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KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES

宣教者の声

ブラジルからのお便り

神言修道会付属タピライのカテキスタ会 シスター箕浦 まさ
 ブラジル在住50年の宣教生活、あっ!という間に過ぎ去った年月をふりかえり、今更のように深い感慨を覚えます。
 私を洗礼に導いて下さった神言会司祭、故ヨゼフ・バイエル師がいらっしゃらなかったら私のブラジルでの宣教生活もなかっただろうと思います。また、当時の神言会サンパウロ管区長の英断がなかったら、私たちのブラジルへの召命も実現しなかっただろうということを考えますと、神様のふしぎな御摂理に打たれます。自分の生涯をふり返り、なつかしい思い出のひとこま、ひとこまが、綾なすきれいな映像となって、脳裏に浮んでまいります。
 日系人のために日本からのカテキスタを呼び寄せるということは、ブラジルで初めての試みであったと聞いていますが、そのための経費は、今は故人となられた有名な鐘ヶ井農場の経営者、鐘ヶ井久之助氏のご寄付だったということで、ブラジルへ着いて、先ず第一に鐘ヶ井氏のお宅へ伺ったことを覚えております。宿舎や活動のための資金などは、すべてバイエル師や信者(日本人とかブラジル人とかの区別なく‥)の献身的なご努力によって賄われたのです。
 当時のブラジル日系人社会は、日本が戦争に負けたことを認めたくなかった勝ち組と敗戦認識派の負け組との二つに分かれ、まさに血を血で洗う激しい対立が続いていました。私たちがカテキスタとして呼ばれたのも、敗戦を身をもって体験してきた日本からの日本人として、何より確かな証人にもなれ、同じ日本人でありながら争う人々を一つに結ぼうとされる天の父の御計らいであったのではなかろうかと、と思えるのです。
 私の最初の赴任地はサンパウロ州のサントアンドレ市でしたが、ここはこの勝ち組・負け組の非常な激戦地でした。私はこのサントアンドレ市を初め、サン・ベルナルド、サン・カエターノなどを5年間回らせていただきました。次いて、パラナ州アサイの日本人植民地に転勤、ここで6年勤めさせていただき、それからサンパウロ州タピライに転勤になりました。
 このタビライは、山の中の小さな町ですが、サンパウロ州の交通の要衝です。以来今日まで、私たちはここを本拠として、近郊各都市に出張する形で、宣教を続けてまいりました。この間、各地在留日本人の方々の共同体において、教理説明と洗礼や初聖体を受けられる方々の式典に与り、大きな感動や喜びをいただいてきました。こうして主は、私のような未熟で貧しい者にも、常に大きな励ましと恵みをお与えくださったのです。それ以来、現在に至るまでこのタピライが活動の本拠となっております。
 なお、この活動について書き忘れてならないのは、私のブラジル赴任より一足先にサンパウロ州のサントアマーロ地区で宣教活動を始められ、1年後私のブラジル到着を待って、私と共にずっと働き続けておられる畏友、シスター・マリアクリスチーナ野田芳子さんのことです。彼女の、持病と戦いながらの宣教活動は、壮絶な日々でした。私と同じ神言会付属カテキスタです。
 私共は、地道な働きのうちにも、各地の日系共同体の方々の善意に支えられ、それを中心に民族や世代を乗りこえて、強固な信仰の絆に結ばれ、平和と愛の社会をつくることに、すこしでも貢献できたとすれば、いのち冥加に尽きるものがあります。
 また、最も忘れてならないことは、この50年の間には、多くのかくれた恩人方のお力添えがあったことです。宣教に従事する司祭方は勿論のこと、日本内地の方々のご支援、とくに「海外宣教者を支援する会」会員の皆様からの絶大のご援助は、ブラジルのコロニアに忘れることのできない記念碑となって語り継がれてゆくに違いありません。主は、これらの方々の上に永遠のご褒美を用意されていると信じて疑いません。
 私は、この年末にはブラジルに戻ります。これからもお祈りとご支援の程、よろしくお願いいたします。
シスター箕浦とシスター野田
サンパウロ空港出発前に撮ったもの。左側がシスター箕浦、右側がシスター野田。後列に立っている方は、現地の信徒、金子一郎氏。

2005年09月03日




チャドからのお便り(ンジェメナにて)

幼きイエズス修道会 シスター 有薗 順子
 海外宣教者を支援する会の皆様へ
 こちらチャドは新学期を迎えて、すべてが活気づいて参りました。先日は「きずな」92号をいただきまして、有り難うございました。いつも興味深く拝見させていただいております。国内で陰ながら祈り、私たちを支えてくださる方々には感謝を申し上げ、海外で宣教しているおられる方々の宣教熱、活動ぶりには励まされ、勇気づけられます。
 10月7日に運営委員会が行われる由、援助していただいている私のアニメーターについて、活動について報告させていただきます。
 アニメーターの彼女は、6歳の時からガール・スカウトに入隊し、現在主婦として、2女の母として働いています。でもアフリカのことですから、子供は"小さなお母さん"に任せて、ガール・スカウト事務所でチャド国ガール・スカウト全会員の証明書の準備や、整理、各教区から送られてくる会費の収集、その他毎日、郵便局で郵便物の有無の確認、リーダーたちの養成、集会の司会、報告書やプロジェクトの作成などを担当しています。また小教区のグループに問題があれば、バイクで出掛けていって、解決を支援するのも彼女の仕事です。
 チャドには約4,000名、首都ンジェメナには約1,000名の6歳〜18歳までのガール・スカウトがいて、この夏「愛知万博」にも参加品を送付しました。国内ではキャンプをしたり、2006年度の計画表作りや、生命、エイズについての研修へ参加し、染色、手芸、料理なども覚えました。彼女のように、結婚後も子供と共に、若者たちと共にガール・スカウトを続けている女性が数人いて、頼もしい限りです。
 このように子女の成長を助け、支えているアニメーターを引き続きご支援下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。
6歳〜12歳の子供たち、リーダーも一緒に。
6歳〜12歳の子供たち、リーダーも一緒に。

アニメーターのマダム・クロージンヌと次女サレドウ
アニメーターのマダム・クロージンヌと次女サレドウ、おへそが一寸気になります。

研修に集まったガール・スカウトたち。
研修に集まったガール・スカウトたち。

2005年09月26日