トップ会報『きずな』37号目次 > 本文
KIZUNA 日本カトリック海外宣教者を支援する会 JAPAN CATHOLIC ASSICIATION FOR AID TO OVERSEAS MISSIONARIES






『隠れ≠謔闖oでよ』

〜ザンビア〜
コンベンツアル聖フランシスコ修道会 久保芳一



 私は、三カ月の休暇の間、三年八カ月のブランクを埋めようと、鹿児島、熊本、長崎、大阪、名古屋、東京を見て回りました。
 新聞、雑誌に日を通し、沢山の人々に会って話を聞き、ほぼ満足できましたし、現在の日本の情況を自分なりに把握できたと思っています。あちらこちらで、私の働いているアフリカ南部のザンビアという国の話をしながら、私が日本の皆さんに訴えたことは、高齢化社会を憂うことだけでなく「大学に行かせることが出来なくてもよいから、沢山の子どもを産んで神様の祝福に与かるように」「どこの宣教師、どこの貧しい国、宣教地でもいいから、積極的に支援するように」「子どもや孫に、司祭、修道者または海外青年協力隊員等になって海外に出かけ、人々のために尽くすよう励ましてくれるように」、また、「皆さん自身も勇気をもって宣教者として出て行くように」ということでした。
 私はザンビアに居て「きずな」を読みながら、なんのお便りもしませんでした。十月二十九日、長崎のかくれキリシタン″の里、出津を訪れ、宮崎カリタス修道女会のシスター方の修道院に一泊、お世話になりながら、いろいろ考えさせられ、私は自分自身が海外にいるかくれ″宣教師だと思い、今回、回心して、自らを証しする決心をした次第です。
 三カ月の休暇の間、どこに行っても宣教師として人々から歓迎され、快く受け入れて頂いたことを大変感謝しておりますが、その間、一つ大切なことに気付かされました。
 それは、日本の司祭、修道者の中には、海外宣教に出かけたいけ封(れども、年齢と言葉の心配のために、二の足を踏んでいる人々が、意外に多いという事実です。これらの人々も、国内に住んでいる、「かくれ」宣教師だと私は思います。私は声を大にして皆さんに訴えたい。「皆さん、勇気をもって、小さな人々の所へ出かけて下さい。」信者の割合からして、数の上では世界一のシスター方の召命を誇る日本の教会から、もっと多くの宣教師が出ることを私は望んでいます。ザンビアにも、もはや、ヨー・ロッパ、アメリカからの宣教師はやって来ません。それ程、世界の教会は召命がなくて困っているのです。貧しい国の人々、中でも、もっと、イエズス・キリストの教えに接したいと思っている人々は、精神的にも飢えているのです。
 海外宣教のために心を暖めながらもかくれ″ている司祭、修道者の皆さん、「宿かり」をやめて、どうぞ出て来て下さい。そして、自ら、信仰の証しをたてて下さい。
 仕事はいくらでもあります。「私にやれる仕事があるだろうか」などと心配する必要はありません。私も遅ればせながら、四十歳にしてアフリカのザンビアに行きました。もちろん、外国語は一つも話せず、言葉で苦労もしました。これからもそうでしょう。でも、私に言わせると、それは最大の障害ではありません。最も大切なことは「祈ることが出来て、普通に、司祭、修道者の生活が送れること」だと思います。そうであれば、たとえ、言葉のことで他人からけなされても挫けることなく、笑われても相手を受け入れることが出来るでしょう。小さな人々は皆さんを心から歓迎し、受け入れて下さるでしょう。
 ザンビアの七百万の人口の中で、私は、たった一人の日本人の宣教師です。今回、私は皆さんと、宣教について、日本の将来について、沢山、話し、分ち合えたことを…感謝しています。ほんとうにありがとうございました。
 私はザンビアで、毎晩、南十字星を見ながらロザリオを献げていきます。






『第38回役員会報告』

 「会」の第詭回役員会が91年9月18日(水)午後6時から中央協議会々議室で開かれ、次の案件を審議決定した。
  • きずな″36号について会が10年日に入ったので、巻頭言を石神司教に、発足当時のことを梶川神父に執筆を依頼。日本の子供と宣教者との交流を学校で書いた作文や写真など、内容も豊富になったと編集者より説明があった。
  • きずな″37号について巻頭言は帰国宣教者に依頼、委員会事務局から交渉する。発行日12月1日。原稿〆切りは11月10日。
  • 援助審議(別稿)
  • その他・10月27日(日)午後2時より†聖母女子短大講堂で、ザイールの身体障害児のためのチャリティ歌の会が開かれるので、「会」も切符の販売等で協力する。(別稿)・国際協力委員会の呼びかけ(教会内で国際的かかわりを持つ委員会、団体への)で、次のテーマでセミナーが開かれる。  日時10月25日(金)11時〜17時テーマ私たちの働きの共通点をさぐる″発届書浜尾文郎横浜司教狩浦正義神父中村復樹氏(カリタス・ジャパン)
    ※「会」から2名出席予定






『援助決定』

 (1991.9.18決定分)
地区 援助要請者 援助内容 金額 摘要
ザイール Sr.中村寛子(マリアの宣教者フランシスコ修道会) 肢体不自由児整形手術入院費10人分、車椅子5台、装具30人分 1,000,000円 1回
ブラジル Sr.間野玲子(ベタニア修道女会) 貧困地域・保育園運営援助のためのバザーへの衣類送料 210,750円 1回
ペルー エマヌエル加藤神父(フランシスコ会) リマ貧困地区医療センター検査室の器具講入費 500,000円
マカオ Sr.金崎ハル(聖パウロ女子修道会) 現地人の要理書に代る小冊子印刷、コピー機購入のため 9,000ドル(1・260・000円)(弗140円で計算)
ブラジル リノ・スタール神父(イエズス会) 基礎共同体聖堂の内装費の援助(一部) 7,000ドル(980,000円) (弗140円で計算)
ブラジル PANIB松尾繁治神父 日伯司牧協のカレンダー印刷代の一部援助 8,000ドル(1,120,000円) (弗140円で計算)
計 約5,070,750円


アフリカ





『大忙し!!ランド・クルーザー』

〜ジンバブエ〜
ナミュール・ノートルダム修道女会 伊東千秋 深堀清子
 …七月中旬…ご支援頂きましたランド・クルーザーが、主都のハラレに届きました。…受け取りにハラレに行き、ブラワヨまで…戻りましたが、六時間の道のりが大変快適でした。
 アラーム、セイフティ・バーの取付けなど…相当な時間がかかりましたが、近ごろ、殆どのことを終え、早速に重宝させて頂いております。最近、大きなバス事故で奥地にあるカトリック‥、、ッションの学校の生徒八九名が亡くなり、ここ、ブラワヨ教区でもカテドラルで追悼、ミサが行なわれました。私どもの学校からも多数の生徒が参加しましたが、早速、ランドクルーザーが大活経でした。十人乗りですが、何人乗ったことか…。
 私どもの住んでいる所は、タウンシップと云われる、いわゆる、この国の平均的貧しい人達の住んでいる地域で、街まで約十五キロ、事で二十分ぐらいですが、いつ来るか分らないバスを利用するなら、片道一時間かかるか、二時間かかるか分らないといった状態です。
 また、ブラワヨから約二五〇キロ離れたプッシュの中のミッションにある学校で、私共のシスター二人が教えています。カラハリ砂漠に近く、かなり深い砂地で、雨期になりますと、四輪駆動のみ走行可能となります。パンも野菜も売っていないような所ですから、二〜三通間に一度、食糧品、日用品購入、学校の用事で、一番近い衝であるブラワヨに出て来るのですが、今までは雨期になると、大変不便をしていました。そのミッションから歩いて、約一時間の所に、蒸気機関車のための石炭供給場があり、そこを通る汽車が、一時停車して石炭を積みます。そこで、ミッシきンの郵便はプライベート・バッグで積み降しされるのですが、その便で、ブラワヨから食糧品を送らせてもらったりしていました。電話もあるのですが、殆ど通じない所です。二カ月後…には、このランド・クルーザーは、そこ、レジナ・ムンディ・ミッシきンで活動することにもなります。
 修道生活を志す、若い人たちの家庭訪問に、研修会にと、ランド・クルーザーも大忙しです。(九月五日)






『マラケッシュを後に』

〜モロッコ〜
マリアの宣教者フランシスコ修道会 黒川栄子
 いつも…他のミッションの地で働いていらっしゃる方々のニュースを楽しく読ませて頂いております。
 さて、この度、七年間働いたマラケッシュを後にして、タザという小さな町に移動いたします。学校組識ではなく、小さなフラテルニテで、近所の娘さん達を集めて、洋裁、刺繍、編物等を教えることになると思います。季候は、いま居るところと変らず、夏、日なたでは楽に50Cになるような地域です。今、ここマラケッシュでは37C〜43C(日かげの温度)の日が続いています。






『声なき声を聞いて!!貧困・不安の中で』

〜シエラ・レオネ〜
御聖体の宣教クララ修道会 根岸美智子
 …行方不明になっておりました二人の神父のうち一人は、一週間前に無事反乱軍の手から救い出されました。五日間、ブッシュの中を歩きつづけ(るなど)、彼の四カ月間の苦しい体験は言葉に表わせないほど大変な毎日でした。やせ細った神父は、疲れたなかにも、「私の人生で、これほど神様を近くに感じたことはありません」と語っておられました。もう一人の神父は、いまだに行方がわかりません。…ブッシュ大統領が風邪をひいた″熱が出た″としたら世界中の新聞、ラジオがそのニュースを伝えることでしょう。
 しかし、小さい国の、名よじない、貧しい人たちが、毎日、10人、15人と殺されていても、そのニュースを、誰も報道する人はおりません。声を上げて叫ぶ許しもないのです。世の中には、そのような場所もあることをお知らせしたいのです。
 国の経済状態も不安定ですので、(先生方の)サラリーも支払えず、…私は仕方なく、新入生の授業料前払いを借用し、政府に代って、先生方の給料を支払いました。…このように給料不払いが続くと、学校の再開も学校によっては分らず…不安もあります。
 …少し明るいニュースとしては、0・L・G中学の寄宿生のため、少量ではありますが、世界食糧援助の一部を受けられることになり(ました)。寮費は本来、三万レオネ(一学期)になる予定を、そのまま半額以下、一万四千レオネで生徒を受け入れることになり…いつまでこの援助が続くか分りませんが、たとえ一学期でも助かったと喜んでいます。
 雨期で、大きなヘビ君が顔を出し、時々、私たちの肝を冷してくれます。十日前には2メートル、丸太の太さのコブラが小学校の教室に入ろうとするところを見つけられ、三人がかりで退治…雨期はスリルの時期でもあります。






『日本人が六人に』

〜チャド〜
ショファイユの幼きイエズス修道会 三宅陽子
 …今年も元気でチャドで…過しております。さて、ライのコミノテは五月二十八日、若さと元気に溢れたシスター杉山浩子を迎え、日本人が二人となり…ン・ジャメナに一人、ギダリに三人、これで日本人が六人となりました。
 こちらは五月より雨期に入り、六月中旬からは毎週、二〜三度は大雨が降り、米作りをしているライの人々は、恵みの雨に大喜びです。私も、修道院のキュウリ、ナスビ、チャドのインゲン豆、つるむらさきが次々に出来、やっと生野菜にありつけ、感謝致しております。昨年の暮にはクーデターがあり、暫くの間、人々は落着かず、不安な日々を過していましたが、今年四月にはすっかり静かになり、郵便も平常通りとなりました。…きずな″を楽しみにしております。(七月二十六日)