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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ペルーからのお便り(リマにて)

礼拝会 シスター 川俣恭子

 みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?
 この度は、当地の女性を社会的に支援のための資金をお贈り頂きまして、心から感謝申し上げます。いつも『海外宣教者を支援する会』からの暖かいご支援に支えられていて、とても力が湧いてきます。
お送り頂きました援助金は、貧しい地区から教会までのバス代の一部負担、毎日4時半に短い話とお祈りの後で出すおやつの代金(今は寒いので、熱いお茶とマーガリンのついたパンを配っています)、それに手術や診療、薬を買うお金がない場合の緊急医療援助費として、使わせて頂いています。いずれも、ほんとうに必要なもので、みんなとても感謝しております。
この機会を利用して、簡単な近況報告をいたします。
今年も『聖マリアミカエラの家』には、約40人の貧しい女性たちが通って来ております。いずれも、生活のためにつらい仕事に追い込まれている人たちです。今年は、かなり出席率が良いのが特徴ですが、それでも、途中から来なくなった「チカス」も数人います。何人かは仕事が見つかったからという理由ですが、『ミカエラの家』に来るためには午前中しか働けないので、仕事と両立が難しいというのが現実のようです。家の掃除をさせてもらったり、ジーパンなど手洗いのやっかいな洗濯物を引き受けたり、公衆食堂の昼食準備を手伝ったり、そんな小さな仕事しかありません。ほんの小銭をもらいます。夜は売春以外の簡単な仕事はまず見つかりません。
 何人かは時々売春を続けています。私たちはそれを知っていても黙って見逃しています。仕方がないのです。彼女たちが早く止めたいと思っているのを知っているからです。私はそういう「チカス」にとくに近づいて話しかけることにしています。そして、彼女たちの心がまだ堕ちていないのを知るのは私の喜びと慰めです。
4月の始め頃、「ミカエラの家」の第1期生で現在は掃除と台所を手伝っているロシオが、「メリーが借金を返せなくて売春宿から出られない」と知らせてくれました。メリーは19歳の未婚の母ですが、昨年、1歳の赤ん坊を抱えて、貧困の中で頑張りながらミシンを習いに来ていましたが、12月に卒業してからは連絡が途絶えていました。
私は一体どの位の借金かしら?日本から頂いているお金で支払うことができるかしら?と、とても心配しました。ロシオに調べさせると、たった800ソレス(260ドル)だと分かったので、すぐに援助することにしました。「あそこはシスターの行く所じゃないから、私が支払って彼女を引き取ります」と言うロシオを信頼してお金を持たせましたところ、無事に救い出すことができました。宿の主人は担保として取り上げていたメリーの身分証明書を返そうとしなかったそうですが、ロシオが警察を呼ぶからと言うとやっと返してくれたそうです。危ないところでした。
メリーは子供が病気になった時お金がなかったので、この主人から利子付きで200ソレスを借りたのですが、きっとはめられたのでしょう。返しても、返しても、返しきれなくて、結局800ソレスに増えてしまい、売春宿から出られなくて、一日中働かされていました。
翌日、坊やを抱いて私に会いに来ました。涙をいっぱい浮かべて、「シスター、ありがとう」と言って抱きついて泣きました。私もしっかりと抱いてやりました。「大丈夫ヨ。これから頑張るのヨ」と言うと大きくうなずいていました。
それから、ロシオといっしょに小さな部屋を探して、わずかな家具も買ってやりました。また、すぐに仕事を探させました。メリーはあまり才能がある方ではなかったので、初めは縫製工場の見習いとして雇ってもらい、2週間無給同然に働いた後、やっと、正雇用にこぎつけました。
今では、メリーの顔つきもほんとうに変わりました。明るい希望に満ちた目をしています。
このメリーのように、これからも、緊急に援助の必要な女性たちが次々に現れることでしょう。私は日本の皆様から頂いたお金を、彼女たちに立ち直りのチャンスを与えるように、そのために使いたいと思っております。
もし、皆様がリマまで来られるなら、命の恩人として、彼女たちの感謝の言葉と強いアブラソを受けるでしょう………。
それでは、また。感謝のお祈りのうちに。
2007年07月06日




シエラレオネからのお便り(ルンサにて)

御聖体の宣教クララ修道会 シスター根岸 美智子

 暑中お見舞い申し上げます。お元気でいらっしゃいますか? 六本木に事務所が移られいかがですか? 私も年のせいにしていますが、最近動作が鈍くなりなかなか思うように仕事がはかどりません。忘れる事が多いので、その探し物にかなり時間をとったりして、へまの連続です。
 今年も発電機のご支援を本当にありがとうございました。これがどれほど助かりますか知れないのです。最近のセンターは洋裁も調理科も皆、国で定めた試験を受けるのにコンピユターが必修なのです。ほとんどの所で電気もまだないのに、どうしてこのような馬鹿なことを考えるのかと思うのですが。結局、国家試験をうける学校は限られていますので、こうなるようです。それで発電機は毎日まわさなければなりません。生徒はガソリン代など全く出せませんですから、これは日本からの皆様のご支援であなたたちは学べるのですよといつも言っております。ありがとうございます。
 7月と申しますと日本もすっかり夏でしょうね。夏体みは始まりましたでしょうか? 私の子供時代はいつも夏休みになりますと、祖母の家に大喜びですぐとんで行きました。休暇いっぱい遊び、最後にたまった宿題を済ませるのに、父母に毎日やりなさいとちゃんと言ったでしょうにと、叱られながらやりました。大変でしたが、本当に夏休みはすばらしい思い出です。畑でとれたおいしいスイカを、冷たい裏の井戸の水で冷やして頂くのは格別おいしいものでした。夕方になりますとおいしいとうもろこしを焼いていただいたり、浴衣を着て村の鎮守様の盆踊りに連れて行ってもらったり、今は本当に昔なつかしい楽しい思い出として昨日のことのように思い出します。私の年齢ですからすでに、優しい祖父母も叔父も皆今は天国ですが、子供時代の楽しい思い出は、私たちの一生を力づけ、励ましてくれますね。今ばすべて都市化してしまい、素朴な田舎の生活を味わえない子供たちは気の毒だなと思いますのは私だけでしょうか?
 こちらルンサは一年中暑いので、むしろ雨季に入りました7月は年のうちでも涼しく、暑中お見舞という言葉がピンと来ないのが現実です。今年の雨季はかなり遅く到着しました。雨がふりますと、道はまさにどろんことなり、これは道かしらと思うほどです。川底のようなでこぼこ道、そこらじゆうに深い水溜り、毎日ホンダ三輪オ一トで通います私もひやひや、懸命です。一度はみごと泥沼に入り、すべって転倒。まさに真っ黒どろんこシスターになりました。この失敗はもうしませんようにと、今は道を少しかえて通っていますが、その道も決して良いとはいえません。
 現在、OLG校もMIV校も建築が行われています。生徒の増加に教室が間に合わないためです。困った事といえば最近、円安とドル安が続いていますので、かなり予算が狂って四苦八苦しています。でもやさしい神様は、いつも善意の皆様を通して助けてくださっています。不思議です。神に感謝、そして善意の皆様に感謝です。ありがとうございます。 MIVは今年初めて国で定めた国家試験に挑戦しました。その結果、生徒は以前よりもっと力をいれて勉強出来ました。
 生徒は皆体暇に入りました。今年の卒業式は10月末に予定しています。毎年卒業式は半年、ひどい時は10ヵ月も遅れて行われていましたが、戦後7年になりましたので、だんだん落ち着き、今年は3ケ月遅れで卒業式を迎えられるので、大きな進歩と思っています。そして9月にはたくさんの中学生が今年は入学してくる予定です。私も老体にむちをうって、"婆さん校長"がんばります。皆様のお祈りがあってこそ続けることが出来ます。皆様の暖かい支えを本当に感じます。これからもよろしくお願い申し上げます。日本の夏は大変蒸し暑いので、どうぞお身体に充分お気をつけくださいませ。感謝のうちに。

2007年07月17日




ブラジルからのお便り(プラナウチナにて)

マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター浅沼 みどり

海外宣教者を支援する会の事務局の皆様
いつも「きずな」とクリスマスカード、新年には美しいカレンダーを有り難うございます。毎号の「きずな」でとても力づけられて、楽しみにしていますのに、ご無沙汰しっぱなしで、お許し下さい。
石川神父様のことは、日本に帰省中のシスター高橋からの口伝で、信じられない思いです。私たちの所にいらして下さった時のこと、短い滞在でしたが、よい思い出を残して下さったので、その思い出を下記の通りお知らせしたいと思いました。
皆様どうぞお身体に気をつけて、よいお仕事をお続けになりますように。感謝をこめて。

石川 裕之神父様の思い出  石川神父様が旅行中ニューヨークでご帰天になられたと伺い、驚いています。一昨年8月日本から直行でブラジリアで行われていたブラジル語と文化の研修コースに参加しておられた時、週末を利用して、30キロほど離れたプラナウチナの町にある私たちの共同体にお招きしました。
 丁度、ブラジリアの大司教ドン・ジョアンが司牧訪問中で、まだ教会も集会所もない小共同体のミサを日曜日に一信者の家の庭でお捧げになるので、石川神父様に私たちのところにいらっしゃるようお誘いしました。
 神父様はブラジル到着後1ヶ月ほどで、まだ研修会の中でしかブラジル語のミサはなさったことがないと言われましたが、私は、神父様のためにトニカとストラをこっそり持って行きました。
 ジョアン大司教様は、そこの共同体が所属する小教区の主任司祭アグスチニョ神父様を伴って来られました。石川神父様を私が紹介すると、直ぐに共同司式に参加するよう招かれました。こうゆうことになるだろうとの私の予感は適中、石川神父様は私の持参したものをお召しになり、三人の共同司式となりました。
 ミサの始まる前、一人の女の方がマリア様のメダイを祝福していただきたいのだけれど、誰にお願いしたらよいのかと私に尋ねてきました。「ここには大司教様とパドレ・アグスチニョと日本から来られたパドレ・ヒロ(神父様は研修コースでこう呼ばれていました)もいらっしゃるから、誰でも好きな方を選べば?」と私が言うと、彼女は「考えましょう」と言っていました。少し経って、そのご婦人が石川神父様にメダイを祝福していただいているのが見えました。
 ミサの間、大司教様は典礼文の読むべき箇所を石川神父様に指で指し、ご自分で典礼書を支えてあげておられました。石川神父様はゆっくり、堂々とその箇所を読まれました。
 ミサが終わり、皆がくつろいで、お茶を飲んでいる時、神父様を探すと、人々がざわめいている庭の片隅のベンチに一人の青年と並んで、腰掛け、告解を聞いておられました。後で神父様は「彼の話すことは何もわからなかったけど、神様は全部おわかりになるからいいでしょう。僕も早くことばをおぼえなくては」と大きな心意気を示したおられました。
 私たちの家には土曜一晩だけのお泊まりで、翌日月曜の朝の授業に遅れないようにと、日曜の夕方ブラジリアにお戻りになりました。
 研修コースが11月初めに終わった時、もう一度私たちのところにお招きしたのですが、パラナへの出発日時が決まっていて、残念ながらもう来ていただけませんでした。それで、私が石川神父様にお会いしたのは、それが最初で、最後になりました。
 石川神父様は私と同じ横浜教区出身でもあり、お会いできたことをとても嬉しく思っています。神父様は早くブラジル語を覚えて、ミッションの必要に応えたいと言われていましたが、すでに、いつでも求められる必要に応え、人々に愛されておられたことが、私にはたった一回の出会いでよくわかりました。
 今、石川神父様は神様のみもとでご自分が派遣され、命を賭けて情熱を燃やしておられたブラジルの人々のため、必ず取り次ぎの祈りをして、そのミッションを続けておられると私は信じています。

ミサに集まった人々
ミサに集まった人々


ブラジリアのジョアン大司教様、石川神父様とアグスチニョ神父様
ブラジリアのジョアン大司教様、石川神父様とアグスチニョ神父様


その他ミサの中で
その他ミサの中で


その他ミサの中で
その他ミサの中で


石川神父様とプラナウチナ共同体のシスターたち
石川神父様とプラナウチナ共同体のシスターたち

2007年07月22日




カンボジアからのお便り(コンポンルアンにて)

日本カトリック信徒宣教者会 高橋 真也

 毎月欠かさずお送りしていた通信ですが、私が6月の間、1ヵ月間日本へ一時帰国していたために、今回は2ヶ月分まとめての通信及と報告になってしまいました。申し訳ありません。
 日本に帰国して、コンポンルアンの活動を支えて下さっている方々にお会いすることが出来ました。特に、カトリック藤沢教会の皆さま(水上村でのJLMMの活動を最初から支えて下さっています)に初めてお目にかかれたこと、そして報告会をさせて頂けたことは、とてもうれしいことでした。
 今回は水上村での出来事ではなく、日本に帰省していた間の体験について、お伝えしたいと思います。

☆高校生にお話しさせて頂いて
 一時帰国の際、私は何ヶ所かで、カンボジアでの活動についてお話しさせて頂きました。偉い人としてタメになる話しをするのだと意気込むのではなく、現地の人から学んだ体験を伝えるメッセンジャーなのだと自覚し、話すように心がけました。でも「緊張しい」の自分は、人の前に立つとガチガチになってしまい、果たして現地の人から得た「実り」をどれだけ分かち合うことが出来たのでしょうか…。反省したらキリがありませんが、とにかく様々な所でお話しをさせて頂いたのは良い経験になりました。
 そんな各地での体験報告の中で、私が特に力を入れて準備したのは、「仙台聖ウルスラ英智学院高等学校」の宗教科での授業です。なぜ私が力を入れて準備したのかというと、昔からあこがれていた教壇に立って話が出来るから(しかも生徒の大多数が女子)、ただそれだけの理由です。「今の若者に大切なメッセージを伝えたい!」なんて思いは、ほんの少しでした。
 この学校では、JLMMパラオ派遣OGである吉井恭子さんが教員として働いていらっしゃいます。彼女の協力によって、彼女が担当する宗教科の授業2コマで体験の分かち合いをさせて頂くことが出来ました。ワクワクして望んだ授業でしたが、案の定緊張してしまい、私が思い描いていた理想の授業(金ぱち先生の授業)とはかけ離れたものになってしまいました。生徒の皆さんも、聞いているのか、伝わっているのか、今ひとつ反応が薄いのでした。
 授業が終わってから吉井さんがフォローしてくださって、おっしゃることには、「水上村の生活が、あまりにみんなが体験している現実とかけ離れていて、ショックを受けている子が多かった」とのことでした。下を向いていた子も、そんなショックがあったからだと。その時は、「本当かなあ。退屈で眠たかっただけだったのでは?」と思ったのですが、授業の終わりに書いてもらった感想文を見ると、優等生的な答えではない感想、ショックを素直に書いてくれている感想などなど、なるほどみんなちゃんと聞いてくれていたのだな、と分かりました。「水上生活は少し楽しそうだなと思いました」なんていう感想もありました。「『かわいそう』と思ってはいけないかもしれないけど、かわいそうでした」という感想もありました。どちらも素直な感想で、私はうれしくなりました。
 私はこの仙台の学校で、ちょっと恥ずかしいけれど、伝えておきたかったことがありました。それは、私は大学受験の時、この仙台で東北大学の試験を受けに来て、『落ちた』ということです。なぜJLMMに入ったのかという話の脈略の中で、その話をさせて頂きました。私は仙台での受験に失敗したからこそ、新潟の大学に入り、新潟での様々な人との大切な出会いを経て、JLMMという道に導かれました。人生に「もしも」はないのかも知れませんが、きっと私は新潟に行っていなければ、カンボジアには来ていなかったと思います。
 そんな私自身の体験を含め、水上村のみんなの生活の様子、私が学んだ体験を、ミッションスクールであっても、大多数がキリスト教徒ではない人たちに対して話しをする機会を頂けたことは、私にとっても貴重な体験となりました(『教会の中』だけで完結してしまう言語では意味がありませんから…)。茶髪にピアスで、肌が黒い変なお兄ちゃんの45分の話の中で、私からではなく、貧しくされた人たちから学ぶことの大切さを感じてくれたのなら、とても光栄に思います。

「天が地を高く超えているように、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。
雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくはわたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。」
(イザヤ55章 9〜11節)

人生の中には、「神様どうして?」って思うこともあるでしょうが、それがあなたに与えられた使命を実現するための大切なプロセスかも知れません。ですから、どうかウルスラ高校の生徒の皆さんが、大学受験のためにがんばりすぎませんように。優しくてきれいな吉井先生の話を居眠りせずに聞いて、生きるために大切な価値観を学ぶことが出来ますように。そして将来、水上村を訪れてくれますように、祈っております!
2007年07月23日




パラグアイからのお便り(ピラポ移住地にて)

聖霊奉侍布教修道女会 シスター林 静子

主の平安!
 海外宣教者を支援する会の皆様
 このたびは「きずな」99号をお送り下さいまして、ありがとうございました。事務局が六本木に移転されましたそうで、都内の便利そうなところで、皆様喜んでおられることと思います。
 「きずな」も四谷の事務所から始まって、今度は100号を発行されるそうで、おめでとうございます。この25年間、毎年送って下さいまして、いつも楽しみに拝読いたしております。この度の小川神父様の巻頭言にありましたように、私も「きずな」の記事を読みます度に、大いに励ましをいただいております。世界各地に広がって、活躍されておられる宣教者たちに連帯感をもつと共に、第三世界に働く者にとって共通した苦労も身に沁みて感じます。
 今年1月10日に援助申請をいたしましたピラポ聖霊幼稚園ならびに小学校の教育補助金を出してくださることに決定したニュースもこの度の「きずな」99号で初めてわかり、とても嬉しく思いました。
 パラグアイの郵便事情は芳しくなく、コロニアに住む私の所には着いたり、着かなかったりで、この度の「きずな」も首都のアスンシオンに住んでいるシスター山田から回していただきました。書留郵便も確実とは言えません。
 パラグアイも政治が安定しておらず、学校の先生たちが先週から給料アップを要求して、ストライキに入り、公立学校はもう10日も授業が行われていません。文部大臣は辞職し、臨時に別の方が文部大臣になりました。
 私たちの学校は私立ですので、授業を続けております。キリスト教の学校ですので、先生方も安い給料、それも遅れがちで支給されますが、奉仕的に子供たちのために働いて下さっています。私もリーフアをしたり、バザーをしたり、食券を売ったりして、お手伝いをしています。
 日本も一部のお金持ち階級を除いて一般の人々は厳しい状態にあると聞いています。この国でも大きな土地を持っている人々と貧しい労働者、学校にもろくに行けないインディアンの子供たちがいます。私たち宣教者はこれらの人々のどちらにも奉仕しています。
 お金持ちの子供が愛情不足のために麻薬に走ったり、非行少年になったりしています。有名校であるカトリックの学校の子弟たちが同級生に暴行を加えている場面をテレビが放映したり、金持ちの子供を誘拐して、何万ドルを要求した事件もありました。
 最後になりましたが、「きずな」100号発行にあたって、心からお喜び申し上げます。皆様のご健康と今後のお働きの上に神様のゆたかな祝福がありますよう、お祈り申し上げます。

聖霊降臨のミサのために聖霊の歌を合唱する幼稚園の子供たち。祭壇の上におられるのはピラポ主任司祭のホセスカラチ神父様
聖霊降臨のミサのために聖霊の歌を合唱する幼稚園の子供たち。祭壇の上におられるのはピラポ主任司祭のホセスカラチ神父様
2007年07月