで、深く感謝申し上げます。
 幼稚園の運動会の日には、私はルンサから約6時間離れたボー市で行われた司祭叙階式に参加しました。この参加は、たんこぶ、打撲傷をかかえてのものとなってしまいました。実は、途中で車が事故を起こし、その瞬間に車が溝に落ち、その時、顔や胸を打ち、もういけないかなと思いましたが。皆様がお祈りしていてくださったから、神様は私たちを守られ、軽症ですみました。車はまだ修理中ですが、私たちは診療所のシスターの車に助けられ無事、旅を続けました。痛みはまだ残りましたが、事故のわりに皆軽症で、即死をまぬかれたのは奇跡的だったそうです。本当に神に感謝です。
 その後、私は風邪をひき、病院に行きレントゲンで胸も見ていただきましたが、大丈夫でした。感謝です。一日も早くもとにもどりますようにお祈りくださいませ。仕事はそのまま続けられますので感謝です。
 いつも暖かいご支援、そしてお祈りをありがとうございます。これからもどうぞよろしく。
2008年2月18日